世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

子供に仕事を

2012年08月08日 | 教育
子供にはできるだけ小さいうちから仕事をさせるべきだ。

習い事をさせる親は多いが


働くという意味、

お金の価値を教える親は少ない。


子供に苦労をさせたくないという気持ちはある。

だが、親がそう思えば思うほど子の苦労は募るばかりだろう。


甘やかすことをspoiledするという。


a spoiled person, especially a child, is rude and behaves badly
because they have always been given what they want
and allowed to do what they want:

Ben was aspoilt brat (=a spoiled and unpleasant child).

Their children werespoiled rotten (=very spoiled).

つまり欲しいものを何でもあげると

子供をダメにするという意味だ。




ボクは子供たちにお小遣いというものをやったことがない。

お年玉もしかり。


傍らにおいて家のことを手伝わせて、稼ぐことを覚えさせた。

働かなければ欲しいものは手に入らないことを教えた。


労働の価値をできるだけ小さいうちから教え込むのだ。


自営業でない限り

子供たちが働く親の姿を見ることは少ない。


むしろ親のリラックスしている姿を見る。


その時、飲んだくれているか、

インターネットやTVゲームに興じているかでは

子供も同じようになってしまう。


子供だけに、勉強しろといっても意味をなさない。


読書する姿とか、スポーツに汗を流すなど

出来れば子供十一緒に楽しむ姿が好ましい。


子供に言われるがままに小遣いを与え続ければ

子供は大人になってもせびるようになるだろう。


「いつまでもあるともうな親と金」とは金言だ。

ついでに

「いつまでもいると思うな女房と子供」 も付け加えておこう。




人間は本来ズボラな生き物だ。


出来るだけ楽をしようとする。

苦労を避けたがる。



だが本来人生とは苦行である。

避けて通れるものではない。


「若いうちは買ってでも苦労をしろ」というが、

買わなくても、若くなくても苦労は一生ついて回るものだ。



お金の苦労、

健康でいる苦労、

人間関係の苦労は子供のころから体験させておく方がいい。


親が臭いものには蓋ならぬ

苦労に蓋を被せてばかりでは

子供はいつまでも親離れできな。


そして親もまた然りである。





   ベトナムのノンラー(三角傘)を作る子供たち





ミサンガを売る少数民族の子供たち

飽くなき欲望

2012年08月07日 | 
旅から戻ったばかりだというのに

またすぐ旅に出たくなるのは何故だろう。



「旅して暮らす」


ライフワークというよりライフそのものだ。


ボクにとって旅が生活そのものであり

生きている証なのだ。



泊まることはしても止まることは出来ない。


留まることは出来ても滞ることは出来ない。


息をしばらく止めることができても

心臓を止めることは出来ないように。


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そもそも人は社会という矛盾の中に生きている。

そもそも人格は相反する二面性を持っている。


コインに表と裏があるようにすべての人間は二重人格である。

もしそうでないと言い切るのなら

それは気づいていないだけだ。


ウソだと思うなら

他人があなたのことをどうお思っているか調べてみれば分かる。

自分が思っていない自分を指摘されて戸惑うだろう。


つまり、自分が概ねイイ人だと思っていても必ずしも他人はそうは見ていないし

逆に、いくら自分を卑下してみたところで買ってくれている必ず人もいるもんだ。


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暮らし方にも二重生活(デュアルライフ)がふさわしい。

だから仕事も二重仕事(デュアルワーク)、つまり二に足のわらじが求められる。


グローバル社会においては

少なくとも二重言語(バイリンガル)でなければ生きづらい。


今や二重国籍を持つ人も少なくない。


二重(多重)債務や二重結婚はいただけないが。




人生どうせやり切って死ねるわけではない。

やれることはすべてやり尽くせる人生なんてありはしない。


悔いを残さない人生なんてあり得ない。


「我が人生悔いはなし」なんて格好つけて口では言ってみても

本当に悔いのない人生なんてつまらないものだ。


最初からあきらめの境地にあれば別だが。

悟りとは所詮あきらめの境地、諦観にすぎない。


つまり、煩悩(klesa)を捨て去るのだから。

煩悩のある限り、悔いは残る。


技術革新も煩悩のなせる技なのだ。

好奇心は煩悩のもとで起きる。


だからアメリカは火星探査機をキュオリオシティ(好奇心)と名付けた。

アメリカほど煩悩を持った国はない。


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やりたいことをやり、楽しむことこそ人生の目的である。

ただその対象が自分だけに向けられているうちは大成しない。


人に対して幸せを願い、

人の喜びを自らの喜びとできてこそ

真の幸せの境地に達するのである。



人のために尽くす喜びを知った時のみ

人は本当に幸せになれる。


所詮この世は二律背反性(antinomy)で成り立っている。


口では人のためと声高に言うものほど

往々にして自分のことしか考えていないものだ。


政治家を見れば分かる。


国民の生活が一番などという奴ほど

自分の生活が一番と考えている。



二重人格の典型だろう。


程度の差はあれ、多くの人が切歯扼腕して死んでいく。


いくらやりたいことをやったつもりでも

やり切ることなどできはしないのだ。



だから今、精いっぱいやれることをやり切る。


これから先世の中がよくなる保証はない。

むしろ、悪化するのではという不安を多くが抱えて今を生きている。


だが、現状にさしたる不満もない。

欲を言えばきりがないことを悟っているかのようだ。



そうして、今日も暑い一日が過ぎていく。

自分は今何をしようとしているのか。

自分は何がしたいのか。


そんなことより、今日一日をどう楽しく過ごそうかと考えてる。

この世にいる限り

煩悩から逃れることなどできやしない。



かくしてまた旅の空を夢見ている。


またまた支離滅裂

且つ、妙にニヒリスティックにアナーキスティックな内容になっていしまった。


今日の一枚


非自由な生活

2012年08月06日 | 
神様は

人それぞれの生き方をお与えになる。


自分の境遇を受け入れ

その中で精いっぱい可能性を追求しながら生きている。


それを前向きの人生という。




この10日間

全盲の老人と寝食を共にした。


24時間、ほとんど一緒にいた。



彼は2歳の時失明したという。

理由は語らなかった。


サングラスはかけない。

杖は持たない。


彼はボクの腕や肩につかまり歩く。

気をつけなければいけないのは

ぶつかる、つまずくことだ。


特に階段、人ごみ、狭い通路などなど。



そう意味では、ハノイは彼にとって試練の町だ。


社会は原則として強者のためにできている。


点字もなければ

横断歩道に鳥の鳴き声もない。


そもそも信号そのものが無いし

あってもその機能をほとんどはたしていない。


段差や溝は至る所にあり、

声や音は騒音にかき消される。


ベトナムでよく言われるのは

バイクの洪水の中をどうやって向こう側まで横断するかだ。




バイクの切れ目なんか構うことはない、

どんなにバイクが連なって来ようとも

一歩車道に踏み出せば

後は目をつぶってでも同じ歩調でゆっくり歩けばいいだけのことだ。


そこには、秩序なき秩序が存在する。



ボクはあえて彼をバイクの洪水に中に何度も置いてみた。

市場の中や旧市街を連れて回った。



ある人がボクに心無い言葉を放った。

如何して目が見えないのに観光なんかするのか。


ボクも思わないわけではない。


彼は景色のいいところに連れて行ってくれという。

一瞬無駄なようにも思えた。


風景を言葉で説明すると彼は満足そうに笑った。


目以外のすべての感覚を働かせている。

耳で、鼻で、舌で、指で。


特に音楽は気持ちを和ませるようだ。


だがさすがにハノイの旧市街の騒音だけには

長くは耐えられなかったようだ。


ひっきりなしになるクラクション、

飛び交う意味不明の会話と怒号、

物売りの呼び声、


狭い通路、人にぶつかり物を蹴飛ばす。



さすがに、タクシーを拾ってホテルに帰ろうと彼は弱音を吐いた。


高級ホテルにいて、

貸切バスで観光地を見て回るだけではその場に行ったことにはならない。


その土地の日常にの触れなければ暮らしを知ることは出来ない。


時間に追われ、制限され

いいとこどりの観光ツアーだけでは

その土地に来たことにはならない。


外国人、観光客仕様の料理だけに美味いと言っていくら舌鼓を打ったところで

上っ面をなでただけに過ぎない。



それは彼にとって良かったのか悪かったのかはわからない。

ただ、ボク流の流儀で彼をアテンドした。


そして、恙(つつが)なく旅程を終えることができた。

それが今回のボクのミッションだった。



彼は彼の境遇で精いっぱい人生を謳歌しようとしていた。

愚痴や文句はそれなりに吐いたが、

目が見えないという不便さのなかで生きていく覚悟はとうに決めている。


ここまで来るのに彼の苦労の人生をボクは知らない。




シリアに比べれば

何処に身を置いても天国だ。


なかでも日本ほどいい国はない。


矛盾や不合理は数多くあれど

それを認め受け入れる度量も必要なのだ。


ただ、不平不満ではなく改善の余地は多い。


そこには遠慮なく声を上げていこう。



五体満足というが

その上で何を求めるのか。



国の五体満足とは何か。

政治、経済、安心、安全、

そして幸せ度だろうか。


日本という国は五体満足ののか、否か。



国を知り、人を知る。


自分の人生の幅を広め、奥行きを作るには

旅ほどいいものはない。


今回の旅は

ボクに知らなかった世界をまた見せてくれた。


また一つ脱皮し、成長した自分がいた。



アー、

旅って、なんっていいんだろう!

ヘルシー料理は良いけれど

2012年08月05日 | 国際
またまた生きて帰ってきた。


無事ミッションを終えて。

事故も、けがも病気もなく。


悲しいかな

10日で4キロ太ってしまった。


ベトナム料理は全く美味いから。

飲んで、食って、食って飲んだ。





雨季だというのに

ピーカンと晴れて、陽射しが暑い。

余計にビールが進む。






今回は、

高級ホテルに泊まり、

食事はホテルのレストランや

今まで行ったことがに様な値の張るレストランが多かった。


   Cha Ca 料理専門店


   Sea food レストラン


     シーフードは特に美味い!



    普段はこういう道端ばかりで食っている




さらに今回は移動はすべてタクシー。


今までのハノイの旅では有り得なかった。

ほとんどバイクでの移動だったから。





太っても不思議ではない。


またすぐ元に戻るだろうが。

エスペラント世界大会閉幕

2012年08月04日 | 国際
1週間に渡った国際行事が幕を閉じた。






いろんな体験をさせてもらった。


エスペラントも初めてだし、

世界大会も初めてだし、


全盲の人のお世話も初めてだった。


15~6回目のベトナムだが

今まで知らなかったベトナムにも触れた気がした。


     こんなことも今までなかったし


その意味で充実した10日間であった。



最後に訪問団一同との会食を済ませて

今夜遅く帰国の途に就く。


盲人協会を訪ねて

2012年08月03日 | 国際
ベトナム盲人トレーニング・リハビリセンターを訪ねた。






ここには8年前、

JICAで1,000万円をかけてPCと点字プリンターを寄贈して

盲人のスキルアップに貢献した日本人がいた。


     PCと左側にあるのが点字プリンター


     プリントアウトされた点字







日本における盲人は約30万人。


ベトナムは倍の約60万人で、

そのうち半分の約30万人が子供だという。


これはベトナム戦争における枯葉剤の影響が強いといわれる。













       ブレードメモポケットとよばれる小型の点字用のメモ
        22~23万円するそうだ


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その日の夕食をごちそうになった。


   看板にある BIA HOI とは、生ビールのこと

余談だが

最初に覚えたベトナム語は、

「エモ~イ、ビア・ホイ!」 だった。


これは、「おねえちゃ~ん、生ビールちょうだい!」という言葉。

まあ、日本では「とりあえずビール」みたいなものだね。


何といっても何処の国に行っても、

ボクにとっては生きていくうえで最小限必要な言葉だから。



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よく「自分探しの旅」などといわれるが、


むしろ

「未知の世界探しの旅」 といった方がいい。


あるいは、出会いと巡り合う 「人探しの旅」といってもいいかもしれない。


ボクはまた未知の世界を知ることができた。


今のところ五体満足であるが

いつ自分自身も不自由な身になるか分からない。


日本には82か所の点字図書館があるという。


ベトナムには一か所もないらしい。

だから彼らは日本の力で何とか作ってほしいという。


そしてそれを実現しようとする日本人がいる。


彼らから

勇気をもらい、希望をもらい、エネルギーをもらった。


これらは日本だけに居ては感じなかったものだ。



未知の世界がある限り、

巡り合う人々がいる限り


旅を続けなければならない。


それによって自分は一つずつ成長していくのだから。


旅のもう一つの意義は

「成長の旅」 ともいえるだろう。


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おまけの写真


エスペラント語の実態

2012年08月02日 | 国際
エスペラントの世界大会も残すところ実質あと3日間となった。


毎日勉強会やイベント、ツアーなど、

さまざまに予定を組んで取り組んでいる。



そもそも人造語である。

母国を持たない。


それぞれの国で愛好家が練習するしかないのだ。


だからこそ一年に一回どこかの国で開かれる

アジア大会や世界大会が日ごろの勉強の成果の唯一の見せ場なのだろう。


だから、このグループ内では当然エスペラント語を公用語として使う。


だが、その程度も様々。

流暢な人から片言な人まで。


もともとネイティブなるものがいないのだから。



ツアーガイドのベトナム人も

英語とエスペラント語の二人体制で臨む。



参加国は62か国に上るが

ポーランドが発祥の地というだけあって

圧倒的にヨーロッパ勢が多い。



日本勢は総勢53名。

東日本勢が圧倒的で、西日本からはわずか9名だ。


意外と少ないのが中国人と韓国人、それにアメリカ人だ。

ツアバスの中でも一人としてお目にかからない。


だからか、静かでいい(?)。


ただ、なんとなく宗教団体っぽい雰囲気がして疎外感を感じてしまうのは

ボクがエスペラントをしゃべらないからなのだろうか。


もっぱら英語の通訳者と話すボクは異端扱いされているような気がしてしまう。



それもそのはずだ、

ボクはあくまでも全盲のエスぺランチストの介添え役なのだから。


その彼ももっぱら観光を楽しんでいる。



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この日も片道4時間半かけて、

一日山岳少数民族巡りを楽しんだ。


ラオスの国境近く。

ベトナムには50以上の少数民族が共存している。


内陸なので農業が主な産業なのだろうが

観光もうまく生かして日銭を稼ぐ。




      民族舞踊を堪能




      民族酒(どぶろく)を戴く
      竹をストローに飲むのだ



     可愛い子に魅せられてお土産もつい買ってしまう



雨季だというのに雨に当たることは少ない。

この日も、じりじりと太陽が刺す。


これも晴れ男の面目躍如といったところだろうか。


後は、暑さでのどを潤すため飲んで、飲んで、飲んで、



飲んで



飲んで



アー、満足!
   


最後は牛さんと仲良くなったヨ。


若さの源

2012年08月01日 | 国際
全盲の老人と過ごして1週間。

予定の半分が過ぎた。


強硬スケデュールにいささか疲れ気味だ。



エスペラントの会合というより

観光に重きを置いたスケデュールが組まれている。


ボクも今までに行ったことのないところが多い。


訪れる先は、寺院やお土産屋が多く少々辟易している。




夕食に久しぶり日本食屋に彼を連れて行った。

ボクも時々通うところだ。


スタッフはみんなベトナム人だが日本語をそこそこ話す。



外のバイクの洪水といい、

カラオケ、マッサージの若いスタッフに囲まれて

慣れるにつけ彼もはしゃぎだした。



盲学校の教員上がりで、

今までこうした環境は経験がなかったのだろう。


日本語ができるスタッフと陽気に会話を楽しんでいる。

そして、ついにメルアドまで聞き出した。




2歳の時に失明したという彼は

声からしか相手のイメージを計れない。


可愛い子といっても

どんな子がかわいいのかという基準が分からないという。

 
      ベトナム製日本酒? ベトナム酒だろう



そして、言った。

若くて可愛い子に興味を持つなんて考えもしなかった、と。


かじさんといると若返る、という。


そう、まだ老け込む歳じゃないですよ。

世界にはこんなエネルギッシュなところもあるんです。


もっと楽しみましょう!


今日も一日ツアーで山岳民族に会いに出かける。



彼にとっても新しい発見ができると嬉しい。