mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

弟65歳の「花の供養」

2015-02-23 14:10:47 | 日記

 ある本を読んでいたら、石牟礼道子の記した水俣病患者の娘をもつ両親の言葉が心に留まった。

 

《(病状が進行して)腰が曲がらん前、桜の咲きました。もうものもいいきらんようになっとりましたけれども、庭にすべり出て、ありゃ、何のつもりじゃったろうか、散り敷いとる花の上に坐って、桜の花びらば、いちまいいちまい、拾いよりましたがな、片っぽの手のくぼに。
 手のふるえてかなわんですけん、ようと、拾えまっせん。拾いこぼし、拾いこぼし、そげんしていつまっでんやりよりました。片っぽのてのくぼに、ためるわけでしょうが、たまらんとですたい。手のふるえますけん。やせこけて、わが頭もかかえきらんとごたる頸しとって。》

 

  両親の目に留まったこの娘(きよ子)の一瞬の所作が、私の胸を衝いた。この「母親から託された、あることにふれる」として(石牟礼道子が)以下のように記している。

 

《何の恨みも言わじゃった嫁入り前の娘が、たった一枚の桜の花びらば拾うのが、望みでした。それであたなにお願いですが、文(ふみ)ば、チッソの方々に、書いてくださいませんか。いや、世間の方々に、桜の時期に、花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょうか。花の供養に。》

 

 娘の所作が母親の言葉を介して、一挙に、人が生きることのすべてを含む意味へと、転轍されている。常軌を逸した様を「あやしうこそものぐるおしけれ」と古語に表現するけれども、正気でない様において瞬時に切り拓いて見せる地平に、「人が生きることのすべてを含む意味」が読み取れる。《桜の時期に、花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょうか》という母親の願いにこそ、人が連綿と受け継いできた人生への哀惜が(万感)込められる。

 

 今日2/23は、末弟Jの生誕65年の日。昨年4月9日に亡くなったとき、Jの奥さんが涙ながらに聞かせてくれた話を思い出す。Jは術後退院してから体調の回復をことのほか順調と感じていたらしく、この日病院に検査予約が入っている奥さんを「僕は大丈夫だから、行っておいで」と送り出し、帰宅してみると、すでに絶命していたのであった。

 

 寝ても覚めても会社経営のことばかりを考え、前のめりに「次の一歩」を構想していたJは、痛みと衰弱で水も喉を通らないようであった状態が手術によって改善され、「医者は余命半年なんて言うけれども、死ぬ気がしない」と私に話せるようにもなっていた。(たとえ余命半年であっても)その間に何ができるかをイメージしているだけで、Jは幸せであったに違いない。

 

 遺体が検死を受けて帰宅する、受け容れ準備をしていた奥さんが、あとで気づいた。ベランダにはディレクターズ・チェアが引き出され、タバコの吸い殻が落ちていた。陽ざしの暖かい日であった。何棟かあるマンションの敷地の周囲には満開の桜が咲き誇っている。12階の南向きの広いベランダに延べたディレクターズ・チェアに身を委ねたJが、癌の診断以来やめていたタバコを取り出して、煙をくゆらす姿が目に浮かぶ。奥さんは「血流を妨げるからタバコはダメって、いってたのに、もうっ!」と涙目で怒っていたが、一服をすうっと吸い込む瞬間のJの姿が、手のひらに桜の花びらを拾うきよ子さんの所作と重なってくる。さすがに「皆さん一服してやって下さい、タバコの供養に」とは言えないが、「花の供養」と娘さんの死とを重ね合わせて哀惜の思いを、「いや、世間の方々に」と風に乗せたみごとさに、胸を衝かれ、Jの感触が浮かんだ。

 

 私はまだ、Jへの哀惜の思いを風に乗せる言葉を知らない。いつかその言葉が見つかるかどうかも、わからない。だが、《花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょうか》と言葉にすることが「供養」になることを、知った。こうしてJは私に寄り添い、65歳の誕生日を迎えたのだ。このあとも、ともに年を取るに違いない。


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