さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

横綱休場

2021-03-19 17:02:43 | ダイアリー


今場所も両横綱は休場だ。5場所連続で横綱不在となりました。横綱という番付はいらないのではないでしょうか?

先日相撲解説の舞の海氏が、春場所3日目からの白鳳の休場にたいして<過去にはおそらく1年くらい休ませてもらえたらもうちょっとやれるのにな、と思いながらも去って行った横綱っていると思うんですよね。でも、なぜやめたかっていうところですよね。それは自分の事情とか感情よりも、横綱の地位とか名誉とかというものを守ってきたからこそ、それを大切に思ったからこそだと思うんですよね。そして見ているファンはですね、横綱になってしまったがために辞めざるを得なくなってしまった、そこに無念さとか悲劇をファンは共感すると思うんですよね>(3月16日付日刊スポーツ「舞の海氏袋だたきを承知で横綱休場の名誉言及」より)と現在の両横綱、白鳳と鶴竜に横綱の自覚を持て とTV解説を通じて進言しました。

舞の海さんの言う通りですが、自分は日本相撲協会の理事会並びに横綱審議会の責任が大きいように思います。

なぜかというと、72代横綱稀勢の里が12場所在位中9場所も休場しました。前代未聞です。モンゴル出身の横綱が続く中での久しぶりの日本人横綱の誕生で、大いに盛り上がった大相撲を維持しようと横綱(=稀勢の里)休場を甘くみる雰囲気を彼らが作り上げてしまったからです。

これではモンゴル出身の白鳳(休場率20%)・鶴竜(休場率46%)の休場を咎められません。休んでも給金は減りませんので、休場率75%まで行けないとすれば、不公平!人種差別的扱いとも主張できるでしょう。体が万全でなければ休めばいいとの気持ちにもなるでしょう。

大相撲はガチでぶつかり合うことになってから面白くなってきました。従って横綱の価値も大きくなりました。ただ横綱が逃げ回って休んでいては折角のガチ対決の場が盛り上がりません。

高給取りの両横綱、休場の末の引退ではなく、土俵でモンゴル人気質を見せてから進退をあきらかにしてもらいたいものです。最後の横綱といわれないように。

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