mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

資源の宝庫、ニンジャの盛衰

2019-06-17 12:33:25 | 日記
 
 モンゴル人口の半数ほどが集中するウランバートルは盆地だとngsmさんは説明する。北に標高1950mのチンゲルテイ・ハイルハーン山、南に2268mのボグド・ハーン山、東に2834mのバヤンツルク山を抱えた標高1500mほどの盆地。

 初めて訪ねた3年前は6月の中旬であったが、寒くふるえるようであった。ゲルで石炭を焚くから空気が汚れるとガイドは話していた。また、4基ある火力発電所の巨大な煙突からもうもうたる煙が立ち上る様は、少し高い道路から見下ろすして一望すると、大気汚染の説得力に変わる。この火力の燃料も豊富な石炭。モンゴルは資源の宝庫でもある。石炭、銅、鉄鉱石、金など80種の鉱物が採取できるという。
 
 鳥観の旅であちらこちら走り回るから目に入るのだが、1000kmを走るうちに丘陵とは違う、上部が平たんな広い大きな高台地が風景の一角を仕切るところが、何カ所かあった。ボタ山だとガイドは話す。標高100mほどの丘陵帯の中で50mほどの高さの、上部が平たんなボタ山は際立って目立つ。石炭を掘ったり、銅鉱石を掘ったりした残土を積み上げたもの。その近くには、街が出来て賑わいを見せていたから、それなりの労働人口を擁するのであろう。
 
 むかし、プレートテクトニクス理論(大陸移動説)を学ぶときに、モンゴルの地質構造についても耳にしたことがある。かつて2億年程前、海の底にあった現モンゴルの地が、古いシベリア大陸と押し寄せて潜り込んできた中国大陸の狭間にあって押し上げられ現在のモンゴルとなった。そのせいで、豊かな資源に恵まれていると言われてきた。しかし社会主義時代にソ連の影響下で(ウランなど)いくばくかの開発はすすんだものの大半は放置されていたが、1990年の民主化以降に、ロシアや中国の資本が入ってきて、鉱産資源の開発が急速に行われるようになった。そうだそういえば、いつかどこかで読んだことがあるが、モンゴルの西部端境を区切るように南北に峰を連ねるアルタイ山脈のアルタイというのは「金の山」という意味ではなかったか。そう思ってネットで見ていたら、2009年2月のNHKBSの番組を見たという記事があった。
 
《今日、NHKBSでモンゴル中央部にある金鉱山の周辺で、一攫千金を狙って金を採掘しているモンゴル人の家族を取材した番組を見ていました。(彼らはニンジャと呼ばれている、その)語源は、土砂から金を選別するための洗い桶を背中にしょった姿が、アメリカ映画の「ニンジャタートルズ」に似ているため名づけられたそうです。》
 
 JICAの専門家としてモンゴルにかかわった鈴木由紀夫が『現代モンゴルを知るための50章』(明石書店、2014年)で紹介しているというので、図書館に予約して目を通した。金の採掘ばかりでなく、鉱物資源に関して、外国資本の搾取的横暴とそれから資源を護ろうとする法整備とが追いつかず、18年間に22回もの(資源開発をめぐる)法改正が行われたが、いまだに落ち着きどころを見いだせないでいるという悲鳴が記されていた。ニンジャは、2000年代初めの雪害で遊牧の家畜の四分の一、約800万頭が餓死したために遊牧生活から離れることになった人々が砂金の採掘をすることになった、その人たちを指す言葉だそうだ。つまり資源採掘などという次元の話ではなく、伝統的遊牧生活では成り立たなくなったモンゴルの苦境を吐露する物語であり、大規模事業をふくめた金の採掘がモンゴルの鉱産資源の輸出額に占める割合も、2005年の30%を最高にして、2011年には3%ほどに落ちていると示している。石炭や銅、鉄鉱石の産出量が劇的に増えたからかもしれないが、ニンジャの盛衰が浮き彫りになる。
 
 その鈴木由紀夫の記述が意外なことを指摘していた。
 
 《モンゴルの女性や子供が小川や井戸などから水を汲んでゲルまで運んでいる様子や少ない水で生活する習慣がテレビなどで紹介されるように、日本と違いモンゴルでは水は大変貴重である。年間平均降水量は日本の約八分の一の240ミリ程度しかないものの、厳しい寒さが少ない積雪を春まで表土に留まらせ、地下の永久凍土層の水分も利用した水循環の微妙なバランスが、草原や森林を成り立たせている。自然環境の脆弱さを身体で知っている伝統的な遊牧民は草原を耕すことを嫌っていた。》
 
 草原を走っていてオボーよりも多く目にしたのは、羊や牛、馬しか見えない広い草原のところどころにぽつんと建てられている、小さな四角い平屋根の掘っ立て小屋。ガイドに聞くと、井戸だという。何メートルか何十メートルか掘り下げると水が取れる。そこから水を汲みとり、家畜に呑ませ、自分たちの生活に用いる。むろん、川のあるところには、結構な水量が流れている。流れの周りには緑が生い茂って、草原の高低差がどのように先へつづいているか示すように見える。また、水のたまった池や湖もあちらこちらで目にしていた。私たちが訪れた5、6月は「恵みの雨」が多かったこともあって、私自身はほとんど渇水ということに気を使わなかった(旅人の私たちはペットボトルのミネラルウォーターを飲んで過ごしていた)。だが、モンゴルの年間降水量を考えると、天の恵みとして水を考えていた私たちと違い、モンゴルの人たちは大地の(底からの)恵みとして水と考えている。そこには、大地に手をかける掛け方についての「自然観の違い」も挟まってくる。
 
 この記録の第二回で、農業国になるかとモンゴルの将来の期待を込めて私が記したことは、じつは伝統的なモンゴル人の身体に刻まれた記憶とまるっきり対立するようなことであった。鉱物資源を採掘するということが、モンゴルの自然にどのような「圧力」を加え、いかなる「傷」を残すのか、それらを大地の底からの水循環まで算入して考えなければならない。岡目八目というわけにはいかないのだと、肝に銘じることになった。
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