さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

今度は行政の出番です…

2016-09-30 06:14:39 | ダイアリー
日銀の黒田金融緩和政策に疑義が生じてきていると、日経平均株価の変動を論じる経済アナリストや評論家が目立ってきた。

どうだろうか?

2年ほど前からの黒田総裁は、

デフレ脱却を目標に、物価は 2%引き上げるとして、銀行から国債を大量に買い取って、銀行を現金でジャブジャブにして、銀行からお金を買いたい人が容易にお金を借りられるようにして、世の中にお金がたくさん出回るようにして、お金を持つ人、使う人を増やそうとしました。

しかし、中国経済の成長の鈍化と 原油価格の下落で、開発途上国の済は急減速し、世界的に 株価(企業活動や投資)は下落し、

株価の下落を通して、高級品・非日常品の、需要は落ち込んで、今度は、日銀は株価総体指数に連動する投資信託(ETF)を買い始め、株式市場にも現金を供給し、株価の維持と需要の落ち込み対策に進みました。

しかし、思ったより消費税の引き上げや中国経済や原油・資源価格の下落は大きく長く、黒田政策は、物価の下落は食い止めたものの、+2%の上昇には届かず、

今年に入って、次なる経済カンフル剤たる、マイナス金利に踏み切りました。


マイナス金利政策とは、
銀行が日銀に預けるお金の一部に、マイナス金利(=手数料を取る)を適用し、銀行をして、現金を、日銀にではなく、市場に強制的に行き渡らせる政策です。

ただマイナス金利の結果は、
景気の見通しも影響しているのでしょう、銀行の取引先に資金需要はなく、銀行は貸出先を見つけられず、また、マイナス金利で、国債の売買利回りもマイナスになり、国債の運用でも利益を出せないようになり、特に、中小の銀行の経営を圧迫する結果となりました。

金融機関が少ない地方で、銀行の経営圧迫は、地方経済のとどめを刺し兼ねず、

そこで日銀は、
国債の売買で経営を成り立たせている地方中小銀行救済に、10年国債の利率を、現状のマイナスからゼロに引き上げる政策を導入した。地方中小銀行が国債を運用しても、10年物以上の国債の運用では損はしない、という政策でした。

しかし、日銀のこの政策は、
結果的に、長期金利を引き上げるものとなり、経済にはマイナスの政策と、特に、不動産売買や設備投資にブレーキをかけるものとの思惑から、不信感が出て、

そもそもの経済を良くする(デフレ脱却)政策目標に、金利を上げる政策とは相容れないものではないか、と疑問も投げかけれれて、

日銀政策への不信感は高まった。


ただ、景気の見通しを明るくする、社会をあかるくするなどを仕事にする行政にはこの間、黒田総裁のバズーカ砲が撃ち続けた間、何をしたのだろう。
むしろ、疑念は向けられるべき、のような気がする。

今こそ、日銀に変わって、政治の出番がきたといえるのではないだろうか?

蓮舫さん、国会で強くアベノミクスを正してください。対案をだして頑張って、政府を煽ってださい。株価を上げてください。頼みます。
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昨夕のことでした…

2016-09-29 05:36:21 | be short

金木犀が香り始めた。

時々窓からマスになって流れてくる。好い香りだ。

この街並みは中の中の中クラスだろうか。多くの家はほどほどで、道から庭をちらりとのぞかせる。

庭には、大概に、金木犀が植えられている。

金木犀は争うようにと咲き始め、街全体が香りに包まれる。

雨に弱い金木犀、雨に花がこぼれる前にと、昨日は、傘を持って香りのもとをさまよいました。

ここは好い、と留まると、窓をピシャンと閉める音がした。勘違いされたのでしょう。でもこの風采では仕方がない?

帰宅して、窓を大きく開けて 息を吸い込みます。
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分かっているけど 何をする?

2016-09-28 05:31:25 | ダイアリー

何か月か前にネットニュースにボケ防止という記事がありました。

記事によると、
体の中には、食べものをエネルギーに変えるのには二つの方法があって、酸素なしに変換する法の解糖系のものと 酸素を必要とするミトコンドリア系のものがあるそうです。解糖系で出来たエネルギーは細胞分裂に使われたり、瞬発力を発揮する筋肉(白筋)の動力で、ミトコンドリア系で出来たエネルギーは心筋、横隔膜筋、赤い骨格筋、脳神経を動かしているという。

人の一生でみると、子どもの時は解糖系優位で始まり、大人の調和期を経て、年取ると解糖系が衰えてミトコンドリア系のエネルギーを主にして生きているという。

子どもは瞬発力が強く元気ですが 持続力に問題があるのは、心の問題ではなく、持続力の赤筋がまだ未発達という問題だったのです。

年寄りがよく交通事故に巻き込まれるのは 解糖系筋肉の(瞬発力)衰えによるところもある とありました。

ミトコンドリアは鍛えるとその数を増やすもので、筋肉を使わない、頭を使わない とミトコンドリアは減り、結果、生きる能力の低下はするし、ボケは進むとありました。

体を鍛えろという結論は 毎日TVで言われているもので珍しくなりませんが、白筋、赤筋の説明でよく分かりました。


ジムにはキン肉マンなどの派閥があって面倒だし、公園は頭の中で歩き回れるほどに精通していますので、赤筋を鍛えるのは ポケモンGOか、ジパング倶楽部にでも入りますか…
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何かにつけ昔がよみがえるようになりました・・・

2016-09-27 05:52:54 | 抜き書き

<「母は強い女性でした。父がヴェトナムで戦死したあとわたしとわたしの姉を一人で育てました。建築資材会社の簿記係として働き、ほかの家の洗い物をして、生活費の足しにしていました。誰の助けも借りようとはしませんでした。あまり多くを語らなかったが、この世を憂いていました。・・・・・母は神を信じていませんでした。キリスト教は世界的な陰謀だと考えていました。人心に罪の意識を植えつけ、それによって人々を支配し、金を集めるものだと信じていました・・・・・」>スコット・プラット田村義進訳「最終弁護」P336より

これは死亡記事を新聞社に提供する葬儀屋さんに、主人公の弁護士が自分の母なりを振り返って、説明している場面ですが、主人公が葬儀屋さんを 人の不幸を食い物にしている職業との考えを持ち合わせていること強調するため、特に母の信仰にたいする考え方を、若干誇張して話す ところです。

この小説の場面が米南部の州の田舎町で、キリスト教信者が八割を越すところだとすると、また、ちょっと面白いなーと感じました。


戦後直後の日本を、頑張ったお母さんがたを彷彿させる一節でもありますよね。そう食べていたのは、薩摩芋の葉っぱの味噌汁の時代でしたね。

そういえば、祖父はキリスト教信者でしたが、母は(父も)無宗教でした。罪の意識などを考える前に 現実の生活をどう乗り切るかで精いっぱいだったのでしょう。われわれも、ともだちも、日々の切羽詰まった空気感から、‘食べられる’ことに、申し訳ない という気持ちを持っていた 時代でした。

信仰生活とはリッチな方の精神生活なのでしょうか?

読み切り小説のような「最終弁護」でしたが、この部分はベタッと肌に張り付くように、重い感じがしました。
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あーでもない こーでもない空模様の成り行きです

2016-09-26 04:41:16 | 抜き書き

<穏やかで暖かな日だったが、風に逆らって歩いているような気がした。強く引っぱられたような感じがして体を引き戻し、かえって道を外れた。久しぶりだったが、この感覚には覚えがあった。別れや失敗を経験したときまったくおなじ気持だった。>リサ・バランタイン高山真由美訳「その罪のゆくえ」P106より

<「・・・・・人が怖いと思うのは、たいていその人の心と、心の傷にかかわるものごとだから。怖いものはつねに何かしらあるはずだよ ―― 怖がる気持ち自体がなくなることはないんだから。でもそれでいいんだ。怖れは痛みのようなもの。人生にはそれがつきものだし、それがあるからこそ自分のことがよくわかるようになる」「どういう意味?」「いつかわかるよ」>同著P228より

上段は、主人公の弁護士が 仕事の依頼を取り消されて その喪失感を表しているところで、

下段は、主人公の弁護士が 子供の時に育ての親からの説諭の部分です。


別れや失敗はつきものですが、その都度、五感を紛らわされてしまうほどの 自失感にさいなまれるのは確かです。特に、責任感が強く働くときや、因果関係に説明がつかないとき、己の軌道に疑念が生じるときには、かなり強い力で ‛引っぱられる’

でも、作者のバランタイン氏は、下段では、怖れとか傷という表現を採っているが、上記の喪失感を、自分を理解する肥やし としているようです。

そうです。

何となく分かります。そうでないと困ります。先に進めません。

時間とともにあれも肥やしたっだんだ あれでよかったんだ、と思うもので、喪失感の時、怖いと思った時に これは自分の肥やしだとはなかなか思えません。取りあえず 自分の中の引き出しにしまい込むのが精一杯でしょう(か)

雨の日の読後感想ですね。 嫌なこと 辛かったことを思い出し、じめじめした気分にもなりました。
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どこまで続くこの長ーい雨

2016-09-25 06:01:52 | be short

傘がいつも中途半端な持ち物になるので、昨日は、雲行きに注意して、傘なしでスーパーへ行きました。

えっ、今日は何でこんなに混んでいるの、と思うほどスーパーは人でいっぱいでした。

混んでいたのは、雨間狙いの小母さま方と、暇なお父さんと ゲーム三昧のお子さんをお母さんが連れてきていることで、また駅弁祭りが開催されていた 結果のよう。

最近は商品の陳列も、在庫スペース管理のためですか、商品の在庫回転数を上げるためですか、面積当たりの売り上げを伸ばすためですか、顧客の混雑時間に関係なく、商品が入ってきたタイミングで、棚に置いているのでしょう、店員は、大概、どこかの通路を半分以上占拠している。

これは同時に 混雑が混雑を呼ぶという、人集めの戦略かかもしれませんね。

駅弁売り場は 殊の外 混んでいました。

「今はんのすき焼丼はあと四つ」との売れ行きアナウンスがあり、「それじゃない!牛肉どまん中!それそれ」とお父さんがお子さんを混雑する棚の前に押し出しています。少し前かがみ気味の我同世代の小母さま方は、視力の衰えからか、なぜこんなに高いのか、安くておいしそうなのはどれどれと、駅弁棚の前を動かない…

ますのすしはなくなっていたので、いつものスーパー・オリジナル弁当を、長いレジ列を並んで、買いました。スーパーで時間が余分にかかったのか、天気予測が当たったのか、残念無念、帰路は雨にあたってしまいました。

電池切れでスマホは動かず、アプリ・ヘルスケアに歩数は積算されず、昨日の歩数は88、歩行距離は0.06Kmと 記録されました。散々な雨の日でした…

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まだまだ続く長雨でーす

2016-09-24 05:17:45 | be short

霧雨と変わってきて、運動不足の解消に、昨日の昼は2kmほど先での外食とした。

この間には小さな駅、小さな商店街と学校もある。

途中、

車高の低いポルシェが歩道の白線を越えて駐車しました。
小柄な女性がポルシェがら出て、銀行に入ってゆきました。

ポルシェの前には金庫のようなGMのハマーが、これも歩道に割り込んで駐車していました。
ジャラジャラのネックレスの大柄な女性が運転席に乗り込みました。

これって適材適車ですかねー

盛者必衰の理あり、ポルシェとハマーをやり過ごし、

学区の近くまで行くと、
カラフルなサリーをまとったアフリカ系の女性二人とすれ違いました。

パリやナイロビで印象に残っている香料を感じました。

ここは日本なのに、アフリカ系の方は 爾は爾たり、我は我たり ですね。

我々も彼女らを見習って もっと自己アピールしてもいいのかも知れません。

小さなイタ飯屋さんに入ると、
いつものスタイルのいいウエイトレスさんはおらず、
代わりに、太めのコックさんが、給仕をしてくれた。愛想はとてもよく、メニューの説明も丁寧だった。

天は二物を与えず です。

色々落ち着かない一日でした。
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秋の長雨でーす

2016-09-23 06:00:06 | be short

昨日、雨だれに ふと 土光敏夫氏が浮かんできました。

大昔、親父の月間雑誌に写真入りで土光さんが紹介されていて、自宅におられるが土光氏が写っていた。

質素なお宅で この方が 経営の神様? と意外に思いました。

そういえば…
記憶に残る方々

直接に会ってはいませんよ
見聞きだけで

凄い方だと感銘した人たちが浮かびます・・・

浮かんだのは、
松下幸之助、本田宗一郎、井深大、盛田昭夫、稲盛和夫、稲葉清右衛門、大賀典雄、奥田碩、豊田英二、小倉昌男、手塚治虫、茂木友三郎、鈴木三郎助、御木本幸吉、安藤百福、御手洗毅、庄山悦彦、宮崎駿、三木忠直、島秀雄、中山素平、宮内義男、五島昇、石橋正二郎、武田國男、大河内一男、黒澤明と志村喬、山田洋治と渥美清、小菅丹治、桜井眞一郎、丹下健三、野村徳七、中村修二、山中伸弥 でした。

庄山氏と小菅氏を思い浮かべる方は少ないのでは・・・

日立製作所の庄山氏は、確か、会社が大赤字に陥りながらもリストラをしなかった。日本ならではの経営者だと思ったものでした。ただ評判はすこぶる悪かったはず・・・

小菅氏は、当時人気だった伊勢丹百貨店の三代目の社長さん。確か50年ほど前、ラグビーをやっていた友人が、この伊勢丹を受け、入社した。友人がいうには 入社できたのは、社長さんが、望まれる社員として、その当時一般的だった 知力や容姿よりも、体力とチームワークを重んじていたからだと説明していた。

今日も雨。次は何が浮かんでくるのやら…
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うれしかったこと…

2016-09-19 05:07:51 | be short


昨日電車に乗っていたら幼児が母親に、ジージーバーバーのところに行きたいよ、と何回もいっていた。

きっと買い物に出ている途中で、幼児は電車に乗るなら祖父母のところに行きたい、とのことなのでしょう。

ずっと続くので思わず笑みがこぼれてしまった。

幼児の願いの背景には 純粋な理由があるはずです。

例えば ジージーバーバーのところでは、非日常的な、歓待がある。優しさがある。

ジージーバーバーのところでは、日常的な、束縛がない。優しさがある でしょう。
 

この電車、ほぼ満席状態で、幼児は母親の前で立たされていた(母親が座って幼児は立っていた)。ただ母親に手を握られていた。

母親は幼児に 優しさだけでは ダメなのですと 無意識に 頭の中に 刻み込ませているのでしょう。この子は素敵な環境で育てられている と思いました。
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スマホに変えてみて…

2016-09-18 05:48:21 | 抜き書き


<見つけられたがらない人はいるものだ。そのためにいろいろ手を打つ。小枝を使って足跡を消そうとする。なかには、ただ逃げ去って、あとに何を残していくのか気にしない人もいる。最も重要なのは、彼らにとって、過去が背後にあり、そこから逃れようと動きつづけているということだ。>マイクル・コナリー古沢嘉通訳「判決破棄」上P110より


我々は常に人には明かしたくない過去を持っている。歳ほどに重くなってくる。年寄りがボォッとしている時が多いのは、アルツハイマー的になっているのは、積極的に動けないのは、大概に、その重さを実感している時ではないか と最近は思っている。

人は、概して、人に見られたくない過去を 時に 一人で振り返りたいもの。反省や原因分析材のため というかっこいいものではなく、ただ どうして、なぜ、これからどうする、バレたらどんなことになるのだろう 等を考え込んでしまうのだ。

年寄りはボォッとしていても、アルツハイマー的になっていても、社会的な損失は少ないが、若い人がボォッと 積極的になれないのは、そのネットワークに多大な損失をもたらすもの。
過剰なプライバシー保護が、ボォッを引き起こし、社会に歩みにブレーキをかけていないとも 言い切れない。

あまり自信はありませんが、
若い人の抱え込む問題は、そのほとんどが、一生懸命に隠すほどのものではなく、ただ 近くに相談する人がいないなどの環境問題によるもので、結果的に隠すことになってしまうものがが多いもののよう…

母親、友人、先生、などは注意してあげたいものですね。

また、隠し事も文字にすると案外整理できるもので、頭をすっきりさせる意味でも、スマホへでも 保管しとくのもいいのかも。しかも指紋認証をパスコードにすれば、まず他人にはみられることはないでしょうから…
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