世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

青春の暴走

2016年08月14日 | 100の力
SMAP解散のニュースと同時に、

SEALs解散の文字が躍った。


大学時代、学生運動経験者としては、

内容はともかく、彼らの活動、行動には興味を持っていた。


行動する人間を批判するのは勝手だ。

世間知らずの学生が浅はかな言説もどきをわめき散らしているようだ、とか、

彼らの主張は、根拠の無い自分語りでしかなく、思想でも言論でもない、などと。


ボク自身がそうであった。

今思えば単なる若さの発露であった。

大学や社会に対する不満をぶつける自己表現だった。

機動隊との攻防は青春のアドレナリンをフルスロットルで噴出させた。

そこにはオナニーに似た快感があった。


現在の引きこもりやニートのように、

自己に閉じこもり、一人悶々とする分には

目立って世の中に迷惑はかけない。


SEALsの活動は、それでもまだ合法的であった。

「おかしいことはおかしいと言おう」

そんな呼びかけから、街頭でのデモが東京で、各地で広がった。

こういった若者の活動はここ数十年ほとんどなかった。


彼らはは「自分たちが参加したい」と思えるデモをめざした。

デザインを工夫したチラシやプラカード、リズミカルな訴え方、SNSを駆使した発信。

こうした手法は、のぼりを掲げてシュプレヒコールをあげる従来型のデモをしてきた大人たちも刺激した。

それだけでも彼らの存在価値はあったのではないか。


内に籠った鬱憤を何らかの形で発散しなければ

さらに恐ろしい方向へと向かってしまう危険性がある。

それが、テロだ。


これまで起きた多くのテロに共通するのが、急速に過激化する若者の存在だ。

テロに走る動機は様々だが

その根源には、思想信条とはかけ離れたものが多々ある。
 

家庭内トラブル、希望する仕事に就けない不満、難民申請を却下された不安などなど。

孤独と閉塞(へいそく)感を募らせる中で、ネットで過激思想に出会い、染まる。

異なる宗教、思想信条、性的指向の人に憎悪の矛先を向けるさまは、

テロよりも憎悪(ヘイト)犯罪と呼ぶにふさわしい。(朝日新聞社説より抜粋)


若者には青春というエネルギーが渦巻いている。

それを封印させられたまま大人になるのはあまりにも危険すぎる。

どこかで、発散させなければならない。

それがいきなりテロでは困るのである。


若者の絶望や孤立を防ぐには何が必要か。

変化に周囲が気づき、暴走への道から抜け出させるにはどんな仕組みが有効か。

我々大人が社会全体で模索を重ねるべき課題である。


にもかかわらず、人々の不安に乗じて「移民や難民を追い出せ」と叫ぶ声が各国で強まっている。

決して解決策にならない暴論というしかない。

暴論が暴挙を生む。


      海外からのお客様も交えてのBBQパーティ

バングラデシュ・ダッカの事件は、

テロが日本にも遠い出来事ではないことを印象づけた。

もはや対岸の火事と傍観している場合ではない。