空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

役割がすめば関係なし

2018年09月17日 12時08分30秒 | 思考試行

いろいろやるべきことをやってきた。当たり前のこととして、自己犠牲的なつもりもあった。直接的に「恩恵」を受けていると思っているだろうなあ、と幾ばくかの期待もあったと言えばそのとおりである。

だが、事実は、都合よく動く、たんなる便利屋であり、感謝などとは程遠い、その正反対の侮蔑であり、侮りであり、手下であり、なんだか「けむたい誇り高い兄」に過ぎなかった。

およそ、すべての仕事が終わり、仕事が終わったときには、沈黙にもどり、接触すれば、あなどりの言葉、態度しかでてこない。妻は、不意に、ときどき思い出しては、悔し涙をぶつけてくる。「私たちのしてきたことはなんだったのか。」

実際のところ、そんなもんだろうという予想はあった。今まで、こちらがなにをしようが、およそ反応がなく、自分たちの利益関係には敏感だが、そのための下仕事などには、まったく関心がない。誰かやる人がいて、黙ってやってくれているのなら、やらせておけばいいじゃない、果実はしっかり受け取るよ、という調子であったから、予測はしていた。

予測があたって、さっぱりしている側面がある。付き合いを求めようという気持ちは、当方にはない。もはや、守り続けてきた家の墓に、はいるつもりもない。彼らには、なんの期待もしない、してもそんなものは無駄だし、すがりついたとしても振り払われるのが、目にみえている。

だが、逆に、しれっと救いを求められたりしたら、やはりできるところで助けてやろうと思っているところが、残っているようで、それは、あわれな長男意識であろうか。

結局、兄弟は他人の始まり、ということだ。そうされる理由があれば、仕方がないが、事実は逆である。そこが、残念といえば残念だが、関われば、今度はケアするばかりとなるのみだからと、彼らには、先が見えているのだろう。

 


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