mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

論点の漂流

2019-01-21 09:59:02 | 日記
 
 昨日(1/20)に「積立金値上げ案説明会」を開催した。おおむね順調に運び、終わりにさしかかって一人の人が発言した。
 最初は「専有部分の修理修繕は各戸に任せるべきこと」という。それは11年前に「総会決議」した「規約改正」をちゃぶ台返しする意見だったため、「重層階の集合住宅がかかえる問題解決のために国土交通省がガイドラインを出した」ことにしたがっていると、すでに行った説明を繰り返した。
 
 すると次に、「管理組合が行う修繕などは管理組合に積み立てたお金ですべて行うのが筋だ。自己負担金が発生するというのはおかしい」と主張する。だが、給水管・給湯管の更新工事というのは、各戸の配管状態が一様でなく、居室の広さに関係なく、更新費用が異なってくる。しかし「積立金の会計管理」は居室の面積比に応じて行っているから、面積比に応じて積立金を取り崩し、その不足部分を自己負担するようにしてもらわないと「積立金の会計管理」が出来なくなると説明する。これも、すでに説明したことの繰り返しだった。
 
 だが彼は、「標準工事費というのも、どういう算出の仕方をするのかわからない。」と言い出した。その算出法は、棟の世帯全体の工事を終わったのちに、オプションではない「標準的な工事」を行った世帯ごとの額を棟毎に、1㎡当たりいくらになるかを集約して算出すると「規約」に規定している。ただ工事を終わってみなければ、それがいくらになるかわからないし、そもそもどのような工法を「標準工法」とするかも、まだ決めていない。「設計」段階のコンサルタントを決めて後に依頼し、ある程度明らかにするものだ。そう説明する。
 
 だが彼は「オプション工事を各家庭が希望したときにそれをどう排除して算出するのか」と話を跳ばす。オプション工事は業者が各家庭のアンケートをとって設定するもの。「それもこれからの協議になります」と説明する。
 
 彼は「そういうオプション工事の費用を管理組合が徴収するのはおかしい」と見当違いの意見を述べる。「オプション工事は各戸と業者が取り決めを交わすから、業者が代金徴収をします。管理組合は標準工事について業者と契約を交わし、その工事代金の支払いを管理組合で責任を持つ。各戸には、専有面積比で積立金から取崩したのちに残る戸別代金の不足分を、管理組合に戸別支払いしてもらうことになる」とすでに説明したことをくり返す。彼は「そういうのも業者に委託すればいいのではないか」と食い下がるが、私の話を聞いていないらしい。
 
 私は「いやじつは私も、管理組合と業者とも契約に戸別の戸主にも入ってもらって、三者契約のようにできないかと考えた。ところが業界をよく知る方に言わせると、そんな契約はやったことがない」と教えられ、業者との契約とは別個に、管理組合と戸別の戸主とが「戸別負担金の管理組合への支払い」をするという文書を交わす段階があるかもしれない、と付け加えた。この辺りで、ほかの方々もすっかり彼の発言に嫌気がさしたのか、修繕専門委員長が「ま、これからの課題ですので、今すぐにやり取りしなくてもいいでしょう」と割って入ったのに、拍手が起こった。
 
 そんないきさつで最後が終わったから、「説明会」自体は順調に運んだのに、なんだか、着地でよろめいたような後味の悪さが残った。「説明会」を終わったのに、ひとつ峠を越えたような達成感が、あまりない。
 
 彼の主張の論点が漂流するように移り変わる。聞いていないというより、聞きたくもないということだったかもしれないと思う。つまり、彼自身が、なにを言いたいのかわからないが、文句をつけないではいられない衝動にかられた、そんな感じであった。なぜだ?
 
 「説明会」に用いた「値上げ趣意書」はひと月も前に配っている。彼に応えたことはほぼ全てそこに記載している。もし私の振る舞いが、そう(何か文句をつけたいと)感じさせたのだとしたら、それはなんだったのだろうか? 彼は私に嫉妬したのだろうか。まさか。管理組合の行動システム全体に対する反撥だったのだろうか。
 
 同じ団地の住民だから、すでに28年も一緒にいる。彼を知る人は「ああ、あの人はそういう人だから」と、すっかり鼻つまみ者のように冷笑する。別の方は、「かつて修繕専門委員会で彼の主張が退けられたこともあって、それ以来ですね」と一緒に理事を組んだ経験を話す。またある方は「あの人はね、旧帝大の工学部を出てるんですよ。なんでも数字で表してもらわないと気が済まないという方でね」と彼の出自にも詳しい。「特許に関する仕事をしてきたから、法律にも判例にも詳しくて、自分の思い込んだことにすごく固執するよね」と由来を説明してくれた方もいる。
 
 こういう論点の漂流を、軽々といなすようにできる才覚が私にあれば、後味の悪さを残さなかったのかもしれない。一つひとつの質問に真面目に向き合おうとしたことが、彼をますます漂流に導いたのかもしれないとも思う。
 
 もっともカタルシスを味わうために「説明会」をしているわけではないから、後味の悪さは、直ちにまずい事だったともいえない。そういう方もいると、総勢70名ほどの方々が共有しただけで、十分そういう時間を過ごした意味はあったともいえる。

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