12月21日(月)晴れ【小さい秋見つけた】
今頃秋というのもおかしいですが、研究所の廊下の窓から、色づいたきれいな銀杏が見えました。周りを建物に囲まれているので、もう冬だというのに、まだ落葉しなかったのでしょうか。そういえば秋はもうとうに終わっていたと、しみじみと思いました。今年は紅葉狩りにも行かず、秋を感じることなく過ごしてしまった、と思い返しています。
大梅法常禅師(752~839)が、浙江省にある大梅山に住して40年余、一人の僧が山道に迷って、大梅禅師の庵に辿り着きます。この時の話が有名な「随流去」ですが、このとき次のような問答があります。
「和尚在此山来多少時也(和尚は此の山に入って、どのくらいになるのですか)」と僧が尋ねますと「只見四山青又黄(只だ、四山の青又黄なるを見るのみ)」
と答えました。
この枯淡なる僧侶の生き方に憧れている私です。
ある先生から子どもの頃の話として聞かせて頂いた話は印象的です。近所の行者のようなおじいさんが、「おじいちゃん、朝ご飯ですよ」と家族に言われましたが、「今忙しいからそれどころじゃない」といって自室に入っていったそうです。そして、端然と死を迎えたということです。
終焉のときに向かっているこの忙しい時、私のみならず誰しもですが、秋の気配も忘れて生きては駄目だと反省しています。研究所の窓から見た銀杏が教えてくれたメッセージでした。
今頃秋というのもおかしいですが、研究所の廊下の窓から、色づいたきれいな銀杏が見えました。周りを建物に囲まれているので、もう冬だというのに、まだ落葉しなかったのでしょうか。そういえば秋はもうとうに終わっていたと、しみじみと思いました。今年は紅葉狩りにも行かず、秋を感じることなく過ごしてしまった、と思い返しています。
大梅法常禅師(752~839)が、浙江省にある大梅山に住して40年余、一人の僧が山道に迷って、大梅禅師の庵に辿り着きます。この時の話が有名な「随流去」ですが、このとき次のような問答があります。
「和尚在此山来多少時也(和尚は此の山に入って、どのくらいになるのですか)」と僧が尋ねますと「只見四山青又黄(只だ、四山の青又黄なるを見るのみ)」
と答えました。
この枯淡なる僧侶の生き方に憧れている私です。
ある先生から子どもの頃の話として聞かせて頂いた話は印象的です。近所の行者のようなおじいさんが、「おじいちゃん、朝ご飯ですよ」と家族に言われましたが、「今忙しいからそれどころじゃない」といって自室に入っていったそうです。そして、端然と死を迎えたということです。
終焉のときに向かっているこの忙しい時、私のみならず誰しもですが、秋の気配も忘れて生きては駄目だと反省しています。研究所の窓から見た銀杏が教えてくれたメッセージでした。