mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

村八分の論理と倫理

2021-08-24 08:21:53 | 日記

 政府や都が都内の全医療機関に、病床確保の要請を行った。逼迫どころか、すでに崩壊と言われる事態になって、やっとこういう為体だから、行政が庶民に信用されないのも無理はない。[公助]は常套句のかけ声ばかりだ。庶民の方は、[自助]と[共助]でしのぐしかなく、「自宅療養」という名の引きこもりを、なんとか専門家の診察を得て行えないかと思案している。
 [公]と[共]と[私]を考えていると、江戸期の村落自治の様子が気にかかる。身分制という大きな枠組みの中での村の自治は、為政者から見ると年貢などの村落請負を意味する。村の住民からすると、庄屋を中心とした行政的側面とは別に相互扶助的な関係を維持する社会保障の役割を持っていたと言える。
 村八分というのを、村落自治からの[排除]と受け取ることが多いが、残された二分(火事と葬儀)は相互扶助に組み込まれている。さらに年貢などの請求もされなかったのかどうか。田を作るのに必要な水が分けてもらえなければ収穫は見込めないであろうが、となると隠里のように山奥に田や畑を作って自律的に暮らすことも考えられる。それらの人たちを、村落がどう処遇したか、為政者がどう見なしたかに興味が湧く。青山文平の小説にそういった集落が、当たらず障らずにおかれた設定で描かれていたのがあった。だが歴史的に、そうであったか。自ら調べてみようという気合いはない。
 ということは、前回取り上げた宮本常一の村落自治の談合決定の方法という昭和初期の地方の寄り合いの話などを持ち上げて、江戸期の村落自治のモデルにしてしまうのは、早とちりもいいところとなる。ただ単に、そのような「全員一致」の気風が垣間見られたというほどの評価を与えて、[共]の再構成を図る話が荒唐無稽ではないという参照項にしておきたい。
 もうひとつ。明治期の中央集権の推進に対して、村落から異議申し立ての声が上がったことがあった。ことに学校制度を布いたとき、農繁期に(子どもとはいえ)手間をとられるのは困ると反対の声が上がった。後知恵で謂うと「国家百年の大計」に吸収されてしまうが、当時の村落としては、読み書きができるようにすることも自治的にやるところはやってきていたから、「お上」が余計なところに手を突っ込んできたと受け取ったのかもしれない。あるいは学校維持のために経費を請求されたことが、反発の大きな理由であったのかもしれない。でも、余計なことをしてくれるなと謂う自治村落側の意気があったことは、いまのご時世と較べても、遜色がないように思える。
 明治維新の当時は、国民国家的な意識(ナショナリズム)よりも、旧藩を「くに」と感じる愛郷心(パトリオティズム)がより強かったこともあろう。だが、パトリオティズムは、生まれた後に身に刻み込まれた空間や時間の感覚がベースになっている。近代の国民国家は、それを国家へ点綴することに力を入れ、愛国心へと育ててくることを行った。私たちはそれに苦い経験を持っているから、国家と社会を分離して考えるのと同様に、ナショナリティとパトリオティズムとを、やはり分けて受け止めることを、戦後の政治体制の元で身につけた。それは、ナショナリティの発生的には、正統性を持つていたのであった。
 そうして今、[公共]が[公]と[共]とに分かれ、[私]の領域がどう構成されているかが問われている。それは、画然と腑分けできる静的なことではなく、動態的な対応が迫られている[関係的な]ことがらである。私たち自身の、身につけてきた気風とも関わっている。さらにまた、今の日本の行政社会が長年習慣化してきた「法的言語」による規範のありようにも、関わっている(国旗国歌に関する法的な規定がよくそれを現している)。「法的言語」による規範意識は、事態を静的な関係にとどめ、動態的な関係において認知することを妨げるのだ。
 共同体というと古くさい集団主義を思い起こす。コミュニティというと行政的な下請け機関としての町内会や自治会の地域ボスの跳梁する「地域関係」が思い浮かぶ。学者などはアソシエーションと言い換えて、古い時代のそれとは別であるとイメージ喚起をしていたりする。しかしそれらは、どう名付けられようと、古くからの感覚や観念と地繋がりの「関わり合いの意識」である。それらを市場原理に預けているかどうか、行政組織に預けっぱなしにしているかどうかも含めて、改めて一つ一つ暮らしの場面を振り返って吟味し、思い切って自律の方向へ舵を切らなければならない。
 コロナウィルスがもたらした今回の事態は、まさしく「自律」が切迫した課題であることを突きつけている。自身でどうするか。自身たちでどう身を守るか。そう問うている。
 病もそうだが、歳をとると身が不自由になる。そうすると、[私]で始末できる部分が極端に狭まり、それとともに[公]や[共]に依存せざるを得なくなる。だが現状では、[公]は頼りにならない。とすると、[共]の部分を「市場原理」に任せるか、自律的にネットワークを作り上げるか考えなければならない。そうなってすぐに[共]を起ち上げるわけにはいかない。だが、なんとか手を打って、市場原理にも手助けを得ながら、この事態に対処しなくては、生きていけない。
 ま、頑張るべ。遠くの親戚より近くの他人。その人たちと相互扶助の関係を作っていく方向を、探りながら、今を凌ぐしかない。


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