さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

マイ・トリップ

2005-11-26 16:34:12 | Weblog
 旅はいい。旅は日々の時間割から、人間関係から、仕事・家事・勉強・医者通い・退屈から、食・住の環境から開放してくれる。団体旅行より個人旅行客が伸びているのは主催旅行やパッケージ・ツアーには全体行動という縛りがあるからだろう。縛りといえば病院を思い出す。空振り続きの検査に嫌気がさし、医者に「外の空気が吸いたい。明日退院します」といって顰蹙を買ったことがある。縛りと自由とは相対関係だ。ただ、縛りがないからといって、旅行中の暴飲暴食に散財、周囲の迷惑となる大声・傲慢・塵の散らかしなどには要注意。悔悟の念で折角の思い出も汚される。金銭の縛りからは逃れられないが、電車・バス・飛行機・車・駅・空港の雑踏を超える、宿泊所で荷物を整理してシャワーを浴びる。髪を拭き終わり「やって来たね」とホッとして出る一言、この時の広がりは何ものにも変えがたい。
 写生に写真撮影、語学に歴史・美術の知識、ブランド品の買物などの‘もとをとってやるぞ’といった気の張った旅は卒業と思っている。温泉は入浴剤で済ましているから、最近の旅行は偶のハワイに関西となった。関西では食事が美味しく、知人がおり、電車も空いているから気安く過ごせる。神戸に泊まっていても、日替わりで、京都東、北、奈良、大阪と通っても疲れない。シリアルと入浴剤を持って行けばビジネスホテルで十分だ。周遊切符で途中下車もルート変更も自由自在で、その日の体調と天気で行き先を変える旅。春秋は、優しい心の旅に出かけている。
 昨年11月、友人ご夫妻に紅葉の高雄山を案内してもらった。信仰宗教はないが、そのすばらしさは、天上界がもしあれば、その一風景に違いないと思った程だった。今春、吉野山で桜を見下ろした。天上界にあって欲しい光景だった。昨年の夏に亡くなった母に見せてあげたかった。持って行かせたかった。明日から関西へ、天上界の光景、その三を探しに行こうと思っている。天上界の光景をいっぱい貯められるまで待って欲しい と思っている
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菊Ⅴ

2005-11-25 08:43:50 | 花一匁
知的な感じの彫像 頭髪に見えました 
耐えてなる智と ご主人の丹誠が
花弁の先で結びつきました

仏語勉強し 大使館勤めて 結婚した
離婚後 引取った子供は くりくり頭
可愛いと いつも涙浮かべて抱いていた 
白血病だと書いてきた
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スーパー

2005-11-24 23:23:47 | Weblog
 戦後、消費が多様化する中でスーパーは、家庭で大量に消費するものの品揃えと同じ商品を多くの店舗で販売する規模の利益で、大量仕入・販売を実現し、お客には低価格、本部には利益をもたらした。60年頃からスーパーは、零細で長い流通経路をもつ従来の魚屋、八百屋、洋品店、靴、家具、電気店らの小売・卸売業態を淘汰し始めた。しかし、人々の生活が豊かになるにつれ、お客はスーパーの標準仕様、ナショナルブランドから、そこにしかないもの、そこでしか手に入れられないものを求め出し、店頭の衣料品、家電品、家具、食品も生鮮品から売れ行きが悪くなりだした。身近な店、スーパーは今後どう変わって行くのだろうか?
 関西にいた頃、歩いて行ける距離に3つの同資本のスーパーがあった。利用したのは一番古く小さな店であった。生鮮品の回転がよいのと、買物ポイントが他スーパーの倍で、三千円以上買うと配送が無料となった。医薬品、化粧品、ビールなども、値引きの大きい中国製段通や季節外れの衣料品等とともに買ってしまったものだ。そのうち、外圧か、本部からの指令だろう、ポイントは他店並み、配送も有料となった。我々も使わなくなったが、客足はめっきり落ちた。スーパーらしからぬ「当店だけのサービス」は業界内で抹消されてしまった。やり手の女性店長はどこかに飛ばされたに違いない。
 ヨーロッパのスーパーで目に付くのは買物リストを持って人が多いのと、生鮮品は大体が量り売りであることだ。秤はセルフだが、ハムやチーズ売り場には店員がいて必要な分だけ切ってくれる。両者に共通するものは必要以上のものは買わない買わせないことだろう。売り手と買い手の節約心をベースにお店毎の特徴で競合するのがスーパーのようだ。郊外にはハイパーマートがあり商品を段ボール箱入りで売っている。寡占状態に近い商品もあり、一般的に日本ほど品数はなく、各家庭が選べるアイテム毎の購買品種は限られている。店も品揃えし易いので、商品切れはめったになく流行っている。量を売る店と、顧客の必要とする量だけを売る店と分かれている。スーパーの間でも、日曜雑貨を中心にする店、質重視の品揃え、低価格品の品揃え、中華和食等の輸入食料品を多く置く店など、チェーン・ストア間の色分けがはっきりしている。どのチェーン店を選ぶかで、大げさに言えば、お客のライフスタイルが分かるほどはっきりしている。
 今、我が家では、各店の安売りデーと新聞の折り込み広告をみながら、比較的大きいスーパー三軒と駅前商店街にある小スーパー二軒を使っている。買物ポイントが5倍になる日がある店、野菜と果物の特売日が多い店、肉が良い店、魚が新鮮な店と各店それぞれ特徴あるが、どの店でも実施できる特徴という点で似たり寄ったりの店だ。どのスーパーも卸もとの特色以上のものは出せていない。チェーン店間の特色は直ぐには出せるものではないから、飛ばされた女性店長の店のように誰にでも分かるお店の特徴、店長の個性を商品に、売り場に出して欲しい。店ごとの独立採算制を更に進めて、店員の給料を完全歩合制にしてはどうだろう。チラシも折り込み広告も系列店共通のカラー印刷でなく、店毎のガリ版刷りでもよいではないか。量り売りの好いところとって、個数の違うみかんの袋詰めがあってもいいだろう。お刺身だけではなく、テンプラを目の前で揚げてくれるコーナーもうれしいものだ。スーパーが好きな理由の一つは色々な商品のパッケージを楽しめることだ。ヨーロッパでは味わえない楽しみだ。パッケージ・デザインやラベルには商品にかかわった人たちの英知が凝縮されていて、手にとって見て行くと様々なものが見えてきて、想像の世界を広げてくれる。五軒とも商売を末長く続けて欲しい。商品のパッケージを見に行くだけでなく、各店長の毎日の新しい試みを楽しみにスーパー巡りを続けたい。「当店の店員の給料は歩合制です。何でも言ってください。挑戦します。」と張り紙がもう直ぐ出るはずだ。毎日見に行ってみよう
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コスモスⅢ

2005-11-23 12:25:08 | 花一匁
たそがれに 斜陽を探す
薬石無効の麗人は
「どうして」をくりかえす

二の腕の白さと細さは見せ掛けだ
どんなに残業続いても 朝八時には席にいる
単車通勤で 男勝りの派遣社員
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ガム

2005-11-22 21:48:30 | Weblog
 千葉ロッテの優勝で忘れていたガムを思い出した。そういえば色々なガム噛んでいた。駄菓子屋の前で靴ベラを飛ばして遊んでいたのはバブル・ガムの時代。小学校で草野球をしていたときのお八つはオレンジ・ガムだった。女学生と乗りあわせる通学バスの中はグリーン・ガム。青リンゴ・ガムは新婚当時、甘党の女房がよく買っていた。口臭に効くというので仁丹とセットでフラボノ・ガムを海外出張に持っていった。歯磨きガム、ノータイムを噛んでいたら歯の詰め物が取れてしまい、そのままにしていたら抜歯となった。手術が大変で、これに懲りてガムを噛まなくなった。
 ガムの歴史は、薬としてまた口臭防止や歯の健康のために、紀元前のキリシャ人が、3世紀ごろのマヤ族が樹液を噛みはじめたところに始まるという。最初のチューイング・ガムは、T.アダムス氏が、1860-70頃、メキシコで採れた樹液を固めて作ったチクルをベースにつくったという。10年後、味と香がつけられ、今、食べているガムが出来上がった。第二次大戦で、兵士が海を漂流する時に、パイロットの耳鳴りや眠気を防ぐのにガムがよいとされ、ガムは戦後、一気に普及した。ガムは甘くていい香、唾液で、口臭を消す、歯をきれいにする。噛むことで顎、歯茎、頭蓋骨の正常な発達を促し、老化の防止、思考力の向上につながるとガムの効用は色々謳われているが、何といっても、一番の効用は、口の中をスッキリさせ、緊張状態を解くことだろう。
 TVで見るスポーツ番組の楽しみの一つはヘッド・コーチ、監督の試合中の表情である。監督のボデー・ランゲージには本音が出るので、インタビューや解説より試合情況の優劣が分かるのだ。スタンド見物では監督の表情が読みにくいだけに、編集次第ではTV観戦が見直されるに違いない。イタリアやスペインのサッカーは監督を見ているだけでも面白い。プロ野球もまあまあだ。堀内氏の場合、点数差はコーチとの微妙な距離で分かるのだ。岡田氏は首の傾き具合が投手交代旗だ。王氏は奥歯を噛締め、手をたたいて自分を励ましている。ヴァレンタイン氏はガムを噛む速さで選手に意思を伝えた。違うだろうか?アメリカのスポーツ選手がよくガムを噛むのはリラックスの為、緊張で反応スピードやパワーを落とさないためだろう。人前で口動かすのは失礼だと教育されてきたのだろう、ガムを噛む日本選手は少ないが、来年は、ガム噛んでパワー全開のロッテ選手を見習って、ガムを噛む選手は増えるだろう。日本式礼儀は捨て難いが、大リーグスタイルと勝利には換えられない。
 丁度シュガーレス・ガムが出始めた10年ほど前からガムの売上が落ちているという。肥満防止、健康志向で糖分の摂取を控えるようになり、スプレーやタブレットで即効の口臭対策が出来るようになり、禁煙家増え、また、歯医者で歯を白くしてくれるようになったからだろう。リストラ時代に事務所でガム噛むと不謹慎といわれることはないだろうか?駅を汚さないようにとガムを置かないキヨスクもある。次第に嫌われてきたガムだが、リラックスに、緊張感の緩和に役立つことは確かだ。ここが勝負と人前に出るときは、トイレで口を大きく開け口周りをほぐしたりしたものだ。人前で噛まなければ、覚せい剤、化学品香料、煙草、奥歯を噛むよりガムの方が安上がりで、健康的だ。ガムを上手に使いたい。入れ歯に着かない、香料も味もない、永年もの間メキシコで噛まれていた天然ものチクルに近い健康ガムは出来ないだろうか?あまり人前に出たりすることはないが、TVの前で、大相撲の優勝決定戦や宮里藍のパットには緊張する。心臓や、血圧が心配だ。年末の格闘技の中継を子供と一緒に見てみたい。チューイン・ガムの復活だ。緊張を和らげる、味ない香りない引っ付かない健康・ガムがいい。スルメもいいが正月料理を前に胃を悪くしてはつまらない。高齢化社会グッズとして待ち遠しい。有機野菜売り場で健康・ガムを売って欲しい

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ヒメツルソバ

2005-11-21 08:33:08 | 花一匁
異物混入に出動する白血球
どこだどこだと こっちらにやって来る
近づくほどに 多くなる

レポートの提出期限迫る時 
逃亡者 デビット・ジャンセンの毎度シーン 思い出す
何とかなるさ ぎりぎりで
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図書館

2005-11-20 22:46:35 | Weblog
 「図書館は個人では持ち得ない量と広範囲の知識を提供し、人間の文明を高めてきた高尚なところである」と教えられたが、運動部学生にとっては、静で、机が広く、短時間でノートを書き写すのに、コピーをするのに便利なところでしかなかった。中高校時代の図書館は部活終了後まで開いていることはなく、利用した記憶はない。勤め人の頃は近くに図書館はなく、書籍は本屋で求めていた。会社に図書室あったが、定年間近の先輩の職場で、出入りを遠慮した。今、区立の図書館を利用している。利用の切っ掛けは連載記事を再読する目的だった。何ヶ月も探していた本が通りかかった棚にあったときは驚いた。
 図書館へ行きだして、様々な工夫に感心した。高齢化社会対策だろう、利用者の居眠り防止にソファーが食卓用の椅子となった。ロビーの長椅子はバケット型プラスチックの椅子に変えられ、横になれない。一般閲覧室は小さく、小児用の図書閲覧スペースは広く、これは少子化対策だ。著作権対策だろう、コピーが無駄になるように殆どのCDに傷が入っている。出版社への配慮だろう、人気のパソコンなどの実用書・ハウ・ツーものにベストセラーは数がない。思想、政治、歴史などの本は、左派系・第三国系らの煩い方がいるのだろう、左右中庸それぞれの書が豊富に揃っている。いかにも公立の図書館らしい配慮で一杯だ。しかし一番の感心は、区内の図書検索・図書取寄せ・予約のシステムで、勧められたことはあった。
 家にかなりの本が溜まっている。タイトルでは内容を思い出せないから再読してもいいが、端から読むのは億劫だ。子供たちに遺しても迷惑だろう。祖父と親父の本の整理は大変だった。読んでみようと、処分に何年もかけ、結局全て読まずに捨てた。数年前、祖父の本を探しているとの手紙を貰ったが狭い家にあるはずはない。面白かった本や探すのに苦労した本は、出来るだけ多くの人に読んでもらいたいというのが人情だ。売りたくない。ああでもない、こうでもないと時間ばかりが経って行く。図書館の入口に、勝手に持ち帰ってよいリサイクル本の小さな棚がある。図書館へ行く度に、文庫本を持って行くが、これでいいのかなあ?
 今はお勧めのネットで本を検索し、予約して本を借りている。時間が節約でき、大変便利で重宝している。利用者は日々増えているようだ。図書館は、良書の選択や保管スペースの問題等で、一般家庭の本を譲り受けることが難しい。現在の図書館システムに、もう一つリサイクル図書館を作れないものだろうか。各人は家庭から手持ちの書物を登録し、ネットで知らせる希望者あれば図書館へ持って行く。本を持って行った人が図書館のシステムを使い希望者に送付案内をする。図書館の連絡便で最寄の図書館へ本を届ける。読了後、読んだ人は再度、書をシステムに登録する。背表紙にリサイクル資料とのステッカーを貼り、おいて置くより希望者に渡る確率は大きくなるに違いない。区立の「図書館は個人では持ち続けられない本を広範な人々に提供し、人々のハウ・ツー疑問に答えたり、実生活を豊かにするところ」と定義を変えてはどうだろう

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山茶花Ⅰ

2005-11-19 18:43:01 | 花一匁
落ち葉を掃き集め 焚き火した
隣のおばさんが芋を持ってきて 隣の隣の兄さんも手伝った
焼き芋みんなで分けた 山茶花咲いた道で思い出す

法事の帰り 冷たい風に 思い出す 
生垣に屈んで隠れて 見つかった 
今度はこっちが探す番
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大学職員

2005-11-18 23:19:50 | Weblog
 先日、大学に学生の定員割れが出て、経営難となっているとの報道があった。地方でも特色ある大学は入学倍率も高いから地方が経営難のキーワードではなさそうだ。旧財閥系の大学は系列企業に就職口が多く人気であることから、入学希望者の多くは就職を前提に就学するということだ。学生の定員割れは、卒業しても就職の可能性が低いとみなされたからだろう。国公立大学も独立行政法人となり、現在、大学はどこも経営的観点から体質の見直しに入っているという。傾向は研究機関色を薄め、社会経済のニーズたる実践的な教育機関にシフトしているようだ。60年代の学生運動に民間資本の学園導入反対があったが今は逆だ。今まで閉ざされっぱなしであった学問の府は変わることが出来るのだろうか?
 地方の大学だけでなく、これから、少子化の進行で、都会にあっても魅力のない大学の倒産・淘汰は加速するだろう。大学組織・在学生を救済する方策などを検討する諮問委員会はあるが、委員は大方、役人に教育者である。公官庁と教育界は実業界との垣根を高くするから答申に実あるものは期待出来ないが、救済のキーワードは、大学と実業界との連携強化策、教務部門の役割拡大だろう。天然資源の少ない国の一番の資産は人材だ。今のままでは少子化で、官僚天下で、日本は沈没だ。資本主義の特色である市場主義と効率化を、利というより効率という点から、教育界にも適応したらどうだろう。また、利より公を上位とする官吏養成機関たる大学はもう過去のもの。大学体質改革の先頭は実業界との接点、教務部門からが好い。
 社会に出た時、社会に出てからも、授業中に得たものを使った記憶はほとんどない。残業続きの時、部活で養った体力ぐらいかな。ただ、学外で聞いた工業経営者の、楽器販売店の、広告代理店の方による体験話は就職に、就業に役立った。大学の教務部門に、民間会社を定年退職した人たちを採用したらどうだろう。実業界での経験は多岐であり、大学の経営分析、学生の就職先の開拓や就業相談に出番はきっとあるはずだ。教授陣に実業経験者を迎える大学は増えている。教務部門にもう直ぐ退職する団塊の世代らを採用してはどうだろう。教務職員と学生は祖父と孫のような関係となるだろう。教授会が圧倒的な力を持つ学内のパワーは、学生と教務員との連携で、評価される側に立ち、教え方、教える内容も変わってくるに違いない。社会に役に立つ、特色ある、就職口の多い、人気の、魅力の大学に変身するだろう。家族的な雰囲気も学内に生まれ、卒業生の訪ねるチャンスも増え、地域社会に交流する市民大学となるだろう。資金繰り苦しくなったら奥の手を出せばいい。教務職員が同窓生の、知人の銀行頭取に特別融資を頼めば良い。閉ざされた府の改革は、定年退職者のパワーでどうだろう
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パンパスグラスⅠ

2005-11-17 08:41:55 | 花一匁
冷たいときは寄り添って 
背高のっぽの原住民 パンパスゾク
白髪に変身して知らせてる

此の頃の 目の周りの引き攣りに貧乏揺すり
生まれのよさ 落ち着いた仕草の 彼には似合わない
客先の債権回収不能が引起す
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