mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

探鳥の奥行きの深さ(3)政治とも絡まる鳥の奥義

2019-06-23 11:52:21 | 日記
 
 フルフ川のキャンプ場を出発した私たちは、バンディングを見に行くというのに、それとは違う方向へ車はすすみ、珍しくある針葉樹の森の方を抜けて、小高い丘を迂回していきました。聞くと、このキャンプ場のオーナーの爺さんが、その先にノガンがいたと情報をもたらしてくれたのだとか。ツグソーさんの人脈は、この辺りでも生きているようでした。4羽、2組のノガンが、草原に降り立ち、飛び去るのをばっちり観ることができました。
 
 草原を車で走っているとき、かたわらから慌てて飛び立つ小鳥をいくつも見ました。子育て中ということもあって、私たちの目線をそちらに引き付けるかのように激しく囀りながら飛び上がるモンゴリアン・ラーク(コウテンシ)もいました。「近くに巣があるんじゃないか」と探していたucdさんが草叢の小さな巣を見つけました。卵が三つ。抱卵中だったのですね。「あまり長く(私たちが)邪魔をすると、巣を放棄することもある」と誰かが話し、立ち去ったのですが。
 
 草原にみかけるのは小鳥ばかりではありません。ソウゲンワシ、オオノスリもクロハゲワシも、木々がないところですから(飛んでいるの以外は)、草に降りています。アネハヅルやマナヅル、オオチドリも(はじめのうちは)見かけては車を止めて双眼鏡やスコープを覗きました。ハマヒバリ、ヤツガシラ、カササギや各種カラスは、そのうち目もくれなくなりました。
 
 ツグソーさんの研究拠点、スフバートル県のハザラン村の保護研究センターは、舗装国道からさらに60kmも草原の凸凹道を駆け抜けた奥地にありました。5棟のゲルがあり、すぐ脇に風の吹き抜けるコンクリートのたたきを設えた四阿が建っています。尋ねるとBBQ場だと。そういえば、モンゴルのホテルにも、コンクリートのたたきに屋根をかけただけの素通しのバスケット場のよう施設がありました。日曜日などにここでBBQをするためにやってくる人たちがいるのだそうです。肉を食べる文化の欠かせない食事施設というところです。だいぶ離れたところに2棟のトイレ、その向こうではシャワーも浴びられるよと話していましたが(事前にガイドのバヤラさんが、シャワー設備ありませんといっていたので期待もしていませんでしたし)そこそこ寒かったので、だれも使いませんでした。ゲルは(ここだけでなくどこでも)夜、ストーブを焚いてくれました。ことにここ、ハザラン村のゲルでは寝袋を用意してくれ、それが珍しく、また快適であったとucdさんは、すぐにでも手に入れて持ち帰りたい様子でした。あとで分かったのですが、この寝袋はバヤラさんがウランバートルから用意してもっていったもの。実際私たち12人が4つのゲルを使用してしまいましたから、ドライバさんたちが泊まるゲルはなく、彼らは車に寝たということでした。
 
 さすがに保護調査センターのあるところは、ツグソーさんの仕事現場とあって、掌を指すようにお目当ての鳥をみせてくれました。まず、ワシミミズク。2羽の一組の成鳥が岩に止まっているのをみつけ、そのあとで、3羽の巣立ちしたヒナが親鳥とは離れたところの岩壁にてんでに身を隠すようにしているのを見つけてくれました。ucdさんはワシミミズクの羽を拾って土産に持ち帰りました。セイカーハヤブサが巣作りをしていると思われる岩場ものぞきました。
 
 研究センターから少し離れたところにちょっとした小さな町がありました。多分ここがハザラン村と呼ばれているところでしょう。大きな変電所があります。でも何を産業として成り立っている集落なのかは、わからずじまい。飛び散る紙屑と臭いがそこにゴミ捨て場があることを示し、それを見て人の生活を感じとるようでした。そこを通り過ぎて、小さな川の流れがある渓に入り、少しばかりある柳の木々などと岩場を飛び交うたくさんの小鳥やシラコバトなどをみて、さらに奥へと車を走らせました。サケイをみせようとツグソーさんはずいぶん力を使ったようです。じっさい、6羽のサケイが飛ぶのを観た人もいたようですが、しかと確認できません。だが小さな岩の上に姿を現したでコキンメフクロウを、スコープを通してとらえたのは、やはりツグソーさんの指さす先でした。
 
 6日目の昼、研究センターのゲルの脇で鳴き声がします。ツグソーさんが手招きをして、掛けた覆いをめくってみせてくれたのは、5つほどの金籠に入ったタルバガン(マーモット)。20頭ほどが今朝届いたとか。タルバガンをこの地に移殖するために、ウランバートル地区から運んでもらったのだそうです。それが思いのほか早く着いた。腹を空かせて鳴いているから少しでも早く野生に戻してやりたいと、ツグソーさんはこのあと、私たちを60km先の舗装国道まで見送り、ガイドを切り上げました。
 
 そのあと舗装国道を160kmほどを走って、4日目に泊まったウンヅルハーン村のホテルに一泊。その町の近くの川では、若い人たちが水浴びをし泳いでいました。そこでの探鳥も、カラフトムシクイやムジセッカなどを間近に見ることができて、なかなか興味深かったのですが、後で思い起こすと、この辺りからあと、翌日の探鳥と記憶が重なっていて、どこで何がどうであったかが、頭の中で一緒くたになっていることに気づきました。たぶんくたびれて、私の記憶の許容量を超えてしまったのでしょうね。
 
 この村からウランバートルへ戻る7日目の240kmのことは、すでに記しました。交通事故のこと、チンギス・ハーンのお祭りのこと。だが夕食のときに話題になった興味深いことに、二つ触れておきましょう。
 
 ひとつは、チンギス・ハーン記念碑の近くにある少し大きな池をのぞいたとき。オオハクチョウやコチドリ、シベリアハクセキレイなどを見ながら、対岸のシャーマンの踊る姿をみかけたところです。トイレを借りることもあって立ち寄ったのですが、そこでアカツクシガモの成鳥2羽が15羽ほどのヒナを連れて泳いでいるのを2組みました。身体の大きさもさることながら、親鳥と似ても似つかぬ姿のひな鳥が懸命について行こうと泳ぐのは、なかなか可愛くも興味深いものでした。
 
 ところが夕食の後でngsさんが「アカツクシガモの一腹卵数は、いくつかわかる?」と sshさんに訊ねて、そういう「領域」があったのかと気づかされたのです。ngsさんが言うには、種内托卵がある、と。つまり一羽の雌が一度に生み育てるヒナの数以上だと、ほかの雌が托卵している可能性がある。それを種内托卵というそうだ。じつは池でそれを現認したとき、私の双眼鏡では雄雌の区別ができませんでした。近くにいたスコープをもった誰かが、生長が2羽いることのを「あれは雄だね」といったのを聞いて、「へえ、じゃあ託児所だね」と言葉を交わしたのでした。託児所ではなくて、托卵なのか。面白いと思いました。
 
 それまで私は、ホトトギスやカッコウなどの杜鵑類が托卵すると思っていました。「種外托卵」といって、種内托卵と区別するのだそうです。なぜ、種内托卵するのだろうという話が転がって子育てが得意な雌もいれば苦手な雌もいると広がります。しかし、たとえばペンギンがほかのヒナはつつき殺してでも排除するのに、アカツクシガモのように平穏に子育てするようになるには、どのような(種内の)進化が起こっているのだろう、その種内の共同性の佇まいも関係して来るのではないか、と私は興味津々に耳を傾けましたが、アカツクシガモの一腹抱卵数は、そのときはわかりませんでした。帰国して後、6/19にngsさんから次のようなメールが来ました。
 
 「アカツクシガモの一腹卵数が解りました。8個だそうです。岩の隙間、崖の穴などに営巣し、自身の羽毛を敷いた上に産卵し、雌だけが抱卵育雛するようです。抱卵日数は29日位だそうです。/やはり、15羽+の雛を連れていたアカツクシガモは種内托卵によるものだったようです。」
 
 29日も抱卵するというのも、新しい驚きでした。探鳥というのも、奥行きはずいぶんと深いのだとあらためて感嘆しています。ngsさんのメールは、拾った羽根につても及んでいました。
 
 「拾った羽は、何の鳥の羽だったのか、手元の図鑑では解りませんでした。ノスリ、オオノスリかと思ったのですが、外れました。フクロウ類ではなさそうです。しばらく、楽しみが続きます。」
 
 研究センター近くのハザラン村そばの谷でワシミミズクの羽根をucdさんが拾ったのは、私も見ています。そのほかにも何人かが、羽根を拾っていましたが、ngsさんは、それも調べていたのですね。いやいや、頭が下がります。
 
 最後の夕食での、ngsさんとtkさんのやりとりも、興味深いものでした。口火を切ったのは石川動物園でトキの飼育にかかわっているtkさん。日本のトキが絶滅してのち、中国ではトキが生存しているとわかり、増殖技術が日本から中国へ譲渡されたのだそうです。そしてさらにのちに、中国からその御礼として天皇へトキの献上がなされ、日本では再び、トキの増殖をしています。tkさんの問題提起は、そうして日本のトキは滅び、中国から移入していま増やしているが、それは、ニッポニアニッポンを増やしていることになるのか、という疑問でした。(なにがモンダイなの?)とngsさんが、問いかけます。tkさんは、ニッポニアニッポンを残すということになるのか、単にチャイナトキニッポンを残すにすぎないのかと、問うていたように思いました。これも面白い問題提起だと思いました。誰かが「DNAを調べればいいんじゃない?」と口を挟みましたが、年間5000万円の(トキ)借用量を中国に支払っていることに関して、tkさんがわだかまりを持っているのではないかと私は感じました。トキを政治利用する中国への反発が根っこにあるのではないか。
 
 たとえ鳥のことといえども、政治と切り離せない現実。ただ単に、科学とか人類とか探鳥というだけでない政治や文化に関する絡まりが組み込まれている問題提起と受け取りました。現場でやりとりしていると、そうしたモンダイも避けて通れないのだろうと、感じ入った次第です。(終わり)

毒を以て毒を制す

2019-06-23 09:03:00 | 日記
 
 若竹七海『殺人鬼がもう一人』(光文社、2019年)を読む。図書館に予約していた本が届いた。なぜ予約したのかは、いつもながら、わからない。いや、面白かった。
 
 舞台は、都会近くの錆びれた街。そういえば、判決が出て収監しようと保釈中の被告宅を訪ねた役人たちに刃物を向けて逃走した男が、つかまったと今朝のTVが報道している。なんでも、暴行、傷害、覚せい剤使用など、ずいぶんと乱暴な男だったようだが、その逃走中の推定経路を聞くと、いくつかの隠れ家を持っていたという。持っていたのか、単なる空き家を隠れ家にしたのかは触れていないが、都会近くの錆びれた街には、そういう男もまた、寄り集まってくる。
 
 ふつうに暮らす人でも、いろいろと欲を掻いて無礼千万な振る舞いをすることもあり、警察官も、あの手この手を用いて向き合わねばならない。そう思ってこの本を読んでいると、どんでん返しがやってきて、「やられた」と読み手は思う。それは面白い。その面白さは、普通に暮らす人や警察官や地道な仕事を奉仕的にする人たちの生活規範は、ふつうに真っ当で当たり前と思っているから、生じる。ある種の社会正義がそれなりに存在している時代に身に着けた規範感覚である。いまの高齢者の世代が、おおむね皆さんそうだ。
 
 若竹七海という作者は1963年生まれ。今年の誕生日が来れば56歳になるという若い人。つまり、日本の高度経済成長の入口の時代に生まれ、ジャパン・アズ・ナンバー・ワンの時代に成人し、30歳の手前でバブルが崩壊して、失われた○十年を生きてきた人。世の浮き沈みを、浮いている時からまるごと経験してきた世代。この世代は、社会正義とか人道的といった、社会の共通する規範が揺らぐか薄れるかして育ってきた。社会の価値意識が多様で定まることなく、悪意がなくともやっていることが反社会的であったり、どこに視点を据えてみているかによってものごとの価値評価は変わると、当たり前に受け止めていた世代だ。
 
 つまり高齢者世代が、無礼を叱り、無責任に憤り、ひどい振る舞いに憤懣を漏らすのに対して、そうしたできごとにしゃらっと、自分の立ち位置から自分なりの反撃をする。そして世はこともなしと、素知らぬ顔をするのが、この作品に登場する人々である。それを通快と感じている読み手が、高齢者の裡側にもいる。
 
 毒を以て毒を制する物語。そういってしまえば、それだけのエンタテインメントにすぎなくなるが、その毒が、社会正義をそれなりに抱懐している高齢者世代にも内在すると見てとると、なかなか面白い人間認識になる。そこを外していないから、単なる、上には上がいる物語りではなく、面白うてやがて哀しき……という思いが、身の裡に湧き起ってくるのであろう。