街に出て気付くことは、皆さん、着ているものは新しいし、似合っているし、体にフィットし、素敵な人生を送っているように見えることです。
そして多くの方はとても忙しそうに歩かれている。これって生活のテンポも効率経済化されてしまったせい?
すごいショッピングセンターが出来たり、近所の商店にも模様替えが結構ありますね。
ただ商店の方は、表の造りに対して、店舗間のわずかな隙間から見えるモルタル塗りは、ひび割れや壊れた雨樋などが目立ちます。
表だけのデコレーションは投資効率を上げるためでしょうか?見かけしか投資できないお金の事情があるのでしょうか?
平成は、戦争がなく平和でよかった よかったとよくいわれますが、悪くなったものもあるでしょうに…
平成はバブルの頂点からの30年で、経済再生が何よりのニュースで、先ずは業務の効率化・合理化を目指した時代でした。
思えば、戦後は、米国の支援で、モノを作れば輸出で、ドルを稼げる経済が回り出し、ブルーカラー、ホワイトカラーの別なく、高度成長時代を迎えることになり、皆(学生は勉強に励めば、階層や生まれに関係なく、社会人になってからは勤勉に働けば)小家族で、家電/自動車生活を送れる夢に見た生活が築けるようになりました。
そして人口の増勢もあって、不動産や動産の需要が高まり、モノづくりより、勤労より、不動産や株式の売り買いを繰り返す方が儲かる時代を迎えました。
持てるものと持てないものとの格差が生まれた昭和でした。
戦前の階層社会が別の形の階層に生まれ変わった昭和でした。
平成に入ってバブルは崩壊し、金融政策で、お金をジャブジャブ市場に流して、経済再建を図りました。
バブルの崩壊の反省で、企業は、いざという大損失対応に、利益の内部留保に努め、固定費の削減に努め、IT化で業務の効率化と合理化を進め、社員の賃上げは後回しにしました。
これで消費は停滞し、価値観の多様化もあって、物(価)が大きく動かない時代となりました。
お金のジャブジャブ化とIT化(=情報化)社会で、昭和の格差は平成に広がりました。
持てないものは、途上国から&LCC渡航から&ネットショッピング等から 安価な変装が手に入れられるようにもなり、持てるものの外見とあまり変らないように見え始めました。
ゲームの興隆で、いつでも、指先だけで、持てるものに成れるという錯誤も、外見に現れてきたともいえるのでは~
平成では、プライバシー重視の風潮も強まって、格差がだんだん見えにくくなった時代だったような気がします。
かっこいい人が多かったり、商店の改装などは、その内実とは、もしかして、だいぶ違うことを物語ったりしていて…
令和では、IT・AIや自動化が進むでしょうから、格差はますます広がり、そして格差解消策は見つからず、持てないもののうっぷんが爆発する時代になるような気がします。
労働力の不足から外国人就労者が増え、彼らは持てないものの仕事を引き継ぐので、彼らの不満も広がる日本となるでしょう。
戦争はないもののあちこちで、犯罪が、事件が、頻発する社会に入るような気もします。
特に日本は、米国や在日等への配慮から人々を押さえつける制度・慣行・組織・法制度(英の階級制度・独の市民による相互監視慣行・北欧などの移民/低所得者住宅群・米の人種差別・中露などの強力な治安組織・イスラム国の宗教弾圧体制)を設けてこなかったので、いったん事件が勃発すると際限がないものとなるでしょう。
スリランカのように世界中でも治安にあまり力に入れない・入れられない(優しい?)国でも同様な事態に陥るでしょう…