世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

生き方探し

2016年08月24日 | 100の力
足早に近づく秋の気配を感じながら

清々しい朝の庭を歩いてみた。

ふと肩を叩いてポトリと地面に落ちたものがある。

足元を見ると、小さな桃が転がっている。

見上げると、

庭先に咲く花桃の木がはまだいくつか実をつけたまま緑の葉の瑞々しさを保っていた。。



桃酒をつくろうと毎年のように思うが、

いつもそのタイミングを逃してしまう。


落ちる実もあれば、しぶとく枝にぶら下がっている実もある。



落ちて新しく芽を出すものもあるだろう。

枝の先で目を楽しませてくれるものもある。


果実もいろいろなら、人生も様々だ。

ジャッジするつもりは毛頭ない

ただ、

一つ事で人生を全うする人もいれば、

多種多彩な人生を送る人もいる。


一つの仕事、一人の配偶者で生涯を終える。

それは素晴らしい生き方だ。


だが、仕事も二転三転とし、配偶者もコロコロ変わる人生も捨てたもんじゃない。


不幸なのは、

生き甲斐とする仕事もなく、パートナーもいない人生だ。


夢が実現できないことが不幸ではない。

夢が持てないことが不幸なのだ。

例え夢が実現できなくても、

夢を追いかけることができるだけでも幸せなのではないだろうか。


どんな形であれ、

自分を生きたものはすべからく幸せなのだ。


結果はどうであれ、

最後まで生き切ったという達成感こそ、人生の最高峰を極めた者が味合う美酒なのだ。


どんなに世に言う成功を収めた人でも、

人知れず内面悩みを持つ人は多い。

むしろ世捨て人のほうが気が楽なのではないだろうかと思ってしまう。


人生の評価は、他人が決めるものではない。

自分が認め、満足すればそれでいい。

やりたいことをやり切った満足感は他人にはわからない。

最後はにやりと笑って死ねばいい。


肝心なことは、

いつ死んでもそうできる状態に自分を置いておくことだ。

我が人生に一片の悔いなし、と言えるように。


【追記】

人生は短い。

だが、その道は長く険しく曲がりくねっている。

そして、どんな生き方をしようが、人生は一度きり。

やり直すことも、引き返すこともできない。


陰の声

「それだけやりたいことやって、

言いたいこと言ってりゃ悔いもなかろう」

全くその通り。