世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ヤッパリ旅が好き

2012年08月15日 | 
落ち込むときはトコトン落ち込んでみる。

フッと一人になった時、

自然の中に身置いた時、


なぜか涙がこぼれてくる。


親しい人の顔、

懐かしい人の顔、

愛する人の顔、

愛した人の顔、

今、自分を取り巻くいろんな人の顔。

浮かんでは消え、いっそう涙を誘う。


今まで生きてきた

ここまで生きてきた自分を振り返り


やってきた醜さに顔を覆いたくなる。

一方、自分を褒めてやりたい気にもなる。


功罪があざなえる縄のように交錯する。


そういう男(オヤジ)心を察してか

いろんなコメントを戴いた。


一つ一つお返事する言葉も気力もありませんでした。

この場を借りてお詫びします。

皆様のお心遣い深く感謝しております。



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走りっぱなしだった。

ふと立ち止まった時、ブワーッと不安が押し寄せてきた。

考え込んでしまった。


何もかも投げ捨てたくなった。

しがらみから解放された自分を想うと

怖くもあり、ホッとする気持ちもあった。


人のため、世のためなんて大それたことは言うまい。

愛する人のためだって、

本当に愛する人はいるのか。


愛してくれる人がいなかったら辛いが、

誰も愛することができなくなったらもっと辛い。

地獄だ。


人は、愛する人がいればどんなことだってできる。

命を懸けて守りたい人がいれば、何でもできる。


今、その対象を失った。


恋は星の数ほどしてきたけれど、

果たしてどれだけの人を愛したのだろうか。



旅立つボクを泣きながら見送ってくれた君。

旅立つ君を唇を噛みしめながら見送ったあの頃。


そんなことが何度繰り返されてきただろうか。


ボクは、旅を諦めない。

だから、これからも繰り返されるだろう。



旅の空に想像を膨らませる時、

ボクの気持ちは華やぐ。


ボクは旅を諦めない。

ボクとともに歩む人は果たしてこの世界にいるのだろうか。



「旅道楽」 と嘲笑されようとも

たとえ 「旅道落」 になろうとも

ボクには旅を続けるしか道はない。


旅に生き、

旅に死す。


これがボクの生きる道。


さあ、また振り出しだ。

未知の世界を求めて道をゆく。


たとえすべてを失ったとしても

そしてそれが同じことの繰り返しでも、

いつか来た道をまた進もう。

体も心も壊れていく

2012年08月14日 | 健康
朝起きると激しい頭痛に襲われた。

ゆっくり眠ったつもりだったのに。

寝覚めはそんなに悪くはなかったのに、

頭だけがガンガンと痛い。

熱はないようだ。


一週間ほど前から夏風邪を引いてしまって咳が止まらない。

そのせいかもしれない。



だが問題なのは心の状態のようだ。

何かにつけ焦りを感じる。



自分の周囲で起きる数々の問題に対処してきた。

が、思うようにならないことが山積している。


自分の不甲斐なさに愛想が尽きる。



突っ走ってきた。

休養と栄養が十分に取れていないことは自覚している。


それ以上に心のバランスが壊れ

平静さが失われている。



なぜか。

たぶん自分の処理能力を超える情報がインプットされ、

シナプスがショートしているのだろう。


早い話が過労なのかもしれない。


苦労性、取り越し苦労、

じっとしていられない多動性障害、などなど。


勝手に自己診断するのは危険だが、

今はやりの心療内科に行ったところで


休養を求められ、

精神鎮静剤を飲まされるだけだろう。


睡眠薬同様、鎮静剤は依存症へと発展する。

最初は治療用と思って服用していても

やがて身体的・精神的依存が発生する。

依存しだすと、不安・不眠・死亡といった離脱症状を起こすことになる。


精神的依存になると関数的に薬を必要とするようになる。

だから

パニック障害、不安障害、ストレス障害(PTSD、急性ストレス障害)などと診断された多くの患者は

薬を手放すことができなくなる。



もう一つ現代病として思い当たるのは

インターネット依存症だ。


携帯(スマホ)やPC(タブレット)といったツールを片時も手放せなくなる。

ないと不安になる。


メールやSNSへの対応も強迫観念となって現れる。


この2日間、

夜は敢えてオフラインにしてみた。


続きはまた明日。

自殺願望

2012年08月13日 | 苦境
ときどきフーッと死んでしまいたいと考える時がある。

絶望感に襲われた時だ。


死んだら楽だろうナー、と思う。


だが自分から死ぬ勇気(?)も度胸もない。


脳梗塞や心臓発作でコロリといけばいいのにと思うこともある。

オヤジがそうだった。

中途半端に身障者にはなりたくない。


贅沢で自分勝手なことは分かっている。

そんなにうまく人生は出来ていないからだ。



まだまだやりたいことは山ほどある。

だからといって、どこまで生きても尽きないだろう。


ならばこの辺が潮時かもしれない。

ここまでずいぶんいろんなことをやってきたし。


いつでも覚悟は出来ている。



人生に疲れた。

もう十分生きたのではないか。



西郷隆盛が自刃するとき言ったそうだ。

「もうよかでごわす」

ホントかウソかはどうでもいい。

自分の信念に従い、戦ってやり切った男が最後に吐いたセリフだ。


分かる気がする。

そんな心境なのだ。


もう十分やった。

この辺でよかろう。


静かに眠りたい。


金銭的には保険で帳消しになるし

少しはお金も残るだろう。


そうした面では迷惑は掛からないはずだ。

むしろ喜んでくれるかもしれない。


子供たちも3人ともしっかり独り立ちしてくれた。

皆誇りに思っている。


これ以上の幸せはない。

幸せな人生だったと心から思う。


だから


もういい。


この辺で、もうイイ。




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時には弱音をはこう。


強がって、いきがって、肩ひじ張って

格好つけて、良い人ぶって生きたって


疲れるだけだ。

ストレスになるだけだ。


誰だって弱味は見せたがらない。

短所を隠そうとする。


自己啓発書では

強味を探そうとか、長所を列挙しようなどと鼓舞する。


自分に正直になればなるほど、

素直になればなるほど弱気が顔をのぞかせる。


お酒を飲んで愚痴るのも、

人の悪口を言うのも、

自虐的に語るのも弱気の表れだろう。


時にはそれでイイではないか。


どんな強うそうに見える人間でも弱点はある。

そしてそれは時とともに変化する。

同時に歳と伴にも変わる。


時代という見方もできるだろう。



今が戦国時代だったらどうだろうか。

江戸時代だったら?

幕末、維新だったら?


あるいは、縄文時代ならどうだ。

あるいはまた、未来なら?



ボクは戦後っ子だ。

戦争を知らない子供たちとしてこの世に生を受けた。


だが、学生運動に加担し、

ベトナム戦争を身近に感じ、

高度成長の恩恵を受けて育った。


夢と希望だけで青春時代を乗り切った。


ある意味団塊の世代は逃げ切り組を称されるが、

そうは問屋が許さない。


ここへ来て年金の恩恵にはさほどありつけず、

社会保障への負担は増えた。



だが、団塊ジュニアやゆとり世代と呼ばれる青年たちや

これからの子供たちにどういう未来が待ち受けるのか。


戦争はおろか、ストやデモすら知らない。

アフガンやシリアをどう感じ、どう見ているのだろうか。



不安と不信が渦巻く中

今のに日本人は意外や意外、不満はさほどないという。


先のことは考えられない、考えたくないといったところか。



心を病み、

社会不適合者がゾンビのように町をうろついている。


自殺者は一向に減る気配がない。


それでも世の大半の声は

「強く生きよ」と叱咤激励する。


疲れないわけがない。


現代は、

疲れ切った体と心に鞭を打ってでも

生きていかなければならない生き地獄なのだろうか。


緊張の糸を緩める暇(いとま)もなければ、

いずれはプッツンと切れるのを待つしかない。


死にたい気持ちにもなるもんだ。

ターニングポイント

2012年08月12日 | 人生
今、人生のターニングポイントを迎えている予感がする。


なぜなら、今大きな試練を迎えているからだ。

試練こそがターニングポイントの予兆なのだ。


辞書には、ターニングポイントとは、変わり目、転換期と訳してある。





人は死ぬまで

幾度かのターニングポイントを迎えるものだ。

意識するかしないかにかかわらず。


また、ターニングポイントであったにもかかわらず、

そのままスルーしてしまうこともある。


それは、変化を恐れ現状に固執してしまったために

その時期を逃してしまうのだ。



自分の人生の変わり目を素早く悟り、

どう変えるかを素早く判断することが必要だ。


判断を誤ると、思わぬ方向へと人生を導くことになる。



素早い判断と、揺るぎない決断、

そして、力強い行動へと繋げなければならない。




ターニングポイントとは

言葉を変えれば


人生のチャンスと言える。


表面的には

挫折感や喪失感の方が強いかもしれない。



失うことの恐怖から人は身を守ろうとする。

命はその最たるものだが

財産や愛する人もそうだ。


だが最も大切なもの、それに匹敵するも物を失うことこそ

ターニングポイントに当たる。



人生のターニングポイントとは

また、喪失と呼べるだろう。


あるいは、絶望の淵に追いやるものかもしれない。


変わりたくない、変えたくないとこだわり続けるところに

成長はない。



成長には必ず変化が伴う。

変化なき所に成長はない。


そしてその変化はチャレンジの先にしかない。



自分の人生のターニングポイントについて少し落ち着いて考えてみたい。


夏バテ気味なのだろう。

筆が思うように進まない。

ボクの読書術

2012年08月11日 | 
本の書評を読むのが好きだ。


結構内容の本質に触れていてそれだけでも面白い。





読書は学生時代から嫌いだった。

じっと座って読む作業が苦痛だったのだ。


ある意味多動性障害かもしれない。

旅好きがそれを物語る。




本は買えば荷物が多くなるだけだ。

電子書籍もなんだかかったるい。


書評と目次で内容を推測するだけで十分。



最低週一回以上は書店に立ち寄る。

気になった本はそこで立ち読みする。


ナンチャッテ速読で一冊を読み切ることだってある。




amazonには「なか身検索」などがあったりして

さわりだけでも読むことができる。


それだけで十分と思わせる本が巷にあふれている。


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今の世は

金をかけようと思えばいくらでもかけられるが、

反対に、ただで済ませようと思えばこれまた可能な時代である。


発想と工夫で世渡りができる、便利な時代ののだ。



浅く広くの時代。

深入りするとロクなことにはならない。


さわりだけで後の内容は想像できる。


おさわりもそう。

深入りすると命取りになることだってある。


度が過ぎると犯罪になる。


あくまでも想像力を働かせよう。

それでも僕は諦めない

2012年08月10日 | 出版
オリンピックたけなわである。


敗者とは勝負に負けたものではない。

最初から勝負に挑まなかったものをいう。

挑んで負けて、そこで放棄したものもまた敗者となる。


勝つまで諦めなければ、

そして挑み続ければ決して敗者にはならない。



勝負の相手は他人には限らない、

自分自身である。


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出版プロデューサーと企画書作りのやり取りをして一か月余り。


これまでダメ出しが続いていたが

もうこれ以上の添削は無駄だと

とうとうさじを投げられてしまった。



週一ペースで、わずか5回目のやり取りでだ。



彼の返事の内容は以下の通り


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一回目

カフェを開業したい人は、思考法を身につけようとは思いませんよ。
あと、企画概要は目次案ではありません。
勉強会で説明した内容をお書きください。

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二回目


タイトルですが、日本語的におかしくないですか?
また、“カフェで起業する方法”で買う気になりますか?
私はなりません。

企画概要ですが、一文が長すぎて、読んでも意味が分かりません。
もう少し、分かりやすく書き直してください。

企画概要後半の内容から、本書の内容とタイトルが不一致しているように読み取れるのですが、大丈夫でしょうか?
カフェの開業本に“アイデアはどこから生まれたか”っていりますか?

プロフィールは、カフェ開業に関係ないことは書かなくても構いませんよ。

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三回目

企画を大幅に変更する場合は、添削の対象外になります。
勉強会で詰めたことの意味が無くなってしまいますから…。
なので、今回は簡単に添削だけします。

起業したいと思う人って、何を考えているのでしょうか?
その人たちに、このタイトルは響きますか?

あと企画概要を読む限り、起業に関するどんなノウハウが書かれるのかが、全く分かりません。

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四回目

まず、タイトルですが、ますます難しくなってますよ~
仕事を終え、年金暮らしの人たちに「仕事も家庭も綱渡り」という人生に魅力を感じると思いますか?

相変わらず、企画概要から内容が全く分かりません。
これ、自己啓発系の企画ですか?
だとすると、それなりの知名度がないと買ってもらえませんよ~

しかも、“人生の後半を積極的に楽しむ術”と“世界60か国を旅して学んだ独自の方法”の関係性も分からないし…。
“仕事や家庭において波乱万丈の人生”の人が“インターナショナルカフェを起業”することが凄いのでしょうか?
“インターナショナルカフェを起業”した人の“人生の後半を積極的に楽しむ術”を聞きたいのかどうか…。

たんに、自分のウリをつなげて突っ込んだイメージしか持てません。

まずは、しっかりと読者ターゲットから設定してください。
でないと、何度やっても意味がありませんよ。


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そして今回、五回目

企画書を拝見したのですが…ちょっとヒドイですよ。
一応、こちらは真剣に添削しておりますので、このレベルの完成度で送られるのは心外です。

タイトルについても、何度も書いたように、誰が読むのか全く分かりません。
そもそもシニアビジネスって何ですか?

企画概要については、論外ですね。
ちゃんと勉強会で説明した体裁で書いてください。
読んでも、何が書かれているのか、全く想像できませんし…。

ということで、大変申し訳ございませんが、これ以上の添削は無駄だと思います。



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ウーン、かなり手厳しい。

というかほとんど見捨てられてしまった。


だが、これぐらいで諦めるわけにはいかない。

せっかく1万円払って受けた『出版企画書の作り方』だ。


講師のY氏は、

最後まで責任を持って企画書仕上げます、と断言した。


彼はビジネス書に特化した書籍を売り出すことが専門である。


その筋で彼は売れっ子(?)出版コンサルである。

確かに彼が手がけた企画書から次々と(?)ビジネス本が生まれている。


彼はそのことで自信と誇りを持っている。



そんな彼に突き放されても食らいついていかなければ

並大抵では頓挫してしまう。



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ダメだしされると、確かに凹む。

かなり落ち込む。


同時に、ムカッとしたり、カチンときたりもする。



もう俺はダメなのか、

やっぱり俺には才能がないのか、

やっても無駄なのか、などなどと。



だが、改良の余地は必ずある。


逆切れしたり

こちらから投げ出してしまったらもうそれでお仕舞である。


この野郎と思うと同時に

ダメ出し、突き離しをありがたく受け止めて

もっともっと精進しなければならない。


ベストセラーはおろか、

その入り口である出版さえできない。


そしてそのまた入口である企画書で躓いているザマだ。


単に本を出すためだけの企画ではない。

これは、売るための企画なのだ。


生半可でできる代物でないことは分かっている。



確かに自分には才能がないのかもしれない。

だが、ないなら必死に磨いて身につければイイ。



最初から天才的才能がある人などほとんどいない。

すべては努力に努力を積み重ねた結果なのだ。


しかも、諦めずに。



道のりは果てしなく長い。

なのにまだその入り口にも達していない。


苦悩は続く。

それは生きている限り治まることはない。



道程が険しければ険しいほど

苦しみが大きければ大きいほど

達した時の感慨は大きい。


その舞台に立つ自分の姿をはっきりとイメージして

ただひたすらに前に進むのみ。


足元を踏みしめつつ、輝かしい未来を見つめながら。

若者はこうして潰れていく!?

2012年08月09日 | 人生
正社員をわずか2か月余りで投げ出した少年の話を書いた。

高卒で東京の中堅会社に見事入社できたというのにだ。


せっかく与えられた社宅からも逃げ出し、

東京の同郷の友達の下宿に転がり込んだ。



その彼をボクは東京に訪ねた。

会社を辞めて2週間ほどたつのにまだブラブラとしていた。


仕事先を探しているという。

だが真剣味が伝わってこない。


その間、故郷にいる母親への無心は続いている。


飯を喰っていないという彼に

ボクの東京の友人と引き合わせて一緒に飯を喰った。


東京には時給のいい仕事が転がっている。

犯罪にならないことなら何でもやれ。


稼ぎのいいアルバイトを転々として

金を貯めろ、とアドバイス(?)した。


日給8,000円以上だと25日働けば月20万以上にはなる。

社会保障はない代わり、税金も掛からない(ホントはかかるが)から

まるまる手取りになる。


一年以上は続けて年に100万円貯めろ。

そして、いろんな職種で社会経験と勉強をしろ。


それまで故郷には帰るな、と。



彼は飯をがつがつ喰いながら目を輝かせて聞いていた。

至って素直なのだ。

非常にイイ子なのだ。


ただ肝心な実行力がない。

ことの深刻さが分かっていない。


今日中に仕事を捜して明日から働けと言って別れた。


お母さんにお金をせびるのは辞めておけとも言った。


ボクの東京の友人は千円しか所持金がないという彼に5千円を手渡した。

ボクが必要ないといって止めるのも聞かずに。

東京の暮らしには金がかかるからな、とボクの友人はポツリと言った。



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それから約一か月がたつ。

その間、彼が辞めた(逃げ出した)会社からは

ボクのところにひっきりなしに電話が入ていた。

損害金を払えと。


ボクが彼の保証人になっているからだ。



彼に彼女ができたと風の便りに聞いた。

そして友人の下宿を引き払い、彼女のアパートに転がり込んでいるとも。



だがそれも長くは続かない。

はやばやと捨てられたらしい。


相変わらず仕事はしていないようだ。

金もないし、紐にもなり切れない。


東京で行き場を失った彼は、どうやら郷里に帰って来るようだ。

母親の元ではない。

今度は郷里の友人のところに転がり込むらしい。


母親は帰ってきても家に入れない、といってうっすらと涙を浮かべた。



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郷里に帰ってきてもどうせ同じことを繰り返すのだろう。

先々犯罪に走らなければいいのだが。


彼は東京でも自転車を盗んでパクられている。


このまま彼は転がり落ちていくのだろうか。


ボクが彼に言って聞かせた最悪のシナリオ通りに

18歳の少年は素直(?)に進もうとしているのか。



まだ18歳?

それとも、もう18歳?


彼の人生はまだ長い。

まだこれからだ。

紆余曲折はあっていい。


時には人の道から外れることもある。

ボクもそうだった。


みんなそうして大人になっていくのだから。


ただし、取り返しのつかないことだけしなければの話だが。




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親の子育ての最終目標は、子供を自立させることに尽きる。


試験の成績や習い事には熱心でも、

肝心の自立心(独立心)を育てることには関心が薄いようだ。



親が前面にしゃhさり出て子供をかばう気持ちはわかる。


ただ度を過ぎると、甘ったれただけの人間になってしまう。


時には「獅子の子落とし」と呼ばれる躾けも必要なのだ。

(注釈)獅子は我が子を谷底に投げ落とし、
はい上がることが出来た強い子だけを育てる、
という迷信から、
子供を立派に育てたければ楽をさせてはいけない、
苦難の道を歩ませよ というたとえ。




楽することを一度覚えた人間は

なかなか苦労を買って出ようとはしないものだ。


むしろモット楽へと流れがちになる。


これを母子家庭にありがちのことといって片づけていいものか。



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人には2種類ある。

仕事をしたがらない人間と

仕事をしていないと生きていけない人間だ。


よく仕事か家庭かなどと二者択一を迫るが、

ワークライフバランスという言葉が持て囃されるように

そのバランスが最も重要なのだ。


だが口で言うのは容易(たやす)いが

人間とは振り子のようにどちらかに揺れ動く生き物であるらしい。


家庭を失うのは悲惨だが、

仕事を失うのはもっと悲惨なのではないだろうか。


今その両方を失った人々がいかに多いことか。




大人は夢を諦めてはいけない。

人の親ならなおさらのことだ。



もう一つ、人は二種類に分けられる。

子供の頃の夢を先細りさせていく人間と


だんだん膨らませていく人間だ。


大半が前者だろう。


18歳の少年に「夢を持て、希望はある」と

どれだけの大人が言えるだろうか。



だから敢えてボクは言う。


夢を捨てるな。

希望を持て。

決して諦めるな
 と。


8月8日(水)のつぶやき

2012年08月09日 | 家族
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