昨日、山から帰ってきました。4泊5日。私の身体と自問自答しながら、文字通り歩一歩を運び、いまも、ワタシがどれほど疲れているのか、身の裡のどこがどう動いているのか、一つひとつの「現れ」に「はて、これは?」とおもいを馳せている次第です。
15日に入山し、山小屋に4泊。目的の黒部五郎岳にも登頂して、いかにも八十爺の山行を遂げてきました。初めの3日間は雨。五里霧中と強風の中、黒部五郎岳登頂を励ましてくれたのは、雪渓と花々と岩根を踏み歩く緊張感でした。
そのご褒美か、4日目。雲一つない晴れ。「山が見えるぞ」と、小屋の窓からの景観に同室者が喜びの声をあげていました。
大きなカールを抱える黒部五郎岳が、目の前のまだ薄暗い空に姿を見せています。「あちらの山は、なに?」ときかれて九十度左の窓をみると、見事な形の笠ヶ岳が頭の先を少し明るく光らせています。見るまに、笠ヶ岳も黒部五郎岳もモルゲンロートに輝いていました。いいですねえ、これを見に来たんですよと、昨日までの雨模様を忘れて誇らしげです。
この小屋から鏡平山荘までの、この日の私の山行は、北アルプスの眺望づくしでした。槍ヶ岳や奥穂高岳ばかりか、薬師岳、立山、剱岳、雲の平、水晶岳、鷲羽岳、燕岳から大天井岳まで、360度の絶景です。もちろんこれは、その真ん中に位置する三俣蓮華岳の山頂に立ったからです。遠方、西には白山、南には御嶽山や乗鞍岳、北や北東の方の山向こうには妙高山や浅間山も、頂をちょこんとみせています。
この日一日、晴れが続きました。この日のコースは、黒部五郎岳の姿を角度を変えた地点から見晴らす稜線歩きでもありましたから、明るい陽ざしを浴びて、北に向けたカールを抱え込んで屹立する黒部五郎岳にはじまり、今度は90度東の方からその背中を見晴らすこともできました。黒部川の源流部をなす位置の単独峰は、日本百名山に数えられるに値する立派な姿でした。
それとともに、ここまで入らないとなかなか目に入らない標高2977m・水晶岳の姿の美しさがひときわでした。また一日歩いている間、陽射しによって輝きを変えていく槍ヶ岳の独特の鋭鋒は、やはりこの山岳地帯のシンボルといって憚ることのない美しさを示していました。去年、笠ヶ岳を登ったときにも雲の中からときどき姿を現し、ちょっと幻想的な高山地帯に身を置いている人の領分を超えた感触を味わったものでした。今年のそれは、モルゲンロートから夕陽に白く輝くまで、ひときわ見事でした。ことに夕陽の、山荘周辺を黒っぽく包む樅の木の樹林の上に見せた美しさは、崇高というのをかたちで表すとこうだよと囁いているようでした。
ま、こうして5日間を無事に過ごして下山してきましたが、果たしてわが身がどこまでこれを苦難と感じているかは、実はまだ、わかりません。1日目から5日目まで、気をつけてそのときどきの体調の移り変わりに、おもいを凝らしていました。微妙な変化を感じ、それが何時間かを掛けて変化していく気配も、感じとっていました。食欲がなくなったり、脹ら脛に攣る気配を感じたり、腰が不安定になっていたり、肩がこわばったりと、わが身の変わり様を意識してきました。ほとんど眠って養生するほか為す術もない為体でした。どこがどう傷んでいるのか、しかとはつかめません。それがどれほどのダメージを与えたかは、実はこのあと5日間くらいの様子をみてからでなければ、何とも言えません。そういう意味では、この5日間は、文字通り「お試し山行」になったと感じています。
それらを一つひとつ拾い出して、わが身の無意識から掬い出すのはこれからの一仕事になります。でも、たぶんこれが疲れなのだろうとおもうのですが、こうして書き留めるのも、せいぜい、ここまで。いろんなことが、寝ても覚めても胸中を駆け巡っていますが、それを書き留める気力が続きません。ま、急ぐことでもなし、ゆっくりと見ていきましょう。
15日に入山し、山小屋に4泊。目的の黒部五郎岳にも登頂して、いかにも八十爺の山行を遂げてきました。初めの3日間は雨。五里霧中と強風の中、黒部五郎岳登頂を励ましてくれたのは、雪渓と花々と岩根を踏み歩く緊張感でした。
そのご褒美か、4日目。雲一つない晴れ。「山が見えるぞ」と、小屋の窓からの景観に同室者が喜びの声をあげていました。
大きなカールを抱える黒部五郎岳が、目の前のまだ薄暗い空に姿を見せています。「あちらの山は、なに?」ときかれて九十度左の窓をみると、見事な形の笠ヶ岳が頭の先を少し明るく光らせています。見るまに、笠ヶ岳も黒部五郎岳もモルゲンロートに輝いていました。いいですねえ、これを見に来たんですよと、昨日までの雨模様を忘れて誇らしげです。
この小屋から鏡平山荘までの、この日の私の山行は、北アルプスの眺望づくしでした。槍ヶ岳や奥穂高岳ばかりか、薬師岳、立山、剱岳、雲の平、水晶岳、鷲羽岳、燕岳から大天井岳まで、360度の絶景です。もちろんこれは、その真ん中に位置する三俣蓮華岳の山頂に立ったからです。遠方、西には白山、南には御嶽山や乗鞍岳、北や北東の方の山向こうには妙高山や浅間山も、頂をちょこんとみせています。
この日一日、晴れが続きました。この日のコースは、黒部五郎岳の姿を角度を変えた地点から見晴らす稜線歩きでもありましたから、明るい陽ざしを浴びて、北に向けたカールを抱え込んで屹立する黒部五郎岳にはじまり、今度は90度東の方からその背中を見晴らすこともできました。黒部川の源流部をなす位置の単独峰は、日本百名山に数えられるに値する立派な姿でした。
それとともに、ここまで入らないとなかなか目に入らない標高2977m・水晶岳の姿の美しさがひときわでした。また一日歩いている間、陽射しによって輝きを変えていく槍ヶ岳の独特の鋭鋒は、やはりこの山岳地帯のシンボルといって憚ることのない美しさを示していました。去年、笠ヶ岳を登ったときにも雲の中からときどき姿を現し、ちょっと幻想的な高山地帯に身を置いている人の領分を超えた感触を味わったものでした。今年のそれは、モルゲンロートから夕陽に白く輝くまで、ひときわ見事でした。ことに夕陽の、山荘周辺を黒っぽく包む樅の木の樹林の上に見せた美しさは、崇高というのをかたちで表すとこうだよと囁いているようでした。
ま、こうして5日間を無事に過ごして下山してきましたが、果たしてわが身がどこまでこれを苦難と感じているかは、実はまだ、わかりません。1日目から5日目まで、気をつけてそのときどきの体調の移り変わりに、おもいを凝らしていました。微妙な変化を感じ、それが何時間かを掛けて変化していく気配も、感じとっていました。食欲がなくなったり、脹ら脛に攣る気配を感じたり、腰が不安定になっていたり、肩がこわばったりと、わが身の変わり様を意識してきました。ほとんど眠って養生するほか為す術もない為体でした。どこがどう傷んでいるのか、しかとはつかめません。それがどれほどのダメージを与えたかは、実はこのあと5日間くらいの様子をみてからでなければ、何とも言えません。そういう意味では、この5日間は、文字通り「お試し山行」になったと感じています。
それらを一つひとつ拾い出して、わが身の無意識から掬い出すのはこれからの一仕事になります。でも、たぶんこれが疲れなのだろうとおもうのですが、こうして書き留めるのも、せいぜい、ここまで。いろんなことが、寝ても覚めても胸中を駆け巡っていますが、それを書き留める気力が続きません。ま、急ぐことでもなし、ゆっくりと見ていきましょう。
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