書道家Syuunの忘れ物

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日本の敵をあぶり出す「リトマス」紙

2007-04-29 17:34:55 | 読み解けば‥‥

ここ何年か前から、日本において、隠れた「敵」をあぶり出す「リトマス」紙が発生し続けている。
少し古いのは、「オウム真理教」に関してだろう。
坂本弁護士一家殺害は、TBSの弱腰と不正を露呈し、、「オウム真理教」を擁護した中沢新一(1995)(現・多摩美術大学美術学部芸術学教授芸術人類学研究所所長)は一時期論壇から閉め出された。

北朝鮮拉致問題は、北朝鮮擁護の社民党、拉致犯釈放の誓願に署名した民主党菅直人、その他北朝鮮を擁護し日本をおとしめようとした人々を明確にした。

そして、今官僚政治が終わりに近づき、官僚にすり寄って自らの利益を得ようとする旧態依然の「反動政治家」を今度の「天下り人事」の改革であぶり出している。

今回、問題になっている
「東京証券取引所が新設する自主規制組織のトップ(理事長)に元財務省事務次官の林正和・日本投資者保護基金理事長を起用する人事を内定」問題。

これは、元々東証の理事長は「大蔵省の出先といわれた時代が長く、理事長は事務次官経験者の指定席だった。」
という慣例があり、この慣例に照らせば
当然このような人事になるという「官僚の天下りを規制する公務員制度改革法案」に対する反逆だ。

そして、その天下り人事が予定通りの順送り人事・既定事実であることを図らずも暴露してしまったのが‥‥‥
西室氏は「(人事発表は)半年前から日時だけは決まっていた。法案の閣議決定と重なったのは偶然で意図はない」と釈明。‥‥‥
である。

「法曹界や証券業界、公認会計士などいろいろな人をリストアップした。林氏が抜きんでてよかった」
というのは大嘘で
日経社説に
自主規制組織のトップは官でも民でもない公の立場で、市場の公正な取引の監視役に徹することが求められる。市場とルールに通じた人材が望ましい。
予算査定など主計畑の経験が長い林氏が、その任務に適任といえるかどうか。疑問だ
。」
と暴露されている。
そして結論として
今回の人事は、退官後2度目の再就職あっせんを禁止するという公務員制度改革法案の趣旨に反旗を翻すものに映る。
東証は株式会社とはいえ、金融庁の監督権限を法律で明記された組織で、純粋な民間企業ではない。
東証も金融庁財務省も役所のあっせんはなかったと言う。が、あうんの呼吸がこの種の人事の通例だろう。
「李下(りか)に冠を正さず」のことわざもある。関係者は時代の価値観と職務の重大性に思いをいたすべきだ
。」

正に、国民全体が思っていることだろう。

尾身財務相、伊吹文明文部科学相などの元官僚。
財務省を守るための山本金融相。
役人の協力が欲しい、自民党の片山参院幹事長
その他続々と反動政治家が浮かび上がる。

もう官僚政治家はいい加減にして欲しいというのは、誰でも思うことだ。


昭和は、悪、戦前は悪という共産主義思想

2007-04-29 17:33:18 | 新聞社説・正論・主張を読み解く
朝日新聞の29日の社説は、正に逆噴射しまくり、八つ当たり状態だ。
「4月29日は今年から「昭和の日」になった。」
「なぜ、わざわざ変えるのか。戸惑っている人も多いのではないか。」朝日なりの逆噴射はもうほとほと飽きた。
こういう言論の、ステレオタイプと感情論社説はいつも読むに値しない。

近年良く書いているのだが、学校教育で戦前は「悪」と教えられた。
ところが、明治以降の戦前は、大正の終わりまでの約60年と、昭和の20年合わせて80年もある。
そして、大正期までが日露戦争、第一次大戦。
‥‥‥と分けるのは、実は無理がある。
何故なら、1900年の義和団事件・北清事変が起こり、これが日英同盟に‥‥
そして、「北京議定書」による「諸拠点に列国の駐兵権」がその後の満州事変に繋がる。
満州事変は1931年即ち、昭和6年。
一方、1933年ヒットラーが首相に(合法的に)任命され、総統になったのは、1934年。

この様に見れば、昭和というのは「戦争」で始まったと見る見方もある。
別の見方をすれば、共産主義の実験が始まりそれが失敗した20世紀と重なる。
昭和という時代は、世界中にソ連・共産主義者のスパイが暗躍し、強者を戦わせて漁夫の利を得た時代でもあった。

すると、学校や日教組が教えた昭和の内の20年が、全て悪か、全て軍国主義かと言えば決してそうではない。
軍縮時代、軍人・軍事費が削減され、穀潰しと軍人は非難されて、殻に閉じこもっていた時代があるのだ。

突き詰めて行けば、読売新聞が指摘する「東条憎し」の1941年12月8日、日米開戦。
又戦局が悪化した1944年であろうか定かではない。

この様な考えて行くと、総力戦の戦争時代を特別として置くとすると、「戦前は全て悪」と一括するのは正しくない。

そして良く左派人士が問題にし、戦後教科書が問題であると指摘する
1925年4月22日(昭和元年)に公布された治安維持法に行き着く。
治安維持法は、共産主義活動の活発化に対抗しようとした法律であったことは教科書に述べられたとおりである。

結局、戦前は悪と言うのは、共産主義者にとって住みにくい世界であり、共産主義者弾圧はけしからぬという事に過ぎない。
そして、戦後のMacArthur司令部のニューディーラーと呼ばれる共産主義者による日本解体も、平成期の日本デフレ対策に米国人識者が「デノミ」を主張する様なものだった。

昭和が終わり、平成を迎え、バブル後のそのハードランディングも米国の思いつきによる発想、日本の国情を知らぬ発想があった。
これに、「地主は悪」という官僚的、共産主義思想が結びつきデフレを迎えたというのは、何やら因縁を思わざる終えない。
朝日人氏が述べる
「昭和をひとくくりにして懐古するのではなく、光と影を考える。
昭和の日をそんなメモリアルデーにしてこそ、「国の将来」は確かなものになるだろう。」

とは、そのまま朝日人氏にお送りするのが良かろう。
朝日人氏が、「影」ばかり強調しながら、自身の過去を隠蔽し「よい子」ぷるのは誰もが腹に据えかねると言うものだ。

三権分立を理解できない中国政府

2007-04-28 23:02:08 | 世の中妙な??事ばかり

今日の読売新聞朝刊に、「日本の最高裁が中日共同声明について下した解釈は不法であり、無効である」と強く批判」と出ていた。

元々、中国中華民国を継承する立場ではなかったのかとこんなところで馬脚が出る。
もし、中華民国を継承しないのであれば、国連常任理事国は即刻辞退しなければならない。

中国にとって、常任理事国であることは絶対だからそんなことはないだろう。
‥‥とすると、中華民国政府が交わした条約はそのまま継承せざるおえない。

日華平和条約(日本国と中華民国との間の平和条約)
1952年4月28日
第一条
 日本国と中華民国との間の戦争状態は,この条約が効力を生ずる日に終了する。

第二条
 日本国は,千九百五十一年九月八日にアメリカ合衆国のサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約(以下「サン・フランシスコ条約」という。)第二条に基き,台湾及び澎湖諸島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利,権限及び請求権を放棄したことが承認される。

これを持って分かるとおり、元々サンフランシスコ平和条約と同等な「請求権放棄」が サンフランシスコ平和条約発効の日に行われている。
そして、この条約は共産中国政府は継承するのはもちろんだ。(裁判判決に採用)
そして、「中日共同声明」というものは、この条約の再確認と見るのが世界常識だろう。

もし、そうでないなら通州事件は被害者遺族は、今でも中国に賠償請求できることになる。

そして、何より中国人の無知を世界に知らしめたのは、日本の最高裁に対して、「この条項を勝手に解釈したことに強い反対を表明する」。
「我々はすでに日本政府に、この問題を適切に処理するよう求めた」と語った。
と言うことだろう。
中国にはもう援助は止めた方がよい。
本来、この賠償は中国がすべきことなのだ。
そうでなかったら、ODA資金を耳をそろえて返していただこう。


サンフランシスコ講和条約の実態を明らかにせよ

2007-04-28 23:00:06 | 世の中妙な??事ばかり

占領下の日本於いて、GHQが行ったことは全て因縁がある。
東京裁判の会場は、市ヶ谷旧陸軍省講堂。
そして、サンフランシスコ講和条約の発効の日は、わざわざ昭和天皇誕生日の前日に設定してある。

市ヶ谷旧陸軍省講堂など、取り崩される前に見学したことがある。大きさとしてその辺の小学校の体育館以下の狭いところだ。

ここに膨大な架設の裁判所を作って強引に裁判をしたのだから、MacArthurの執念や如何にである。

さて、サンフランシスコ講和条約の実態は実は余り明らかにされていない。

講和条約締結を渋り、米国の保護国のままにいようとした吉田茂その他一行を軍用機でサンフランシスコへ連行。
空港近くの倉庫で、問答無用の調印。

声明文その他全て、米国が用意し、
 「"It will restore the Japanese people to full sovereignty, equality,
 and freedom,  and reinstate us as a free and equal 
member in the community of nations."」‥‥米国公文書館の資料によるとアメリカ人によって書かれたものとのこと。

これを白洲次郎が日本語に訳したことは、以前の産経抄に書かれていた。

しかも、このサンフランシスコ講和会議の調印は日本国内では、極秘であった。

サンフランシスコ講和条約締結後に、しらばっくれて吉田首相は、国会に締結の是非を問うた。
これが、「ソ連や中国共産党政府を除く国々との単独講和を進める吉田政権に対し、東京大学総長南原繁がこれらの政府を含めた全面講和を主張した。」
という馬鹿な議論に繋がる。
締結後、国会に問うて、是非も無いだろうと言うのが誰でも思うことだ。

しかし、この極秘締結後の独立は、GHQの傀儡政権という日本政府がその事実を隠して、本格政権へ鞍替えした原点とも言える。
日本国憲法が改められなかったのも、傀儡政権隠しの一環から来たことと分かれば、改憲議論も非常に分かりやすい。


なぜか増えるアクチベーション対応ソフト

2007-04-27 18:22:02 | パソコン関係

インターコムのSuperXP Utilities Pro3が昨年投げ売り状態だっので買って使っている。
この手のユーティリティソフトというものは、一々自分でするメンテナンスを自動でやってくれると言う事で、便利と言えば便利だが、不要と言われれば不要なものである。

特に、Registryの再構成など「回復コンソール」が必要である。
ヒカリになっているものの高速化と言ってもこれも、フリーソフトが出回っているから別に特別にやって貰う必要がない。
では何に使うか‥‥不要ファイルの整理ぐらいだ。

それがWin Vistaになったからと優待になった。

 SuperXP Utilities Pro 5 白箱パッケージ(通常パッケージと同じ内容物)
              8,190(税込)を ---> 3,990(税込・送料込)
 特別価格のため、お申し込み期間 : 2007年4月30日までです。
○ Microsoft Windows Vista 対応
 (対応OS indows Vista/XP/2000)
最新OSにいち早く対応。最新のパソコン環境でも快適なパソコン環境を維持できます。
※ Windows Me/98SE/98 には対応していません。

ところが、
○ 2ライセンス付き【NEW】
2台のパソコンにインストール出来ます。(シリアル・キー2台分の2つ付き)
同一個人所有もしくは同一世帯所有のパソコンに限ります。
とアクチベーションになった。


インターネットを利用したライセンス認証は、次のように行われます。

商品のインストール後、インターネットへの接続環境がある場合のみ、起動時にライセンス認証のダイアログ画面が表示されます。
「認証する」ボタンを押すと認証が行われ、ライセンス認証に成功すると、プログラムが起動します。
「認証しない」を選択された場合にはダイアログ画面が表示されてから15日間、プログラムを使用できます。 

インターネットへの接続環境がない場合は、シリアル番号の照合のみ行い、プログラムが起動します。
ただし、一部の機能に制限(ブロードバンド最適化のうち、「IEお気に入りクリーナー」と「高速化チューニング」の2機能を
ご利用いただけません。
)があります。


なんだ、アクチベーションと言っても「ネットに繋がらなければ」と思うが、起動時にネット環境を検索するらしい。

しかし、最近この様なアクチベーションを行うソフトが増えた。
マイクロソフトのOfficeが奔りだ。
それで、パソコンにプリインストールされているオフィスは使うが、改めてバージョンアップ版など買ったことがない。
実は、古いもので充分なのだ。
大体、この手のソフトは2台のPCにインストール出来るものが多い。
しかし、こんなソフトになったら買わないことにしている。
その点、ジャストシステムはアクチベーションを導入していない。
未だに買い続ける原因でもある。

「国立ロシア美術館展」・帝政ロシアの残像

2007-04-26 23:21:08 | 読み解けば‥‥

国立ロシア美術館展」の作品を見ると、全て帝政ロシア時代のものだ。
20世紀初頭の革命近くなると何故だか、あまり気に入った作品がない。

このように見ると、ソ連の時代には文化が育たなかったと思わざるおえない。
共産主義というのは、一つの宗教と同じでその宗教の関する文化は育ったかもしれない。
しかし、そんな文化は普遍的ではない。
古代ギリシャ・ローマ、中世ヨーロッパ、皆宗教に関する芸術が多い。
それは、そのような宗教文化の中で必要とされた偶像を作る人々がいたと言うことである。
そしてそのような文化や芸術が普遍的なものであったことは、世界中に宗教が広まった事で証明されるだろう。

そして、そのような宗教文化のみならず、昔から芸術というものは「パトロン」がいて、その依頼によって制作をした。
近世においては、地主階級たる「貴族」、「領主」が中心である。

共産主義になれば、その地主階級を破壊したから「パトロン」は消滅した。
その代わりは、共産主義という宗教と、「官僚」による中央集権だ。
官僚が「パトロン」になる??
そんなことがないのは、共産主義下での環境破壊と汚染をみれば一目瞭然だろう。

日本でも、帝政時代などを批判することは多い。
しかし、芸術の保護という分野では、貴族制度が残った世界の方が偉大な芸術を生み出している。

日本でも、明治以降よりも江戸時代などの貴族文化が存在した方が、現代にも通じる文化を残した。

ところが、戦後、GHQや共産主義者、日教組が「地主階級」という文化の保護者を破壊したために、地方の文化、セーフティネットが破壊されてしまった。
結局、全ての擁護は、国という中央集権にまとめられた。

では、国家は文化を擁護するのか。
日本は、草の根の文化を擁護するのか。
答えは、擁護などしないのである。
何故なら、文化の擁護は「官僚」という役人に任され、しかも擁護する「理由」、「肩書き」などが必要とするからだ。

これは、共産主義社会と全く変わらない。
日本は、未だ文化の面で社会主義国だ。

我々、書道家の作品を芸術と認めず、「お稽古ごと」として作品を買ってなどくれない。
文化勲章を貰うような大家ならいざ知らず、無名の書家の作品など誰も買ってくれない。

書道家は、日々展覧会ごとに貧乏になり、単なる紙の山を残すだけとなった。
あとは、引退までに自己満足の「個展」をやって散財し子孫に美田を残さずを実践するのみ。
ああ悲しい書道家の人生。
こんな事なになりたくはない。


集団的自衛権・よく議論せよとは拒否か

2007-04-26 17:52:01 | 新聞社説・正論・主張を読み解く
近年安倍政権は、今まで想定も出来なかった部分に色々と一歩踏み込んでいる。
そこで、左翼バネが働いたのが、毎日新聞社説だ。
集団的自衛権 公正で開かれた議論を望む」と題している。
ここで、「もっと議論を‥‥‥」とは国会で、例の辻本清美議員が叫んでいた。
「反対、反対‥‥」という言葉の変わりの文句だ。
日本語というのは、色々な意味合いがある。
だから、日本国憲法も曖昧な部分を拡大解釈出来るわけだ。
GHQ占領下、集団的自衛権など話にもならなかったとき、時の吉田首相は、憲法の条文通り、日本は「軍隊」を持たないと国会答弁したはず。
ところが、朝鮮戦争勃発でMacArthurが警察予備隊を設置、保安隊、自衛隊となる。
はっきり言って、憲法などその時点で反古ではないかと思うのである。
当時の政府は、いわゆる傀儡政権。
堂々とした「傀儡政権」であるから、そんな政府の元での憲法は普通無効だ。
フランスだって、ビシー政権を認めていないではないか、実際ビシー政権下フランス艦隊は、連合軍と砲火を交えている。
ところが、日本は、そのビシー政権がそのまま残ってしまった様なものだ。
だから、傀儡政権であると言う事をひた隠しにして国民を騙し、目くらましにしてきたのが、戦後の吉田学校の為政者だと言う事になる。

毎日社説は、
「私たちは時代の変化に合わせ集団的自衛権についても研究することは必要だと考える。
ただし、初めに結論ありきの議論は避けなければならない。」
と書くが、集団的自衛権は今初めて出来たわけではない。少なくとも、湾岸戦争の時には大問題になったはずだ。
そのとき、後藤田官房長官のおげで自衛艦一隻も出せず、金だけ取られて、後で顰蹙と蔑みを貰ったのは誰でも強烈に覚えているではないか。

だから、集団的自衛権という問題は既に議論は終わり、いつ解除するかにかかっている。

毎日社説氏が言う
ただこの問題は国内でも議論が深まっていない。首脳会談で集団的自衛権の解釈変更や憲法改正が対米公約になるような踏み込んだ発言は慎んでもらいたい。」

の中の、「国内」とは、朝日、毎日などの左翼人士が住む「国内」であって、一般の国民のコンセンサスではないのは近年の状況をみれば明らかだろう。

そして、毎日社説氏はとうとう本音を吐く

「首相は憲法改正を政治目標に掲げ、参院選でも争点にする意向を示している。分かりにくいのは今回の集団的自衛権の研究と憲法改正との関係だ。憲法解釈の変更で済むのなら、憲法9条改正は不要になるのではないか。その点をていねいに説明してもらいたい。」

憲法の改正は、第九条だけではない、教育、福祉、環境その他あらゆる問題に於いて、60年という年月は時代遅れにさせているのだ。

全てを第9条に矮小化してゆくのは、良くない。

「政府は集団的自衛権の行使は憲法上認められないという立場で、自衛隊の活動は厳しく制約されてきた。その制約があったからこそ戦後、日本は戦争に巻き込まれず平和を守ることができたという主張は根強い。」

などとノーテンキな事を考える輩が多いから、北方領土も返ってこなかったのだ。
国と国との関係は、弱いときに攻めると言うのが本筋で、これは、中国の故事に書かれた戒めにもあるではないか。

生誕100年・中原中也の女性の三角関係と小林秀雄

2007-04-26 10:10:38 | 読み解けば‥‥

中原中也は、生誕100年と言うことで、読売新聞4/24日の夕刊に「100年の中也・中」として特集があった。
「そばに置いても邪魔にならない女だ」
中原中也は京都時代(1923)に知り合い、17歳(1924)で同棲を始めた女優志望の長谷川康子(18歳)を友人にこう紹介した。
‥‥とある。(年号年齢等は筆者挿入)
有名な詩人とはいうものの、実像と詩が似ても似つかぬことが間々ある。
石川啄木など、「働けど‥‥」の詩句があったとしても実像は、働きもせず借金をしては飲み歩っていた借金王のぐうたらだ。
中原中也も似たようなもので、酒狂いの喧嘩好きの嫌なヤツだ。だから、長谷川康子とは実は喧嘩ばかりして、それに耐えていたと言うのが本当だった。
だから18歳になって上京すると、長谷川康子(19)は帝大生だった小林秀雄(23歳)と同棲することになるのだ。

‥「別離の当日、リヤカーで荷物を運び出す康子を中也は静かに見送る。だが程なく、‥‥「私はただもう口惜しかった、私は『口惜しき人』であった」(『我が生活』)‥‥‥に書く。(読売新聞)

まあその後、「あなた」を連発するが、「康子」とは書かれていない。

長谷川康子は、小林秀雄に捨てられ、築地小劇場の演出家の山川幸世と一児をなす。‥中也がその名付け親。
そしてさらに、違う資産家の男と結婚し、敗戦直後に別居。
88歳で亡。
長谷川康子は、どんな女性だったのか‥20歳の時、 「グレタ・ガルボに似た女」という募集にトップで通過した女優。

写真で見る限り、整った顔つきはしているが‥そうかいな‥という感じた。
いずれにせよ、当時の水準で言えば、男から男へ渡り歩くとんでもない女性と言うことだろう。

長谷川康子晩年のインタビューで、「小林は恋人、中也は駄々っ子できかん坊」と行っていたという。

それにしても、文化勲章までとった小林秀雄も実は中々悪な人間で、聖人君子ではないことがよく分かる。

小林秀雄の文体は、東大卒の人物は絶賛なのだが、実は意地悪な、底意地の悪さを表現していると感じるものだ。


エリツィン前大統領の清算されなかった北方領土

2007-04-25 17:38:47 | 読み解けば‥‥

エリツィン前大統領の訃報を聞いて、日本の外交上の失敗と当時の日本の為政者達の不甲斐なさを感じるのは、小生だろうか。
ソ連崩壊と共に、エリツィン氏は大統領となり第二次大戦において占領又は、保護国にあった国々が独立した。
大戦中の独ソ不可侵条約によって併合された、バルト三国エストニアラトビアリトアニア
元々の独立国ウクライナロシアに併合、ロシア崩壊、独立、ソ連に併合と数奇な運命を取りながらソ連崩壊と共に独立した。

この国々は、ソ連崩壊がなければ独立は不可能だった国々であり、第二次大戦とそれに伴うソ連の侵攻の清算だった。

それならば、日本が戦争に敗れ、武装解除されてゆく中で、不可侵条約違反の上、占領した北方領土はやはり清算されるべきものだった。
それがなぜ清算されなかったのか‥‥というのは多分一つの謎だろう。

朝日新聞社説は、エリツィン絶賛の口だが

「混乱は民族紛争の激化という形でも押し寄せた。分離・独立を求めたチェチェン共和国との戦争がその典型だ。武力鎮圧に失敗し、多くの犠牲者を出すとともに国際的な非難も招いた。」
と自ら書いているとおり、アジアでは分解されるソ連領土に対して強力な危機感で弾圧をしたのは、別にプーチン氏と変わりはない。

日経新聞社説では
「エリツィン氏は日ロ関係の改善に積極的に取り組んだ。93年10月に訪日した際、細川護熙首相と調印した「東京宣言」は画期的だった。」

「1993年10月の訪日では当時の細川護煕首相との間で「4島」の名前を列記して帰属問題を解決するとした「東京宣言」に調印、シベリア抑留問題でも口頭で日本側に初めて謝罪した。」産経。

というが、決して画期的ではない。
なぜなら、この会談で北方領土は返ってこなかったからだ。
鄧小平主席は、99年問題で英国のサッチャー首相との会談で香港返還を勝ち取ったではないか。

だから、未だ1993年の段階でソ連の終戦処理という戦後の問題解決可能だったはずだ。

ならばなぜその様な見通しが立たなかったのか。
予想すれば、日本側から北方領土は返ってこなくても良いという「思惑」がロシア側に伝わっていたとしか思えない。

外交にも、歴史にもイフはあり得ない。
しかし、時の為政者が国内政治のみに傾倒して、国の根幹たる領土問題に無関心だったところを突かれた外交上の失敗だったろう。
時に、出で来る細川護煕首相は、言わずもがなであるが、この重要ポイントにいつもでで来る橋本龍太郎元首相は、内政、外交共に失策を繰り返していた。
それは、旧来の「官僚的政府」というものが機能しなくなった事に気づかない「無能な」政治家と言う事だろう。


赤い靴を履いていた美人女子学生

2007-04-25 17:36:44 | 世の中妙な??事ばかり

赤い靴といえば、大学時代クラブの遠征で四国に行ったとき、同期の女子学生が靴を盗まれて、なぜか「赤いハイヒール」を買って履いていたのを思い出す。

昔から女性とデートをするとき、必ずその女性の靴を見ろという。
その靴によって、その女性との関係を見極めるのだというのだ。
良く女性議員が選挙の時に、赤い服だとか、パステルカラーだとかの服を着て「戦闘服」と称している。
しかし、それは明らかに見える「鎧」のようなもので男女間に限っては、本心を見ると言うことは出来ない。
男性は、女性と初デートするとき何をもってOKのサインを出すのか、又は期待感を表すのか、服装では思いつかない。
しかし、女性ではその心理は「靴」。
フィリピンのあのイメルダ夫人が3,000足もの靴を持っていたことからも判るように靴は、特別な意味があるようだ。
さて、男性がデートをしたとき、相手の女性がどんな靴を履いてくるか‥‥
まず、(女性をアピールする)新しいハイヒールでも履いてきたらカナリ脈がある。
古いちびた靴なら「興味なし」だ。
その場で盛り上がっても後で「ダメ」と必ず拒否されるのが落ちだ。

又、新しい靴だって、どんな靴だということもある。
普通これから付き合おうというのに、ゲテモノ靴を履いてくるはずがない。
履いてきたら‥‥あんたどうでも良い男よのサインだ。
その中で、「赤い靴」を履いてきたら「用心」しろと昔から言われている。
その時の女性の心境は、カナリ不安定だということらしい。
下手に事情を問い詰めたりすれば、必ず絶交が待っている。

大学時代のサークルの女子学生。
この時、何か精神的に「絶不調」だったと同じ女子学生が言って、「気を遣うな」と周囲に注意を喚起した。

実は、このサークルとは、体育会自動車部で遠征と言っても、遠出の車旅行だった。
007ジェームス・ボンドが、女性の乗った・飛ばしているスポーツカーを見て
「スピート強の女性は美女に違いない」と追いかけるシーンがある。(ゴールドフィンガー)

それと同じように、なぜか体育会自動車部には、美女揃いだった。(入学時・ミスキャンパスの部員を動員して・同じミスキャンパスクラスの女性をを探して勧誘したとか‥‥)

さて、自己の女房を見てみれば、デートの時は新しい靴かどうかは不明だか「高そうな」靴は履いていた。
そして、今ちびたスニーカーしか履いていないのは、小生に対して「男」を意識しなくなった寂しい現実を物語っている。

‥‥‥と言うより、「女性」を捨ててしまったと言う事だろう。


赤い靴を履いていた女子学生。
その後サークルを離れ、4年になった夏、新宿の住友ビルから飛び降り自殺をした。
原因は不明。小生も新聞を見て知ったが、事情を知る友人(男)は葬儀に出席したという。