昨日の朝 川崎市登戸でスクールバスを待っていた小学生や子供たちの保護者ら19名が殺傷され、犯人51歳の自害で終わった事件には目が潤みました。
よく分からない悔しさがこみ上げてきました。
死にたかったら勝手に死ねばいいものを11歳の子や前途ある青年をなぜ道連れにしなくてはならなかったのだろうか?
凶悪犯罪を防ぐ手立てはなかったのだろうか?
事件の第一報では通り魔の犯行と思いましたが、自宅から電車に乗って、数本の刃物を持って、小学生の集まりに背後からそっと近づいた犯行というから 計画犯です。
幼い子らを沢山まとめていっぺんに刺し殺そうとする動機は異常です。
誰がこんな犯人犯罪を作ったのだろうか?
警察は今朝犯人宅に捜査に入ったというから、警察もこの犯人の動機解明が、市民の安全を守る上で、最重要事項と認識しているのでしょう。
でも分かるのだろうか?
今ネットにある情報だけで犯人像とその心の動きを推察すると、
・両親の離婚から8歳の時に、祖母と住む伯父一家に引き取られたという。
→伯父一家には子供たちもいてファミリーの一員としては肩身が狭かった環境だ?しかもファミリーが裕福ではなかった場合には声に出せない疎外感は酷かった?
・幼少期には人の家に勝手に入り込むなど変わった子との評判があり、
→伯父一家そのものが他人の家なら近在の家も同じようなものとの意識が生まれてもおかしくなない、
・小中学校時代は些細なことにすぐに切れる性格で友人はいなかったとのこと。
→家庭内の緊張感が学校生活にも出て、何に対しても反抗するという自己防衛本能が働きだしてしまったのだろうか?
・10代後半で家を出て(30年後?に)伯父の家に戻ってきたという。
→履歴・学歴から職場に恵まれず年齢が上がるにつれて行き場を失い、墓場的な伯父の家の他に行き場がなくなった?
・伯父の家に戻っても出かけるのは夜だけ、近所の人は当人をほとんど見かけることはなかったが、
→生まれを・家族を・学校を・職場を・格差を・社会を恨み、家に引きこもることで、恵まれた環境にある人間を際限なくねたみ始めた?
・1年ほど前 葉っぱが飛んできて目に当たったと庭樹の家へ激しいクレームをつけていたという。
→外界全体が自分を疎外しているように感じ始め、社会に文句をつける機会をうかがっていた?
・犯行時の早朝黒装束で、ごみ出しの方に、自ら声をかけて、出かけていったという。
→私立校は格差社会を幼児から発展させるもので、これを‘今日’破壊し、声なきテロを実行する‘時’がきたとふんぎったか?
上記は全てつくりものですが、
こんな方は今どんどん増えているような気がします。
プライバシー重視、実力社会、やる気・意欲が成功する社会、信用社会、コネにつながるタテヨコの情報化社会、大量生産大量消費社会の終焉、知力と体力の労働分化、核家族化、未婚者の漸増、ゆとり教育=勉強せずとの卒業可能な学校教育などが進んでいる、自己が頑張らなくてはならない個の社会の進行の結果でしょう。
目立たない個では沈む一方の社会化です。
声なき声の主では敗者の世界に入る社会です。
ただ 皆さんは常識の持ち主で、人には迷惑をかけてはならないという日本人で、社会への不満はあるが全て自分の中で消化できる方々で、事件はめったに起きません。
注)2006年9月に埼玉熊谷市で起きたペルー人による連続殺人事件も似たような事件だったと思う。犯人はペルー人だったが、働いていたサラダ製造工場で,実兄がぺルーで大量殺人犯であることがばれた と勘違いして、会社を辞め、金品欲しさに近在に強盗殺人を繰り返した。移民難民が増えると、社会の不平等や格差に、そのままストレートに社会への反応(反抗)につながり、犯罪が頻発するように思います。背景にはまた日本語習得の難しさといった言葉の問題も挙げられるでしょうね。外国人に寛容な国民性が、逆効果となって、彼らを犯罪に駆り立てないといいのですが…
犯人の岩崎容疑者は、頑張った時もあったでしょうが、心の成長に支障をきたし、周りの応援もなく、社会で自己を確立できなかったのでしょう。格差社会はそれを増長したのでしょう。社会が悪いと、(一見)ハッピーな裕福そうな・将来が約束されそうな私立佼生徒をねたましく思ったのでしょうか?幸せの芽は摘んでやるとでも思ったのでしょうか?
岩崎容疑者の自殺は、己の動機は絶対に分からせまいとする 彼の社会への究極的な復讐でもあったのかも…
むなしいです…