世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

青春真っ只中

2016年08月10日 | 100の力
生涯青春。

そのためには、

いくつになっても子供心を忘れないこと。

恥ずかしがらずに身体で、行動で表現すること。


「若さ故」から、「バカさ故」へ

「若気の至り」から「バカ気の至り」へ移行しよう。


      18の夏 (本当は、〇8の夏)


「この国には何でもある。だが、希望だけがない」

村上龍の小説『希望の国のエクソダス』は言う。


夏真っ盛りというのに、海水浴場には人かげがまばらだった。

いるのは、小さい子供のいる家族連れが数組。

本来開放的な海の家といった建物も、

トイレやシャワー室(有料)の設備の整った趣にかける立派な(?)管理棟があるだけ。

ビーチに流れる音楽もどこか控えめだ。


若者のはしゃぐ姿も、スイカ割りの風景も皆無。

何か、あまりにも整然とし過ぎた景色は面白みも華やかさにも欠ける。

ここでも若者離れが進む。


世界の新興国といわれる伸び盛りの国に共通しているのは、

若者の生き生きとした姿と、子供の輝く目、

そして無秩序ともいえるカオスだ。


子供は裸で生まれるが、

目に見えない夢と希望を纏っている。


服を着、いろんなものを身につけだす野と引き換えに、

夢と希望を脱ぎ捨てていく。


日本の子供は叱られながら大人になって行く。

控えめで恥じらいの思想を叩きこまれながら。


子供心は、大人気ない、みっともないものとしていつしか剥ぎ取られ、

そして、世間体という重い鎧を着せられ、

常識という枠の中に閉じ込められてしまう。


日本の国旗の日の丸は、

ライジングサンだろうが、

沈む夕陽にも明日への希望があった。


ビーチにも日本の希望を見ることはできなかった。


水平線の彼方に沈む夕陽を見ながら、

明日ははまた陽は登るのだろうかと、

ふと不安にさせられてしまった。