書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

世界第二位の消費国・日本経済を無視する不思議さ

2008-09-30 23:28:49 | 日本の経済議論

世界第二位の消費国・日本経済を無視する不思議さ


日本経済についていつも不思議なのは、世界第二位の経済大国にして、大消費国の日本がなぜ米国の株価に影響されるのかと言うことではないか。
日本と米国との直接貿易額は大方18%。
一方、アジア諸国へのシェアは、輸出で約50%。
アジア諸国の日本企業から米国への貿易とか、日系企業における現地生産と言うものもあるから日本企業が米国から稼ぐ額は大きなものになろう。
しかし、米国の日系企業は米国企業であって、日本ではない部分がある。
又、アジア諸国の日本企業から米国への輸出も一概には論じられないところがある。
そして、米国が転けたらあと消費してもらうというのは日本しかないというのは事実だ。
GDPを見てみてると、日本の民間最終消費支出が約60%、政府最終消費支出約18%、これを加えると78%は日本の消費と言うことになる。
だから日本が発展途上国だった頃のように、輸出一本やりでGDPをたたき出している訳ではない。
その現実を現している事がある。それはこの8月末米国向けに生産したカメラを米国が在庫過多となったために、急遽日本向けに直してネットで密かに格安で売ったメーカーがあった。
いずれにせよ、高価な商品を買えるのは米国でなければ、日本しかないというのは間違いないところだ。
それなのに、日本に金がないというのはどういう事なのだろうか。
米国は、本来借金だらけの国で、財務省証券(国債)を日本や中国が多額に購入しているからそれで金が回っている国だ。
しかも、サブプライムローンというインチキな債権をテコの原理で拡大して高金利に偽装。
それを世界中で金利が高いと言う理由で買ったのが今度の問題だというもの。
しかも、日本かゼロ金利に近い時に、米国は5%程度という金利を維持していたから余計に「金」を呼び込んだ。
当然、日本の年金基金も証券会社に丸投げして、今年の3月期頃には8兆円もの損を被ったはず。
この様に、日本の金も、そしてファンドに貸す金融機関の金も全て米国に向かっているからこそ、米国は維持出来たのであるし、問題が大きくなった。
その責任は、かねてから言っているように日銀の「ゼロ金利政策」であることは間違いないことだった。
本来、大消費国の日本に金が集まらなければおかしい。
なぜなら、大消費国であるならば「金が流動」するからだ。
ところが、その流動する金に関して、企業は金が出来れば銀行に返済して益々市場から金が吸い取られる状況にあった。
これがデフレであって、その上低金利のために金が市場に戻らない仕組みになっている。
結局、日本経済、株価というものは米国経済の株価に連動するシステムになってしまった。本来、米国消費に頼らずとも日本だけでかなりの部分消費出来るはずなのに、日本の現状を反映しないのはおかしいだろう。
そして、その日本の株価を動かしているのが、日本の銀行から投資資金へ出ているお金であるというのが、春先まで言われていた「円キャリー取引」と言うものだった。
最近、めっきりその話は聞かなくなったが、「円キャリー取引」が今でも続いているというのは間違いないだろう。
なぜなら、米国がこれだけ株価が下がり、景気が悪くなっても「円相場は」少しも動かないからだ。
これは、誰かが何かを動かしていると言う理由。
多分、将来その問題が大きくならなければよいかと思う昨今ではある。

田村澄子書作展 を鑑賞する。

2008-09-30 22:20:03 | ちまたの噂・雑記事
平成20年9月30日(火)月末だというのに、東京都美術館の「2008秋の独立選抜展」((財)独立書人団)を皮切りに、4つの展覧会を見てきた。
独立の展覧会は、別の「書」と評論するときに紹介するとして、まず「田村澄子書作展」から始める。
田村澄子書作展は、東京・銀座五丁目の日産ギャラリーの裏手にある「サッポロ銀座ビル8F」ロイヤルサロンで29日から10月5日まで開催されている。
田村先生は、玉松会所属の永井幸子系列の書家で、書作展の副題として「田村澄子 40年の書歴をふりかえる」とある。
実は、案内状に薄く「蘇るやまと」とあって、これを実は題材としている。



このロイヤルサロンは、玉松会が毎年3人展やら、玉松会展やらをするところで、昨年は別の先生がこの時期、個展をしていたように思う。
いずれにせよ、「かな」書道の作品展は、華やかで一瞬「男」が入って良いのかという雰囲気さえある。



中央で、雑談をされている先生が、田村先生。



こちらは、西林先生と挨拶している先生と、玉松会会長の石井明子先生が見える。







実は、あまりゆっくり鑑賞している時間がなく失礼した。
今日は、他の展覧会の流れで、平日にもかかわらず大盛況だった。
作品点数24点、「大和物語」8点、「源氏物語」3点、「万葉集」4点、「古今集」4点、その他5点という構成。
凝った「出品目録」と手書き文字を印刷した挨拶状は、相当にここまで「力」が入っていると敬服するものであった。

確か田村先生とお知り合いになったのは、「全国学生展」の頃ではなかったかと思う。
当時小生は、学生展で陳列部委員や副部長をやっていた頃で、多分田村先生は中央展審査員か何かだったのかも知れない。
その時は、元気の良い「おばさん」だと思っていたものの、多分15年は経つ。
時代の流れは、早いものとはいうものの、自身も歳を取っているのは困りものではある。

中山成彬国土交通相辞任・異口同音の批判は、戦前の言論統制と同じ。

2008-09-29 22:26:33 | 新聞社説・正論・主張を読み解く

今日の新聞社説、放送共に中山成彬国土交通相の辞任に対する批判ばかりだった。しかも、どの言い方も異口同音という全く同じ口調。
文化放送の午前11時30分からの「寺島尚正ラジオパンチ」に出演したコメンテーター・経済ジャーナリスト荻原博子氏も、全く同じようだった。
特に日教組のことなどにも言及する当たり、その番組の体質を思い起こすところ。
しかし、最後に「戦前の言論統制」に行き着くというところまで話を持って行くなど、どう見ても倒錯している。
今言論統制しているのは、いわゆるマスコミ、新聞、そしてそれに荷担する左派言論人ではないか。

実は、一般人に聞いて見ると「あれはあれでよい」という意見も多い。
なぜなら、そう言う人物として閣僚にして色々言わせればよいのではないかという。
そして、そう言う意見を封殺するというのはマスコミなどによる言論統制になるのではないかと言うことだった。
本来、そう言う人物の言論に対して、「適切か適切でないかは」国民が判断することで、その様に何でも言わせて選挙をすればよいという意見もあった。

要するに、選挙になれば今まで「反日的な行動」を取っていた人物も「きれい事」を言って、国民を騙すのが許せない。
まして、絶対そんなことをしないのに「やるような公約」を掲げたり、「国民のために頑張ります」など心にもないことを言う。
彼らは当選したら国民のことなどこれっぽっちも思っていないというのは見え見えだ。その時は、国民は怒り心頭なのだが、実は諦めてしまっている。
だから、官公労の支援なら、国民のためでなく官公労のために国会議員になりますと言えば、話が分かりやすいというものだ。<wbr>

しかし、日本と言うところは「米軍占領を進駐」と言い換え、大東亜戦争をGHQが示した「太平洋戦争」に。敗戦記念日を終戦記念日‥‥‥

何でもこの様に言い換えるというのは、その実態を薄めるとはいうものの好ましくない。あのヒットラーのユダヤ人虐殺の時に、言葉の言い換えを散々した。
これは、その実態を誤魔化すものだったというのは、間違いないことだ。

何でもきれい事で、嘘も方便という国民を騙す選挙はこりごりだというものだ。


米国プロパガンダに乗せられる、ミャンマー産経記事

2008-09-28 23:54:35 | 世の中妙な??事ばかり

米国プロパガンダに乗せられる、ミャンマー産経記事


2007/09/27映像ジャーナリトの長井さんが射殺された1年目を受けて、各紙では「ミャンマー」問題ついて特集した。
産経新聞では、ワシントン配信員が米国の立場で米英の利益擁護を弁護するようにミャンマー軍事政権を強く非難している。
だから、アウン・サン・スー・チー氏の自宅軟禁とその政治的な立場、主張に関しても歴史的な経緯、現実を無視して単純に軍事政権を非難するという事をやっている。
その上、米メリーランド州に本部を構える亡命政権、「ビルマ連邦国民連合政府」(NCGUB)に取材して説明させている。そこに視点か欠けているというのは、その「ビルマ連邦国民連合政府」(NCGUB)の運営にはどこから金が出ているか追求していないところだ。
日本は、ODAと称してわずかな援助を行っていたが、昨年の「長井さんの射殺事件」を受けて中止してしまった。結果、いわゆる西側の援助国は消滅し日本の発言権も失ってしまった。
即ち、「長井さんの射殺事件」というのは、日本、ミャンマーに取っても重大事件だったし、互いに大きな利益を消失した。
利益を得たのは反ミャンマー軍事政権側でしかないというのはどういう事なのか、検討したのだろうか。
さて、読売新聞2008/09/26より3日連続・上・中・下と「一年後のヤンゴン」と称してミャンマーとその軍事政権の現状について「現地ヤンゴンに入ってルポ」している。
ルポは、稲垣収一氏。
その中で、上・中では現在のミャンマー軍事政権での政情、上「偽りの民主化」中「生活苦 誰も助けてくれない」と現状分析をして、下「スー・チーさん不在のNLD結成20年」と実は、アウン・サン・スー・チー氏の政治的欠点を指摘している。
アウン・サン・スー・チー氏というのは、元々日本などの経済援助を反対して強く日本を非難していた人物だ。
要するに、国民がどんなに飢え苦しんでも、今の軍事政権が潰れればそれでよいと言う姿勢は常に一貫している。
なぜならスー・チー氏は大金持ちで食うに困らないからだ。
ところが軍事政権というのは、北朝鮮の将軍様とは全く違う。
実は、現実を見て国民を豊かにしたいと思っている政権である。
そこを外国の謀略組織が金を使って暴動を起こさせたという感覚を持っているのが今の軍事政権である。
だから、サイクロン直撃後、救援物資を搭載した米英仏の軍艦を拒否する様なことになった。それは、外国軍隊による軍事制圧、そうでなくとも反政府組織に金銭その他の謀略を警戒してのことであることは間違いない。
たとえば、日本だったらすんなり受け入れた筈だろう。
それだけ、軍事政権は欧米の介入を危険視している。

それで、読売新聞では、アウン・サン・スー・チー氏の影響について、在ヤンゴン外交筋の評論として、「NLDの非現実的な対応批判」している。
一方、国外の民主運動家の言として「スー・チーさんは政治・社会の現実との接触を断たれ、判断は硬直化している」として指摘しいると述べている。
事実、ヤンゴンの学生は「完全な自由を今すぐ手にしてはいけない。混乱をきたすだけだから‥‥」とある程度の政治と経済の安定を望んでいる。

そして、そのアウン・サン・スー・チー氏のかたくなな一面は、かってヤンゴン入りしたガンハリ国連事務総長特別顧問との面会を拒否していることからも分かるというものだ。

現地取材したものの現実と米国から、欧米的な観念に導かれた記事とどちらが正しいのか‥‥‥
米英国が軍事政権を嫌悪し、英国の代理人であるアウン・サン・スー・チー氏を押すのは良く分かる。しかし、現実問題それがよいのか考えてみる必要があるだろう。
何と言っても、英国は占領したとき隣国の王妃と王女を奴隷として売り飛ばした実績のある国だ。
東南アジアでは、欧米は侵略国としてしか接していないという現実よく目を見極める必要がある。

墨宣會書展・パート2_祝賀会

2008-09-27 21:46:30 | ちまたの噂・雑記事


墨宣會書展・パート2_祝賀会

墨宣會の祝賀会が群馬ロイヤルホテルで開催された。
このロイヤルホテルというのも気がついてみれば、1年振りだったのか昨年の6月中学の同窓会で来て以来だった。
その時は、200人以上の同窓生が集まったから今では懐かしいものと感じる。
本当のところは、今日夕刻5時から「青少年育成推進員」の学区内パトロールの日。
それで小学校の校門に推進委員が集まっているかと思ったら、誰も見あたらず。
皆、時間ぎりぎりに集合するのか‥‥参加者は居いないのか不明だった。

実は、群馬県青少年育成推進員と前橋市青少年育成推進員という役目を今年春から委嘱されて、色々な行事に参加することになった。
この青少年育成推進員というのは、電柱、電話ボックスのビラ剥がしから、「青パト」まで広範な権限を委嘱されるものでいわゆる「民間パトロール」というもの。
実は、面倒な事を仰せつかったというのが本音だ。

又、もう一つ本当のところは、昼過ぎからフランスの歴史書を読みあさっていて時間を見過ごしてうっかり間に合わないところだったのである。
時間に間に合わないほど、ギリギリでなかったのが幸いというものだが、急いでいたのは事実。
やっと、競歩並みの早歩きで遠くに群馬ロイヤルホテルが見え、近くなると‥‥
おやおやと言う感じて、群馬ロイヤルホテルの正面に到着する直前、黒塗りの凄いレクサスが止まって、数人正確には4人ほど下りてきて正面玄関に入っていった。
あれ~~今日は何か財界の会合でもあるのかと思ったが、一人を先頭にその黒ずくめの集団は二階の宴会場に上がって行くではないか‥‥‥


大澤知事の祝辞

受付に上がってみると‥‥、ああ大澤知事さんが「来たのか」!というものだった。
実を言うと、大澤知事はけっこう書道には造詣が深い。

さて、17時前、受付の知り合いの先生に場所を案内してもらい何とか時間内に間に合った感があった。
初めに、開会の言葉に西川翠嵐先生、あいさつ西林先生のあと、順番を変えて大澤知事の祝辞という感じで始まった。




そこで経過報告で実行委員長の狩野廣州先生が「前橋市成人学校書道クラブ」という経緯(いきさつ)を説明した。
それは、何と遡ること昭和32年に前橋市で成人教育という事をすることになって、「前橋市成人学校」と言う講習があったという。
その講習会の終了後「これで終わりにしてしまうのはもったいない」との理由で、その講習に集まった人達で組織されたのが「前橋市成人学校書道クラブ」と言うことだと言うこと。
そして、その時西林先生はなんと24歳だったとか‥‥
「前橋市成人学校」という名称はどこかで聞いたことがあったかなと言う程度の認識だから、これではっきりしたと言うものだった。



実際は、西林先生は群馬県立前橋高校と前橋女子高校の教員生活が長く、その教え子が弟子になっているケースも多いと思われる。
但し、小生などが前橋高校に在籍したときは、西林先生ではなく今は亡き田村翠渕先生(毎日書道展・あきつ会系)だった。
確か、小生が卒業して1年ほどして西林先生が田村先生と交代に前橋高校へ赴任したと言う話だった。(阿部裕幸篆刻協会会長からの話)
そこで万が一、田村翠渕先生に師事していれば今頃「かな作家」だったのだが、運命の悪戯かそうはならなかった。
人生の不思議さ、すれ違いというものは今にして思えば必然だったのかと思うものも多い。



(財)書道芸術院名誉顧問・村野大仙先生



(社)群馬県書道協会会長
今回遠くからは、書道芸術院名誉顧問・村野大仙先生、書道芸術院事務局次長・尾形澄神先生など。
いずれにせよ、大盛況で終わった祝賀会だった。
書道芸術院(毎日系)関係の肩書きが多いのは、西林先生が(財)書道芸術院理事・北関東総局長をしている関係からである。


そして、今回書道芸術院関係の先生方が少なかったのは、書道芸術院秋季展が9月30日から東京銀座セントラル美術館で始まる準備。
それと、同じ場所で行われる恩地会長の個展、馨香会の社中展、みな9月30日から。
行事が重なると中々出で来るのが難しいものだ。


墨宣會書展・創立50周年記念

2008-09-27 11:27:28 | ちまたの噂・雑記事
墨宣會書展が9月26日より29日まで前橋市の市民文化会館で開催されている。
墨宣會書展と大きく書かれているが、脇に前橋市成人学校書道クラブ創立50周年記念とある。
それは、発足が成人学校だったと言うだけのことで、西林乗宣先生(元群馬県書道協会会長・現顧問)の社中展であることに変わりはない。
但し、詳細は聞いたことがないから、書道界の常識としてそんなものというところ。



会場は、大展示ホール一杯に飾られていて、見る観覧者を圧倒するもの。



なぜなら、出品者は群馬県でも名だたる書家が「これでもか」という力の入れようで出しているからだ。
当然、毎日書道展では、今年毎日賞を受賞した作家も出品しているし、昨年の山崎記念特別賞作家もいる。
もっとも、その第一回受賞者が西林先生であったことは知らない人はいないほど有名。



書の評論は差し控えて、ただ鑑賞するというもの。
中には、群馬篆刻協会に所属する篆刻の名人もいて、中々楽しませる展覧会になっている。





書道協会副会長・大井先生と中山無硯先生(作品の作者)。



正直言って、まともに全作品を鑑賞すると半日では終わらない。
しかも各出品者の作品が数メートルにも達し、力の入った、当たり前だがほとんど漢字作品なので、見ていて疲れてしまう。



西林先生の作品。
先生の作品は必ず見ているので、色々な作品があるなあと思う。
特に最近は、右端にあるような非常に芸術性の高い小品をたまに出されることがある。
中々真似の出来ない鋭い線筆には、唯々驚嘆するばかりである。
面白いことは、小さい作品ほど凝縮した「力」を感じさせるとは、よく言うものだ。



展覧会初日は雨模様だったが、ほぼ曇り。
いずれにせよ、展覧会には初日に観覧すると言うのが一番で、27日群馬ロイヤルホテルで行われるレセプションでは、どんな趣向が凝らされるのかと‥‥思ったりもしている。

いつもの通り、会場の後ろで「お茶」をいただいているとき、西林先生と大井先生が筆の話で雑談をしていた。
内容はこんなもの……脚色、などいろいろありで‥‥
「大井先生は、農墨を使うので筆が痛むでしょう。」
「だから筆は、使ったら3日ぐらい掛けて良く洗うのです。」
「でもね、奉職した頃、最初の給料全部を使って買った筆の根本から抜けてしまったときは、悲しかったですね。」
「大きな筆を直して貰ったら、直径2センチ(?)にもならなかった。」

根本からすっぽりというのは、実は小生もある。
馬の尻尾の筆だったが、2-3回使ったら抜けしてしまった。
筆屋に持っていったら、あまり使ってないからと「不良品」として処理してタダ出直してくれた事があった。
今は、淡墨中心だから、筆の穂が抜けるというのもあまりないというのは幸いというものだが。



PC寿命は4年が限界?

2008-09-27 01:50:21 | パソコン関係
PC寿命は4年が限界?

うちのパソコンの一台が最近妙な様相を呈してきた。
もともとネットにも繋がずに別系統のLANで動かしてきたのだが、まず突然にUSBが転送出来なくなった事があった。
これはかれこれ1年前のことで、そのうちに直って何ともなしに使えるたから気にもしなかったのだが、最終的に外付けDVD-RWで書き込めなくなった。
なぜ外付けかというと、ATPI接続のNEC ND-3500Aがかなり旧型になったからである。

PC構成
motherboard:Soltec SL-K8TPro-939
Chipset:VIA K8T800PRO
AMD Athlon64 3000+ 64bit CPU Winchester
(AMD Athlon(tm) 64 Processor 3000+ 1.80GHz)
Memory :512MB×2(DDR SDRAM PC3200)=1024MB
VideoAdapter AGP :MSI FX5700-TD128MB
(MSI MS-StarForce GeForce FX 5700 (NVIDIA GeForce FX 5700))
Discdrive :Hitachi HDS722516VAT80 160GB 7200rpm 8MB ATA100
Opticaldrive:NEC ND-3500A
Windows XP Home Edition (Build 2600) SP3
Aopen H-600B 400W-AO400-12AHN
Aopen附属 400W静音電源

それで、仕方なくインターネットに繋いで修正プログラムを入れてやることにした。
ネットに繋げば、300MBもの修正プログラムが入ってきて驚くものだが、ほとんどかセキュリティプログラムと言うヤツ。
そして、不思議なことに修正プログラムが更新するごとに「USB2.0の転送Error」が解消したり、又Errorになったりと不思議な現象に見舞われた。
この「USB2.0の転送Error」は結局SP3になる頃には解消したのだが、転送スピードは30MB/s程度から精々18MB/sに落ちてしまった。
XPSP3は、OSの安定性を重視したと言うのでそのためかも知れないが、マザーボードが妙なことになった可能性がある。
「USB2.0」のコントローラーは、もう撤退してしまったVIA製。
実は、VIA製チップを使ったUSB2.0は結構遅いヤツで、確かNECチップのUSB2.0より大部転送が遅かった気がする。
マザーボードのBIOSアップと言うのも狙ったが、Soltecというメーカーも撤退してしまって、HPにマザーボード関連はない。
結局、マザーボード事態はお手上げと言うところだ。

そもそもこのSoltec製マザーというのはLANに不具合があっていっぺん交換したものだった。それは設定したLANが再起動すると設定が無効になるというもので、こんな馬鹿なボードは初めての経験だった。
このパソコンの不具合と言うのは、これだではない。
それは、やはり秋口からシャットダウンでエラーが出る。
何かのメモリーを読まなかったとか言うもので、多分スワップ領域のHDDが破損している感があった。
それも、いつも出るというのではなく、時たま、又は連続に何日かは出るというもの。
正月頃になると、今度は電源からカタカタという異音。
それで、正月にフタを空けて内部のファンを全て掃除した。
お陰で電源の異音以外なくなったが、それもいつの間にかしなくなった。

MSIのVideoAdapterを入れていることもあって、その頃MSIのユーティリティを入れて見たら、「キュルキュル」という警告音がなってシャットダウンしてしまう。
どこが悪いのか表示が出ればよいのだが、これがさっぱり分からない。
どうも電源供給系の表示のようで、電源がやはりへたっている感じだったが不明。
そのうちに、時々「ブツ」と音がして止まってしまう妙なことがあって、またまた良く分からないと言うもの。
それで今回、起動したらブルースクリーンになった。



これは、以前のOSについていたスキャンデスクと言うヤツで、起動部分のHDDがおかしくなっていたらしいと言うもの。
しかし、HDS722516VAT80が劣化しているというSmart情報もなく、ソフトでは正常としている。
それで、OSについていたスキャンデスクをしたからか、シャットダウンエラーはなくなった。
しかし、ユーティリティを使って不要ファイルを検査してみると、同じところで「Error」として止まってしまう。
要するに、どこかでユーティリティを受け付けない。



何やら、マザー、電源、HDDとみんなへたってるらしいのは寿命の感じた。
かといって、4年も前のものはほとんど使えないから、使えるまで使い倒すしかないと言うのが現状か。



農水省の恥部・MA米・事故米という無駄遣い

2008-09-26 20:00:49 | 日本の経済議論

事故米・汚染米の広がりはまだまだ終焉することはないが、そもそも事故米とはMA(ミニマム・アクセス)米である。
MA米に関しては、大した知識はなかったが「検索」して見ると驚くべき事が続々出てくる。
「日本農業新聞」というところのサイトで‥‥
「ミニマムアクセス米は一〇〇%輸入義務がある」というのは嘘と、国会質問で暴露させたのが1999年3月の関税化直前。
それでその後何か変わったのかと言えば「99年4月に特例措置から関税化に移行したが、MA米は通常の割増率に戻るのではなく、加重された輸入量のままである。MA米は国内生産量にかかわりなく一定量が輸入されるので、実質的に米の需給に影響を与えている。」と書かれているとおり何も変わっていないというのだから不思議なものだ。
そして、現在年間77万トン輸入され基本的に加工用に使われている。
年間約140億円。
これは、日本の米生産量の約1割だという。
最近は世界的な食糧自給の逼迫から、食料価格は高騰して日本が不必要なものを買うような事情になっていない。しかし、前年通りと一端始めたことは止めようとしなかった。
今回、事故米の問題が出てこのMA米の不適切な処理のために、MA米の購入は止めるようだが、最近は国民が監視していないと何をするか分からないと言うのが官僚だと言う事が分かる。
多分今まで止めなかったのは、利権があるのだろう。

26日朝、フジテレビ「とくダネ」では、そのMA米を追求していた。
ところが、このMA米に関しては農水省は一切答えないという。
映像は日通の倉庫から出したMA米を、企業名を伏せた工場へ持ち込み米を半分に粉砕する。これは、一般の食用に使われないためという。
ただ妙に思ったのは、米は初めから精米されていると言うものだった。
昔から精米されれば直ぐに酸化が進み劣化すると言われている。だから、自宅で精米したり精米してもらって米を購入すると言う事もあるくらいだ。(玄米もあるということだか)

その粉砕された米・ほとんど米国産だが、味噌などへの加工品。
ここでブログに書く必要もないほどネット上で農水省は批判されているから書く必要ないと思うが、今の政治家は何をやっているのだろうかというものだ。
TVで国産の米の買い取り価格が250-とあったが、全農の集荷価格を見てみたら、うちで買っている「あきたこまち」が170円/kg程度(60kg-10000円)だった。
実際買っているのは500円/kgだから、米の価格というのはよく分からない部分が多い。おかしいと思ったら、農協に納める60kg-10000円では赤字なのだそうな。まともに作ると12000~15000円の原価がかかるという。
15000円だと、キロ250円。こういうものは倍掛けで500円弱というのは妥当だろうと言うものだ。


「よみうり寸評」9/25で読む悪い冗談

2008-09-26 00:43:16 | 日記
 
「よみうり寸評」9/25で読む悪い冗談

 9/25夕刊に掲載された「よみうり寸評」に吉田内閣の政策が書かれてあった。
それは、GHQ占領下の「農地解放」に関してのことだ。
書き手は、「父吉田茂」(麻生和子)という本で読んだと書いているが、「農地解放」を当時の日本政府が如何にも自主的だった様に表現するのは妙な感じた。
なぜなら、日本が独立するまでの吉田内閣というのは、北朝鮮が言うまでもなく米国の傀儡政権であったのは事実であるからだ。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、昭和21年(1946年)5月、自由党総裁鳩山一郎の公職追放にともなう後任総裁への就任を受諾。首相に就任した(第1次吉田内閣)。
‥‥とあるが、GHQ・MacArthur司令部の指示によって選任された事に間違いはない。
確か、昔の教科書にはMacArthur司令部の占領下の思惑が書いてあった様に思う。
‥‥‥忘れたけど。
戦後政策では、「農地解放」、「財閥解体」、「教育体制の変革」その他知られていない「財産税」などがGHQの指示によってなされたとした。
本によっては、日本政府が日本の利益のために自主的に行った風に書かれていることもあるが、いずれにせよ日本解体であることは間違いない。
特に、「農地解放」については非常に高い評価が教科書などによって刷り込まれた。
それはなぜかと言えば、「共産主義思想」だからだ。
共産主義生が生まれた欧州で「土地所有者」と言えばほとんど貴族を意味した。
そして、その貴族階級という知識層を潰して、仮想的な「労働者階級」に分配しようとしたのが、単純なマルクス・レーニン主義というか、「フランス革命」思想だ。
GHQの政策は、米国へ受け入れられなくなったニューデーラー(後にカナダ共産党へ行った人物もいた。)という共産主義者によってなされた。
又、日本の戦後教育というものは、日本の共産主義者と組んで行ったから、妙な教育をされたわけだ。
さて、その「農地解放」についてその後どれだけ検討されただろうか。
日本の当時の不在地主はどんな状況だったのか、それはヘレンミアーズの著書「アメリカの鏡・日本」(ヘレン ミアーズ (著), Helen Mears (原著), 伊藤 延司 (翻訳) )を見れば明らかだ。
実は、この件に関して小生のブログ2008/08/11「雑誌「正論9月号」東谷暁 著「日本経済の突破口」を読み解く」で書いてしまっている。
一方、成田空港は、土地の未収容地が点在して未だに完全に完成していない。
何かで読んだ話では、もともと旧軍の空港があった場所で、戦後そこへ入植したらしい人が多かったとの話だった。
確か、フランスのシャルル・ドゴール空港の土地所有者とは3人だったはずで、別に日本の「不在地主」はヘレンミアーズが指摘するまでもなく世界基準から見て大土地所有者ではなかった。

いずれにせよ、GHQが道徳国・日本を恐れ日本解体を画策した政策を礼賛するのは止めたらどうかと思う。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
9月25日付 よみうり寸評

 1946年(昭和21年)、第1次吉田内閣の組閣に当たって、吉田茂首相がもっとも心を砕いたのは、農林大臣の人選だった◆当時、一番の急務は何といっても食糧問題だったから農相の人選を誤るわけにはいかない。農相に起用したのは和田博雄氏(後の社会党政審会長)。これで吉田内閣は農地改革を遂げた◆このことを「父吉田茂」(麻生和子)で読んだ。孫の麻生太郎新首相は初の組閣で農林水産大臣に石破茂氏を選んだ。もっとも心を砕いたかどうかはさておき、このポスト、組閣の一つの焦点だった◆62年の歳月をはさんでのめぐり合わせを思う。戦後間もない食糧難の日々とは事情こそ違え、今は、農地改革ならぬ農政改革が求められている◆組閣のその日、事故米の「三笠フーズ」に捜査のメスが入った。<食の安全と安心>が麻生首相、石破農水相の課題だ。石破氏は<防衛>のイメージが強いが、農水政務次官も経験、農政通でもある◆省改革は防衛省でも着手していた。<食の防衛>に期待しよう。
(2008年9月25日13時52分  読売新聞)


麻生内閣の支持率は37%台の低迷?

2008-09-25 13:25:41 | 日記


麻生内閣の支持率は37%台の低迷?

25日朝のフジテレビ系「とくダネ!」では、昨日インターネット世論調査を行った。
内閣が成立して最速なものだが、予め参考程度の世論調査と言いながら、麻生内閣の支持率は37%台、不支持は40%台だった。
本来ご祝儀支持率で、安部、福田首相の発足当時のように60%前後は行くもので、小泉首相の最高支持率は78.4%だった。
最高支持率の低い方というのは、森内閣の33.3%、村山内閣41.9%、橋本内閣46.8%、小渕、宮沢内閣の47.6%。
こんな風に見てみると、支持率が悪いのは左派政権か、官僚政治に傾倒していた政権の支持率が悪いことが単純に見て分かる。
兎に角、麻生内閣の陣容を見ていると、女性閣僚もほとんど目立ったことがない小渕優子だったり。
夫婦別姓、事実婚を選択するようなリベラル傾向の強い野田聖子だったりと保守派にとっては新鮮みのない人事だった。
その上、かって江沢民の銅像を造りたいと言い、中国べったりの経済産業相 二階俊博が留任というのは、「グリーンピア南紀(和歌山県)」被害を受けた那智勝浦町の関係者にとっては悪夢だろう。
なんと言っても、香港BOAOを紹介し上で、経済産業相の時に大臣室で契約したのに香港BOAOなど知らないというらしい。(『ウィキペディア(Wikipedia)』)

それにしても第一印象として、余り実績のない二世・三世議員ばかり(11人)の上、小泉派が事実上財務・金融担当相中川昭一しか入っていないと思われるのはマイナス要因だろう。

本来、福田内閣の裏返しとして「保守」で行くとしたはずなのに、獅子身中の虫を抱えた政権というのは国民として分かり難いと言うものではないか。

朝日、毎日新聞などが良く「お友達内閣」と言う事があるが、同じ政党で志を同じくする人物を選ぶことは常識だろう。
そこに、挙党一致として意見が違う人物が政権に入るのは、本来同一政党にいること自体おかしいというもの。
そして、もし民主党が政権取ったとき、同じ意見の人達を閣僚にしたら同じく「お友達内閣」と言うのか聞いてみたいものだ。