mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

春が近いのか、雪の二子山

2015-01-22 10:26:21 | 日記

 昨日は山の会の月例登山。西武秩父線の芦ヶ久保駅から二子山を経て、武川岳を歩く。15日に秩父地方に雪が降ったというので、念のために「軽アイゼン持参」をお知らせした。「念のため」というのは、その後に平地では好天が続き、12度を超える暖かい日もあったからだ。

 

 正丸トンネルを抜けて、驚いた。まったくの雪景色。「トンネルを抜けると雪国であった、ってとこね」と、電車のどこかで声がする。芦ヶ久保駅前の広場は凍てついて盛り上がった薄氷が一面に覆っている。かろうじて車の通った後であろうか、氷の解けた筋道が残る。ずいぶん下車する人が多い。私のところに寄ってきて、「新ハイキングですか」と声を掛けられたので、そういうグループだと分かる。30人ほどはいようか。私たちは6人。

 

 トイレを済ませて出発する。まずは芦ヶ久保名物・「兵の沢の氷柱」をみていこうと、木くずを敷いてしつらえられた歩道をすすむ。ここも雪と氷に覆われ、人の歩くところだけ木くずが剥き出しになっていて、滑らない。秩父線をくぐって氷柱の正面に出る。スプリンクラーで散水しているから。樹木にかかった水が凍りついて氷柱になる。つららになる。それらが太くなって透き通り、なるほど見事な造形をなす。ふと見ると、登山道の方にはロープを張って「立ち入り禁止」と標識をぶら下げている。ここで、軽アイゼンを履く。ストック持参の人はそれも出して使えるようにする。

 

 9時、登山道に踏み込む。雪がたっぷりと着いた、いきなりの急斜面を右に左に折り返しながら登る。氷柱の上の方を巻いてぐいぐい高度を上げる。汗ばんでくる。羽毛服や雨具を脱いで、体温調節をはかる。外気温は零下何度だろうと思うほど冷えているから、出発のときに着込んでいたからだ。杉の樹林に入ると、雪が積もっていない。だがそれが切れているところでは、しっかりと雪が積もり、凍りついている。標高で200mほど登った時、上から若い人が降りてきた。聞くと正丸駅から武川岳を経てきたという。まだ9時半というのに、早い。尾根筋の積雪を訪ねると、「アイゼンはつけていた方がいいですね」と応える。彼はもうアイゼンをつけていない。雪がなくてもこの傾斜では、アイゼンがあった方が楽に登れる。1時間かけて浅間神社に着く。「ここがピーク?」と誰かが尋ねる。「いやいや、ここまでが今日一番の急傾斜。でも難所のひとつを越えた」と話して、稜線沿いに進む。振り返ると、「下界」が見える。「あんなところから(ここまで)来たの?」とMさん。そうなんだよね、人間の脚ってすごいんだなあとKさん。

 

 細かい雪が降っている。降り注ぐというほどではないが、樹林の薄いところでははっきりと顔にかかるのが分かる。予報では夕方から雨または降雪となっていたのに、半日以上早い展開だ。無理は禁物だ。

 

 木々の間から、渓谷一つ隔てたところに雪をかぶった武甲山の山肌が屹立する。下の方には皆野の街がうっすらと見える。遠望は望めない。稜線沿いはほぼ全面に雪をかぶり、深いところは50センチを超えている。何人かの踏み跡が残るところをみると、15日以降にここを歩いた人がいるのだ。二子山の急斜面は岩場であったのに、ほとんど雪がついて険しさを感じさせない。久しぶりに参加したAさんがそれなりについてくるので気づかなかったが、足を痛めていたOさんも呼吸は苦しくなさそうだ。すっかり回復したのだろうか。

 

 二子山の雌岳に着いた。芦ヶ久保を出てから2時間20分。ちょっと時間がかかりすぎている。もし下山するとしたら、この雌岳から谷沿いのルートを下るようにしたいと、分岐を確認する。でもとりあえず、二子山の雄岳に行って昼食にしようと、急斜面を下り、細い尾根を通過して再び上る。山頂に着いた後でMさんが「これを帰りに下るのかと思ったら、怖くなった」という。だが雪がついてて、アイゼンを使っているから(安全上は)わりと楽なのだが、そうは言わず、足元を確かめる。

 

 11時22分、雄岳山頂。50センチは雪が積もっていようか。西面の樹木が薄く途切れていて、武甲山が見えるはずなのだが、雪が多くなったのか雲が降りてきたのか、上部が見えない。秩父の街並みがうっすらと霞んでいる。倒木にシートを敷いて腰掛け、お昼にする。切り株に腰掛ける人もいる。「冷えてきたねえ」とKさん。たしかに底冷えがする。脱いでいた雨具を着て、手袋も、用意した厚手の毛糸のを出して取り替える。

 

 ここから武川岳までが2時間、そこから名郷に下ってはバス待ち時間が長いから正丸駅へ抜けると、さらに2時間、となると4時前に駅に着くことになる。それもすべて雪道となると、日暮れてしまいそうだ。雌岳まで引き返し、谷沿いの道を下山しましょうと提案する。無理をすることはない。展望を期待することはできないし、それにこれだけの雪道を楽しむことができた。先ほど見た下山路も、すっかり深い雪に覆われていた。そちらも時間がかかるだろう。

 

 25分ほどで皆さん腰を上げた。急斜面を下り、登って雌岳山頂に着いたのは11時58分。昼食の時に来たまんまの防寒で渓筋の道へ下りはじめる。ここが急傾斜。ロープが張ってある。深い雪と、ずいぶんしっかりと踏み固めた踏み跡がついている。上り口で、浅間神社のルートは「立入禁止」とあったから、皆さん、こちらの渓筋を登っているようだ。駅前で出会った新ハイキングの人たちは、こちらに来たのではなさそうだ。私たちは、一人の若い下山者以外、誰にも出会っていない。標高差100m余を下ると、なだらかな尾根に出た。それだけで気温がぐいと上がったように感じる。防寒の雨具をとる。耳にかけてかぶっていたネックウォーマーも、持ち上げて耳を出す。目をあげると、登りに歩いた稜線が黒いシルエットを見せている。

 

 尾根筋から渓筋への長いジグザグの下山路は、踏み跡も固められ、しかし雪がしっかりついているから歩きやすい。標高差の半分ほどを下って、谷あいで立ち止まって一息入れる。若いKmさんがしごき事件のころの大学山岳部だと誰かが紹介する。Kmさんがいやいや、そういう体育会系事件があったころの山岳部からはじき出された山登り愛好家が「山歩きの会」をつくっていたので、「しごき」体験はないですよ、と弁明する。でも、薬師岳に登るときに計量器で荷物をはかったら、38kgあったとか、山行中の坊主小屋あたりでは重くて朦朧として(死にそうだった)という話を聞いて、皆さん笑っている。そう、過ぎ去ったことや他人のことは、軽々と聞くことができる。それにもう、自分がそういう場面に直面することもなかろうと思うから、余計に面白く聞き流せる。でも、これから先、どれほどの山に登り、どういうところに足を運べるかと考えると、他人事ではなくなる。むろん、38kgはないであろうが、20kgなら担げるか。何日、何時間歩けるか。そんなことを考えながら、ひょいひょいと下ってゆく。

 

 駅までの標高差も30mほどになって、アイゼンを外した。ところが、秩父線が見えてきてから、登山道に雪がびっちりついているのが目に留まる。つるっと滑ってバランスが崩れる。何度か危ないバランスをとって、出発点にたどり着いたのは1時15分。「道の駅」で荷を解き、次の電車に乗って順調に帰還。電車の窓の外は雪が降り、乗り換える秋津駅から新秋津駅の間でも、雪の中を歩くことになった。春が近いのであろうか。


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