世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

飽くなき欲望

2012年08月07日 | 
旅から戻ったばかりだというのに

またすぐ旅に出たくなるのは何故だろう。



「旅して暮らす」


ライフワークというよりライフそのものだ。


ボクにとって旅が生活そのものであり

生きている証なのだ。



泊まることはしても止まることは出来ない。


留まることは出来ても滞ることは出来ない。


息をしばらく止めることができても

心臓を止めることは出来ないように。


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そもそも人は社会という矛盾の中に生きている。

そもそも人格は相反する二面性を持っている。


コインに表と裏があるようにすべての人間は二重人格である。

もしそうでないと言い切るのなら

それは気づいていないだけだ。


ウソだと思うなら

他人があなたのことをどうお思っているか調べてみれば分かる。

自分が思っていない自分を指摘されて戸惑うだろう。


つまり、自分が概ねイイ人だと思っていても必ずしも他人はそうは見ていないし

逆に、いくら自分を卑下してみたところで買ってくれている必ず人もいるもんだ。


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暮らし方にも二重生活(デュアルライフ)がふさわしい。

だから仕事も二重仕事(デュアルワーク)、つまり二に足のわらじが求められる。


グローバル社会においては

少なくとも二重言語(バイリンガル)でなければ生きづらい。


今や二重国籍を持つ人も少なくない。


二重(多重)債務や二重結婚はいただけないが。




人生どうせやり切って死ねるわけではない。

やれることはすべてやり尽くせる人生なんてありはしない。


悔いを残さない人生なんてあり得ない。


「我が人生悔いはなし」なんて格好つけて口では言ってみても

本当に悔いのない人生なんてつまらないものだ。


最初からあきらめの境地にあれば別だが。

悟りとは所詮あきらめの境地、諦観にすぎない。


つまり、煩悩(klesa)を捨て去るのだから。

煩悩のある限り、悔いは残る。


技術革新も煩悩のなせる技なのだ。

好奇心は煩悩のもとで起きる。


だからアメリカは火星探査機をキュオリオシティ(好奇心)と名付けた。

アメリカほど煩悩を持った国はない。


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やりたいことをやり、楽しむことこそ人生の目的である。

ただその対象が自分だけに向けられているうちは大成しない。


人に対して幸せを願い、

人の喜びを自らの喜びとできてこそ

真の幸せの境地に達するのである。



人のために尽くす喜びを知った時のみ

人は本当に幸せになれる。


所詮この世は二律背反性(antinomy)で成り立っている。


口では人のためと声高に言うものほど

往々にして自分のことしか考えていないものだ。


政治家を見れば分かる。


国民の生活が一番などという奴ほど

自分の生活が一番と考えている。



二重人格の典型だろう。


程度の差はあれ、多くの人が切歯扼腕して死んでいく。


いくらやりたいことをやったつもりでも

やり切ることなどできはしないのだ。



だから今、精いっぱいやれることをやり切る。


これから先世の中がよくなる保証はない。

むしろ、悪化するのではという不安を多くが抱えて今を生きている。


だが、現状にさしたる不満もない。

欲を言えばきりがないことを悟っているかのようだ。



そうして、今日も暑い一日が過ぎていく。

自分は今何をしようとしているのか。

自分は何がしたいのか。


そんなことより、今日一日をどう楽しく過ごそうかと考えてる。

この世にいる限り

煩悩から逃れることなどできやしない。



かくしてまた旅の空を夢見ている。


またまた支離滅裂

且つ、妙にニヒリスティックにアナーキスティックな内容になっていしまった。


今日の一枚