さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

ある一生…

2018-10-03 11:11:37 | デジャヴ


来月 9日に NY のハードロック・カフェで 「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」のオリジナルの歌詞原稿が競売に出されるという。予想落札価格は 1万~ 1.5万ドル(115万~170万円)という。この詩がいつも身近にあるという実感がわくものであれば 安いのかなぁ?

「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」はバーニー・ドーピンの1973年の作詞で、マリリン・モンロー(実名ノーマ・ジーン)を偲んだものでしたが、 1997年に ダイアナ妃の友人であるエルトン・ジョンが、ドーピン氏に頼んで ダイアナ妃を偲ぶ詩に少し書き換えた(ダイアナ妃はイングリッシュ・ローズと詠われ、風の前に弱々しい灯りではなくいつまでも消えないものと書き換えたところが特徴といわれています)ものでもあります。我々は後者の方の「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」をよく聞きます(よね)。でもどちらの詩も素晴らしい!

マリリン・モンローは自宅のベッドで睡眠剤を飲み過ぎてなくなりました(ね)ただ死ぬ少し前に家具などを注文していて、これって自殺・事故・他殺など疑問が残る亡くなり方でした(ね)ケネディ大統領との秘かな交際もあって謎は続いてます(よね)モンローの生き方は紆余曲折で、華々しい&寂しい女性のある生き方です(よね)偲ばずにはいられない一生です(よね)

ダイアナ妃は外見とは違う夫婦生活を送られてました(ね)男の子二人を授かりながら、旦那の婚前からの浮気は続いていて、慈善活動に励むことによって気を取り直すこともしましたが、離婚に踏み切らざるを得ませんでした。アラブの富豪の御曹司と恋仲になり、彼の子を宿したところで、自動車事故で亡くなりました。他殺もありうると今もって語られています(ね)女の幸せとは何かを鋭く突きつける一生でした(ね)我々にとっても忘れられない女の一生です(よね)

欧州にいるときに TV 中継でダイアナ妃の葬儀( not国葬 but国民葬)でエルトン・ジョンがピアノの弾き語りで「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」を歌ってました。『いいなー』『悲しいなー』『なんで』などがぐるぐる回って、聞き入ったことを覚えています。

いい曲です いい詩です ぜひ聞いてください。
オリジナルの歌詞原稿は欲しいですが、やっぱり高いです(ね)
ネットで両歌詞を比べて、またユーチューブで エルトン・ジョン聴くことにします。
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もう秋分です

2018-09-22 10:47:40 | デジャヴ


今日が秋分の日かと思ったら 明日でした。

明日の秋分は
昼と夜の長さが同じ日です。これから夜が長くなるという日です。
蝉の声が虫の声に 半袖が長袖に シャワーがお風呂に 掛布団が厚手に 変わり、食事や果物が美味しくなり 運動・旅行や読書に適した 季節になる目安のころです。

過ごしやすい 好い季節に入る というのが一般的な感じでしょうが、振り返ると そうでもないかも?

子どものころは 新学年が始まって 新しい先生 新しい教室に慣れるのが大変で、それに問題がよく理解できない言語での知能テストがありました。
中高時代は 先生に勉強の追い込み時期といわれて参考書を探しているうちに終わった季節です。
大学時代は 学食が毎日でしたので 秋の味覚には縁遠かったような気がします。
社会人のころは 中間期末の実績から割り出す年度末実績予想の作成で忙しかった。海外では 新年度に向けての 後味の悪い人員整理をした時期でした。

この季節は好いなぁ と思ったのは 帰国後の 栗ごはん、秋刀魚の塩焼き、おでん、牡蠣鍋、すき焼きなどを楽しめるようになってからですが、体重が一気に増えてしまいました。

これからは、
忙しくても 美味しいものは外さないように!美味しいものは食べすぎないように! の季節です。
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そういえば ボーっと の連続でした~

2018-09-21 11:00:18 | デジャヴ


この写真が好きです。
ボーっといつまでも見ていられるような気がするからです。

ボーっとすることは子供のときからかなぁ…
クマンゼミを目の前に虫取り網で振らずにボーっと見とれて逃がしてしまいました。
学校の廊下の掃除のときに皆一生懸命なのでボーっと立っていたら先生に罰として立たされました。
海外の授業では全然わからないので後ろの席でいつもボーっとでした。

学生時代も肝心な時に限ってボーっとしてました。
違う大学に通うテニス仲間に積極的で聡明な女性がいましたがボーっとしている間にいなくなりました。
久しぶりのゼミはさっぱり分からずボーっとしていると「もう出てこなくていい」といわれましたね。
就職試験日を間違っていかなかったのはボーっとしていたというより寝過ごしてしまったからでしたね。

会社勤めでも何も考えない時間が多かったような気がします。
机の上には書類を沢山おいて仕事をしているようにいつも忙しいように見せてましたね。
海外での交渉ごとのときはボーっとしていると相手が歩み寄ってきたりしてびっくりでした。
外国ではボーっとしていると転寝をしてしまいがちなので部屋の戸はいつも開けてましたが、気が付くと戸が閉められていていい社員に恵まれているなぁ と思ったものでした。

勤めを辞めてからは、
ボーっとしている間に皆いなくなりました。

でもいつまでもボーっとしていたいと思います。
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暇がない時 暇な時

2018-08-22 15:19:21 | デジャヴ


結構忙しい昼時に公園を行くと 暇がないようで暇がある 感じがしてきます。
なんで忙しいのだろうか と考えると 昔が浮かびます。

50前後でしたか 外地から業務で帰国した時、翌日からのプレゼンの資料を読み込まなくてはならないのに、ベッドメーキングの時間を これ幸いと ぶらっとホテルを抜け出してしまった記憶です。

なんとなく阪急に乗って十三へ行き 下町を回って かつ丼食べ 散歩に淀川沿いを歩き続けましたっけ。半年後は 嵐山まで行き、桂川を上って 疲れた後は 梅田に戻り お好み焼きを食べたっけ。 予習を飛ばした本社でのプレゼンは 時差にもかかわらず 可もなし不可もなし でしたっけ。

50前後でしたか 接待の会食後 お客様の希望で神戸に飲みに行き そのまま朝までお店で飲み明かしました。気が付くとお客様は 飛行機に間に合わないと 大慌て。頭痛を押して タクシーを回してホテルから空港へと アテンドした 記憶に残る接待とはなりました。

事業計画のプレゼンはフライトの翌日にもかかわらず ‘承認’、そして 神戸が縁で お客様とは長いお付き合いをいただくこととはなりました が、損したのか 得したのか?

人伝えの話では 多分 前者?

何気ない暇行動は 得てして 本人評価と 組織の評価とは異なるということでしょう(か)
暇が 暇を呼んだ次第と 相成りました。

今?
暇は 益々あわただしさを呼ぶ毎日です。
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昔から…

2018-08-17 16:27:15 | デジャヴ


これは芙蓉です。
同じような時に咲くので よく むくげと混同しがちです。

でも 記憶次第では そうでもないかも…

幼稚園に 芙蓉ちゃんというかわいい子がいました。
髪が長くふわっと風にそよぐのが 印象的でした。

当時 毛がむくむくで ムクと名付けた子犬がいました。
誰にでもすぐなついてしまって 番犬は失格でしたが かわいかった。

夏でしたか、
中耳炎になってしまい、幼稚園を長らく休むと その間に 芙蓉ちゃんは引っ越して 行ってしまいました。
ムクを庭で放し飼いにしていたせいか、ある朝突然いなくなってしまいました。

幼心にもショックでした。

芙蓉と むくげと を見間違えることはありませんが、どちらを見ても 物寂しさを感じます…


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蜘蛛はたくさんいました…

2018-08-13 10:02:45 | デジャヴ


これは多摩川台公園にある母子像です。
正面から見るより後ろから眺めることが多いです。

母に抱かれていた記憶はあまりありませんが、きっとこんな感じだったろうなぁ と眺めています。
抱っこの記憶は、戦争直後でしたので 今から思えば 父親は仕事探しで 母親は農家を回って食べ物を調達していたのでしょう(か)残っていません。

布団しかない薄暗い部屋でよく 一人でいた記憶はあります。

ガラス戸の隙間から 鎌倉の木々や草のむわっとした匂いとともに 大きな蜘蛛が入ってきた記憶もあります。

怖かった…
大きな蜘蛛は 家族の 戦後の 不安だったのかも知れません。

どんなに 蜘蛛のない家に 世に なって欲しいもかと思っていたものでした。

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暑いなぁ

2018-07-15 17:52:18 | デジャヴ


暑いなぁ

若いころ 暑い と言ったら一回 100円(プレー後の氷水代金)の罰で 仲間とテニスをしてました。
でもこんなに暑かったっけ

4~ 50のころ 暑い と言ったら一回チョコレート一枚(プレー後の食事代)の罰で 日本からのお客様とゴルフをしてました。
負けが込んで熱かったっけ

今 暑いなぁ と言ったら 郵貯に 西日本豪雨の広島/岡山への義援金を持って行きます。
災害地の猛暑に胸が痛みます

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青空…

2018-06-29 13:03:42 | デジャヴ


気象庁が 関東甲信が梅雨明けとみられる と発表しました。

ずいぶん早いですね

真っ青な空だから 当然かぁ

そうだった 青い空には いろいろありました・・・

園児の頃でしたか 父親と二人で海に行き、泳げー とタイヤチューブの浮き輪から落とされました。よく晴れていた日でした。青空 = しょっぱい思い がしばらく残りました。

中2 か 中3 の期末試験が終わった日でした。 仲間と 誰もいない校庭で ソフトボールをしていたら 足がつってしまいました。動けなくなったら 皆が集まってきて、全員で横になって 空を見上げたことがありました。青空と みんなと一緒が うれしかった。

新婚旅行ツアーで行ったシスコの空は青かった。赤いゴールデン・ゲート・ブリッジは映えていましたが、ガイドさんは 橋の向こう見える アルカトラズ島を 孤島の監獄を 殊更に説明しました。結婚ツアーと監獄との関係は 当時は よく分かりませんでした。

50 歳過ぎだったか 縁あって あるご夫婦と 青空の南仏海岸をご一緒させてもらいました。奥様は重い病で(しばらくして亡くなりま)したが、旦那さんが砂浜に降りては 貝殻を拾ってきて 奥様に手渡していました。潮風か 暑さのせいか 視界がだんだんにじんだ記憶が浮かびます。

親父もお袋も 葬儀の日は よく晴れてましたっけ

そう みな あっという間の出来事でしたね
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自転車です…

2018-05-25 09:52:27 | デジャヴ


向こうからサイクリング車がやってきます。
自転車で思い出すのは 小学生の時 初めて買ってもらった自転車です。

英国製の大人の自転車で 将来ずっと乗り続けられるようにとの大型でした。
何せ足がペダルに届くのがやっとで慣れるまでにずいぶん擦り傷を負いました。

ただしばらくすると いろいろな子供たちから当てられました。太いタイヤで頑丈なフレームの自転車 自動車でいうとSUVタイプの自転車に 我が自転車はぶつけられました。親にはまた転んで怪我をした と言い続けました。

低学年で渡米したので日本が戦争に負けた意味はよく分かりませんでした。米国は日本と違ってバナナやアイスやチョコが手の届くところにある好いところだなー と思い、いろいろいやな目に合うのは いつももの欲しそうにしているから 貧しい国からのJAPから だと思いました。

ただ あまり深刻にならなかったのは いじめっ子がいる数だけ 味方になってくれる子がいたことでした。遊びだけではなく 学校でも 先生から見放さるほど馬鹿でも 休み時間にいろいろ教えてくれる子がいました。自由とは 米国とは +と -とがほどほどに混ざる バランスしている こんなもの?ではないかと思いました。

自転車はボロボロになりましたが、自転車を貸してくれる友達ができました。

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この道 です…

2018-05-24 10:46:23 | デジャヴ


そういえば 大昔 上司はよく会議の冒頭に(北原白秋作詞の童謡‘この道’の)「この道はいつか来た道」といってました。要は 「また失敗だよ しっかりしてくれよ」の意味で 使っていました。

失敗の分析では 日本軍を例に書かれた「失敗の本質」が有名です(ね)
そしてそこに挙げられていたのは、

・あいまいな目的設定(物事の全体像をつかめずムードに流される対応)
・上から下への情報の一方通行(現場情報の軽視・隠ぺい)
・リスク管理の不徹底(不祥事の放置)
・現実を直視しないこと(見当違いの指示を発令)
・技術力への過信(広い範囲での問題分析が出来ない)。


要は、
・目下のもの(手足となる現場の方たちは 馬鹿だ & 目下だ そんなものの意見は取り上げられない という偏見から出るもの?)の意見を取り上げない風潮
・目的をはっきりさせるとき チームワーク & 人情を乱してはいけないとの感情(別もの)を織り込んでしまうこと
・失敗は時間が解決してくれると安易に考えてしまうこと(物理的な因果関係は時間に劣化はしないことを理解出来ない)
・自分の限界を理解しない(家柄・学歴・実績からくる過信でしょうか)こと
・理数目的設定への過信  でしょう。

要は、
これらは なかなか克服出来ずに この道はいつか来た道~ を何回を謳ってきたこと か…

先の長ーい 道です(ね)
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