mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

令和元年夏の敗戦

2019-06-15 12:02:08 | 日記
 
 金融庁の審議会報告書をめぐって、政府の対応が焦点になっている。モンゴルから帰ってみると財務大臣が報告書の「受取りを拒否」していて、なんだこれは、と溜めおいた新聞を一覧した。
 既視感があった。
 
 つい先日(2019/5/30)、政治の動きに関して「てめえら勝手にしやがれっ……こちらも勝手にさせてもらうわ」と 2018/12/8に記したことばを引用したばかり。つまり政治家や官僚の、日本のエリート・選良に対して愛想をつかしていたのに、どうして、そんなに気になるのか。ちらっとひらめいた既視感が、捨てがたかったからだ。
 
 この金融庁の審議会の報告書は、人生百年時代をどう生きていくのかを俎上に上げた、いわば「長期的な見通し」に触れている。空手形を何枚も振りだしてきた安倍内閣としては珍しい。もしこれを実のある議論にもちこむことができれば、先行きを見通せるようになる。今すぐの苦しさも、先が実感的に見通せれば、閉塞感の扉は解き放たれる。
 
 平成が終わるときにあたって、失われたことを振り返って、こう記している(「私の平成時代(7)」2019/3/18)。
 
 《その一つが、小渕内閣のときに公表された「21世紀日本の構想」である。河合隼雄を座長とする懇談会が提言したものであるが、地方分権や移民政策にまで言及して、「自立と協治で築く新世紀」と人々に呼び掛ける清新なものであったと印象に残っている。小渕首相は、それまでの宰相と異なり、コーディネーター的な振舞いを自らの役割と心得ているようであった。それは、その後の政治過程で忘れられ、それとともに、その志も雲散霧消してしまった。》
 
 これは、時代の閉塞感といわれるものは、暮らしの現下の苦しさではなく、先行きの見通しに希望が抱けないことにある。「失われた○十年」を切り開こうとしていたのが小渕内閣ではなかったかと、当時の私の実感を記したものであった。今回の報告書は、安倍内閣における(将来見通しに対する)再挑戦でもあった。
 
 その機会を、財務大臣が受取り拒否するとは、どういうことか。審議会は、その課題に関係する専門家たちがデータを検討して見通しを示し、それをもとに政府は政策決定を行うための「報告書」を提出する。もしそれが政府のスタンスと異なるのであれば、どこの見立てが違うからどう政策提起が違ってくるんだとやりとりすることが、今の時代にふさわしい「ガバナンス」のありようではないか。

 どこかで誰か統計の専門家が触れていたが、「素人はオープンにする、プロは隠す」と統計データのことを論じていた。「拠らしむべし、知らしむべからず」という時代は、とうの昔のことだ。国民が不安になるという理由で、生起している事態(データ)を隠蔽して、焦土と化すまで無謀な戦争を遂行したのは、日本国政府ではなかったか。
 
 そうだ、思い出した。既視感は「昭和16年夏の敗戦」だ。猪瀬直樹の著した『昭和16年夏の敗戦 ―― 総力戦研究所“模擬内閣”の日米戦必敗の予測』(中公文庫、2010年)を読んだ驚きを、次のように記している(2012/2/26「日米開戦直前の合理主義精神」)。少し長いが、引用する。
 
 《驚くべきことが書き記されていました。そこでは、日米開戦に至るかもしれない情勢を前に、その戦争は「総力戦」であると考え、軍事ばかりか、経済戦、政治外交戦、思想戦の各局面から考察して、どう事態が運ぶかを想定して、研究をすすめています。そして途中からは、[模擬内閣]を構成して担当者を配置し「机上演習」を実施。”日米戦日本必敗”を結論とした。それについて、昭和16年8月下旬の2日間、近衛文麿首相以下、東條陸相をふくめた現職の閣僚を前に、[模擬内閣]は各部署の報告を行い、「必敗」の結論を[閣議報告]していたというのです。猪瀬直樹の著書の表題はそれを指摘したものでした。
 まず私が驚いたのは、「総力戦研究所」を起ち上げたことです。次の世代を担う優秀な指導者たちを現職の中から選び出して、即戦力的に育てるという当初の趣旨もさることながら、縦割りの官僚組織や軍部の統帥権と政府の行政権という二本立てで構成されていて、統合する立場の天皇が「君臨すれども統治せず」という態度をとっていたという、二重性の統治機構のなかで、次世代のリーダーとなるべき人たちが母体所属官庁から資料を持ち寄り横断的に論議したりしていたというのは、先見の明を感じさせます。
 さらにその組織に、目前の日米戦争のシミュレーションをさせていることです。その過程で、米国に対する認識(日米の経済力の比は50倍以上)が提出され、石油の確保について米国からの禁輸が実施された場合の検討も行われ(行っている最中に禁輸になるのですが)、さらに日米戦争の開始決定をずるずると先送りする政府と軍部の確執も読み込み(しかもその後の成り行きは想定通りになってしまうのですが)、それら日本の戦略・戦術が米国に解読されているという想定まで含んでいます。
 これは、かなり近代合理主義的なものの見方が浸透していることを示します。実際の日米開戦の決定に際しても、軍部が「大和魂」を持ち出してみたり、東條陸軍大臣が「日露戦争のときにも意外裡のことがあった」と偶然の出来事を過大に評価して「総力戦研究所の報告」に付言したことなど、論理的に物事を理解するよりは、都合よく解釈する傾向があった時代であったのです。その時代に、この研究所の人びと(つまり次世代を担う優秀なリーダーたち)はたいへん合理的です。ひょっとすると、岡目八目というか、脇でみている立場がそのような合理性を前面に押し出したともいえます。そういうセンスを大切にしていれば、日米開戦にすすむ前に、米国が「満洲からは別として支那本国から軍を引け」と要求した段階で回避することもできました。あるいは、独ソ不可侵条約を破棄してドイツがソ連に侵攻したのを機に、三国同盟からの離脱を宣言して(事実そういう提案もあったという)、米国との関係改善を図ることもありえたろうし、ミッドウェイの海戦で敗北したときをもって、つまり、もっと早い段階で敗戦の交渉に持ち込むことが可能ではなかったかと思えて仕方がありません。
 しかし以上のことよりも、”日米決戦日本必敗”という[模擬内閣]の結論を、現職閣僚を前にして2日間、報告させていることです。むろんやりとりも行われたようで、先述の東條陸軍大臣の言及も、あるいは「この研究は公表してはならない」とつけくわえたことも、猪瀬直樹は、東條がその「結論」を真摯に受け止めて理解していたからではないかと解説しています。》
 
 戦前の軍国主義政府を、ただ単に「無謀な戦争を遂行した」と謗るよりは、その中枢にもエリートの知恵を集め、日米彼我の戦力を分析し[模擬内閣]を仮構して机上演習を想定してみるだけの(当時なりの)合理主義的な精神を、選良・エリートは持っていたのだと、私は感心している。アメリカの防諜力も、読み切っているように見える。ただその始末が、いただけない。東条陸軍大臣がそれら専門家の結論「日本の必敗」に目をそむけ、当時の政権に力のあった勢力(陸軍など)に都合のよい政策決定へミスリードしたことが、の如実に記されている。
 
 既視感とは、これであった。金融庁の報告書は、すでに少子高齢化時代に突入している私たち国民にとっては、人生百年時代を生きのびるかどうかの「机上演習」の序章のような事柄だ。その指揮官の座にある財務大臣は、いわば当時の陸軍大臣東条と同じに位置している。それが報告書の受理を拒否する。
 
 まったく日本の選良って、変わらないんだね。東条亡き後に麻生という似たような選良が登場して、同じことをくり返している。ただ、そうしていることが(それなりに)国民に筒抜けだという情報化時代の舞台だけが、少し違っているといえようか。もしこれが、このまま財務大臣のいうように扱われるなら、日本は「令和元年夏の敗戦」を迎えることになる。
 
 「勝手にするのも、いい加減にしろよ」と、つい、いいたくなっちゃいますね。
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