mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

納得できる矛盾――上州武尊山

2019-06-27 11:20:34 | 日記
 
 昨日(6/26)、今週最後の晴日というので、上州武尊山へ行った。朝6時に東浦和駅で一人拾い、関越道の高坂SAでkwrさんたちと待ち合わせ。予定通りの時刻に落ちあい、1台の車に乗って水上ICを降り、大穴スキー場あたりで湯桧曽川を渡って武尊神社へ向かう。武尊神社というのが、沼田の川場の方にもあって、naviに出ない。kwrさんは事前にアナログ地図を調べてきてくれていて、kwmさんがnavi役を務める。
 
 武尊神社手前の駐車場には、すでに10台ほどの車が駐車している。すぐそばに裏見の滝という観光名所があるから、全部が山へ向かったわけではないだろうが、結構な台数だ。9時7分に出発。ヒノキの木立の中に武尊神社はすっかり寂れて立っているが、9世紀半ばには「利根郡の宝高(ほうたか)神社」としてここにあったと由緒書きが記されている。車のわだちの残る未舗装の林道を30分ほど進むと、広い駐車場があり、5台ほどの車。ミニパトカーも止まっている。やはり登山者のようだ。
 
 その先の登山道を20分ほどで、手小屋沢小屋への分岐に出る。ここへ下山して来ると話して、先へ向かう。ホウの木やトチノキが青々と葉を広げ、白い花を葉の上部につけている。ヤマツツジが緑の間に明るい。ウツギの花がほんのりとピンク色をつけて、楚々としている。背の高い木々に囲まれ、陽ざしは照りつけているのに暑くない。「いい季節だね」と先頭を歩くkwrさんはご機嫌だ。
 
 武尊川の上流を徒渉したあたりから傾斜は急になる。木の根を踏み、岩をつかみ、身を持ち上げる。今日の標高差は1000m。しかも前半2/3の行程はなだらかな登山道だから、後半1/3の傾斜が厳しくなる。振り返ると谷川岳の山並みが雪をつけて、西側に壁をつくる。ムラサキヤシオの花が際立って鮮やかだ。マイズルソウ、コイワカガミ、ゴゼンタチバナが花をつけて手元にみえる。目を上げると、オオカメノキの咲き残りの白い花がみえる。ドウダンツツジのつぼみだろうか、たくさん葉の下にぶら下がっている。
 
 上から降りてくる何人かと、ぱらぱらとすれ違う。
「何時ころから登ったの?」
 と単独行の60歳代にkwrさんが訊いている。
「5時だったかな」
 と返事。逆コースを歩いてきた方だ。

 いま11時。とするとすでに6時間。私たちはここまで2時間かかっている。この方は、このあと下山に1時間半かかるとすると、全行程7時間半か。私は6時間45分と見たてていた。
 
 一息ついて木々の間をみると、北の方に沖武尊(武尊山)が雲をただよわせた青空に頂をみせている。その左の方には、今日下る予定の稜線の岩場が急角度で姿をみせる。「行者がえし」といったか。何年か前、手小屋沢小屋の方からここを歩いたとき、鎖が設えられていて、面白かったことが思い浮かんだ。大きな段差にysdさんがバレーを踊るみたいと笑っている。
 
 急傾斜を上っていて、kwmさんの気分が悪くなった。もう12時を超えている。彼女は「体不調」で先週の山を休んだ。五十肩の一種なのか、肩の腱がこわばり、ほぐすことができない。整骨医に診てもらっているようだが、本調子でなかった。今日の山も、「ムリはしないで」と言っておいたが、「何のこれしき」というのが、彼女の生きがいというか、性分。ギリギリまで頑張ってしまう気性が、私と違って際立つ。それがあるから彼女は、ここまでいろいろなことを頑張ってこられた。でも、それって困ったことなのよねと、私は何度か、歳を重ねることと体の頑張りが利かなくなることを話してきた。今日は頑張りのkwmさんだったが、上りの急傾斜に悲鳴を上げているのではないか。
 
 しばらく休んでとりあえず、あと10分ほどの剣が峰まで行きましょう。そこから引き返すことも考えてと、話す。ysdさんと私が先行する。アズマフウロのような花が岩に咲いている。コイワカガミの群落が、これ見てっと謂わんばかりに花を咲かせている。kwmさんの身体が重そうだ。最後の岩場を上って、剣が峰に12時35分着。山頂は狭い。川場スキー場の方から登ってくる登山道の幅しか余裕がない。だが、そちらからひとが登ってくる気配はない。すっかり季節を終わったシャクナゲの花が一輪。触れると落ちてしまった。灌木の奥にいま見ごろというシャクナゲが一輪。それをカメラに収める。
 
 北の方を見ると、剣が峰からの馬の背と山頂へつづく稜線の谷間に雪をつけた沖武尊(武尊山)とそれに連なる山々が東へと見事な姿を見せている。いかにも奥深い。その向こうは、たぶん尾瀬の山々になる。西へ目を移すと、先ほどまで雲に隠れそうになっていた谷川連峰に連なる山々が、やはり雪を残した山体をこちらに向けて立ちはだかる。

 「その向こうに見えてるのは、浅間山かい?」
 とkwrさんはいうが、方向が分からない。苗場山もあるし、中空に浮かぶ雲もある。だが標高は2000mを越えるだけあって、陽ざしはあっても、涼しい。
 
 お昼にする。kwmさんは野菜ジュースを飲んだだけで、食べ物を口にできない。来た道を下山することにした。kwmさんは申しわけないとくりかえしていたが、山ではそういうこともある。私のみたコースタイムで2時間45分のところを、3時間半ほどかかっている。後半部分をコースタイム通りに歩いても、下山時刻は5時近くになろう。急傾斜を下るのも大変だが、最初の1/3だけ頑張れば、あとはわりとなだらかなルートになる。「大丈夫です」というkwmさんのことばにリズムをつけるように、kwrさんが先行する。
 
 前が立ち止まる。kwmさんが指さす先に、ホシガラスが2羽いる。そう言えば先ほどから、ぎゃあぎゃあとしゃがれた声が聞こえていた。松の木に止まって鳴き交わしていたようだ。ysdさんもこんな標高のところにいるんですねと、覗き込む。標高は1900m。下山しながら上からみる花々も、なかなかいいもんだ。急傾斜の下りは身体のバランスを保つのがむつかしい。ストックを仕舞って降りている。私はストックを突いて下る方が、身体が草臥れなくていいと、バランスをストックに扶けられながら、下っていく。滑りやすい。段差の大きなところでysdさんは、身を降ろしてくるりと向きを変えて、先へ進む。へえ、オモシロイ。
 
 武尊川の上部を徒渉したのは、下山開始から1時間半ほど。あと1時間くらいかと見たのは、大間違い。えっ? こんなところ登ったかなあといいながら、結構な傾斜もあり、足元も緊張を要するところが何カ所かあった。ysdさんは、
「あ、これ、ギンリョウソウ」
「これ、ラショウモンカヅラですよね」
 と、立ち止まっては傍らの花をのぞき込んでいる。
 
 手小屋沢小屋との合流点に着いたのは15時少し過ぎ。そこから40分ほど歩き、武尊神社脇の駐車場に戻った。大きな観光バスが止まっているのは、裏見の滝の見学客であろう。駐車場の車は私たちのを入れて3台しかなかった。今日の行動時間は6時間40分。もし沖武尊へまわっていたら、下山は5時を過ぎたであろう。
「今度来るときは一泊するようだね」
 とkwrさん。kwmさんが運転するという。大丈夫です、山道ですからと笑う。彼女が運転し、高速に入る手前でkwrさんと運転を交代して、高坂SAについたのは5時半。ちょうどそのとき、交通事故があって、高坂SAから川越まで45分かかるとインフォメーション。下り線のSAに止めてあった私の車は東松山で降りて、ysdさんの勝手知ったる川島町の田圃の脇を通って浦和へさかさかと返ってきたのでした。
 
 けさ4時に目覚め(山を歩いて身体がご機嫌なときは、朝早く目が覚める)、新聞を開いたら、鷲田清一の「折々のことば」に、
《物事には納得できる矛盾と納得できない矛盾がある》
 と枕に降って、
《このうち感覚として納得できる矛盾は「大きな可能性を持つ」と美術家は言う》
 と紹介している。大竹がいう矛盾と、今回の山歩きのルート変更とは全く違うことだろうが、私は内心(そうだ、そのとおりだ)と、腑に落としていた。
 せっかく沖武尊を目前にして下山するって……と(読む方々は)思うかもしれないが、そうではない。今回のは「納得できる矛盾」であった。また機会があったら訪ねてみようという余韻が「ポジティブなあきらめの気持ち」として残っている。山歩きって、そういうものだ、と。