いま世界中で革命が起きている。
決して大袈裟ではない。
ある国や地域では、相変わらず戦争やテロが横行している。
あるいは、目に見えず静かに変化が進行している。
問題は、それに気付くか気づかないか、
そして、その変化をどうとらえて、どう行動に移すかである。
冷静に考えると、
自分は何のために生まれ、何のために生きているのか。
そして、どう死んでいくのかが問われていることに気付く。
アメリカンドリームに触発され、
「すべての米国人が等しくチャンスを与えられている。
目標に向かって懸命に働く事で、成功と豊かさを得る事ができるという理想」
のもと、ジャパンドリームもまた同じ道を歩んできた。
その象徴がマイホームやマイカーに囲まれたミドルクラス(中流)の生活であり、
昭和の日本は「一億総中流」と言われるほど、
多くの人が等しく豊かさに恵まれ安定した経済の基盤の上にあった。
今まさにそれが崩壊しつつある。
いや、すでに崩壊しているとも言える。
アメリカも、日本も。
それは、ミドルクラスの消滅として現れ、
厳しい人種差別や貧困、格差などの問題が跋扈し、
アッパークラス、ロワークラスの増加とともに、
はっきりと二極化が進んでいることからも覗える。
そこで、いまさらながら考えた。
人生で最も大切なものとは何か?と。
人を蹴落とし、ナンバーワンを目指してなりふり構わず生きてきた。
一通りの栄華を味わい、
死というものを意識しだして、
あまりに多くのもの、こと、人を犠牲にしたことに愕然とする。
過ぎ去った過去を取り返すことはできない。
失ったものや人も帰ることはない。
ならば、これから先、残された短い人生をどう生きるか、
を改めて考えてみた。
これまで纏わりついたしがらみをそぎ落とし、
シンプルにしていくことが必要なのだと自分に問う。
・ずっと惰性で、やり続けてしまっていることはないか?
・思い切って辞めた方がいいものは、何か?
・今、一番集中しなければならないものは何か?
・そのためにやるべきではないことは、何か?
生き甲斐や夢のない人生ほど無味乾燥したものはない。
砂を噛むような味気無いものになるだろう。
我々は、ただこの世に人として生まれ、生きているのではない。
ある統計によれば、
人間がこの世に生まれる確率は746兆分の1であり、
そんな確率で生まれる人間同士が、今世で出会う確率は、
単純計算しても、「55京6,516兆分の1」というとんでもない確率になるという。
たしかに、
家族のため、子供のため、妻のためと想って生きてきた時期もあった。
だが、子供たちは独立し、家庭を無くし、
人のためという大義名分を無理やり引っ提げて生きてきた。
だが、それは畢竟自分のためという色合いが濃かった。
もう自分一人だけのために生きるのはやめにしよう。
もう、世のため人のためなどとこじつけて、きれいごとを言うのもやめにしよう。
もっと素直に、単純に、
目の前にいる人のために生きよう。
いろんなものを犠牲にし、やっとここまできて気が付いた。
大切なものとは、
大切な人、
すなわち心から愛する人のことだと。
そのために、何をすべきか。
それは、
できるだけ一緒にいることだ。
話を聴き、抱きしめることだ。
愛することに遅いということはない。
To love never too late.
決して大袈裟ではない。
ある国や地域では、相変わらず戦争やテロが横行している。
あるいは、目に見えず静かに変化が進行している。
問題は、それに気付くか気づかないか、
そして、その変化をどうとらえて、どう行動に移すかである。
冷静に考えると、
自分は何のために生まれ、何のために生きているのか。
そして、どう死んでいくのかが問われていることに気付く。
アメリカンドリームに触発され、
「すべての米国人が等しくチャンスを与えられている。
目標に向かって懸命に働く事で、成功と豊かさを得る事ができるという理想」
のもと、ジャパンドリームもまた同じ道を歩んできた。
その象徴がマイホームやマイカーに囲まれたミドルクラス(中流)の生活であり、
昭和の日本は「一億総中流」と言われるほど、
多くの人が等しく豊かさに恵まれ安定した経済の基盤の上にあった。
今まさにそれが崩壊しつつある。
いや、すでに崩壊しているとも言える。
アメリカも、日本も。
それは、ミドルクラスの消滅として現れ、
厳しい人種差別や貧困、格差などの問題が跋扈し、
アッパークラス、ロワークラスの増加とともに、
はっきりと二極化が進んでいることからも覗える。
そこで、いまさらながら考えた。
人生で最も大切なものとは何か?と。
人を蹴落とし、ナンバーワンを目指してなりふり構わず生きてきた。
一通りの栄華を味わい、
死というものを意識しだして、
あまりに多くのもの、こと、人を犠牲にしたことに愕然とする。
過ぎ去った過去を取り返すことはできない。
失ったものや人も帰ることはない。
ならば、これから先、残された短い人生をどう生きるか、
を改めて考えてみた。
これまで纏わりついたしがらみをそぎ落とし、
シンプルにしていくことが必要なのだと自分に問う。
・ずっと惰性で、やり続けてしまっていることはないか?
・思い切って辞めた方がいいものは、何か?
・今、一番集中しなければならないものは何か?
・そのためにやるべきではないことは、何か?
生き甲斐や夢のない人生ほど無味乾燥したものはない。
砂を噛むような味気無いものになるだろう。
我々は、ただこの世に人として生まれ、生きているのではない。
ある統計によれば、
人間がこの世に生まれる確率は746兆分の1であり、
そんな確率で生まれる人間同士が、今世で出会う確率は、
単純計算しても、「55京6,516兆分の1」というとんでもない確率になるという。
たしかに、
家族のため、子供のため、妻のためと想って生きてきた時期もあった。
だが、子供たちは独立し、家庭を無くし、
人のためという大義名分を無理やり引っ提げて生きてきた。
だが、それは畢竟自分のためという色合いが濃かった。
もう自分一人だけのために生きるのはやめにしよう。
もう、世のため人のためなどとこじつけて、きれいごとを言うのもやめにしよう。
もっと素直に、単純に、
目の前にいる人のために生きよう。
いろんなものを犠牲にし、やっとここまできて気が付いた。
大切なものとは、
大切な人、
すなわち心から愛する人のことだと。
そのために、何をすべきか。
それは、
できるだけ一緒にいることだ。
話を聴き、抱きしめることだ。
愛することに遅いということはない。
To love never too late.