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風月庵だより

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退歩を学すべし

2008-07-18 17:43:00 | Weblog
7月18日(金)暑い【退歩を学すべし】(亀のような雲)

東京方面のお盆も終わりました。かなり疲れました。お経は疲れないのですが、サウナ状態の車に疲れてしまいます。車中の温度が50度から60度になっているのです。助手席の窓を開けて、運転席側の扉をパタパタはしますが、それでもそれほどにはさがりません。発泡スチロールのボックスに保冷剤をいれて、タオルを冷やしておきます。運転するときはそれを頭に載せて、頭から吹き出るほどの熱を冷ましながら運転しました。地球温暖化で暑さが年々増すような気がします。八月のお盆はどうなりますか。

さて、サミットも終わりました。フランスのサルコジさんには、福田さんは完全に「ナメラレタ」という感じを受けてしまいました。サルコジさんの後にはフランスの食糧自給率130%という自信があります。日本がいくらおいしいご馳走をだしても、フランス料理には及ばないよ、という考えもあるでしょうし、どうせ自給率25%しかない国のご馳走でしょ、と見下しているのかもしれません。またフランスとしては、日本よりも中国と仲良くしたいのが本音でしょう。

ということで、福田さんやスタッフのご苦労をよそにしまして、2050年後、世界がどう変わるか分からないのに、そんな将来を目標にしてのお約束のサミットは終わったようです。地球温暖化対策は地球にとって危急存亡の問題なのに、あまり成果はあげられなかっとようですね。やはり目先の問題にふりまわされてしまうのでしょう。まあ、そのうちに呑気にはしていられない状況になるでしょうが、そのときでは遅いです。

さて、本題の「退歩を学すべし」ですが、これは道元禅師の「普勧坐禅儀」にあります。所以須休尋言逐後之解行、須学回向返照之退歩、身心自然脱落、本来面目現前
ゆえに須く言を尋ね語を逐うの解行を休すべし。須く回向返照の退歩を学すべし。
〈試訳〉
ゆえに言葉や書かれた文字を追いかけて、分別知識で理解するようなことは休めるべきである。内なる自己の心に回らし返して、本来の自己の根本に戻ることを学ぶべきである。

私の訳はあまり良い訳とは言えないので、内山興正老師の訳をあげてみる。「ゆえに言葉の先っぽを追い、これでわかろうとすることをやめて、とにかく自己の生命の実物にかえるべきである」と訳されている。

秦慧玉禅師は「退歩」の訳として「回向返照は外に向けた光を、一歩退いて内に向かって行うから退歩という。(中略)要は外境をおわず、端坐の家に帰る。この退歩の道を学ぶことが最も肝要のところである」とこのように退歩がキーワードとして受け取ることができよう。

というようなことで、道元禅師のお使いになる退歩は、単に科学の進歩などの反対語としての退歩ではないが、単に後退を意味する退歩を、世界は学ぶ時が来ているということを言いたいのである。後進国といわれる国々はまだ進歩が人々の生活向上のために必要かもしれないが、先進国といわれる国々はこれ以上の進歩はやめて、ある程度の生活は守り、不必要な進歩は押さえるという退歩の学を学ぶべきであろう。資源も枯渇するときが来る、大気汚染もひどい、地球温暖化をストップしなくては、地球は人類が住めない状態になる。

サミットで提唱すべきは「退歩学」だったと、片隅で思っている。道元禅師が説かれる真理を学ぶ上での退歩の意味も、地球人類の滅亡を救うという観点からも、あながちずれている意味ではないようだ。

日本は日本自身の状況を回向返照し、日本列島と島々が頂いている天地の恵を回向返照し、それを見据えることから、何を為さねばならないかが見えてくるだろう。そして必要以上の進歩を望まず、退く勇気を学ぶことから国としての真の安心がうまれてくるのではなかろうか。諸国も同様である。サルコジ君にバカにされることもない。揺るぎない自信を持つべきだ。緊急事態は食料自給率をあげることであろう。