世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

小説家の素材

2016年03月13日 | 100の力
すべての経験は小説の素材となる。

その信念の下、

様々な艱難辛苦にも果敢に取り組んでいる。


実際今、貴重な体験をさせてもらっている。

それは裁判手続きだ。


小説家は、

テーマが決まるとその資料や下調べ、調査を徹底的にやる。

そういう意味からも、願ってもなかなかできない訴訟のテーマ。

門外漢(an outsider; a layman)として携わるより

当事者になるほうがよっぽど真実味があるものだ。


訴状の書き方、手続きの仕方、裁判所通い、法廷の雰囲気、

今、それらのすべてを体験しさせてもらっている。


大変だけど、

高いお金を払って弁護士任せにするにはあまりにもったいない。


これまで数々の事件や問題に遭遇してきたが、

嫌がらず正面から向かうことで学ぶものは多い。


時間やお金もそれなりに使うが、

得られる価値のほうがはるかに多いものだ。

お金には変えられないし、お金では買えないこともたくさんある。


幸か不幸か多くの課題、問題が今まで自分に降りかかってきた。

それらの課題や問題をできるだけ多くこなすことで、

知識も知恵も付き、その都度達成感や充足感が味わえる。

つまり、小さな成功体験だ。


何よりのり自分自身が成長することができ、自信にもつながる。


それには逃げないこと、真っ正面から真摯に対応すること。

そして、何でもな事柄、些細なことに対する感受性を持つこと。

さらにそれを言葉、文章で表現する力を持ち合わせること。


同じもの、風景を見ても何も感じない人もいるが、

画家は絵で表現し、

小説家は文章で表現する。

同じのは、筆を使うことだ。

今は、キーボードかもしれないが。


それに今は写真に収めることもいとも簡単だし、

発信することだって簡単にできる。

素人だって、お金をかけなくてもできるのだ。


そうしてネタを増やすことでより多くの引き出しを持つことができる。


もちろんボクはまだ小説家ではない。

だけど小説家になろうとしている。

口先ばかりでなく、書かなければならない。

幸いこうしてブログは書き続けている。
  (4年間、一日も欠かさず)

内容はともかく、書き癖を付けることはもっとも重要なことだ。


話は戻るが、

裁判の訴状を書くのだって、ストーリー立てが重要になってくる。

ある程度、文才がないと説得力にも欠けることになる。

書いててそう強く感じた。

小説のネタにはもってこいである。

この素材を提供してくれた被告に感謝する。


小説家になりたければ、

まずは小説家のように振る舞うことだ。

何かになりたかったら、そのようにふ振る舞えばいい。

バカにされても臆することなく振る舞えばいい。

まずは格好、形から入ってみるのも良いものだ。

少々の勇気は必要だが。


そして、本当のバカにならないように

努力を怠らず、行動しなければならないことは言うまでもない。


今こうして苦労して体験していることが

今後どのような形で表現できるのか

今から楽しみである。


【教訓】

「どんなことでも逆手にとって楽しむ」by Asay

3月12日(土)のつぶやき

2016年03月13日 | 100の力