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世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

リスク社会

2015年08月21日 | 100の力
テーマ: リスク力


ついにバンコクでもテロが起きた。

これを対岸の火事と見るか、明日は我が身と知るかで行動が大きく違ってくるだろう。


情報を隠蔽し、捏造が日常茶飯事で行われている中国と

一触即発の朝鮮半島を除けば、

アジアは比較的安定してた。


特に東南アジアに於いてはASEANに象徴されるように経済的には一枚岩的にさえ映る。

だが、ここにも宗教及び民族の違いが色濃く残っている。


一方日本は特殊だった。

島国であり一民族、一言語としての独立性を保ってきた。


ところが国際化に伴いその特殊性故に弊害が表れている。

ある時は軍需、そしてあるときは経済発展をいち早く実現させ、アジアの中では唯一先進国の仲間入りを果たした。


だが、今は昔。


新興国に追いつき追い越され、今や後退の一途を転げ落ちている。

そこには3つの錯誤が潜んでいる。


それは、技術錯誤、言語錯誤、そして民族錯誤である。

これまで強みだった資質が、すべからく逆転して弱みに転じてしまった。


日本人の美徳とされる武士道精神。

「武士道においては

不平不満を並べたてない不屈の勇気を訓練することが行われていた。

そして他方では、礼の教訓があった。

それは自己の悲しみ、苦しみを外面に現わして

他人の愉快や平穏をかき乱すことがないように求めていた。

サムライにとっては感情を顔に現わすことは男らしくないと考えられていた。

立派な人物を評価する時、喜怒を色に現わさずということがよく用いられた」


日本の武士道精神は、海外で、特に欧米で称賛されているが、

こと現代の外交になれば、相手により臨機応変に対応しなければならない。


自己の主義主張を持ち、相手に伝えるということにおいては、日本人は極端に劣っている。


それゆえに、日本人は誤った選択をしようとしている。


今や、日本はリスク社会の真っ只中にいて、

謝った選択によって自らテロを引きこもうとしているのだ。


リスク社会とは、

「経済や科学技術の発展による富の社会的生産や政治的変革と並行して、

多様で複雑化したリスクが社会的に生産される社会」とされる。


一つの重要な要因は

「ある水準の豊かさが社会に浸透すること」と考えられる。

物質的な豊かさや、福祉などの制度が一定程度、充実してくると、

人々は新たな価値を手に入れるよりも、

すでに持っている価値を手放したくないと思うようになるだろう。

そうなれば社会は全体として、それまでよりもリスクに敏感になる。

その結果、社会の関心がリスクに集まり、リスク社会の段階に入っていく、といわれている。


その昔は、貧困や怨恨による事件と、自然災害によるリスクが主だった。


今やそれらさえも人為的に作りだされている。


豊かさと利便性を追求した余り、原発や自然災害のリスクは高まっている。

そしてそこにテロという新たなリスクが出現した。


「失いたくない」と思うような価値を多く持っていればいるほど、

より容易にテロリストは「果実」を得ることができる。

リスク社会はテロに対して、極めて脆弱なのだ。


リスク社会のもう一つの特徴は、

「空間的、時間的、また社会的な区分が崩れていく」という性格が指摘されている。


つまり、いつどこで、どのような対象物に、どのように行われるのかが全く予想が立たない。

終わりもない。

勝ち負けもない。


現代においては、いつ終わるとも知れぬ散発的な紛争が、さまざまな場所で続くというケースが増えている。

戦闘領域は揺れ動き、明確な安全地帯は容易には見つからない。

また戦争と犯罪の区別も、自明でなくなってきている。


グローバル化の影響も大きい。

世界中のヒトやモノが分かちがたく結びつくようになり、

普通の市民も、かつてなら関係なかった遠い国の情勢を、無視できなくなっている。

そして、そのような遠方のリスク情報が、世界的なネットワークによって瞬時に共有される。


リスク社会的状況は、テロリズムと親和性が高い。


今後の安全保障上の中心的課題は、

テロ対策へとさらに重心を移していくことになるだろう。

20世紀の戦争をイメージするだけでは、もはや安全保障を議論できない時代に入っているのだ。



【追記】


九州はヤバい?

川内原発の再稼働。

桜島噴火。

朝鮮半島有事。


どこへ逃げますか?