世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ボクは負けない I love ASO.

2016年08月18日 | 熊本地震
あの忌まわしい地震から4か月が過ぎた。

今尚1700人強の人が避難所で暮らしている。

9月半ば、あと一か月でその避難所のすべてが閉鎖されるという。

行き場を失った人はどうするのか。


未だブルーシートのかかる家は多い。

傾いたままの家、

台風が来たらどうなるのだろうか、不安は尽きない。


ボクが今いる阿蘇・西原村は4月16日の本震で震度7を記録し、

益城町と並ぶもっとも甚大な被害を蒙ったところだ。


そこで敢えて事業を再開することにした。

傷ついた心を癒す場所「阿蘇瞑想の森」として。


むしろ逃げ出す(転居する)人が多いこの地域だからこそ、

敢えて震源地であるここで踏ん張って残りの人生を賭けてみようと思った。


幸い、ボクの所有する建物は5棟(同敷地内)とも残った。

ここも梅雨が明けるまでは、土砂災害の危険性があるということで

雨の度に避難勧告や、指示が発令されていた。


だが、少なくともボクの住むこの敷地は大丈夫という根拠のない確信があった。

17年前にこの土地600坪と、築120年の古民家を手に入れる時、

周りの地形も自分なりに調べた。


ボク自身、過去、水害や台風の大きな被害を体験している。

当然、土砂崩れの危険性がないかも判断した上での購入であった。

巨木が10数本生えている森の中にあり、

竹林でもあり地盤がしっかりしているし、

今回の地震で亀裂のできた山裾からは30メートルほど離れている。

もちろん100%大丈夫とは言えないが、

仮に山崩れが起きてもここまで土砂は及ばないだろう。

(万が一のため、地下シェルターもある)


敷地の両脇には隣接して祠(ほこら)と鳥居が存在する。


     祠の向うに「瞑想カフェ」がある(左奥)のが見える

まるでこの家を守って下さっているかのようだ。

かってな解釈であるが、心強さを感じずにはいられない。

なにか神秘的な霊感さえ覚える。


     自然信仰の賜物

ここは守られし地なのだと。


    反対側(左端)には鳥居が(この土地の守り神)


そうした確証なき自信が湧いてくるのは、

ボクの感性と閃きがそう思わせているのかもしれない。


幸い、ここまで来る道路は地震直後こそ通行止めになったが、

すぐに復旧した。

そして現在、南阿蘇村に通じるう回路(大動脈)となっている。

潤す湧水も枯れることなく滾々とその流れを保って

美味しいコーヒーを提供してくれる。

何と幸せなことだろう。

ありがたい、感謝の気持ちでいっぱいだ。


ただ、震度7の震源地にほど近く、

西原村自体が壊滅的被害を蒙ったことから、

未だ敬遠する人が多いことも事実である。

そうした風評被害も伴って、訪れる人はまだまばらだ。


しかし、1年後、あるいは3年、5年後、

ここは救われた地として、多くの人々の癒しの地となり、

心の傷の湯治場的存在となり得ると確信している。

ボクの感性と閃きがそう言っている。


つまり、時代を先取りするとはそういうことなのである。

先駆者たるもの、3年の辛抱は当たり前のことなのだ。

(失敗する事業は、大概1年以内に辞めてる。

諦めが早すぎるのだ)


これまで手掛けてきた事業も、

すぐに花開くことはなかったが、

1年から3年後には決まってヒットを見せてきた。


しかもテーマは、

ペンション、観光牧場、ログハウス、古民家と時代と共に移り変わりを見せてきた。

そして今回は、「癒し」がテーマである。

その底流には「泊まる」「留まる」というキーワードが隠されている。


じっくり腰を落ち着け、会話や非日常の体験を通じて

自然と人が一体となったコミュニティが形成される。


そこには人が本当に心休まる空間が出現する。

ここはまさに心癒される恵まれし地なのである。

感謝。