さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

人生物語考~

2019-04-07 17:23:36 | デジャヴ


人生は物語です。
人生には色々な出会いがあり、事件や出来事に遭遇します。
そして一番大きな事柄を中心に生涯は語られるでしょう。
人生は一つの物語です。

昔「誰でも小説の一つや二つは書けるもの」とよく聞きました。
これは自分を主人公に小説は書けるもの ということでしょう。
そして人生は物語だから という意味が込められていると受け取りました。

小説という大げさなものではなくとも、皆 どこの人生で区切っても 少なくても己を語れる話はあるでしょう。
ただ 物語とは、運命論的なものではなく、自由設計的な‘枠組み話’みたいなもの でしょう。

一般的には、付き合いの長さに比例して(お互いの)物語がより細かくみえたりするのでしょう。
しかし、稀ですが、人によっては 初対面でも 瞬時に 相手の物語を理解出来る方もいるでしょうね。
初めて会った方でも以前会った感じのする方のいらっしゃるということはこれに近いものでしょう。

そう この物語の読み合いが、人間のコミュニケーションの底にあるような気がします。


人との意気投合、好き嫌い、憎愛は、相手の持つ物語の相性なのでしょう。
落胆や喧嘩や 失恋やらは相手の物語を読み違えた結果ともいえるでしょう。

最近今までにはなかった犯罪や事件が多くなったのは、相手の物語を読み違えたものもあるように思います。
日本古来の、厳しい環境下で培われてきたDNA、相手を慮る、相手の将来や目的をも考慮に入れる、相手との共生的な、生き方は少しずつ薄らいでいるように思います。
そしてこれは 相手の物語を読み難くしている社会の変節に由るところが大きいように思います。

自由や人権、プライバシーの過大解釈が行き渡って、人々の、相手の、物語を見え難くさせてはいないでしょうか?(因みに 自由、人権、プライバシーの先進国たる欧米で同棲期間が長いのは、ジョブホッパーが多いのは、このへんに問題があるからでは)

日本で近年、自由・人権・プライバシー保護は絶対正義になってきました。
お互いが見え難くなってきているということは、嘘が普通に多くなり、差別化の拡大を経て、多くの人が、トランプさん、ゴーンさんのように妖怪化するような気がしてきます。

自由・人権・プライバシー保護に負けない理論武装、共生社会の堅守、物語を語り合う社会を目指して行きたいものです。
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のこる~

2019-03-20 11:52:46 | デジャヴ


僕が死んだらあとはどうなるのだろう?

両親は既に亡くなっているし
子供たちは子育てや仕事に忙しいだろうから
時々思い出してくれるほどかなぁ
デジタル写真はちょっとした誤操作で消えてしまうかも
色あせた写真が二三枚残ったりして
机の奥に入ったきりになったりして
邪魔にならず時たま出てくるのが理想かなぁ

今のうちにしっかり自然を満喫しておこう!
うららかな日差しに
色鮮やかなお花に
新緑の燃える木々に
胸をすく風が流れてきて
紅葉が秋晴れに光を映して
北風が一年分のほこりを払い去ってくれる。
これが日本なんだぁ

ここに生まれて生活してたんだと
忘れられないほど今のうちにためておこっと~
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不安について~

2019-02-20 18:21:46 | デジャヴ


何日か前 朝5時ごろラジオをかけると、ハープ演奏のナチュラル・ワールドが流れていました。聴いているうちに 安らぎと同時に 不安をも感じました。
自然とはこういうものなのかなぁ と思いました。
だから古人は そこに神さまを置きました(よね)

不安とはなんでしょう?
いつも感じているのもです(よね)

不安といえば、
物事の変化の際に感じたり、現状が続くと考え込んでしまったり、予想される将来を思う時に 感じます。

まぁ
変化の前後に、気がかり、動揺、心配、不安を感じるのは 普通でしょう。
進級・進学や昇進、引越や転属・転職の前後はいろいろ考えてしまうものです。想定される場面を色々シミュレーションにかけるからでしょう(ね)

若い時は、今の状態がこのままずっと続くのではと、不安を感じました。心身不調の時は特にそうでした。
このまま(の成績・状態)では、進級・進学しないのでは?昇格しないのでは?収入は増えないのでは?どうしようと感じました。

退職すると、年取ると、将来の健康や収入や資産などに不安を感じます。
現状ははいつまで維持できるのかと不安を感じます。

普通ですよ(ね)

しかし 不安の緊張が過ぎると病に罹り易くなるといわれます。心の病にまで発展することにもなります。
従って、不安を自力で対応できるものと自分では何ともできないものに分け、何ともできないものは不安を和らげる対応で満足する他はありません。
自然災害などに対しては特にそうです(ね)

ということは、
不安解消は 物事を論理的にとらえる力、実行力と感情に振り回されない判断力が必要ということになるのでは?


日本人は、幸福と感じる人は少ないとよくいわれます。
それは 女性は家(制度)に縛られて 外で、社会に出て、働くチャンスが少なく、自由度も概して小さいとか、男性は仕事場で目に見えない上下関係にいまだに縛られているからといわれてますが、不安を敏感に感じる体質であること ともいえるのでは?

日本人は環境の厳しい列島で生きてきたので、生を繋ぐには、女性は子を、家庭を、己を犠牲にしてまで(受身的に)守るというDNAを持っている、男性は変化に敏感に対応した履歴を今に体にしみこませてきた、のではと思います。

なら 日本人の薄い幸福感は当然なのでしょう。
ただ 論理的で、担保を踏まえた前向きな考え方を鍛えたいものです(私の反省に拠ってもいます)

ナチュラル・ワールドでした…
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サイクル~

2019-02-04 15:17:23 | デジャヴ

ミツマタです 芽が出始めました。


サンシュユです 花芽です。


成長期ですね。


花が咲き始めました。


ロウバイが満開です。


熊笹も元気はつらつです。


冬牡丹の成熟期でしょう。


スイセンの一種で オータム・ジュエルです。 秋からよく頑張ってきました。


土にかえる侘助です。



サンシュユの花芽と 侘助の落花をみていたら 自然のライフサイクルが浮かびました。

芽が出て、大きくなって、花が咲き、実をつけて、実を土に落として、自身も土に海に還って、次につなぐタイムスパンです。

生とは? そして幸せとは? 答えはいろいろでしょうが、ライフサイクルの完結(乃至 完結と思えるもの)が前提でしょうね。

そういえば、千葉野田市で起きた10歳女児の虐待死(主犯父親、共犯は母親/小学校/教育委員会の事件)は信じられないほどひどいものです。女児の悔しさは 彼女の不完全なライフサイクルは どう償わられるのだろうか?

犯罪者に、償われることのないものを棄損した罪の意識を一生(強制的にも)持ってもらわねば 彼女の一生(不完全なライフサイクルの終幕)は社会的に意味がないものになってしまう恐れがあるでしょうね。

ライフサイクルとは共生社会の基盤ですから~
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ある一生…

2018-10-03 11:11:37 | デジャヴ


来月 9日に NY のハードロック・カフェで 「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」のオリジナルの歌詞原稿が競売に出されるという。予想落札価格は 1万~ 1.5万ドル(115万~170万円)という。この詩がいつも身近にあるという実感がわくものであれば 安いのかなぁ?

「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」はバーニー・ドーピンの1973年の作詞で、マリリン・モンロー(実名ノーマ・ジーン)を偲んだものでしたが、 1997年に ダイアナ妃の友人であるエルトン・ジョンが、ドーピン氏に頼んで ダイアナ妃を偲ぶ詩に少し書き換えた(ダイアナ妃はイングリッシュ・ローズと詠われ、風の前に弱々しい灯りではなくいつまでも消えないものと書き換えたところが特徴といわれています)ものでもあります。我々は後者の方の「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」をよく聞きます(よね)。でもどちらの詩も素晴らしい!

マリリン・モンローは自宅のベッドで睡眠剤を飲み過ぎてなくなりました(ね)ただ死ぬ少し前に家具などを注文していて、これって自殺・事故・他殺など疑問が残る亡くなり方でした(ね)ケネディ大統領との秘かな交際もあって謎は続いてます(よね)モンローの生き方は紆余曲折で、華々しい&寂しい女性のある生き方です(よね)偲ばずにはいられない一生です(よね)

ダイアナ妃は外見とは違う夫婦生活を送られてました(ね)男の子二人を授かりながら、旦那の婚前からの浮気は続いていて、慈善活動に励むことによって気を取り直すこともしましたが、離婚に踏み切らざるを得ませんでした。アラブの富豪の御曹司と恋仲になり、彼の子を宿したところで、自動車事故で亡くなりました。他殺もありうると今もって語られています(ね)女の幸せとは何かを鋭く突きつける一生でした(ね)我々にとっても忘れられない女の一生です(よね)

欧州にいるときに TV 中継でダイアナ妃の葬儀( not国葬 but国民葬)でエルトン・ジョンがピアノの弾き語りで「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」を歌ってました。『いいなー』『悲しいなー』『なんで』などがぐるぐる回って、聞き入ったことを覚えています。

いい曲です いい詩です ぜひ聞いてください。
オリジナルの歌詞原稿は欲しいですが、やっぱり高いです(ね)
ネットで両歌詞を比べて、またユーチューブで エルトン・ジョン聴くことにします。
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もう秋分です

2018-09-22 10:47:40 | デジャヴ


今日が秋分の日かと思ったら 明日でした。

明日の秋分は
昼と夜の長さが同じ日です。これから夜が長くなるという日です。
蝉の声が虫の声に 半袖が長袖に シャワーがお風呂に 掛布団が厚手に 変わり、食事や果物が美味しくなり 運動・旅行や読書に適した 季節になる目安のころです。

過ごしやすい 好い季節に入る というのが一般的な感じでしょうが、振り返ると そうでもないかも?

子どものころは 新学年が始まって 新しい先生 新しい教室に慣れるのが大変で、それに問題がよく理解できない言語での知能テストがありました。
中高時代は 先生に勉強の追い込み時期といわれて参考書を探しているうちに終わった季節です。
大学時代は 学食が毎日でしたので 秋の味覚には縁遠かったような気がします。
社会人のころは 中間期末の実績から割り出す年度末実績予想の作成で忙しかった。海外では 新年度に向けての 後味の悪い人員整理をした時期でした。

この季節は好いなぁ と思ったのは 帰国後の 栗ごはん、秋刀魚の塩焼き、おでん、牡蠣鍋、すき焼きなどを楽しめるようになってからですが、体重が一気に増えてしまいました。

これからは、
忙しくても 美味しいものは外さないように!美味しいものは食べすぎないように! の季節です。
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そういえば ボーっと の連続でした~

2018-09-21 11:00:18 | デジャヴ


この写真が好きです。
ボーっといつまでも見ていられるような気がするからです。

ボーっとすることは子供のときからかなぁ…
クマンゼミを目の前に虫取り網で振らずにボーっと見とれて逃がしてしまいました。
学校の廊下の掃除のときに皆一生懸命なのでボーっと立っていたら先生に罰として立たされました。
海外の授業では全然わからないので後ろの席でいつもボーっとでした。

学生時代も肝心な時に限ってボーっとしてました。
違う大学に通うテニス仲間に積極的で聡明な女性がいましたがボーっとしている間にいなくなりました。
久しぶりのゼミはさっぱり分からずボーっとしていると「もう出てこなくていい」といわれましたね。
就職試験日を間違っていかなかったのはボーっとしていたというより寝過ごしてしまったからでしたね。

会社勤めでも何も考えない時間が多かったような気がします。
机の上には書類を沢山おいて仕事をしているようにいつも忙しいように見せてましたね。
海外での交渉ごとのときはボーっとしていると相手が歩み寄ってきたりしてびっくりでした。
外国ではボーっとしていると転寝をしてしまいがちなので部屋の戸はいつも開けてましたが、気が付くと戸が閉められていていい社員に恵まれているなぁ と思ったものでした。

勤めを辞めてからは、
ボーっとしている間に皆いなくなりました。

でもいつまでもボーっとしていたいと思います。
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暇がない時 暇な時

2018-08-22 15:19:21 | デジャヴ


結構忙しい昼時に公園を行くと 暇がないようで暇がある 感じがしてきます。
なんで忙しいのだろうか と考えると 昔が浮かびます。

50前後でしたか 外地から業務で帰国した時、翌日からのプレゼンの資料を読み込まなくてはならないのに、ベッドメーキングの時間を これ幸いと ぶらっとホテルを抜け出してしまった記憶です。

なんとなく阪急に乗って十三へ行き 下町を回って かつ丼食べ 散歩に淀川沿いを歩き続けましたっけ。半年後は 嵐山まで行き、桂川を上って 疲れた後は 梅田に戻り お好み焼きを食べたっけ。 予習を飛ばした本社でのプレゼンは 時差にもかかわらず 可もなし不可もなし でしたっけ。

50前後でしたか 接待の会食後 お客様の希望で神戸に飲みに行き そのまま朝までお店で飲み明かしました。気が付くとお客様は 飛行機に間に合わないと 大慌て。頭痛を押して タクシーを回してホテルから空港へと アテンドした 記憶に残る接待とはなりました。

事業計画のプレゼンはフライトの翌日にもかかわらず ‘承認’、そして 神戸が縁で お客様とは長いお付き合いをいただくこととはなりました が、損したのか 得したのか?

人伝えの話では 多分 前者?

何気ない暇行動は 得てして 本人評価と 組織の評価とは異なるということでしょう(か)
暇が 暇を呼んだ次第と 相成りました。

今?
暇は 益々あわただしさを呼ぶ毎日です。
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昔から…

2018-08-17 16:27:15 | デジャヴ


これは芙蓉です。
同じような時に咲くので よく むくげと混同しがちです。

でも 記憶次第では そうでもないかも…

幼稚園に 芙蓉ちゃんというかわいい子がいました。
髪が長くふわっと風にそよぐのが 印象的でした。

当時 毛がむくむくで ムクと名付けた子犬がいました。
誰にでもすぐなついてしまって 番犬は失格でしたが かわいかった。

夏でしたか、
中耳炎になってしまい、幼稚園を長らく休むと その間に 芙蓉ちゃんは引っ越して 行ってしまいました。
ムクを庭で放し飼いにしていたせいか、ある朝突然いなくなってしまいました。

幼心にもショックでした。

芙蓉と むくげと を見間違えることはありませんが、どちらを見ても 物寂しさを感じます…


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蜘蛛はたくさんいました…

2018-08-13 10:02:45 | デジャヴ


これは多摩川台公園にある母子像です。
正面から見るより後ろから眺めることが多いです。

母に抱かれていた記憶はあまりありませんが、きっとこんな感じだったろうなぁ と眺めています。
抱っこの記憶は、戦争直後でしたので 今から思えば 父親は仕事探しで 母親は農家を回って食べ物を調達していたのでしょう(か)残っていません。

布団しかない薄暗い部屋でよく 一人でいた記憶はあります。

ガラス戸の隙間から 鎌倉の木々や草のむわっとした匂いとともに 大きな蜘蛛が入ってきた記憶もあります。

怖かった…
大きな蜘蛛は 家族の 戦後の 不安だったのかも知れません。

どんなに 蜘蛛のない家に 世に なって欲しいもかと思っていたものでした。

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