こんなに清々しい気持ちになったのはいつ以来だろうか。
いや、ひょっとしたら初めてかもしれない。
昨日付けで調停離婚がつつがなく(safely)成立した。
いわゆるひところ流行った(?)熟年離婚というやつだ。
2回の調停で、もめることなくすんなり決まったのは、
理解ある前妻の姿勢と判断によるものだろう。
思いやりに最後の感謝の意を示そう。
子供たちがすでに独立していることも幸いしたといえる。
ありがとう、
ここまでよく連れ添ってきてくれた。
最後までどろどろの醜い争いもなく、
潔い別れを演じることることができたのも、
理解ある態度の表れと感謝する。
子供たちも立派に育て上げてくれた。
これ以上の喜びはない。
実に感謝の念に堪えない。
ありがとう。
(ではなぜ別れることになったのか?
などと野暮なことは聞かないで。
Long storyになってしまうから)
ただ、6年間の別居が緩衝期間になったと言えるかもしれない。
こういうと、また不謹慎だと反感を買うことは承知の上だが、
正直、これほど爽やかな気持ちを隠すことはできない。
本当は、悲しみに沈んで、やけ酒でも煽らないといけないのだろうが。
実際、稼ぎのない男、借金まみれの男と
甲斐性がなく、どこまでもだらしない男に
愛想が尽きるのも頷ける。
これから残りの人生、
孤独な老後を送るか、
華やかな最後の人生を謳歌するかは定かでない。
もちろん、後者を目指すが。
それも自分自身の心構えと行動次第だと肝に命じている。
晴れて自由の身、といえるが、
いうまでもなく、すでに交際中の彼女がいることは、
これまでいやというほどこのブログでも書いてきた。
またか!と、読者の方もうんざりされておられることとお察し申し上げます。
既に別居して6年、もはや結婚生活は破たんしていたし、
彼女と知り合ったてからはまだ半年もたっていない。
もちろん、その間も浮いた話は山ほど(?)あったことは否定しない。
あえてそれを避けてきたのだが。
それでもここへきて彼女に決めたのは運命的だとしか言いようがない。
(懲りないっていやァ、懲りませんね)
ただ、だからといってすぐに再再婚というわけではない。
別れるために出会うつもりは毛頭ないが、
常に別れは口を開けて待っている。
死ぬために生まれてくるのではないが
死は必ず訪れるのと同じだ。
結婚は墓場だと言われるが、
ならば、離婚は蘇りなのかもしれない。
孤独を恐れるなら結婚するべきではない。
残念なことに、ボクは孤独を恐れない。
「タビストと結婚するものじゃないよ」
と格好つけてみたところで、
所詮、しょぼくれた孤独なジジイなのだ。
男と女が結婚したときには、
彼らの小説は終わりを告げ、彼らの歴史が始まる、とも。
そして、歴史は繰り返される。
(学習しないですね)
ボクが世界を旅して、最も美しい光景に出会ったのは
美術館でも、古い街並みでも、お城でも、自然の風景でもなかった。
それは、
それは、
・・・・・・・・
腕を組んで歩く老夫婦の姿だった。
最後は、その姿を実現させる。
一つ二つの結婚に失望したからといって、絶望してはいけない。
【名言をいくつか】
結婚へは歩け。離婚へは走れ。(ユダヤの格言)
夫と妻の、どちらに離婚の責任があったのか?
どちらにもあったのだ。あるいは、どちらにも無かったのである。
人間は判断力の欠如によって結婚し、
忍耐力の欠如によって離婚し、
記憶力の欠如によって再婚する。
いや、ひょっとしたら初めてかもしれない。
昨日付けで調停離婚がつつがなく(safely)成立した。
いわゆるひところ流行った(?)熟年離婚というやつだ。
2回の調停で、もめることなくすんなり決まったのは、
理解ある前妻の姿勢と判断によるものだろう。
思いやりに最後の感謝の意を示そう。
子供たちがすでに独立していることも幸いしたといえる。
ありがとう、
ここまでよく連れ添ってきてくれた。
最後までどろどろの醜い争いもなく、
潔い別れを演じることることができたのも、
理解ある態度の表れと感謝する。
子供たちも立派に育て上げてくれた。
これ以上の喜びはない。
実に感謝の念に堪えない。
ありがとう。
(ではなぜ別れることになったのか?
などと野暮なことは聞かないで。
Long storyになってしまうから)
ただ、6年間の別居が緩衝期間になったと言えるかもしれない。
こういうと、また不謹慎だと反感を買うことは承知の上だが、
正直、これほど爽やかな気持ちを隠すことはできない。
本当は、悲しみに沈んで、やけ酒でも煽らないといけないのだろうが。
実際、稼ぎのない男、借金まみれの男と
甲斐性がなく、どこまでもだらしない男に
愛想が尽きるのも頷ける。
これから残りの人生、
孤独な老後を送るか、
華やかな最後の人生を謳歌するかは定かでない。
もちろん、後者を目指すが。
それも自分自身の心構えと行動次第だと肝に命じている。
晴れて自由の身、といえるが、
いうまでもなく、すでに交際中の彼女がいることは、
これまでいやというほどこのブログでも書いてきた。
またか!と、読者の方もうんざりされておられることとお察し申し上げます。
既に別居して6年、もはや結婚生活は破たんしていたし、
彼女と知り合ったてからはまだ半年もたっていない。
もちろん、その間も浮いた話は山ほど(?)あったことは否定しない。
あえてそれを避けてきたのだが。
それでもここへきて彼女に決めたのは運命的だとしか言いようがない。
(懲りないっていやァ、懲りませんね)
ただ、だからといってすぐに再再婚というわけではない。
別れるために出会うつもりは毛頭ないが、
常に別れは口を開けて待っている。
死ぬために生まれてくるのではないが
死は必ず訪れるのと同じだ。
結婚は墓場だと言われるが、
ならば、離婚は蘇りなのかもしれない。
孤独を恐れるなら結婚するべきではない。
残念なことに、ボクは孤独を恐れない。
「タビストと結婚するものじゃないよ」
と格好つけてみたところで、
所詮、しょぼくれた孤独なジジイなのだ。
男と女が結婚したときには、
彼らの小説は終わりを告げ、彼らの歴史が始まる、とも。
そして、歴史は繰り返される。
(学習しないですね)
ボクが世界を旅して、最も美しい光景に出会ったのは
美術館でも、古い街並みでも、お城でも、自然の風景でもなかった。
それは、
それは、
・・・・・・・・
腕を組んで歩く老夫婦の姿だった。
最後は、その姿を実現させる。
一つ二つの結婚に失望したからといって、絶望してはいけない。
【名言をいくつか】
結婚へは歩け。離婚へは走れ。(ユダヤの格言)
夫と妻の、どちらに離婚の責任があったのか?
どちらにもあったのだ。あるいは、どちらにも無かったのである。
人間は判断力の欠如によって結婚し、
忍耐力の欠如によって離婚し、
記憶力の欠如によって再婚する。