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さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

ハラリ氏曰く

2021-04-09 18:28:36 | 抜き書き
今日はハラリ氏が「フィナンシャル・タイムズ」紙に寄稿した「人類はコロナウイルスといかに闘うべきか――今こそグローバルな信頼と団結を」柴田裕之氏の翻訳による全文を、河出書房新社オウンドメディア:Web河出より引用します。
眠れないときにお読みください。

< 人類は今、グローバルな危機に直面している。それはことによると、私たちの世代にとって最大の危機かもしれない。今後数週間に人々や政府が下す決定は、今後何年にもわたって世の中が進む方向を定めるだろう。医療制度だけでなく、経済や政治や文化の行方をも決めることになる。私たちは迅速かつ決然と振る舞わなければならない。だが、自らの行動の長期的な結果も考慮に入れるべきだ。さまざまな選択肢を検討するときには、眼前の脅威をどう克服するかに加えて、嵐が過ぎた後にどのような世界に暮らすことになるかについても、自問する必要がある。そう、この嵐もやがて去り、人類は苦境を乗り切り、ほとんどの人が生き永らえる――だが、私たちは今とは違う世界に身を置くことになるだろう。
 今後、多くの短期的な緊急措置が生活の一部になる。非常事態とはそういうものだ。非常事態は、歴史のプロセスを早送りする。平時には討議に何年もかかるような決定も、ほんの数時間で下される。未熟なテクノロジーや危険なテクノロジーまでもが実用化される。手をこまぬいているほうが危いからだ。いくつもの国がまるごと、大規模な社会実験のモルモットの役割を果たす。誰もが自宅で勤務し、遠隔でしかコミュニケーションを行なわなくなったら、何が起こるのか? 小学校から大学まで、一斉にオンラインに移行したら、どうなるのか? 平時なら、政府も企業も教育委員会も、そのような実験を行なうことにはけっして同意しないだろう。だが、今は平時ではないのだ。
 この危機に臨んで、私たちは2つのとりわけ重要な選択を迫られている。第1の選択は、全体主義的監視か、それとも国民の権利拡大か、というもの。第2の選択は、ナショナリズムに基づく孤立か、それともグローバルな団結か、というものだ。

「皮下」監視
 感染症の流行を食い止めるためには、各国の全国民が特定の指針に従わなくてはならない。これを達成する主な方法は2つある。1つは、政府が国民を監視し、規則に違反する者を罰するという方法だ。今日、人類の歴史上初めて、テクノロジーを使ってあらゆる人を常時監視することが可能になった。50年前なら、KGB(旧ソヴィエト連邦の国家保安委員会)は、2億4000万のソ連国民を24時間体制で追い続けることはできなかったし、収集した情報をすべて効果的に処理することなど望むべくもなかった。KGBは諜報員や分析官を頼みとしていたため、国民の一人ひとりに諜報員を割り当てて追跡することは、とうてい不可能だった。だが、今や各国政府は、生身のスパイの代わりに、至る所に設置されたセンサーと、高性能のアルゴリズムに頼ることができる。
 数か国の政府が、新型コロナウイルス感染症の流行との戦いで、新しい監視ツールをすでに活用している。それが最も顕著なのが中国だ。中国の当局は、国民のスマートフォンを厳重にモニタリングしたり、何億台もの顔認識カメラを使ったり、国民に体温や健康状態の確認と報告を義務づけたりすることで、新型コロナウイルス感染症の病原体保有者であると疑われる人を素早く突き止められるだけでなく、彼らの動きを継続的に把握して、接触した人を全員特定することもできる。国民は、感染者に接近すると、多種多様なモバイルアプリに警告してもらえる。
 この種のテクノロジーが利用可能な国は、東アジアに限られてはいない。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は最近、通常はテロリストとの戦い専用の監視技術を、新型コロナウイルス感染症患者追跡にも使用する権限を、同国の総保安庁に与えた。議会の当該小委員会がこの措置を許可することを拒むと、ネタニヤフは「緊急命令」を出してこの方針を押し通した。
 こうした措置には1つとして新しい点はないと主張する向きもあるだろう。近年は、政府も企業も、なおいっそう高度なテクノロジーを使って、人々の追跡・監視・操作を行なっているからだ。とはいえ、油断していると、今回の感染症の大流行は監視の歴史における重大な分岐点となるかもしれない。一般大衆監視ツールの使用をこれまで拒んできた国々でも、そのようなツールの使用が常態化しかねないからだけではなく、こちらのほうがなお重要だが、それが「体外」監視から「皮下」監視への劇的な移行を意味しているからだ。
 これまでは、あなたの指がスマートフォンの画面に触れ、あるリンクをクリックしたとき、政府はあなたの指が何をクリックしているかを正確に知りたがった。ところが、新型コロナウイルスの場合には、関心の対象が変わる。今や政府は、あなたの指の温度や、皮下の血圧を知りたがっているのだ。

非常事態のプディング令
 監視ということに関して、私たちがどのような立場にあるのかを解明する際には、さまざまな問題に直面する。自分たちがどのように監視されているのか、そして、今後の年月に何が登場するのかを、誰一人正確には知らないというのもその1つだ。監視技術は猛烈な速さで進歩しており、10年前にはサイエンスフィクションのように思えたものが、今日では早くも新鮮味を失っている。1つ思考実験をしてみよう。体温と心拍数を1日24時間休みなくモニタリングするリストバンド型センサーの着用を、ある政府が全国民に強要したとする。得られたデータは蓄積され、政府のアルゴリズムが解析する。そのアルゴリズムは、あなたが病気であることを、本人が気づきさえしないうちに知るだろうし、あなたがどこに行き、誰と会ったかも把握している。そのおかげで、感染の連鎖を劇的に縮め、完全に断ち切ることさえできるだろう。そのようなシステムがあれば、ほんの数日で感染症の拡大を止められることはほぼ間違いない。素晴らしい話ではないか?
 だが、そこには負の面もある。当然ながら、ぞっとするような新しい監視体制に正当性を与えてしまうからだ。たとえば、もし私がCNNではなくFox Newsをクリックしたことをあなたが知ったら、私の政治的な考え方や、ことによると性格についてさえもわかることがあるだろう。ところが、もしFox Newsのビデオクリップを見ているときの私の体温や血圧や心拍数の変動をモニタリングできたら、何が私を笑わせたり、泣かせたり、激怒させたりするのかまで知ることができる。
 ぜひとも思い出してもらいたいのだが、怒りや喜び、退屈、愛などは、発熱や咳とまったく同じで、生物学的な現象だ。だから、咳を識別するのと同じ技術を使って、笑いも識別できるだろう。企業や政府が揃って生体情報を収集し始めたら、私たちよりもはるかに的確に私たちを知ることができ、そのときには、私たちの感情を予測することだけではなく、その感情を操作し、製品であれ政治家であれ、何でも好きなものを売り込むことも可能になる。大規模な生体情報モニタリングが実施されれば、ケンブリッジ・アナリティカ社によるデータ・ハッキングの手口など、石器時代のもののように見えてくるだろう。全国民がリストバンド型の生体情報センサーの常時着用を義務づけられた2030年の北朝鮮を想像してほしい。もし誰かが、かの偉大なる国家指導者の演説を聞いているときに、センサーが怒りの明確な徴候を検知したら、その人は一巻の終わりだ。
 生体情報の監視を、非常事態の間に取る一時的措置だとして擁護することもむろんできる。感染症の流行が終息したら、解除すればいい、と。だが、一時的な措置には、非常事態の後まで続くという悪しき傾向がある。常に何かしら新たな非常事態が近い将来に待ち受けているから、なおさらだ。たとえば、私の祖国であるイスラエルは、1948年の独立戦争の間に非常事態宣言を出し、それによって、新聞の検閲や土地の没収からプディング作りに対する特別の規制(これは冗談ではない)まで、じつにさまざまな一時的措置が正当化された。イスラエルは独立戦争に勝利してから久しいが、非常事態の終息宣言はついにせず、1948年の「一時的」措置の多くは、廃止されぬままになっている(幸いにも、非常事態のプディング令は2011年に撤廃された)。
 たとえ新型コロナウイルスの感染数がゼロになっても、データに飢えた政府のなかには、コロナウイルスの第二波が懸念されるとか、新種のエボラウイルスが中央アフリカで生まれつつあるとか、何かしら理由をつけて、生体情報の監視体制を継続する必要があると主張するものが出てきかねない。わかっていただけただろうか? 近年、私たちのプライバシーをめぐって激しい戦いが繰り広げられている。新型コロナウイルス危機は、この戦いの転機になるかもしれない。人はプライバシーと健康のどちらを選ぶかと言われたなら、たいてい健康を選ぶからだ。

「石鹸警察」
 だが、プライバシーと健康のどちらを選ぶかを問うことが、じつは問題の根源になっている。なぜなら、選択の設定を誤っているからだ。私たちは、プライバシーと健康の両方を享受できるし、また、享受できてしかるべきなのだ。全体主義的な監視政治体制を打ち立てなくても、国民の権利を拡大することによって自らの健康を守り、新型コロナウイルス感染症の流行に終止符を打つ道を選択できる。過去数週間、この流行を抑え込む上で多大な成果をあげているのが、韓国や台湾やシンガポールだ。これらの国々は、追跡用アプリケーションをある程度使ってはいるものの、広範な検査や、偽りのない報告、十分に情報を提供されている一般大衆の意欲的な協力を、はるかに大きな拠り所としてきた。
 有益な指針に人々を従わせる方法は、中央集権化されたモニタリングと厳しい処罰だけではない。国民は、科学的な事実を伝えられているとき、そして、公的機関がそうした事実を伝えてくれていると信頼しているとき、ビッグ・ブラザー(訳注 ジョージ・オーウェルの『一九八四年』で、全体主義国家オセアニアを統治する独裁者)に見張られていなくてもなお、正しい行動を取ることができる。自発的で情報に通じている国民は、厳しい規制を受けている無知な国民よりも、たいてい格段に強力で効果的だ。
 たとえば、石鹸で手を洗うことを考えてほしい。これは、人間社会の衛生上、屈指の進歩だ。この単純な行為のおかげで、毎年何百万もの命が救われている。石鹸で手を洗うことは、私たちにとっては当たり前だが、その重要性を科学者がようやく認識したのは、19世紀に入ってからだった。それ以前は、医師や看護師さえもが、手術を1つ終えた後、手を洗わずに次の手術に臨んでいた。今日、何十億もの人が日々手を洗うが、それは、手洗いの怠慢を取り締まる「石鹸警察」を恐れているからではなく、事実を理解しているからだ。私が石鹸で手を洗うのは、ウイルスや細菌について耳にしたことがあり、これらの微小な生物が病気を引き起こすことを理解しており、石鹸を使えば取り除けることを知っているからだ。
 だが、手洗いに匹敵する水準の徹底と協力を成し遂げるためには、信頼が必要となる。人々は科学を信頼し、公的機関を信頼し、マスメディアを信頼する必要がある。ここ数年にわたって、無責任な政治家たちが、科学と公的機関とマスメディアに対する信頼を故意に損なってきた。今や、まさにその無責任な政治家たちが、一般大衆はとうてい信頼できず、適切な行動を取ってもらえるとは思えないと主張し、安易に独裁主義への道を突き進む誘惑に駆られかねない。
 通常は、長い年月をかけて蝕まれた信頼は、一夜にして再建しえない。だが、今は平時ではない。危機に際しては、人の心はたちまち変化しうる。兄弟姉妹と長年、激しく言い争っていても、いざという時には、人知れずまだ残っていた信頼や親近感が蘇り、互いのもとに駆けつけて助け合うこともありうる。監視政治体制を構築する代わりに、科学と公的機関とマスメディアに対する人々の信頼を復活させる時間はまだ残っている。新しいテクノロジーも絶対に活用するべきだが、それは国民の権利を拡大するテクノロジーでなくてはならない。私は自分の体温と血圧をモニタリングすることには大賛成だとはいえ、そのデータは全能の政府を生み出すために使われることがあってはならない。むしろ、そのデータのおかげで私は、より適切な情報に基づいた個人的選択をしたり、政府に責任を持って決定を下させるようにしたりできてしかるべきなのだ。
 もし私が自分の健康状態を1日24時間追うことができたら、自分が他人の健康にとって危険になってしまったかどうかに加えて、どの習慣が自分の健康に貢献しているかもわかるだろう。そして、新型コロナウイルスの拡散についての信頼できる統計にアクセスしてそれを解析できたなら、政府が本当のことを言っているかどうかや、この感染症との戦いに適切な政策を採用しているかどうかも判断できるだろう。もし監視が話題に上っていたら、同じ監視技術がたいてい、政府が各個人をモニタリングするためだけではなく、各個人が政府をモニタリングするためにも使えることを思い出してほしい。
 このように、新型コロナウイルス感染症の大流行は、公民権の一大試金石なのだ。これからの日々に、私たちの一人ひとりが、根も葉もない陰謀論や利己的な政治家ではなく、科学的データや医療の専門家を信じるという選択をするべきだ。もし私たちが正しい選択をしそこなえば、自分たちの最も貴重な自由を放棄する羽目になりかねない――自らの健康を守るためには、そうするしかないとばかり思い込んで。

グローバルなプランが必要だ
 私たちが直面する第2の重要な選択は、ナショナリズムに基づく孤立と、グローバルな団結との間のものだ。感染症の大流行自体も、そこから生じる経済危機も、ともにグローバルな問題だ。そしてそれは、グローバルな協力によってしか、効果的に解決しえない。
 このウイルスを打ち負かすために、私たちは何をおいても、グローバルな形で情報を共有する必要がある。情報の共有こそ、ウイルスに対する人間の大きな強みだからだ。中国の新型コロナウイルスとアメリカの新型コロナウイルスは、人間に感染する方法について情報交換することができない。だが、新型コロナウイルスとその対処法に関する教訓を、中国はアメリカに数多く伝授できる。早朝にミラノでイタリアの医師が発見したことのおかげで、夕方までにテヘランで何人もの人の命が救われるかもしれない。イギリス政府は、複数の政策のどれを選ぶべきか迷っているときには、すでに1か月前に同じようなジレンマに直面していた韓国から助言を得られる。だが、こうした情報の共有が実現するためには、グローバルな協力と信頼の精神が必要とされる。
 各国は隠し立てせず、進んで情報を提供し、謙虚に助言を求めるべきであり、提供されたデータや見識を信頼できてしかるべきだ。また、医療用品・機器の生産と流通のための、グローバルな取り組みも欠かせない。とくに重要なのが検査キットと人工呼吸器だ。各国がすべて自国内で調達しようとし、手に入るかぎりのものをため込む代わりに、協調してグローバルな取り組みをすれば、生産が著しく加速され、命を救う用品や機器がより公平に分配できる。戦時中に国家が基幹産業を国有化するのとちょうど同じように、新型コロナウイルスに対する人類の戦争では、不可欠の生産ラインを「人道化」する必要があるだろう。新型コロナウイルスによる感染例が少ない豊かな国は、感染者が多発している貧しい国に、貴重な機器や物資を進んで送るべきだ。やがて自国が助けを必要とすることがあったなら、他の国々が救いの手を差し伸べてくれると信じて。
 医療のための人員を出し合う、同様のグローバルな取り組みも検討していいだろう。現時点であまり影響を受けていない国々は、世界でも最も深刻な打撃を受けている地域に医療従事者を派遣することができる。そうすれば、窮地に立たされた国々を助けると同時に、貴重な経験を得ることも可能だろう。もし、後に派遣国に感染症流行の中心が移ったなら、今度は逆方向に支援が流れてくることになる。
 グローバルな協力は、経済面でも絶対に必要だ。経済とサプライチェーンがこれほどグローバル化しているのだから、もし各国政府が他国をいっさい無視して好き勝手に振る舞えば、大混乱が起こって危機は深まるばかりだろう。私たちはグローバルな行動計画を必要としている。それも、ただちに。
 それに加えて、移動に関するグローバルな合意に達することも欠かせない。何か月にもわたって国際的な移動を停止すれば、途方もない苦難を招き、新型コロナウイルスに対する戦いを妨げることになる。各国は協力し、せめて絶対に必要な少数の人々、すなわち科学者や医師、ジャーナリスト、政治家、ビジネスパーソンには越境を許し続けなければいけない。移動者が自国による事前検査を受けるというグローバルな合意に至れば、これは達成可能だ。厳重な検査を受けた移動者しか飛行機の搭乗を許されないことがわかっていれば、入国側も受け容れやすくなる。
 あいにく、現時点ではどの国もこうしたことを1つも実行していない。国際コミュニティは集団麻痺に陥っている。大人の振る舞いを見せる国が見当たらないようだ。もう何週間も前に、世界の指導者たちが緊急会議を開いて、共同の行動計画をまとめていて当然のように思えるのだが。G7の首脳は、ようやく今週になってどうにかテレビ会議を開いたが、そのような計画にはまったくたどり着けなかった。
 2008年の金融危機や2014年のエボラ出血熱の大流行といった、これまでのグローバルな危機では、アメリカがグローバルなリーダーの役割を担った。だが、現在のアメリカの政権は、リーダーの仕事を放棄した。そして、人類の将来よりもアメリカの偉大さのほうをはるかに重視していることを、明確に示してきた。
 この政権は、最も親密な盟友たちさえも見捨てた。EU(欧州連合)からの入国を完全に禁止したときには、EUに事前通告さえしなかった。この思い切った措置について、EUと協議しなかったことは言うまでもない。そして、伝えられるところによれば、新しいCOVID-19ワクチンの専売権を買い取るために、あるドイツの製薬会社に10億ドルという金額を提示したとのことで、ドイツを呆れ返らせた。現政権が最終的には方針を転換し、グローバルな行動計画を打ち出したとしても、その指導者に従う人は皆無に近いだろう。なにしろその人物は、責任はけっして取らず、誤りは断じて認めず、いつもきまって手柄は独り占めし、失敗の責めはすべて他人に負わせるのだから。
 アメリカが残した空白を埋める国が出てこなければ、今回の感染症の大流行に歯止めをかけるのがなおさら難しくなるばかりか、その負の遺産が、今後長い年月にわたって国際関係を毒し続けるだろう。とはいうものの、危機はみな、好機でもある。グローバルな不和がもたらす深刻な危機に人類が気づく上で、現在の大流行が助けになることを、私たちは願わずにはいられない。
 人類は選択を迫られている。私たちは不和の道を進むのか、それとも、グローバルな団結の道を選ぶのか? もし不和を選んだら、今回の危機が長引くばかりでなく、将来おそらく、さらに深刻な大惨事を繰り返し招くことになるだろう。逆に、もしグローバルな団結を選べば、それは新型コロナウイルスに対する勝利となるだけではなく、21世紀に人類を襲いかねない、未来のあらゆる感染症流行や危機に対する勝利にもなることだろう。>
以上

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借りもの?仮のもの?

2019-11-30 12:51:32 | 抜き書き






<「とっても美味しいわ」と彼女は口いっぱいにオムレツを頬ばりながら言った。 「ありがとう」 「どういたしまして」とフランクは答えた。 「こんな立派なキッチンで料理をするのは久しぶりだ。素敵な家だね」 「ありがとう。わたしも自分でそう思っている。といっても、この家はわたしたちのものではないんだけれど――ここに住まわしてもらうのにプレンディシオ・トラストに毎月一万二千ドルも払っているのよ。キャルなんていつも言っているわ、借りるより買った方がいい、同じお金でもっといい暮らしができるのにって。でも、わたしはここがとても気に入っているの。それに、結局のところ、わたしたちはみんなこの世ではすべてを借りているに過ぎない。ちがう?」 その点についてはフランクも同じ意見だった。>クリス・ホルム著田口俊樹訳「悪魔の赤い右手・殺し屋を殺せ2」P242より

これはギャングに追われているフランクが、逃げ込んだ高級住宅で、この住居の住人たるご婦人(ご主人の名はキャル)とキッチンで交わしている会話の一節です。

ご婦人の言葉、「世の中すべては借りもの」は気になりました。

・何となく分かるが、あくまで何となくかなぁ
・誰に借りているのだろうか
・代々受け継ぐ不動産も借りものだろうか
・相続はどのように解釈したらよいのだろうか
・相続人がいないときはこのように考えがちになるのでは
・また、あとに遺すものがない方や遺さない方には受け入れやすい考えなのでしょう等
を思いました。

そして割り切りのいい・人のいい方々にこのような考えを持つ方が多いのでは?
日本人に多いのではと思いました。

そういえば欧州で真夜中酔っ払って街灯に激突した車の事故で、警察に捕まった時、警察官から、日本人はすぐ罪を認めるので、扱いやすい(コーヒーを勧められました)、ほかの国の人とは全く違うと(褒められた?)云われたことがありました。割り切りのいい日本人の代表格とみられたのでしょう・・・

そして小生も、どちらかというと、世の中すべて借りものにしたい派・・・

最近中国でやたらとスパイ容疑で日本人が捕まるのは(気楽に、罪の意識なく)珍しい写真を撮ったり・現地の人と話しをしたり・(出張レポート用に)こまめにノートをとったりして、これが誤解されるのでしょう。中国では、意図より行為のものに重点を置いて罪が問われる(性悪者が多いベースで取り締まりが行われている中国だから?)からでしょう。韓国の、執拗でなんでも反日は、日本人の気前の良さを逆手に取らない方がおかしいとの考えでしょうか。ロシアの対日交渉上手は、人のいい相手には、ポケットのなか(北方4島)を見せて交渉すると、(オホーツク海の漁獲割り当て交渉の成功経験から)うまく運ぶと確信しているからでしょう。米国が対日交易・米軍駐留費負担交渉に自信を持つのは、日本の大臣は、どんなの要求にもニコニコして、善人同士の交渉事と信じて臨むからでしょうね。

そしてこれらの交渉結果はすべて国民につけが回ってきますね・・・
つけも借りもの?
すべては仮のものとしたい気持ちにもなるというものです・・・
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待つ~

2019-11-06 12:39:15 | 抜き書き


<あと何分、あるいはあと何時間でやってくるのだろう?もしかしたら、もうすでに来ているのだろうか?いつだろうとかまわなかった。最後には必ずやってくるのだから。それだけは分かっているのだから。今やるべきは待つことだけだ。待つというのはヘンドリクスの一番得意な科目だった。>クリス・ホルム著田口俊樹訳「殺し屋を殺せ」P370~371より

この一節は、ヘンドリクスという殺し屋が殺し屋を待ち伏せしているところです。最後のところの、“待つというのはヘンドリクスの一番得意な科目だった”にドキッとしました。

ドキッとしたのは株をやってきて、たどり着いた戒めの一つ “待て” に通じるものがったからです(因みにもう一つの戒めは“何事も遅過ぎることはない”です)。
まぁ 待つということが得意な方は、事前準備は怠りないし、売り買いに自信があるからでしょう と思います。

50年間で資産を7000倍に膨らませた投資の神様、米国のW.バフェット氏も、彼の一番の得意科目は〝待つ”(超長期投資)であります。

小生が持つ含み益が大きい銘柄も、10年以上持っているものがメインです。
株で損したと思うときは、大概、目先の損益で売ってしまって、すぐに買い戻せばよかったのに、(己の銘柄選択に確たる自信がなくなって、今から買い直すなんて全く思わなかった――裏を返せば、値が上がっても買いに遅すぎることはないと思わず)そうはせずに、その後 株価を上げたケースです。

超高速の株取引には特別なプログラミングが必要ですし、PCもグレードの高いものが必要です。また多くの専門家がいますので、個人で株で儲けようと思ったら、売り買いで差益を狙うより、配当で収益を上げ(じっくり保有するということ)、時間は、投資銘柄の選定に使うべきでしょう(ね)

この一節の後の本のストーリーも、“待ち” のヘンドリクスが(彼を抹殺に来た者に)勝ちました。

やはり “待ち” は強い・・・
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アメリカ~

2019-10-12 12:27:43 | 抜き書き


<台所のラジオに近づき、クリスマス音楽を流しているFM局に合わせると、「何でつけるの?出かけるところなのに」とシェリイが言った。「帰ってきた時、音楽が聞こえるようにってのが半分。あとの半分は――ばかみたいだと思うだろうけど――家の中に音がしみこむように」>ジル・チャーチル著浅羽莢子訳「毛糸よさらば」P186より

これは主人公の主婦と、隣人で仲のいい主婦シェリイとがそろって外出しようとしている間際の会話です。これから家を留守にするのに、なぜラジオをつけるのとシェリイが主人公に聞いている一節です。

功利的で合理主義的なアメリカで、ラジオをつけてから留守にするとは、特にこの小説の主人公のように生活費に然程余裕のない家庭では、ちょっと違うのではと思いがちですが、主義主張を越えた、人々の‘自由な’発想というか実生活というか、これがアメリカだなぁ、と思った一節です。

今のアメリカの若者は社会主義的傾向といわれ、例えば来年の大統領選の候補者では、国民皆公的医療保険(民間保険禁止)の導入/大企業は解体/ハイテク企業への規制強化/金融業と証券業の分離/富裕税の創設など米資本主義の大幅変革を主張する左派系のウォーレン氏が、若者層の支持拡大で、民主党のなかでは、最有力候補者となっています。

まぁ大戦後の、そしてベトナム戦争を経た後の、最近の非正規移民の寛容な受け入れやLGBT運動や格差拡大化などに代表される自由過ぎる社会容認からの修正はあって然るべきでしょうが、米国は大金持ちから小金持ちに変わってきていても、ウォーレン氏のような大変革はちょっと難しいのではと思います。

なぜって?米国に住んだ経験から、アメリカ人の本質は、①自己責任やリスクに裏付けされる個人の自由感と②交流は自然な振る舞い(take it easy)を基調とする ③(将来より)今を最重視する判断 ④差別はあって然るべき(友達感は濃くこれの裏返し的な壁がある)との考え ⑤楽観主義(裏を返せば信用や約束違反には厳罰がある) が空気みたいなもので、この先には、強い平等化やこと細やかな自由への規制は国民全般に馴染まないような気がするからです。

差別も許す自由過ぎるアメリカでも規則や規約で自由を縛る国より人気があります。移民や難民がアメリカへ向かうのももっともなのでしょう。

でも 友人が家を留守にするのにラジオをつけたりしたらちょっと気味が悪いかなぁ 友人の性格がそんなものだと理解していれば然程でもないのかなぁ 日本では用心のために電気をつけたりするので、ラジオもありかなぁ いろいろなイメージへと飛んだ一節でした。

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犯罪人ですよね・・・

2019-09-21 14:10:45 | 抜き書き



<スーザンとローズヴェルト夫妻の話を聞いているうちに、フランク・ベラローサの対する三人の態度がわたしと違うことに気が付いた。わたしがミスター・ベラローサの反社会的な法律行為、たとえば殺人、組織犯罪、ゆすりというような些細な事柄にひっかかっているのに反し、スーザンとサリー、そしてジムさえも、ミスター・ベラローサの黒いピカピカの車とか、白いピカピカの靴とか、彼のもっとも許すべからざる犯罪、つまりアルハンブラの購入といった重要問題を話し合っているのである。・・・・・わたしはスーザンに言った。「ぼくにはベラローサにおもしろいとか興味ぶかい点があるとは思えないがね」「あなたは心が狭いのよ」スーザンはそう言って、自分のグラスにポートワインをついだ。「あいつは犯罪者だ」わたしはきっぱり言った。スーザンも負けず劣らずきっぱりと、「その証拠を握っているのなら、弁護士さん、検察局に電話なさいよ」 その言葉がわたしに奥深く存在する問題を思い出させた。社会がフランク・ベラローサを排除することができないでいるのに、どうしてわたしにそれができよう?法律の無力があらゆる人間の士気を沮喪させている――スーザンですらそれをいま口にしたし、レスター・レムゼンはルールが死に絶えたと断言した。でもわたしにはまだそれほど確信がない。「ぼくの言っている意味がわかるだろう。ベラローザは悪名高いマフィアのドンだ」>ネルソン・デミル著上田公子訳「ゴールド・コースト」上P154~155より

この一節は、主人公の弁護士と彼の奥さんのスーザンが、近隣の友人夫妻と、最近自分たちが住む地区(米東海岸沿いの上流白人の超高級住宅地)にあるアルハンブラという屋敷に引っ越してきたマフィアのドンであるベラローサについて話しをしているところです。

40年間も犯罪にかかわっていても罪に問われない者を、その外見や住居など様子を面白おかしく語って、彼をそのまま黙認していいのか(?)犯罪組織を差配するものとして彼を拒絶してもいいのではないか(?)を説く一節です。

現在の日本の社会も、大きな罪から小さな罪まで多々、罪を犯していると分かっている人間を放置し続けているジレンマが、その上、マスメディアによっては、解説者と称する人間に犯罪者を興味本位に語らせたり、罪に問えない日本の社会を、優しい(心の広い)社会だと囃し立てたりする違和感が、溢れています。マスメディアは、本当に人々の士気を失わせていることが多いものだと、この一節を読むうちに改めて感じ入りました。

面白おかしくは語られていませんが、東電の旧経営者三名への福島原発事故への無罪判決にはがっかりです。確かに資料や報告者から聞いていたはずなのに、10m越えの大津波など予想できませんとの彼らの証言は信じがたい… 物的証拠がなかったのでしょう… まぁ 彼らの住む同地区には、少なくとも 住みたくありませんよね(彼らが住むリッチな地区には縁遠い者ですが…)

また2000年12月30日に起きた世田谷区一家四人殺人事件も思い起こされます。未だに犯人は特定されませんが、犯人はDNAや指紋や靴や持っていたバッグの中の砂などいろいろ証拠品を現場に残していきました。折に触れ、マスメディアは新たな証拠が出てくるたびに犯人像を紹介しています… 大きな事件でした… 犯人のDNAからは、地中海南欧地域の母と、アジア系の父親の混血者とされています。このDNAを持つアジア人の確率は、日本人は13分の一、中国人では10分の一、韓国人である確率は5分の一とのこと。犯人の履いていたスポーツ靴は、韓国製で日本では売られていないものとのこと。バッグの中に見つかった砂は米カルフォルニアの米軍基地のそばの砂とのこと。犯人が現場に残して行った他の証拠品から、犯人は京王線沿線の住んでいた若い韓国人では? との最初の推察から、警察は、これを2005年に韓国に問い合わせると、韓国警察は、韓国に住んでいる者ではない、との回答を送ってきた という。ただ2009年にIPOを通じて犯人の指紋を韓国に問い合わせると(韓国では全国民の指紋が登録されている)、韓国警察は回答を拒否し、以後、日本からの捜査協力依頼にも拒否の姿勢を続けている という。犯人は逃げおおせるのでしょうか。

法律も、規則も、国際協力も、万能ではない、物的証拠品が見つからない、ということで、罪をから逃げおおせる人は結構いるということでしょう。

どうすればいいのでしょうか。

距離感は別にして、罪人と日常生活を共にしなくてはならないということでしょうね。ただこれをもって、駄目な社会で生きているとも思いたくもありませんよね。

救いは? 個人的な救いは宗教や思想・哲学でしょうか?

こんなことをいろいろ想像させてくれる一節でした。
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弱者・・・

2019-09-17 10:21:44 | 抜き書き



<病弱だからといってかならずしも聖人とは限らない。たとえハンディキャップがあっても、体は丈夫だがしばしば性根が曲がっているほかの人々と、どこがちがうというのか?>シャーロット・マクラウド著高田恵子訳「水のなかの何か」P93~94より

これは主人公が宿泊するホテルに長期滞在する、足の悪い病弱な元大学教授の隠居者を解説する一部です。

この一節は、一見、身障者や病弱者も健常者と同じ人間です、特質すべき人々ではない と読めますが、マスメディアを中心に、身障者や病弱者は健常者以上に気を使わねばならない人々、特別扱いを必要とする=聖人的扱いが必要な人々とする風潮を、批判しているようにも読めました。もしそうなら、なかなかはっきり言う作者だなぁと感じた一節でした。

アーノルド・トインビーは、歴史は弱者救済の歩みであるとの論調を繰り広げましたが、日本のマスメディアでは彼の影響が強いのでしょう、海外よりも、身障者を時として聖人的に持ち上げる傾向があるような気がします。

来年の東京オリンピックを控えて、最近、特にパラリンピックの競技関連で、病弱者や身障者特集のTV番組が目立ちます。とても良いことなのでしょうが、パラリンピックは見物するというものより、海外での評価のように、競技各参加者のためイベントに価値があるように思います。勝敗には目に見えない障害の微妙な軽重・程度が影響するので…

パラリンピックのオリンピック(プロも参加できる見るスポーツイベント)化は 日本の過剰は平等意識も働いているような気がします。
日本の過剰な平等意識といえば、最近少なくなりましたが、運動会での徒競走の禁止や、競争の場合は、生徒は手を繋いで走ることが指導されるなどが、国際的にも有名です。

過剰な弱者保護意識や平等主義が、弱者に弱者の烙印を押すことになること、健全な競争意欲の減退ものとして、社会停滞の一因になっていなければいいのですが・・・ こんなことを思い起こさせる一節でした。
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逃げる/逃げない・・・

2019-09-06 08:39:53 | 抜き書き



<孤立しているという思いが意識の中に溶け込んでくるにつれて、私たちも変わった。最初はそうでなくても、ゆっくりと徐々にね。そして最後には、国家などとは関係がなく、その日暮らしをするのがとても自然なことのように思えてきた。外からあれこれせっつかれることがなくなると、お互いが相手に負った義務が改めて思い出された。通り過ぎる他人も、近くにいる隣人もおらず、肩越しにのぞき込んでくるような人もいない――いつまでも誰にも見られていない状態が続くと、人間、自分の振る舞い方に関する考えが変わってくるものよ。受け容れられるものと受け容れられないものについての考えも。でも、一番大切なのは、人間には逃げられるものと逃げられないものがあることがわかるようになることね。>トム・ロブ・スミス著田口俊樹訳「偽りの楽園」上P90より

これはロンドンからスウェーデンの田舎の農場に移住した母親が、ロンドンに住む息子に語りかける一節ですが、我々都会の住むものにとっても、特に年を取ってゆくと、そして気心の知れた方々が少なくなると、同じような感慨になるのでは? と印象に残った 一節です。

特に “逃げられるもの・逃げられないもの”がある との表現は 深いなぁ と思いました…


そもそも 私たちの起源、進化、祖先は、周囲の脅威に対し逃げ回って、出来上がってきたと書かれています。進化から得たDNAで、我々は逃げ上手ということなのでしょう。逃げていいのですよね。モーゼは、逃げ回ってもいいが、十戒は心してくれ と言ったのでしょう(私見)。昔からみな逃げて生活してきたということでしょう。つまりホモサピエンスは逃げ回って、“共生”という手段で、強固な社会を作り上げましたが、文明の発達とともに、膨らむ個々の欲望を満足させるため、逃げるのをやめて、(欲望の原資たる)自然・生活環境に手を付け始めました。最近では原子や遺伝子まで手を付け、二酸化炭素やプラ塵の異常な排出で地球環境再生のサイクルを壊すに至りました。このままでは“共生”社会も環境から崩れるでしょう!

人間は逃げ回っていた脅威に手を付け始めてから生物体系のトップに君臨し、その意味では地球を制覇し、人口を驚異的に増やし続けています。このままでは地上はいつの間にか人間で満杯になるでしょう… ホモサピエンスも“共生”で滅びるかも!

最近の、生き方を異にする・感性を異にする社会のグループ化が見られます。共生社会の生き残りの作動でしょうか。例えば今進んでいる地政学的経済的なグルーピングでは、トランプさん・習さん・プーチンさん・独仏さん・イスラムさん・インド/アフリカさん に分かれつつあります。大陸の移動ならぬ共生の分社化かもしれません。もしこのグループ化が進むと日本はどこに加わるのでしょうね?


大分脱線しましたが、著者スミス氏の言いたいところの、逃げられないものがある/分かるようになる のこの逃げられないものとは なんなんでしょう?

時間や生や死でしょうか?人によっては運命もあると考えるでしょうね。 だから 人は逃げるために 生を繋ぐ 世代を繋ぐのでしょうね。

今LGBT(性の多様性)の権利や主張が当たり前のように語られていますが、当たり前でしょうか? ちょっと違うような気がします。
多様性を認める社会(日本は上述のどの共生グループに入ったらいいか?は多くの人が自分流で生きていけるような社会がいいと思うでしょうから、多様性が認められるところ? 消去法でトランプさんのところか独仏さんのクループでしょうね)にあっては、LGBTへの差別はあってはなりませんが、ストレートと同等の権利や主張では、社会の健全な世代交代というキーをそのうちに放棄することになるような気がします(性の意味は、子孫繁栄>喜び と思うためでしょう)。多様性にはあるブレーキ 倫理的なものでしょうか があると思います。

これも脱線ですね。

逃げられるものと逃げられないものは個々に違うので語りづらいものですが、これから年を取るにつけ、逃げられないもの(避けて通れないものとも言いかえられますね)は少なくしてゆきたいものです。先ずは逃げられないもののリストアップでしょう・・・

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トランプさんの政策が浮かんできました・・・

2019-08-30 11:05:22 | 抜き書き



<「いいかね、アメリカ人と言ってもさまざまだ」ストーンは言った。ある者は、ウェイコでやったように、女性や子供でいっぱいの施設に焼夷弾を落とすのを正当と考える。ある者は、自分たちがわれわれの社会の倫理観を体現していると考え、それゆえに過ちを犯すはずはないと思っている。彼らは自分の行動に疑問を抱くこともなく、年月がたつにつれてその行動はさらに悪逆無道になっていく。またある者は、人間の命の大切さを知っている。そして、みずからの行動において倫理的な重要性を考慮する。>ジョン・クリード著鎌田三平訳「シリウス・ファイル」P345より

社会の多様化に呼応して、(民主国に限ってですが)どの国にも、意見や主義主張をはっきりさせる傾向が出てきていますが、アメリカは世界最強国ですので、特に政権内での、その違いは、世界に大きな影響力を発揮します。

トランプ大統領になって、その違いを渓谷の高低差に例えるなら、川は浸食され、ますます谷は深くなり、崖は地殻の隆起でさらに盛り上がったような気がします。特に中国・イラン・不法移民・地球温暖化の‘エリア’での地形の変化の大きさには目を見張るものがあります(参考まで、オバマ前大統領は‘ロシア’地区の深淵化を進め、ブッシュ元大統領はイラク・イラン・北朝鮮は地底国としました)。

トランプ大統領は、

・中国は貿易の不均衡に無神経・輸出に有利な為替操作をしている・米国の先進技術を盗用しているし、米国技術の提供無くしては米国企業の中国参入は不可としている、中国は自国企業に国家予算を提供し製品開発や生産体制の整備という分野で国際競争を有利に展開している、中国産で米国に入ってくる通信機器には市場や個人情報を特定サーバーに集約させる機能を内蔵しているし、中国国内の法律でこの機能は正当化されている、などと中国を非難している。

・イランに対しては、核兵器開発を止めろと、オバマ大統領時に締結した核合意は核開発を止めさせるものではなく単に核開発には時間がかかる様にした取り決めにすぎないものとし、合意を破棄し、核開発を止めさせるべく経済制裁を課している。

・メキシコ国境から米国に入ってくる中南米諸国からの、経済が回らない・専制国家からの、移民は年々増え続け、万里の長城ならぬ米墨国境の壁の建設を進めている。生活苦の難民的な移民を人道的な立場から米国に受け入れるべきだとする民主党の一部の議員との議論で、民主党の主張する人種差別反対・弱者救済的議論に、トランプ政権は、不法移民=治安対策(移民より現住民優先)策を主張している。

・地球温暖化対策をしなければならないが、中国をはじめとする後進国の二酸化炭素排出量の抑制になぜ、先進国は大金や時術を拠出しなければならないのか、その根拠が分からない(従ってパリ協定には参画しない)。要は後進国と先進国の線引きは不明瞭で、後進国と主張すればすんなり通るような国際協定には参画できない、

等と主張しています。


米国(や世界)のメディアは、トランプさんが世界協調路線に外れ、自国第一が過ぎ、悪いとしていますが、問題の大本を考えると、それほどでもないような気もします。

ただ、トランプさんの支持基盤が農業牧畜産業地域で、文盲率も高くて、女性も早ければ15歳ほどでお嫁に行ったりする、カントリーで、諸問題の大本の解説より、明確な分かりやすい決断だけが受ける地域だということから、トランプさんは結論だけを大仰に演説するスタイルになりがちになり、字数が制限されるツイートざんまいになり、最終的に、損しているような気がします。
また、平然と他国を侵略し領土とし、異国の選挙システムに入り込み混乱を起こす一方、非人道国(シリア・ベネズエラ・北朝鮮)への援助をいとわないロシア・プーチン政権になぜトランプ氏が好意を示すのかは謎です。プーチン下のロシアで、経済裏コネをトランプ一族は享受しているのでは?

トランプさんへのロシア疑惑捜査は、大統領選や調査当局への越権行為の有無などより、観点を変えて、トランプ一族のロシアでの裏取引ビジネスの有無に焦点を絞った方が良かったような気がします(が、どうでしょう)。今からでも上下院で調べたら?

トランプさんの米国について、いろいろ考えさせてくれた「シリウス・ファイル」の一節でした。
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怒り

2019-08-24 11:28:10 | 抜き書き


<小説を読む人、読まない人。どちらと友だちになりたいかと訊かれれば、私は読む人と答えるだろう。小説を読む人間のほうが、毎月どこかの才人がベストセラー書で垂れ流す子供だましの哲学をうのみにせず、自分の頭でものを考えることが多いような気がするからだ。>スティーヴン・グリーンリーフ著黒原敏行訳「匿名原稿」P75より

この一節では、自分はなんで小説を読んでいたのだろう との思いに駆られました。
初めは日本語の勉強と先生から勧められたことでしたが、だんだん、気分を落ち着かせるためであったような気がします。あまり意味を考えなかった読書でしたね。友人はほとんど理工系で、それほどの読書家はいませんでしたが、皆さんご自分の考えはもっていた…ここで作者は、読書という言葉を借りて、最近目に付く 子供だましの哲学に警鐘を鳴らしてるようにも思えます。この一節は、この物語の最初の途中下車となりました。


<ホームレス――都市の厄災、国家の恥。その発生の原因と効果については、私(私立探偵)とチャーリー(ベテラン刑事)のあいだで何年も前からよく話題になっている。チャーリーはもっぱらレーガン時代の低所得者層いじめを弾劾した。レーガン政権は住宅補助金を75パーセント削減し、失業保険や食料切符といった福祉給付の受給資格を制限し、資格のある人々に対して手続きをひどく煩瑣にした。貧窮地区の家賃は急上昇していくのに、福祉給付や最低賃金は低水準に抑えられた。その間に金持ちは何もせず、ただ自分たちの税金が半分以上も軽減されるのを喜んでいた。チャーリーはこの新しいアメリカを憎んでいた――貧困層と富裕層の格差が資産の面でも消費の面でもどんどん広がってゆくアメリカ、ウォール街のビジネスマンにはジャンクボンドやストック・オプションという名の紙幣をすることを許す一方で、読み書きの満足にできない貧しい女性には、子供を養うために食料援助を受けなければならないことを六ページの書類に記入しろと要求するアメリカ、所得の低い階層ほど収入に対する慈善支出の比率が高いアメリカ、政治家たちが国民に国旗に対して忠誠を誓わせたがる一方で、忠誠を誓って勇気ある行動をとり血を流した兵士に建物の軒先や地下鉄のトンネルや廃用になった下水溝で雨露をしのがせて平気な顔をしているアメリカ。忌まわしいアメリカ。私の憎悪はチャーリーのそれほど深くはないが、考えてみれば、チャーリーと違って、私はそういう忌まわしい面の後始末に駆り出されるわけではない。>スティーヴン・グリーンリーフ著黒原敏行訳「匿名原稿」P272~273より

1991年前の米格差社会を記した一節です。表記は30年ほど前のことですが、今以て変わっていないということは、二重構造を歯車とする資本主義はこれからもその基本は変わらないということでしょうか? 流血や恐怖をツールとする専制主義体制下の大衆より、貧困層の方がまだましとする考えが、この資本主義の格差を定着させているのでしょうか? ここでも作者グリーンリーフ氏の怒りを感じました。

同感です。

怒りは 燃やし続けましょう・・・

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奇跡

2019-08-19 13:49:05 | 抜き書き


<古来の信仰を持ちながらも、モルターティはまぎれもない現代人だった。奇跡が自身の信仰になんらかの役割を果たしたことは一度としてない。むろん、教義では奇跡が語られている・・・手のひらからの出血、復活、聖骸布・・・。にもかかわらず、モルターティの合理的精神はそういった出来事を神話の一部と断じてきた。それらは人間の最も大きな弱点――証拠を求める願望――の所産にすぎない。奇跡とは、真実と願うがゆえに、だれもがしがみついている物語にほかならない。>ダン・ブラウン著越前敏弥訳「天使と悪魔」下巻P214より

注)このモルターティ氏は、枢機卿で物語のむすびではローマ教皇に選ばれる方です。

ここで読書が止まったのは、奇跡(人知を超えた超自然現象)って今まで期待した?経験した? そういえば奇跡に近いことを期待したことはあったなぁ… 証拠を求める願望とはどんなことを言っているのだろうか? の思いでした。

奇跡的なことを期待したことには…
・勉強も練習もしないで、学業もゴルフもレベルを上げることでした。
 経営に必要なのは、重用される者は、視点を変えた意見や異見を持つことでした。
  結果は 奇跡的なことは起こりませんでした。
  社内では エレベーターから降ろされてしまいました。
・奇跡的な出会いを大切に育てたかったのに、プライドが邪魔して、出会いをフイにしてしまったこともありましたね。
  詳細は省略。

・母が亡くなってから数日後に母のドアをたたく音がしましたが、母はいなかった~
  母はドアをトントンとたたくと同時にトントンを言うので、母がそこにいたのは確かなのですが、奇跡は起こりませんでした。

証拠を求める世界?
因果律・数理学的・科学的な論証が人々の考え方の主流となってきたということを言いたいのだろうか?証拠を求める世界では奇跡はお話の上だけのこと?奇跡を信じないということは悲劇的なこと?

奇跡は、誰でもが持てる別世界かぁ…
別世界と意識することが大切なのでしょうね そんな気にさせてくれた 一節でした。


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