さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

2月下Ⅲ

2006-02-26 06:35:13 | 時の花
温室
一輪に豊さを感じるのは
「蕾 開花 果実が揃っている」
からであろう 

日本のフィギュア界を米国西海岸の新聞は 
スターのいずるところと書いたとか 

「質 美 技」のフィギュアスケートはよかった  
教えられた
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2月下Ⅱ

2006-02-23 08:41:56 | 時の花
温室  
多くの物とエゴが 混雑する中で
「行き着くところは白」 
無垢 純心 無我と教えているのだろうか 

弱々しく咲いていました
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2月下Ⅰ

2006-02-21 08:23:13 | 時の花
温室 
寒い時は 熱い花が嬉しい 
燃え滾る原色は ジャングルのエネルギーを発散し 
もやもや感を晴らしてくれる 

寂しいオリンピックに フィギュアスケートの花が咲く 
このハイビスカスは誰だろう
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2006-02-19 16:23:43 | Weblog
 青竹踏みが流行ったことはありましたが、とうとう商店街に足のマッサージ・指圧店が出来ました。裕福になり、贅沢が増えた証なのでしょうか?ストレス社会となった為?指圧療法の進歩?靴のせいではないでしょうか?昔は給料に比べ靴は高く靴選びは勢い慎重でありました。デザインに由るチョイスも少なく、履き心地を繰り返し、間違いないものを確かめて買ったものです。今は、忙しく振舞わなければ世間が許さない風潮でしょうか、試し履きもそこそこで靴を買っています。靴の中で足が前後の動きマメや靴ずれが出来る、靴の型が崩れる、足が蒸れることが多いようです。靴が原因で血流を悪化させ、疲労やストレスだけにとどまらず膝・腰痛・頭痛・肩こりが引起されているようです。原因のはっきりしない眼疾患・難聴・蓄膿・頭痛・内臓疾患・冷え症・便秘・神経痛・精神障害などは血行障害のよるものだそうです。カロリーの消費だけではなく心臓の機能強化に血行等の循環系に良いとしてウォーキングが奨励されています。下駄箱に入りきれないほどの靴を持ちながら、結構靴を健康と結びつけて考えることは少ないようです。
 スーパー、百貨店にブランド店が繁盛し、商店街の靴屋さんが寂れたことからも、昨今の靴の情報はブランド、値段、デザインに偏っているといえましょう。街角に靴磨きの伯父さんはいなくなり、靴修理のチェーン店は、下手で高いこともあり、DIYか靴の履き捨を多くしました。日曜日の午前中、玄関前で一週間の靴の手入れをする近所のお父さんも見かけなくなりました。靴のうるさ方が周りから消えかけています。「靴売り場のチラシを頼りましょう」足によい靴の7つの条件は1)つま先は10mmのゆとりがあること。2)靴幅と足囲がぴったり合っていること。3)甲が圧迫されていないこと。4)前から三分の一で曲がること。5)踵がぴったりと合っていること。6)靴底は平らで安定していること。7)踝がハイカットに当っていないこと、とチラシにありました。脱線すると、社会人になり立ての頃、マーケティングとは何かを本で調べたら「やらなければならないことをやっていない、やってはいけないことをやっている。これをただし、やるべきことをやる、やってはいけないことはやらないことだ」とあったのを思い出します。靴選びがあまりにも平易で一般的で、マーティングとは何かとの答え同様、びっくりしました。これではますます、靴が合わずに巻き爪、タコ、水虫になった臭う足で、診療院や指圧に、相談に行き辛い。靴選びは、人を頼らずに、どうも自分で決めるほかないようです。
 お店での選択のキーワードは、時間、価格、靴紐、中敷でしょう。靴は左足だけではなく両足で履いてみて、歩き、しゃがみ、時間をかけてチラシの7か条を確かめる。試し履きが憚れるような雰囲気の店はよくありますが、そこでは買えませんね。出来ればベテラン店員がいる店がいい。履いている靴で、7か条で、ベテランかどうか分かります。靴の価格は品質と比例しますので、素材や工程に手抜きが多い安物は避け、手入れ甲斐のある高品質の靴がお奨めです。後々の治療費やマッサージ代を考えれば採算はとれます。足と靴の一体感に靴紐は欠かせません。靴履きも不精しないで、いちいち紐を結びなおしましょう。学校や職場、職種によっては靴が限定されます。デザインに拘りたい靴選びもあります。中敷でピッタリ感を確かめて靴と中敷を一緒に買うのも一法です。
 今、世界では、喫煙の例を持ち出すまでもなく、健康管理をビジネス上の信頼関係のベースに置く人たちが結構います。よくホテルのボーイは客の靴を見てチップの高を当てるといいますが、50代のビジネスマンの半数は仕事相手の靴を先ず見るとの統計があります。欧州では東洋人でも日本人は直ぐ分かるといわれています。眼鏡やカメラによってではなく着ているものの質が違うからだといわれています。旅行には大変でもTPOを考え、履き替えの靴を持って行くなどして健康管理・指向でも日本人は違うといわれるようになりたいものです。健康のみならず仕事にも先入観を与えている靴です、少し気張って、半日ぐらいかけて靴を買いに行くのはどうでしょう。
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2月中Ⅲ

2006-02-17 07:47:43 | 時の花
公園
梅の蕾が膨らんで 一雨ごとに暖かくなる頃 
「スタートラインについて よーい」の声が 
聞こえてくる 

梅の蕾の 一つ一つに 様々なスタートが 
新たな思いが 香ってくる 
蕾から 人生のピークは「常に明日にある」と 
聞こえてくる 

梅は近くで観るほうが好い
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2月中Ⅱ

2006-02-15 08:13:37 | 時の花
温室
うつむき加減で 陰影を歩いていると 
鋭い剣が きらりと光る 
怒りの矛先は 「嘘が多過ぎる」 
アラー エホバ 仏陀の 手の届かないところは  
「剣しかないのだろうか」 
花の写真を撮り忘れ また温室に入りなおす
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2月中Ⅰ

2006-02-14 08:23:32 | 時の花
出窓
窓越しの眺めを見飽きたのだろう 
今日は部屋の方を向いて TVをみている
オリンピック選手のカラフルさに
「勝った 負けた」と歓声上げている
音量を下げて彩りの好きな選手を応援する
「面白い!」
今日もチューリップと一緒にいよう
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マグⅡ

2006-02-13 08:24:48 | Weblog
 米国の会社のオフィスに入ると色々驚かされる。大部屋は大概、机ごとに背丈ほどの隔壁で仕切られている。個室を持っている社員も多い。足を机の上に投げ出して資料を読んだり、部下と話したり、電話を掛けたりしている。机の上には家族の写真とマグカップが置いてある。「Take it easy!」をよく連発している。
 足を机の上に置くのは気持ちいいこと、祖先がカウボーイであったこと?もあるだろうが、話し相手に「自分はリラックスし 腹蔵なく話している 信じなさい」とのメッセージを伝えているように思える。机を川の字につなぐ日本の事務所では、また、サムライ魂の日本人には不必要なメッセージで真似る人は少ないでしょう。日本でも家族の写真を懐に入れている人は増えましたが、米国人のように机の上に置いておく方はまだ少数派ですね。文化の違いもあるかも知れません。「Take it easy!」は「そんなにカリカリするなよ」と苛立っている時から「のんびりでいいのですよ」と余裕の時まで色々声色や調子で意味合いを使い分けている。言われている相手のリアクションより「Take it easy」と言う人間の心理状態が見えて面白い。日本では、効率とスピードの狭間で頑張る社員に「落ち着けよ」と声を掛けるのにあたるのだろうか?ベースとなっているプレッシャーが違うので、適訳はなかなかみつけにくい。米国人はマグを会議にも来客応接にも持ち歩く。渇きを癒すのもあるでしょうが、いつも冷えた薄いコーヒーを入れっぱなしにしているので「どんなプレシャーにあおうと 自分はマイ・ペースで行きますよ」と周囲に発するボディー・ランゲージの一つなのでしょう。
 日本の事務所も昨今変わってきました。決められた時間に決められた所で決められた事をするという受身役から、企画・交渉・管理など個々に成果を出す提案型の仕事に変わってきました。業務中の気分転換は奨励され、他人に迷惑をかけない条件で、飲食も、フレックス・タイム同様に認められるようになった一方、気楽なサラリーマンの代表的な存在であった事務職は結果を出し続けるという厳しい職場に変わりつつあります。大袈裟に言えば、昇給か退職のリスクを抱えてノルマをこなす米国の事務職・管理職の緊迫感は、そのうち遅かれ早かれ、適訳のない「Take it easy」とともに、日本の事務所に次々と上陸するでしょう。マグを持ち歩き「Take it easy」で挨拶する社内で、漸く成果主義が実を結ぶようになります。脱線ですが、公務員の間で「Take it easy」が使い始められるまで日本の再生はお預けのような気がします。どうでしょう?
 2月14日のバレンタイン・デーは聖バレンタインの殉教記念日で、恋人たちが愛を告白できる日とされ、キリスト教徒の多い米国、欧州では男女間でカードを、簡単なお花を交換しています。日本では、告白は女性から男性への一方通行、気持ちはチョコレートで、義理チョコも可と独特の記念日となりました。色々な意見はあるようですが、すばらしい行事日になったと思います。ただ、義理チョコは生かすにせよ(昔チョコレートを社員から貰って女房に自慢できた、今も、義理チョコの獲得個数は多くの家庭内におけるお父さんの面目のバロメーターとなっているのではないでしょうか)、本命にはもう少し気持ちのこもったものが贈られていいように感じます。何を言いたいか、そう「マグを贈ったらどうだろう」。
 如何に独身といえども、会社や仕事上の良し悪しはオフタイムの感情につながる。仕事が上手く捗れば家庭や私生活は楽しいものだ。一部のワークホリックの人たちや日本人だけの現象ではなく世界中、共通です。恋する人の仕事をも応援する本心を、そして喜びを分かちあいたい思いを伝えることでバレンタイン・デーが更に生きませんか?家庭内のマグのプレゼントは勤労感謝の日の方がよいかもしれませんが、恋人間のマグのプレゼントはバレンタイン・デーがいいと思う。色々な会社で今、業務改革中である。マグがどんどん事務机に普及している。マグのプレゼント効果は今がチャンスです。陶器用の粘土なら日本に沢山あるし地場産業の振興になる、値段は手ごろ、ましてや土もののマグにはぬくもりがある。大き目のどっしりした陶器のマグを贈りなさい。きっと使ってくれるでしょう。

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マグⅠ

2006-02-12 09:43:19 | Weblog
 年を取ると、我慢することが多くなる。わたしの場合は若い時の反省からきている。大概の我慢は吉と出るが、水分補給を我慢するのはよくないようだ。何よりも血圧を上昇させる。「喉が乾いた 茶の間に行こう」が「あと1時間もすれば夕食の時間だ 我慢しよう」、外出先では「ペットボトルの口のみはみっともないし 喫茶店は高い 家まで我慢しよう」となってしまう。手の甲に、また、首に皺が増えたのは水分を摂り足らないせいだろうか?最近、外出にはスポーツドリンクを薄めたものを持ち歩き、机の上には魔法瓶とマグカップを置き、ウーロン茶を飲んで入る。パソコン、読書の合間に、熱いウーロン茶のマグを両手で包むと、手先は温まるし、間食が少なくなって食事が美味しくなった。皺はとれないが「また 地震か」と錯覚する立眩みに眩暈は少なくなった。切っ掛けは戸棚の奥にあった、胴に白馬八方尾根と書いてあるマグを見つけたことだ。「鉛筆立にも使えない」と手にとってみると、意外に両手にすっぽりとおさまった。また、一寸やそっとのことではひっくり返えりそうにない、どっしりとしたこの大きめのマグは、今は机の上で、水に弱いキーボードと相性がとてもよい。
 植木鉢などの素焼きを除くと、身の回りにある焼き物は、せっ器、陶器、磁器にボーンチャイナに分かれるという。せっ器は粘土と陶土とを合わせ焼きしたもので、備前・丹波・信楽・瀬戸焼き等がそうだ。当家では焼き魚や刺身の盛り付け皿に使っている。粘土の粒子が粗く、吸水性があるため釉薬を掛け、表面をガラス状の膜で覆ったのが、俗称、土ものという陶器だそうだ。家内の大半の食器は陶器である。磁器は石英・カオリンなどを含む粘土を高温で焼いた薄手の石もので、客用のティーカップセット等がそうだ。ボーンチャイナは牛の骨灰を混ぜて焼いた軟質磁器で、英国の食器に多い。今までボーンチャイナと磁器は同じものと思っていました。陶器と磁器との見立てに「磁器には牛の骨が入っている」などと知ったかぶりをしていたのです。恥と反省です。脱線を続けると、人生の節目、節目に、例えば、自転車を買ってもらったとき、自動車を購入したとき、退職したときに自分の図書館をもつというのはどうだろう?恥をかくことが無くなるというより、また、何か徳をするということより、気持ちの整理が出来る、興味の範囲を広げることが出来るという事で、食べもののような次ステージへの滋養となること請け合いだ。ネット検索もよいが、知識の重層的な検索が可能な図書館にはまだかなわないと思う。ボーンチャイナと磁器の違いも図書館でふと手にした写真集に出ていました。
 先日、店頭で、ブルー・オニオンに惹きつけられ、マイセンのマグを手にとってみました。この文様の起こりは、300年ほど前、ざくろを知らないドイツの絵付匠が中国のざくろの文様を、玉ねぎを見ながら描いたものだといわれていますが、この文様には‘ざくろ’の他に、桃、竹、菊もデフォルメされているので、かなり脚色された小話なのでしょう。しかし、考え過ぎでしょうか、この文様に、東西デザインの違和感なき融合とロイヤルな雰囲気にUFOの世界が衝突したところが見えてきます。ユビキタスな文様だといつも感心しています。文様はよかったのですが、マグの取っ手はごつごつで小さく、口縁もうすく薄情もので、石もののマイセンマグには興ざめでした。
 身近に置くマグは、見かけや値段より、あたりが優しく、どこか温かみと安定感のある土もの、陶器が良いようです。人によって多少の違いはあるのでしょうが、身近に置いておきたいものには、共通するものがあるようです。丸み温かみのあるもの、気の置けないもの...そう「特別でないもの」が解のようですが、どうでしょう。消費社会を否定するものではありませんが、身の回りには、既に、生活に潤いを与えてくれるものが結構ありそうです。無意識に揃えていたものもあるでしょう。特別なものではないから、身近にあっても目立たない、また、奥に仕舞い込まれているかも知れません。買物をする度に、何か落ち着かない気分になったのは「余分なものを求めていませんか?」との声を聞いていたからに違いありません。試しに、今日から、押入れ、物置、箪笥に状差しを探してみよう。先ず、マグでお茶を飲んでどこから始めるか考えてみよう...

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2月上Ⅲ

2006-02-05 09:58:06 | 時の花
花屋さん
近くのナイトクラブに配達される花束のようです
目鼻立ちははっきりしているが視線と言葉に意味が無い
クラブには 会社でも自宅にも無い 逃避と虚無の世界がある
組織と効率とを両立させて 黙々と働き続けるのは 世界に日本人だけである
人間関係が 自分が 成り立たなくなって 一休みするところ
パチンコ 立ち飲み カラオケ...ナイトクラブは日本でしか理解されない空間だ 
「今日は君の出番だ 暗い微笑が必要だ」

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