<「・・・・・テレビは今や、われわれの好むと好まざるとに拘らず、この社会を緊密にしている接着剤のようなものだからです。われわれはテレビを通じて共通の体験をする――宇宙ロケットの打ち上げ、選挙、暗殺事件、フットボール選手権。テレビはまた、キャンプファイアに似ている。われわれはそれを囲んで雑談に花を咲かせ、虚実綯い交ぜのわれわれの神話を作り出すのです」>ウィリアム・マーティン山本光伸訳「ゴールド・エンディング」上P100より
確かに TV はお茶の間の炬燵や火鉢みたいなものでした。 わたしの秘密、ジェスチャー、お笑い三人組などを見ては 家族は 苦笑や大笑いを繰り返し、一日がまとまったような気がしました。
今も芸人がクイズ番組でとちっては視聴率を上げていますから、昔と変わらずではありますが、家族が集まって TV を見る機会は減っているのかも…
そして 昔と比べると 接着剤効果は少し薄れてきているのかも…
家族で 虚実綯い交ぜ話を作ることはかなわず、一人で 虚実綯い交ぜ話を作り、独り善がりに走っていることはないだろうか。
虚実綯い交ぜ話は、みんなで、例えば、頭の固いお父さん、何でもニコニコして頷くお母さん、物知りのお姉さん、なんにでも不満を持つ弟らと作った方が、尖がりや毒は消え 収まるところに収まる傾向です。 TV は家族でみるものですね。 ウィリアム・マーティンさんの いう通りですね。