mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

今年は幸先がいい

2016-01-08 10:02:55 | 日記
 
 昨日のこの欄で、近くを通ったついでに「太陽の塔」を観てきたと記した。その午後、TVをつけたら「HV特集 岡本太郎」をNHKBSがやっていた。あとで調べたら、2006年制作の再放送。どうして昨日再放送したのかは、わからない。「太陽の塔」制作を中心軸に据えて、そこに至るまでの画業歴を振り返って世界の画壇に位置づけ、その後の制作モチーフを追って、行方不明になっていた(幻の、と呼ばれた)壁画「明日の神話」を発見・修復する話しで締めくくっている。面白かった。岡本太郎がそんなことを考えていたとしたら、もっと彼のことをちゃんと見ていてもよかったと思ったし、もし太陽の塔を訪れる前にこの番組をみていたら、万博のとき塔の地下に飾られていた世界各地の民芸の「仮面」を所蔵しているという(公園万博公園に付設していた)国立民族学博物館を覗いてくるのだったにと思った。
 
 1960年代の半ばころの岡本太郎は、縄文土器を芸術として高く評価したり、産業社会の噴き上げる煙突の黒煙や火煙、構造的建築物をエネルギッシュだと表現してパッショネートであった。貧乏学生であった私からみると、ええとこのお坊ちゃんが芸術家のパトスをナイーブに語っていると思っていた。彼を招待した学園祭でのやりとりも、左翼全盛の時代であったせいもあって、アーチストとしてのパトスが資本家社会のお先棒かつぎをしている、と聴衆が詰め寄る。しかも、作品を高額で売っているではないかと難じる学生に対して「売れるかどうかは私の知ったことではない。勝手に売れているんだ」と気色ばんで居直る岡本の赤ら顔が印象的であった。
 
 思えば当時の左翼も私も、概念的にモノゴトをとらえ、自分の理解する枠組みに岡本太郎を押し込んでおこうと非難の目を向けていた。あるいは、ええとこのお坊ちゃんという(貧乏人の)僻みを、岡本太郎を非難の眼で見ることで、気晴らししていたとも言える。お恥ずかしいことであるが、それも人の世の恒、と今ならば片づけて受け止めることができる。人が生き(てい)る航跡を、概念的にではなく、その人の個別の生き方としてとらえることをしなければ、翻ってそれを我が身の糧とすることにならない。普遍化するということは、個別性の極みにおいて顕現するコトであって、普遍的にとらえることをすれば普遍化するというものではな、と今は考えられる。学生の頃は、なかなかそうした見極めがつかず、自らが卑小な個別性に囚われていて抜け出せないと臍を噛んでいたのであった。だから、絵を描くとか小説をものするというふうに、個別性に没入しているものの方が、はるかに普遍性の先の方を見通して歩いていたとも言えるのである。
 
 それにしても何かの啓示であろうか。太陽の塔を、たまたま観てきて書きつけた直後にTVの再放送に出くわして、岡本太郎の航跡を知るというのは、(普段TVをあまりみない私としては)神様の引き合わせかと思うほど、幸運な偶然である。今年は幸先がいい。