空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

偏見と自信

2019年04月20日 21時38分21秒 | 思考試行

 意見を持つことは、一人の人間として、持たねばならないことだと思う。誰かの受け売りであるとか、誰かが言うから、というのではなく、自分なりの価値観の体系のなかで、自身の意見をもつことが必須だと思う。

 そうはいっても、そう簡単に自信をもって、これが自分の意見だと言い切れる人は、少ないのかもしれない。どこかで刷り込まれた価値観が、自分が苦労して到達した意見だと思い込むこともあるかもしれない。

 戦前の日本、今なら、とても考えられないほど無謀な戦争に突っ込んでいったわけだが、国民世論は、戦争やむなしの傾向が多数だったと言われている。大多数が反対であったにも関わらず、戦争に突入してしまったということではなかったようだ。

 本音は、誰も戦争なんか望んではいなかったけれども、お上がそういうなら、また、反対すれば、直ちにひどい処罰をうけるので、従うしかない、という可能性もあるが、恐れる気持ちばかりではなく、お上がやることには、表立って反対することはなかったように思われる。

 反対勢力は、あって、反対運動はあったけれども、徹底的な弾圧にあって、少なくとも一般国民には、その姿は目にすることはなかったことは、明らかである。

 今はどうだろうか。戦前ほど、言論弾圧はできない建前にはなっている。だが、けっこう「アカ」攻撃は厳然としてあり、アタマから共産党は、別扱いとして、排除して当然という空気がある。相当のリベラル派でなければ、「常識的」に共産党は排除して考えている。

 入社試験で、共産党支持だなんて言えば、不採用間違いなしだろう。だが、この現状に対して不思議とは思わない風潮がある。合理的に、共産党を排除することは、おそらくできないと思われるし、現に自民党であっても、リベラルな人々は、必ずしも反共ではない。しかし、共産党が権力を握れば、本当に自由な経済活動、思想信条の自由が保たてるかどうか、危惧を抱いている人もいるだろう。

 共産党のなかで、委員長の選挙が、対立関係があって、行われることはないし、党内衆目の一致するところで、最高権力者が決まっているところに、その大きな原因があると思われる。

 だが、党内権力を持ち続け、指導者として君臨することは、全組織を束ねて活力をもって動かすのだから、大変なことであり、仲間内では、お互い顔を見合わせれば、選挙などするまでもなく、自ずと決まるものかもしれない。

 今のところ、人間の性質として、組織がどんなに大きくなろうとも、結局のところ誰か一人の「親分」が必要なのだろうか。どうも、人間の知恵が、こんごどのように進み、共生していくための合理的な仕組みを作り出せるのかどうか、わからないけれども、安易にこうでなければならぬ、といえば、そこですでに間違いなのかもしれない。

 もっと悩まなければならないし、自信満々で、なにかものをいう者ほど、将来のあるべき人間社会にとって、警戒すべき対象に人物かもしれない。


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