mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

よくぞここまで来たものだ

2015-02-02 09:03:09 | 日記

 一転して雲一つない快晴の昨日、東京駅へ出る。日曜日とあって、人が多い。丸の内南口の出口は、旧東京駅の駅舎が改装されて、それをみる人たちでにぎわっている。有楽町から歩いてきて、ここから乗車したことは何度かあるが、ここから下車したのはここ十年で初めて。そうやってみると、見える風景ががらりと変わる。車道を一つはさんで昔、郵便局のあったあたりにやはり〒のマークの付いた5階建てくらいの建物がある。その後ろには40階ほどになろうかという高層ビルが控えるように背を伸ばして、睥睨している。これが目下建設中、7月開業のJPタワーか。

 

 今日はそのJPタワーの中にあるレストランで、アルゼンチンから里帰りしていた姪の家族と会食をすることにしている。こんなところがあることも、まったく知らなかった。ふとむかしチベットを旅したとき、郵便局の経営するレストランやホテルをつかったことがある。軍も郵便も独立採算というので、レストランからホテルの経営まで、金になることなら何でもしているというガイドの説明にいかにも中国だなあと思ったものだったが、何だこれでは、日本も変わらない。まあ、日本は郵政民営化が行われたわけだから、不思議ではないか。また郵政が郵便事業以外で稼いではいけないという枠組みを取っ払って「規制緩和」したのであろうから、「日本が中国化」したのか。ヘンな話。

 

 姪とその娘と、そのジジババ、それに(去年亡くなった)在京の私の兄弟の嫁さんとその子どもたち。子どもたちといってもすっかり成人して、結婚して家族をもっている。総勢11人になる予定であったが、甥の子どもが風邪をひいて母と子が急遽欠席となった。いま東京では風邪が流行っている。その風邪をアルゼンチンにまでもっていかせるわけにはいかないから、これはやむをえまい。

 

 3歳になった姪の娘は大きな丸い眼をして愛らしい。言葉も振舞いも無邪気と他人を意識する気配とが錯綜し、「かんけい」の距離を測るような仕種が伺えてほほえましい。前回会ったときは乳児から幼児へ変わる途次であった。今度は幼児から次のステップへ変わりつつあるといえるだろうか。そう言えばサルトルであったか、自伝的な著作の中で、3歳のころから、どう振る舞えば大人たちが喜ぶか意識していたと記していたか。50年も前に読んだ一節だったが、そんなことがふと頭をよぎる。子どもというのは、そんなふうにして大人と言葉の世界に侵入してくる。そういえば、『脳の発見』(大修館書店)の著者角田忠信は、「6歳から9歳までの間、持続母音を使う言語環境にあり、実際にその言語を使った人のみが、この日本人型を示すようになる」として、西洋人と日本人の左脳と右脳の受信機能の大きな違いを説明しているという引用文を、最近読んだ。3歳どころか、胎児のころから音感や言語の「ひびき」が脳の形成に影響を与えているという、脳科学の研究も、どこかで目にした。それが目に見えて目覚ましく変わる(成長する)のが3歳頃からだから、見ているだけで面白い。

 

 その孫娘に1年ぶりに会って一月ほどを一緒に過ごしたジジババは(たぶん)、その変わりように目を見張ったであろうし、変わりつつジジババに向き合っている孫娘に、ホンロウされたに違いない。「あんたみたいに、若いうちに子どもをつくるのが正解じゃわ。この齢になって孫の相手は容易じゃないわ」と後期高齢者世代に入る兄嫁はこぼしていた。「孫は来てよし帰って良し」ということだ。でも、帰る先がアルゼンチンでは、乗り継ぎ時間も入れると30時間も向こう。そう簡単に来て良し帰って良しとも言えまい。こういう関係自体がグローバル化だと思う。

 

 若い人は若い人たちで話が進む。年寄りは年寄りで、とりとめもない話をして2時間ほどを過ごした。姪や彼女に会いに来た甥たちやその嫁さんの顔を見ただけで、もう世界は受け継がれたと思った。ちょうど建設中の、このJPタワーのように、古い〒マークを付けた局舎の後ろ盾のように背伸びしでいる「かんけい」が現下の日本なのだ。よくぞここまで来たものだ、そう思わないではいられなかった。


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