世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

もう旅を辞める?

2015年08月03日 | 100の力
タビストが旅を辞めたらどうなる?

歌を忘れたカナリア?

羽をもぎ取られた鳥?

それとも翼の折れたエンジェル?


ところで旅の反対語って何だろう。

日常?

暮らし?

生活?

それとも仕事?定着?


旅の目的は様々あるし人によっても、その時によっても違う。


ただボクにとって旅は、もう、観光とかショッピングとか美味しいものを食べるいう次元じゃない。

仕事がらみでも、出張という意味合いとも違う。

旅行という範疇はとうに通りすぎている。


多くの人は、非日常を求めて旅に出るという。


だがボクにとっては、いつしか旅が暮らしになり、生活そのもので、完全に日常化している。

旅することそのものが仕事につながっている。

もはや旅そのものが生きている証なのだ。


さあ、旅に出よう!と意気込む必要はない。

四六時中旅状態に身を置いている。

だから、家族はいても家庭はない。

それを哀れと見るか、最高に幸せと感じるか。

孤独と同じ。

それを享受(enjoy)できるかどうかの問題だ。



行った先々の暮らしに触れる。

その暮らしにどれだけ自分が溶け込めるか試してみる。

自分の許容度を計るのだ。


そして、受け入れられる範囲を徐々に広めていく。

そのためには現地の人々との触れ合いが大切だ。

言葉、生活習慣、風習、食べ物、そのすべてにおいて自分がどれだけ受け入れらるのか。

戸惑いがあり、感動がある。


そうした意味でボクにとって旅は総合学習の場であり、

一種の格闘技なのだ。


どこかに移住するわけではない。

ましてや定住などもってのほかだ。

適当に移動を繰り返す。

お気に入りの場所にはリピートすることもある。

ボクにとって住まいは仮設住宅のようなものだ。


生命は動きを止めたとき、死を意味する。


転がる石に苔は生さない。

"A rolling stone gathers no moss"(転がる石に苔むさず)は考え方により、解釈に違いがある。

例えばイギリスでは、

しばしば住所や仕事、考え方などを変える人は信用できない。

浮気者、考えがしっかりしていない人などと思われる。

すなわち、コロコロ変わるようなことや人は良くはならないとの考え方だ。

これは日本のことわざの「石の上にも3年」に当たる解釈に相当するだろう。

やたら動かず、変更せず、我慢して耐えることが美徳というの考え方だ。

したがって、転がる石には苔はむさない=腰が落ち着かない、一箇所に落ち着かない者は大成しない、信用のならない人となる。


一方アメリカでは、日本で言われる「流れる水は腐らず」という意味に近くて、

転がる石には苔がつかないので、いつまでも新鮮で変化に富んでいるというような、プラスのイメージで捉える。

これはドンドン積極的に変化して、それにより良いものに変えてゆくという考え方。

すなわちいつも活動的にやっていれば変なことは起こらないということだ。

アメリカでは、変化すること、動くこと、活動的なこと、新しいことに価値を見い出す傾向にあり、

イギリスや日本のようにじっと動かないで、耐えて待つのはあまり重要視されない。

仕事においても、できる人ほど会社を変わり、住所も変わり、次々と新しいことに挑戦し、

その都度給料も上がるという図式が成功者(アメリカン・ドリーム)といえる。


ボクは完全にアメリカ型だから、いい加減と思われる節もある。


確かにどんなに気にいった場所でも、

じっと動かずにいると気がめいるし、思考が停止する。


回る車輪に錆はつかない。

だが擦り減る。


航海後に立たず。

できる時にやっておきなさい。