世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

絶望の中の希望

2016年08月11日 | 100の力
希望とは、生命力である。


人は、希望を持つ限り生きられる。

どんな苦境の中にあっても、

どんな絶望の淵に立たされても、

希望さえ捨てなければ脱出できる。


不幸の神は暗い人に憑りつく。

いつも困った顔をしている人。

悲しい顔をしている人。

文句や愚痴ばっかり言って、険しい顔をしている人。


そういう人は、表情だけでなく、身体にも表れる。

姿勢。

下を向いてうなだれてる。

伏し目がち。


胸を張って、上を向う。

口角を上げて、いつもにこやかでいよう。

そしたら、

幸せの神様が来てくれる。


幸せだから笑うんじゃない。

笑うから幸せになるんだよ。

苦しい時こそ笑おうよ。



でも、正直なところ

日本や熊本のことを考えるとあまり希望が持てない。


ガンバロー!の掛け声はいい。

復興景気で一部賑わいは見せている。

だけど、冷静に考えるとやっぱり中長期で見て先行きよくない。

やっぱり、少子高齢は大きい。


そんな中で、どう生きるか。

これはもう価値観を変えるしかない。

今までの価値観、

例えば、経済至上主義、金物崇拝といった考えでは息詰まるということです。


絶望するのは欲があるからではないだろうか。

欲は、モノの豊かさ、便利さの享受には寄与してきた。

物欲に駆られて経済発展を成し遂げたという成功体験が日本人にはある。

そして、絶頂にまで達してしまった。


それなのに、まだ同じ階段を登ろうとしている。

坂の上の雲まで欲を出せば転落することは見えている。

階段を変えなければ雲の上までは行けないことに気付くべきである。

あるいは、まったく別の階段を作らなければならない。

いや、階段ではないかもしれない。

もう階段を上るのはやめにしてもいいだろう。


世界の山の頂を極めた者の行きつくところは何だろうか。

目もくれずただひたすら頂を目指す時代はもう終わったのだ。

周囲を見回し、くたびれた人、けがをしている人達に目を配り、

一緒に手を携えて山小屋を目指すのもいいだろう。

ビバークして羽を休めるのもいいだろう。

下山も選択肢の一つだ。


もう急がなくていい。

人を蹴落とし、人より先に着こうなどという競争心も必要ない。

今は、じっくり周囲を見まわして、

自分の状況と共にどこへ向かえばいいのかを見極める時代なのだ。


そうすればおのずと希望の灯りが見えてくる。


今までは、

みんな同じ方向に向いて進んできた。

これからは、一人一人が自分の光を見付け、

自分の道を一歩一歩進む時代なのだ。


ボクの希望の灯りは、

自分のこれまでの体験を活かして、

人の苦しみに寄り添うことだと知った。

助けるなどという想い上りはない。

ただそっと寄り添うことしかできないかもしれない。

そして、喜びと、悲しみ、

痛みと苦しみを分かちあう。


「人を生かし(活かし)、自分を生きる」と心得る。


希望を外に求める時代は終焉を遂げた。

一人一人の心の中に希望の灯は息づいている。

信じて、探すことだ。


あるときは一所に留まり、

あるときは、各地を旅する。

修行僧のように。