世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

敗戦の日に想う

2015年08月16日 | 100の力
テーマ: 謝らない力


日本人ほどすぐに謝る国民はいない。

すいません文化が根付いている。


日本はいつまで謝り続けるのか。

なぜ70年も経って謝り続けなければならないのか。

それも、中国と韓国だけ。


80%の日本人が戦後生まれなのだ。

もし、罪というなら、オヤジや爺さんが犯した罪を何で子供や孫がいつまでも償わなければならないのだろうか。

それも、未来永劫。



前々から疑問を持っていた。

大東亜戦争は日本の侵略戦争だったのか、と。


侵略とは言わなくても「侵略的事実を否定できない」とも言われている。


日本は、アジアを列強から守り、撤退させ独立を促したという見方もできることを知った。

勝てば官軍とばかり、アメリカは東京裁判でリンチまがいの判決を突き付けた。



日本がなぜ開戦に踏み切ったのかを知ることは興味深いものがある。

それは、支那事変から満州事変、そして日露、日清戦争までさかのぼらなければならない。

南京大虐殺に至ってはその真偽のほどはわからない。

従軍慰安婦に於いても真実は分からない。


ハルノートを突き付け、窮鼠が猫を噛まざるを得なくしたのはどこの国か。

隷属を拒み真珠湾攻撃から一億玉砕戦争に踏み切らざるを得なかった事情が見て取れる。



ボクはアメリカが好きだった。

西部劇で育った。

憧れだった。


だけど、世界で一番卑怯なのはアメリカではないかと思うようになった。

ほとんどすべての戦争に世界の警察を自負するアメリカが関与している。

そしてイギリスフランスの影も否定できない。


原爆を落としたのは、明らかに国際法違反だ。

日本人は、それを問おうともしない。

負けたからだろう。

アメリカにうまく懐柔された。


だが、ベトナムはどうだ。

フランスや日本に対しても、アメリカに対しても、

戦勝国といえども暗い過去を胸にしまい、いくつもの戦争の歴史がむしろ人々を未来に向かわせている。


「過去を閉ざして未来を志向する」。

91年の中国との国交回復にあたり、中越戦争にこだわらない姿勢を打ち出した。

これがベトナムの基本的外交スローガンなのだ。

安定した成長と政治には不動たる信念がある。


中国と韓国に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。

まあ、両国とも今やその因果というべき辛酸を舐めているのだろうが。


本題に戻ろう。

日本は本当に侵略しようとしたのか。


中国、韓国と東南アジアの事情はかなり違うような気がする。

タイが、列強の植民地にならずに済んだのは日本のおかげという見方もある。


フランス領だったベトナム、カンボジア、ラオス。

オランダ領だったインドネシア、

アメリカ領だったフィリピン、

そして、イギリス領だったインドを含むその他の東南アジア、南アジアの国々。

タイを除いてアジアの国(中東を除く)すべてが欧米の植民地だったことは事実だ。


下記のような理由づけも散見される。

台湾・朝鮮半島→条約により併合
中国→北京議定書に基づき駐屯
タイ→タイ政府による領土通過許可及びその後の条約による駐屯
インドシナ→松岡・アンリー協定により駐屯
ビルマ→交戦国イギリス領のため交戦権行使の為に進駐
マレーシア→同上
シンガポール→同上
インドネシア→交戦国オランダ領のため交戦権行使の為に進駐
フィリピン→交戦国アメリカ領のため交戦権行使の為に進駐


憎むべきは、日本でなく欧米帝国主義国なのだ。

その習性は今も世界各地でその影を落としている。


日本は侵略しようとしたのか。

各国、現地でも日本への評価は分かれる。


幸い、戦後の日本のODAなどによる貢献で、東南アジアの国々は極めて親日派だ。

おなじく、ODA資金をもっともつぎ込んでその発展に寄与した中国は、お礼どころか恩を仇で返している。

こんな恩知らずの国は天罰が当たって当然なのだろう。



ボクはハノイのボクの店で、リタイアしたアメリカ人と酒を共にして語り合ったことがある。

彼はいみじくも言った。

アメリカは、日本とベトナムに謝らなければならない、と。

それはまさに腑に落ちる(make sense)一言だった。