mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

ぼんやりし始めている

2024-06-17 09:24:01 | 日記
 滝子山を歩いてきました。山頂に着いたときにはヘトヘトでした。そこまでに三つ、間違いがありました。なんで間違えたのか、実はよくわかりません。そのうちの二つは、ボーッと歩いていたからという以外、思い当たりません。なんだか、緊張感に欠けています。
 一つは、駅を降りて東西に延びる国道を20分ばかり歩くのですが、どうしてかそのとき、逆方向へ歩き始めていました。15分ほど歩き、えっ、川を越えるの? と疑問が湧いてはじめて地図を見ました。東へ行くはずなのに、西へ向かっていました。元の駅へ戻った頃、同じ電車でやってきた集団が、前方をゆくのが見えました。30分ほどのロスです。
 二つ目。電車の線路をくぐり、神社のところから左へ入るはずなのに、道なりに舗装車道を進み、気が付くと電車の線路に沿って歩いていました。えっ、なんで? と、ここでまた地図を見ました。ボーッと道に沿って歩いてしまったのです。何考えてんだと自分に腹が立ちましたが、その道がぐるりと回って中央高速を越える道につながっているとわかり、そのまま進みました。これでまた10分ほどロスをしています。
 その途次に、一つ発見がありました。高速の下をくぐるフェンスの入口に「窯月山⊂」と表示があり、滝子山の手前にある小山が「窯月山」という名であると分かりました。でも、地図にも、近くに設えられた山名表示板にも、その山の名は記されていません。草刈り作業をしていた地元の人に聞くと、「うん、誰も登らないよね」と返ってきました。
 十年ほど前に二度、この道を辿っているのですが、すっかり忘れています。十年前にはなかったシカ除けフェンスを開けて入り、舗装道を歩きます。前方を歩いていたひと組3人が立ち止まっていました。ここから滝子山への稜線を直登するか、迂回するルートへ行くかを考えていたようです。訊ねられたので「直登ルートは歩いたことがない。私は迂回ルートを行きます」と応えて先へ進む。
 その先の山道への分岐で、休んでいた15人ほどの団体さんを追い越した。しばらく行くと、さらに15人ほどの団体さんが休憩していて道を譲ってくれました。これまでのロスタイム40分を考えると、いいペースじゃないかと自分を褒める気分でした。
 ルートは途中で「←迂回路・難路→」と分かれていました。当然という気分で「難路→」へ踏み込みます。沢に沿って上るルート。沢の川が切れ落ちて、でも難路と言うほどではない、いずれ「難路」らしさがあるに違いないと思っていました。確かにある箇所で、直進するのと左へ上るのと踏み跡が分かれています。直進しようとしたのですが、左へ上るルートにロープが掛けられているのに気づきました。そうか、上かと沢を離れます。迂回路の山体と滝子山の山体とがくびれて合わさっている合流点の上の空が見えてきました。そこを目ざせばいいと思ったのですが、いつしか踏み跡はバラバラになり、迷ってしまったようでした。迂回路が上にあるはずと見当を付けて木に摑まって上りました。足元には落ち葉が降り積もり、あるいは崩れ落ちて山肌が、剥き出しになり、滑ります。なんとかストックをついて身を保ち、持ち上げ、上の木に摑まって更に上へ歩を進める。こうして、やっと迂回路に出ることができたのですが、靴の中に砂が入ってきました。身を落ち着けて靴を脱ぐところを探している内に、迂回路と難路との合流点に来ました。難路は徹頭徹尾沢に沿って歩くようになっていました。踏み跡も(ここでは)しっかりしています。
 倒木に腰を下ろし、靴の砂を出した頃に、私が追い越した団体がやってきました。先頭のガイドが、おやっ? という顔をしたので、「難路」を通って道に迷ってしまったと話、「どうぞお先へ」と道を譲りました。15人の団体はつかず離れず、順調に歩いているようです。
 広い地点出て休憩を取る団体さんを追い越し、山頂へ行って食事にしようと上り続けました。ここからの標高差150mほどが、身体には一番苦しかったと振り返って思いました。十年前、これほどであったとは思っていません。そのときは山の会の人たちをガイドしていたからなのか。いま一人で歩いているからなのか。身の裡に備える視線が違っているせいで、私のペースが不如意なのだろうと思いました。
 大谷が丸との分岐からがことに急登になります。白縫神社を過ぎ、山頂と初狩駅下山ルートとの分岐に来たときには、ほぼ体力が底をつくような気分でした。ちょうど山頂から、お昼を済ませた何組もの人たちが降りてきます。ここから笹子駅へ向かう人、初狩駅へ向かう人が別れていきます。山頂は距離であと百メートルくらい。気合いを入れて、最後のひと頑張りでした。
 やはり何人もの人たちが入れ替わりに下山していきました。お昼を広げているうちに、西の隅にいた方々も下山し、一人になったころ、団体さんが到着しました。記念写真を撮るというので、お昼を摂っていた場所を空けましたが、これほどたくさんの人を置けるほど山頂が広くはありません。そそくさとお昼を済ませ、私は下山に取りかかります。団体さんのガイドは遅れている二人を援護しに下っていきました。その人たちと、分岐に着く前に出会いました。「すみませんでしたね」とガイドが挨拶。「いえいえ、大変ですね」と応答。あとの団体さん15人と分岐の辺りで出会いました。この人たちまで山頂へ行くと、たいへんだなあと思いました。
 十年前の印象では、初狩駅への下山路は随分なだらかで下りやすかった。その通りではありましたが、やはり標高差1100mを下るわけです。急峻なところも、少しあります。「←男坂・女坂→」のところでは、迷わず、「女坂→」をとりました。「難路→」で懲りたのだと思うと、可笑しい。女坂の途中で、前に下った3人のひと組に追いつきましたが、「遠慮せず、どうぞ、ゆっくり」と口にする余裕が生まれていました。
 男坂との合流点で休憩を取るこの人たちを追い越し、快適に尾根上を歩き、大きな山体をジグザグに下る踏路を踏んで降ります。ちょうど半分ほどのところ、ここから傾斜は緩やかになり、沢にそうようになる地点に、ベンチが二つあります。そのひとつに、山頂付近の合流点で初狩駅に向かうといっていた二人の女性が休んでいました。荷を降ろし、水を飲んで、一息ついてから、私が先行しました。
 やはり降りは、体力的に楽です。膝に負荷がかかりますが、足運びに気をつければ、大丈夫という気持ちが湧いています。やがて広い林道に出たあたりで、後ろから来た男女の二人組に追いつかれました。聞こえてくるお喋りでは、職場の山仲間という感じ。キリマンジャロに行くのに休みが取れるかなと相談しているようでした。それが五月蠅いので、先に行って貰ったのですが、追いついてしまい、結局追い越しました。舗装車道に出て少しゆくと、正面の山の横に富士山が姿を見せ、山頂の雲に蔽われた景色のお詫びをしているようでした。
 すっかり草臥れて初狩駅に到着したのは16時過ぎ。笹子駅を出てから7時間15分ほど。6時間のコースタイムと考えると、勘違いや迷いがあったにしても、ちょっとひどい歩きだったなあ。でもまあ、無事に下山したのです。すべて良しと考えていいだろう。でも何もする気がおこりません。電車の中では本も開かず、といって眠るほどの気力もなく、ただただボーッとして2時間10分ほどを過ごしていました。
 家へ帰ってきてからも、すぐに夕食を取る気にならず、ソファに座ってしばらくはボーッとしていました。夕食を終え、汗を流し、ソファに横になっているとき、太股と脹ら脛に引き攣りが起こりました。それらの箇処と腰に5枚の湿布を貼り、ああ、そうだ、水が足りないんだと思い、それから700mlほどを5回くらいに分けて飲みました。でも、7時間トイレに行くこともなく熟睡しました。
 本格的に疲れが出て来るのは、これからでしょう。さて、明後日赤城自然園に行く予定を無事こなすことができるかどうか。3日遅れの疲れも出ないで、身体全体の劣化になっていくか。

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