書道家Syuunの忘れ物

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NZ大地震で「九死に一生を得る」幸不幸の不思議さ

2011-02-28 23:36:46 | 世の中妙な??事ばかり

NZ大地震で「九死に一生を得る」幸不幸の不思議さ

運命分けた昼食 ビル倒壊10分前に外出」(産経新聞・共同通信)と言う記事があった。
この記事では「ニュージーランド大地震で、崩壊したクライストチャーチ市の語学学校『キングズ・エデュケーション』から、発生10分前に昼食のため外出、難を逃れた生徒がいた。京都外国語専門学校の持田知穂さん(19)=滋賀県。」と書かれている。
ところが、この記事と同じようなことは、読売新聞2月26日朝刊には「初めて校外での昼食、その日に‥‥」別の女子学生の話として読売新聞独自取材として掲載されていた。こちらは、滋賀大学2年生の女性(大津市)。
共同通信伝で「地震前日の21日夜、友人女性から、学校の外で翌日の昼食を食べようと誘われた。」とあるのだが、実は4人で昼食を食べに学校を出たらしいことが読売報道でわかる。その後の状況や行動が同じなので間違いないだろう。
こういうふうに、ほんの少しのところで生死を分けると言う事は事件を見ると良くある様である。
考えれば、あの御巣鷹山で遭難した日航ジャンボ機でも満席でキャンセル待ちで搭乗して遭難した人もいれば、搭乗キャンセルして難を逃れた人もいると言うことである。
そう言うことは以前どこかで書いたかも知れないが、従兄弟のことで昔聞いたのもそうであった。
それは、まだ沖縄が返還されるずっと前の話。
沖縄の学術調査団の一行に学生の分際で加わっていた従兄弟。どこからか(どうと言うことがない)電報が来て急遽1日早く帰国(返還前なので)することになった。その一日早い飛行機で帰って来て何ともなかったのだが、翌日の予定で乗るはずだった飛行機は遭難したという話。
しかし、その遭難記事は結構大きな取り扱いだったから覚えているものの、ネットで飛行機の遭難記事を調べても良く分からなかった。
いずれにせよ、そう言う生死を分けそうな「難」を避けるのも運がよいとも言えるが、種々調べてみると実そうとも言えないことが多い気がする。
そう言う「九死に一生を得る」様な人というのは、長い人生で何故か3度くらいは大小はあろうとも「九死に一生を得る」様なことがある。
そして4度目はアウトというか、本当ならこんなことで何故と言うところで亡くなったりする。
事実「九死に一生を得た」様な人というのは、そんなことが多い。
考えれば、あの不死身のオーディー・マーフィー(Audie Murphy・第二次世界大戦で24個の勲章を受けた映画俳優・監督)も亡くなったのは単純な飛行機事故であった。
ここからは運命論みたいなものになるのだが‥‥‥こういう「九死に一生を得る」様な人というのは、実は普通の人と違って運勢が逆転していると考えている。
「九死に一生を得る」訳だから、ほとんど助からないのに運勢が逆転しているために自分1人だけ助かると言うわけである。
そう言うわけだから、普通の占いで「今年は良い年」と言うときは「悪い年」。そして「悪い年」と言うときは「良い年」になる。
しかし、その「良い年」が元々「悪い年」なのだから単純によい年になるわけではないところが悩みが多い運勢になる。
「九死に一生を得る」と言うことのために、その何倍も不運に悩まされる一方で、死地を数回脱するというのはやはり運勢は「ゼロサム」であると言うことである。
誰でも人生に一度は大金を手にすると言うのも嘘ではないから、宝くじで大金を当てると言うことだってありうる。
しかし、そう言う人はやはり不思議とその他では大金を手にすることはない。宝くじの当選というのも運勢的には何か問題がありそうである。
そうして、その運勢が逆転している人は「九死に一生を得る」時は「生」に振れ、誰もがそんなことで亡くなるものかという事柄で簡単に亡くなる。

いずれにせよ、そういう「九死に一生を得る」と言う様な経験は出来ればしないほうがよい。しかし、そんなことは運命づけられているから逃れようがない。
その上「運勢が逆転している人」の占いというのは、占いの枠外にあると言うものである。そう言う占いが全く当たらない人というのが世の中にいるのである。
そして、「運勢が逆転している人」かどうか調べることはある程度の経験則から推測出来るだけであると言うのも紛れもない事実である。


官尊民卑が露出した民主党政権と雑誌「正論」論調

2011-02-27 22:49:53 | 民主党政権綴り

官尊民卑が露出した民主党政権と雑誌「正論」論調

雑誌「正論」が金曜日(25日)にも配達されてきたので「さっさ」と一通り読んでみた。
近年こういう雑誌が売れなくなってきたという話は良く聞くもので、ついぞ「諸君」は廃刊になった。
雑誌「諸君」が廃刊になったのは、本が売れなくなったと言うより出版社の事情によるのではないかと実は思っている。なぜなら廃刊の近く1年くらいは買おうと思っても書店で売っていないことが多かった。
書店で売っていなければ売れるはずもないから、部数が減るのは当たり前である。
そして、雑誌「諸君」というのはいわゆる似非「保守派」という人達が巣くっていた雑誌でもあった。その似非保守派本人達の立場は戦後余り変わらなかったかも知れないが、日本の国民世論が戦後教育・プロパガンダの呪縛からいち早く解け、振り子の振りが元に戻ったと言うことである。
そう言う振り子の揺り戻しが元々保守派の雑誌であったはずの「文藝春秋」が左傾していると見られ、その同じ出版社の「諸君」は目障りだったのかも知れない。
振り返って雑誌「正論」を読むと近年では「オオカミの遠声」の様な感じがしてならない。
国民の目から見れば、今の菅民主党政権というのは国民が意見として何を言ってもまともに答えず、やりたいことをそのまま押し通す。国会論戦を見ても野党の質問にまともに答えず、言い逃れをして結局聞く耳を持たない。
こんな様であれば雑誌で何やら騒いでも「煩いことを言っている」と何も影響されない。
単なる不満のガス抜きでしかないという気がしてならない。
だからそんなガス抜きでいくら議論しても、自民党時代とは違って何も影響されないし取り上げることはない。
意見が採り上げられたとしても、例によって「気を鼻で括る」答弁や質問趣意書の答えでは意味をなさない。
しかも国民や野党はたまた、民主党内部からの意見が煩いからと「ゲハイム・シュターポリツァイ(Gestapo)」(ラスヒス国家保安本部)まがいの民主党(軍)兵として自衛隊を使ったりしている。その言論統制のみならず「民主党執行部が所属全議員に対し、テレビやラジオに出演する際、番組名やテーマをあらかじめ届け出る。(産経新聞・共同通信)」という末期症状である。
ここで菅首相は予算が上手く成立しなくても何としても首相の座にかじりついて、何らかの成果を残そうとしている。
こういうことが何故なのかと思っていたら正論「『8月15日』は解放記念 日罷り通る自虐教科書」と言うところにこんな風に書いてあった。
「‥‥『共産主義的人間』ほど、一度権力を握ったら、それを乱用しがちなものである。‥‥」
分かりやすく言えば、彼らは日本の国益や国民のためと言うのではなく全て「個人のため」という独善的な自己愛に基づくものだと言うことである。
だから民主党を批判する者に対しては、国家権力を動員して弾圧もするし制限もする。これでは、今の日本は民主主義国家ではないと言う事になる。
そう言うことで、今や日本は経済的な閉塞感どころが政治的な閉塞感さえ出始めている。
だから、明日はどうなるのかと国民は不安がるのだが民主党というのは危機管理は、民主党内部だけの危機管理であって、国民と国家に対する危機管理は欠如してしまっている。
国は、民主党のためだけのものだと思っている様な国会対策委員長が存在する現在、国民としては早く民主党という醜態な政府か去ってくれることを首を潜めて待っているのである。
この菅政権の「聞く耳」持たずと言う民主主義国家としてあるまじき行為というのは、直接国民に係わる事としては国土交通省などの国の機関が正にそうである。
例の八ッ場ダムの問題を見ても現地の言い分を全く聞かなかった。
たとえば道路拡幅という単純な説明会でも、本来なら住民の意見を聞いてそれを幾分か反映させると言うような事は一切無い。
いわゆる説明会というのは、民主主義国家として「国民の意見を聞いた」という形式的なものである。
その論戦が、今の国会での有様と重複して見えるというのは、日本の国は末端の国家公務員からして意識を入れ替えさせなければならないと言うことかも知れない。
特に国土交通省などの人間は、公共工事で土建業者に絶対権限を行使して威張るから、関係ない住民に対しても同じ態度を取る。
おまえら、我々の税金で喰っているのだろうと腹が立つ。
未だに官尊民卑どころか国民を「クソ」と思っているのが、中央官庁の役人だけでなく地方事務所小役人までそうだから始末が悪い。

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亡医師のお通夜と甘い物(通販)のお話。

2011-02-26 01:09:03 | 雑感・どうでも良いこと

亡医師のお通夜と甘い物(通販)のお話。

今日(2011/02/25)は、昔お世話になったお医者さん(K医師)のお通夜だった。享年89歳。
こういう高齢の老人が亡くなると最近では参列者が多くないことが多い。特に、最近では隣近所でも通夜、葬儀にも出ないという人が多くなった。
特に仕事を持っていなかった女性だと、親戚の他に本当に数人と言うことさえある。
このK先生は医者の跡継ぎがいなくて医院は閉鎖した一方で、家族が調剤薬局をしている。その関係のあってそれなりの人が集まった。
昔お世話になったとはいうものの、一番お世話になったのは亡父の方である。
父は、いつどこかで占ってもらったのかは分からないが「50歳で死ぬ」と言っていた。その50歳を前にして吐血などをしたりして死期が迫ったと思ったらしい。それが胃潰瘍が見つかって手術をして九死に一生を得た。
その後占ってもらったら「長生きすると」出たという。
これもどこで占ってもらったかは言わなかった。
父は戦争を経験した世代で、徴兵されて集まった召集兵の新兵の内で、戦後まで生き残ったわずか3人のうちの1人だったと言うから命強かった。
その際どさというのは、南方に送られる無防備な輸送船に乗って東京湾を出港したとき。
東京湾のあの岬を回ったら外洋で無線封鎖して引き返さない‥‥という岬を回り始めたところで「サイパン陥落」の通報。
それで引き返して、命拾いをした。命拾いしたというのは、東京湾を出たら米国の潜水艦が待ち構えていて間違いなく撃沈というのは常識だったからである。
次の命拾いは、軍隊勤務で広島にいて原爆投下の一週間前に横浜に転勤。それで原爆にも合わなかった。
そうして、三回目だか四回目だかの命拾いが胃潰瘍の手術だった。
ところが、その手術の時に大量の輸血をして(後に分かる)C型肝炎に感染して30年後に決められた期日が来た様に亡くなった。
その30年後にC型肝炎から来る肝臓癌を即座に見破ったのが老齢だったK医師だった。そんなもので、K医師には父と母の二回葬儀に来てもらっている。
それで今回は、貰った香典二回分を一つにまとめて香典とした。
 但し、その二回分が一般にお包みする常識的な金額だから「古い金銭感覚」であったのは間違いない。
こういう葬式というのはここのところ2件ぐらい見逃している。
その一つは以前のエントリーで書いたとおり、旅行中の新聞に載った訃報。もう一つは、同級生に道で会って知らされるまで全く知らなかったもう一件。
そんなことで、心を入れ替えて参列したという次第。
そのお通夜も久々の「神葬祭」だった。例のお線香ではなく榊をあげるもの。
近年曹洞宗などの葬儀が多くて、余りお経らしくないものに接する。神葬祭だと神様だから「○○の命」と言うわけである。
それにしても近年は、葬儀が出来る会館を持つ葬儀社で行われることが多くそれに連れて「お返し」が貧弱になった。
いずれにせよ、昔通常行われた自宅葬や通夜というのものはついぞ見なくなった。
早世した兄の告別式は大昔だから自宅葬だったが、参列者には会葬礼状と葉書が二枚ほど入った封筒を渡し、香典を持ってきた人には後から香典返しを送った様に記憶する。
それが今は、葬儀社によってパターン化して親族が「慣例として行わない」と言ったことでさえ「葬儀社」の都合でやらせる様なあくどいこともある。
そして、大昔は何やら葬儀の時は甘いお菓子の臭いか、酒饅頭の臭いがした様に思う。
なぜなら、そういう人が集まるときは必ずと言って良いほど当時の名物だった「薄皮の」酒饅頭(片原饅頭)が配られたからだ。
そう言う食い物をネットで探すと言う事になると、PC用品や家電製品と違って規格がないからこの前のグルーポンの「おせち」騒動の様に中々難しいものがある。
特に、楽天の期間限定ポイントが溜まってると「楽天」の策術に嵌って何か買おうという衝動に駆られることが多い。
食い物なら消えてしまうから何でも良いかと思うが、コメントが少ないサイトというのは要注意サイトである。
この前、お米を同じ大潟村の「あきたこまち」だからと、初めてのサイトの産直で買ったら美味しくなかったというのは大失敗だった。
このサイトは、商品レビューが3年間で5件しかないそれも半年に一件程度のもの。
新しいサイトと勘違いして少ないのかと思ったら、そうではなかったと言うのが真相だろう。そして旨くなかったから、当然自分もレビューを書かないわけである。
こういう食べ物のうち楽天広告に出でいたスイーツあたりだと逆に、落胆させられるコメントが多いことがある。
しかも概して食べ物は割高だったりするから用心である。
そんなことを言いながら、ディノスでこの夏場の1,000円割引感謝券で梅干しを大量に買い、冬の1,000円感謝券で今度は「干し芋」を買った。
届くに一週間も掛かったが、女房殿がそう言うのは「賞味期限が短いのよ」と言われてみてみたら約1ヶ月だった。
この干し芋、レビューが多くて間違いなかったが、こんな干し芋にしては結構高価。
旨いものは高いのは仕方がない。
お茶請けには最適だが。芋だから腹持ちが良くて少量にしておかないとあとがきつい。
今では、期限内に食べきるのか心配になっているダイエット中の欲張りである。

丸干し芋 5袋


ニュージーランド地震を考えて思うこと

2011-02-23 22:25:05 | ちまたの噂・雑記事

ニュージーランド地震を考えて思うこと

ニュージーランド地震では、国際緊急援助隊67人が23日成田から出発した。
この政府専用機に関しては、外務省から「被災した学生の家族について、政府専用機には乗せられないと政府から連絡」とあって混乱した状況であった。
前原外相が22日夜、緊急援助隊を被災地に輸送するための政府専用機に被災者の家族を同乗させる考えを表明しながら、政府専用機を管理・運用する防衛省との具体的な調整も行われないまま、見送られたことだ。」 (読売新聞)と言う風にある。
しかし、産経新聞に「援助隊に立ちはだかる“72時間の壁”」と言う記事があって、家族を待って1日遅らせるわけには行かないと言うものだろう。

Building01
安否不明者が集中している学校「キングス・エデュケーション」。
例の完全に倒壊してしまっている建物の写真や映像が出で来る現場。
その元の建物の姿というのは、読売新聞などでは「キングス・エデュケーション」の紹介Webサイトからの写真が出ている。
その写真から見ると、なんと6階建で一見して柱が細いハワイなどによるある建物である。二つ目の写真は3階建のでこれは残った方なのかも知れない。
しかし、被災写真を見ると完全に倒壊している建物の横にガラス一枚も割れていないビルが見える。

Kingsbuilding
こういうのは阪神大震災の時と同じで、たまたま古い母屋に泊まったために圧死してしまった婚約者という痛ましいこともあった。
そう言うことでもないのだか、ハワイ(地震がない)の建物の様なところへ行くと地震国なら倒壊しているなと密かに思ったりもしていた。
だから、日本でも地震が来たら直ぐにでも倒壊してしまいそうな建物には近づかない様にしているのである。
そして、断層のある地震国のニュージーランドなら怖くて仕方がない。
そんなことは、語学研修の人達は気づかないだろうし大変痛ましいことになった。
それにしても、今最近日本の調査捕鯨の中止にニュージーランドやオーストラリアが「シー・シェパードSS」のバックについて擁護しているという報道があった。
そう言う政治問題に関しては、こういう語学学校に通う人達というのはどういう思いだったのかと考えれば、何も気にしなかったに違いない。
そして、ニュージーランドと言えばオーストラリアやカナダが中国人ばかりになって、そのためか逃げたしてきて、移住したのが例の大橋巨泉氏。
以前の週刊誌で大橋巨泉氏が述べている。
リーマンショック後ニュージーランドは大不況で、土地建物が暴落したから安く手に入ったと自慢していた。
その巨泉氏がこの地震でレポートでもするかと思えば、何もない。日本はまだ冬だから、日本には帰って来ていないだろう。
そんな大惨事が出現していたのに、東京の上野では例の「超」金の掛かるレンタル珍獣で大騒ぎだった。
このレンタル珍獣別名パンダは、元々チベットの動物で本来中国とは関係ない。他人から奪ったものを高額で貸して、「パンダ恩」を着せるというのは中国流としては良い商売である。
それにしても、パンダの名前なぜ中国風なのか不思議なものだ。
諸外国ではその国にあった名前をつけている筈なのだか。


東京都知事選に登場するリベラルな有象無象

2011-02-21 23:29:47 | 読み解けば‥‥

東京都知事選に登場するリベラルな有象無象

「民主が蓮舫氏に都知事選出馬を打診」(産経新聞Web)という報道があった。
この話は、以前から報道されていて「回答を保留」というのは前のままである。
留保しているのは民主党の支持率が低迷しているためと以前から。
4月の都知事選に対しては、直前に菅総理が退陣して多少でも民主党の「期待感」という誤魔化しを醸(かも)し出した後でなければ出馬は間違いなく無理だろう。
そう言えば先週の金曜日(2011/02/18)だったか、朝の文化放送「くにまるジャパン」を聞いていたら、支持率20%を切る菅政権にやたらと「擁護発言」をする声が聞こえてきた。その擁護は発言とは「野党は発言した言葉ばかりを批判している」という様な主旨だ。それは、例の鳩山前首相の「方便」発言を念頭に置いた事である。
そんなことを言うのなら、政策として何か素晴らしいことを民主党は成し遂げたのかと思えば思い付かない。
当然、このコメンテーターは言うはずもない。兎に角、近年民主党擁護をあからさましていた文化放送でさえ民主党応援発言はしなくなった。
だから、文化放送の同じ時間帯の二木啓孝氏でさえ最近では、擁護論は余り話題にしないくらいだ。
そして、最終日だったそのコメンテーターは「10月(2010)から月いちゲストコメンテーターをしていた」と自身のWebサイトに書く人物で「村田信之」氏という。
分かりやすく言えば、蓮舫大臣の夫君である。
2月でコメンテーターを止めるのは、今年4月の東京都目黒区議選に出馬することが決まっているからである。(スポニチ2010年12月17日)
以前フライデーか何かの写真で見たときは、蓮舫大臣の後から歩くスキンヘットの人相悪いドスのきいた感じのオッサンという感じである。
昔から言われているのは「人を見るときは友達を見よ」だか、今では夫婦だったら「相手の夫君か細君を見よ」なのかも知れない。
戦前世代では、親が決めた見合い結婚だったりして「似合いの夫婦」でなかったりするのは良くあることだった。それでも長年連れ添っていればどこか似てゆくし、そうでなければとっくの昔に離婚している。
そして、男は昔から「顔」は名刺代わりとも言う。しかし、女性を見るときは、化粧をするので男から見ては中々分からないものである。
それにしてもあの怖そうなスキンヘットにして、あの蓮舫大臣と思えばどう考えても都知事ではないなというものである。
そして、「ワタミ」前会長の渡辺美樹氏が立候補を表明している。
報知新聞では、都庁を訪問したら民主党都議会議員が一番応援してくれた(喜んでくれた)などと調子づいたことが書いてあった。
この渡辺美樹氏は、日本テレビの朝の番組でコメンテーターをしている。
夏目漱石の「吾輩は猫である」に登場する「よく文館中学」のモデルとなった「郁文館」高校の経営者としても有名だが、政治姿勢としてはリベラル派だろう。
政治家としては区会議員をしたわけでもなく未知数である。
そして、今は何の反応も示していない例の東国原前宮崎県知事。
宮崎県知事を1期で止め何か後味の良くない印象を残した気がするのだが、この東国原氏の最大の欠点は芸能人特有の完全なリベラルと言うことである。
「共産党前参院議員の小池晃氏」も出馬すると言うから、現職以外取りざたされている候補は皆リベラルと言う事になる。

日本のリベラルというのがどんなものかとは、今の国民は民主党政権で嫌と言うほど思い知らされた。
その上、東京都都知事までリベラルとなれば、どんなことになるのか推して知るべしだろう。
渡辺美樹氏が知事になれば、昔の結果の平等を目差した「学校群制度」を思い起こさせる。
又、あの初めの事業種分けの時、厳しく「種分け」をしたはずなのにほとんど復活してしまった。それに対して蓮舫大臣は無言で指示に従っていた(お嬢ちゃん)様であったと、ある雑誌で批判されていた。即ち、「人に動かされて行動する」人物の気がする。
別の言い方をすれば久米宏氏のような「人間スピーカー」と言うヤツだ。
そして、その元の声が民主党の誰かであるのなら、冗談じゃないよと言うことなのである。


桐生市立新里東小の自殺問題は弁護士の食い物か

2011-02-20 23:18:42 | ちまたの噂・雑記事

桐生市立新里東小の自殺問題は弁護士の食い物か

昨年10月、桐生市の市立新里東小で6年のUさんが自殺した。
この問題で両親が市と県に損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が2011/02/18にあったという記事があった。
この自殺問題は、「遺書のない自殺で、遺族が究明を求める『いじめと自殺の因果関係』は、今後の法廷の判断に委ねられる。」(読売新聞地方版)とあるとおり原因ははっきりしない。
普通ならば大して注目もされず、報道もされなかったであろう自殺問題が、全国紙の社会面一面を毎日の様に飾り、日本テレビ系の朝のワイドショーで同様に取り上げられた。
その論調は、「学校が悪い」、「苛め自殺だ」という一貫した論調であった。
この時、地元の県の話でもあるので注目してみていたのだが、実はあの「邊ツネ系」から横やりが入ったらしく、読売新聞系では「尖閣問題」から国民の目を話すための話題作りだったのは明らかである。
この経緯は、以前のエントリーで述べた様に10月の尖閣問題での話題が、突然プッツリと消えそれ以降一言も尖閣問題を取り上げなかった事を見ても明らかである。
だから、他局がYouTube流出画像の報道をしている最中に、延々と学校を追及する。
しかも不思議なのは、実際の自殺にいたる背景や本当の苛め実態というものはほとんど明らかにされないのに、学校の責任として「(苛め)自殺問題」を取り上げる異常さには目に余るものがあった。
種々の状況は、その後になって地元地方紙「上毛新聞」で詳しく報道されているが、この「自殺問題」というのは極めて個人的なものだった事が分かるのである。
なぜなら、苛めと言われている話しの中で明らかにされなかったのは、その時学級崩壊が起きていてクラス担任がクラスをまとめきれなかった点である。
そして、校長や教頭などが乗り出して、クラス崩壊の立て直しに着手していた最中であったと言うことである。
だから、例え苛めがあったとしても平穏無事な中で行われたわけではない。そして、当然学級崩壊が起きていれば種々の被害は1人ではなかったと言うことだろう。
しかも、Uさんは転校して2年目にもなるのに友達を1人も作れなかったというある程度特異な人物であるかも知れない。
人はそれぞれであって、友達が1人もいなくても、仲間に溶け込めなくとも何とも感じない人物はいるし、実際はいた。
自身の過去を顧みれば、高校一年の時一年間誰とも話をしなかった生徒がいた。
この生徒がどんな声をしているのか聞きたいと思って、授業で何とか先生に当てさせて国語の教科書を読ませたことがあるくらいである。
その生徒は実は優秀で、北海道大学に現役合格し卒業後県庁の技官になったと名簿にはあった。しかし、今どんなコミュニケーションをしているのかは不思議に思っているくらいである。
この「新里東小の自殺問題」。
当初、両親は県、市を提訴しないと話していた報道があった。
それがいつの間にか「被害者」に変貌して提訴する様になったのが良く分からないが、突然弁護士がついたのである。
確か、父親はリストラされて愛知県から親族を頼って群馬県桐生市まで来たという。しかも、現在の職業についても不明なままだ。ついでに言えば母親はフィリピン人である。
家庭環境も二重三重に複雑で、しかも学校を休みたいとか、愛知の友達のところに行きたいとか父親に話し、事実上「拒否」され最後の望みを失ったようなときに自殺している様な感じである。(報道によれば‥‥)
だから、一方的に「学校が悪い」と決めつけて「市と県に3,200万円の損害賠償を求めた」というのは何やら弁護士に嵌められたかなと言う印象が強い。
この訴訟の印紙代だけでも10万円以上だし、弁護士費用は多分着手金だけでも60万円以上という感じではある。日当計算の弁護士なら金の切れ目が勝敗の分かれ目と言われていると言う話もある。

今から20年ほど前の話。
知り合いのオバサンがいきなり提訴された。
それは何かと言えば、事実上立ち退いて20年も経った(借地人ではなく)借家人が立ち退き料として土地代の3割をよこせと内容証明を寄こし、その後である。
しかも、その時借家は取り壊されて更地の状態なのである。
それどころが、もっと悪質なのはその事の20年も前に隣にスーパーが進出したとき、借家を勝手に立ち退いてスーパーの店舗の一部として又貸しした。
大家に無断で又貸しして(改装され住居部分はなくなり)、高額の家賃を取って差益を儲けていたと言うことで、今なら大問題になるところだか昔の大家さんというのは鷹揚なものだった。
それでいて、今度はスーパーが撤退して撤退する時、既に借家とはならない建物は共に壊されて更地になったと言うわけである。(常識としては現状復帰させるのだが‥‥)
年寄りだと思われて、スーパーからも借家人からも甘く見られたものである。
その建物はそう言う状態で相続したから、オバサンはこれで済んだと思ったわけである。
それで調停を2回(?)行った。
そんなものは飲めないから、結局、調停は不調で終わった。
当然本訴など出来る筈がない。
なぜなら、借家人の悪質さが暴露されて借地借家法とは関係のない不当な「立ち退き料」を払わせるどころの騒ぎではないからである。

そして調停が不調となったとき、相手の弁護士が言った捨て台詞は「こっちは多額の弁護士費用を払っているのだ」とさ。
それで終わり。


調査捕鯨中止問題に見る屈曲した日本の言論

2011-02-19 22:20:10 | 読み解けば‥‥

調査捕鯨中止問題に見る屈曲した日本の言論

南極海での今季の調査捕鯨は反捕鯨団体「シー・シェパード」の度重なる妨害行為によって中止になった。
この問題について社説で述べているのは、日経、読売、毎日新聞である。
ここで日経新聞社説と読売新聞社説は事実上瓜二つの様でまずは
1987年に始まった日本の調査捕鯨は、国際捕鯨取締条約に基づく正当な活動である。それを暴力的手段で封じようとするシー・シェパードの行為は、決して許されるものではない。シー・シェパードの妨害行為に対しては、国際捕鯨委員会(IWC)が、全会一致で強く非難する決議を採択している。」(読売新聞)

「日本の調査捕鯨は、国際捕鯨委員会(IWC)が認めた合法的な権利である。話し合いで決めた国際ルールに沿った活動だ。これを無法な暴力行為によって妨げる反捕鯨団体の仕業は許されることではない。」(日経新聞)

‥‥‥と書くのだかこの「シー・シェパードの妨害行為」は「暴力的手段」、「無法な暴力行為」と及び腰の書き方をする。
毎日新聞ではもっと及び腰で妨害行為とも書くが基本は「抗議活動」である。
なぜ事実上のテロ行為を「抗議活動」とか精々「暴力的手段」とするのかは、こういう新聞人というのが「平和呆け」しているに違いない。
ロープをスクリューに巻き付けようとしたり、発火性の照明弾や酪酸を投げたり体当たりしたりするのがこの単なる「抗議活動」なのか疑問なところだ。
これを以てして、単なる「無法な暴力行為」で済ませるというのも妙な言い回しである。本来なら警察権を持って「海賊行為」として「臨検」すべき事柄だろう。
こんなことをしても、安全なのは「日本と言う腑抜け国家」だからと言うことである。
考えてみても、あの尖閣問題というのはあの「大東亜戦争」での遺産を完全に日本は食い潰してしまったことをまざまざと思い起こさせるのである。
その「大東亜戦争の遺産」とは、米・民主党系のライシャワー米駐日元大使が「日本は白人と戦争も出来る国」だからと、日本封じ込めを画策したことである。
それが敷衍して「ハンディキャップ国家」と例の小和田氏が日本を封じ込めようとしたことと同じである。
日経新聞では
「横車も強く押せば日本は引き下がると、国際社会に受け取られかねない対応は望ましくない。国際的な約束事を実力行使で踏みにじる行為を見過ごせば日本の国益を損なうだけでなく、話し合いによる解決を重んじる国際ルールを軽んじることにつながる。この団体はマグロ漁にも不法な妨害を加えており、図に乗らせてはならない。」
という正論を示すのだが、読売新聞では「豪政府に厳重な取り締まりを求めるべきだ。」と実は他力本願になっている。
それよりもっと酷いのが毎日新聞で
「多くの日本人が『外圧』によって調査捕鯨をやめることを不愉快に思い調査捕鯨の継続を支持している。しかし、現実にはクジラ肉を食べなくなっており、調査継続の意義を掘り崩している。SSよりも日本人の食の変化の方が調査捕鯨にとって難問なのである。」
と別の問題にすり替える。
しかし、捕鯨は日本だけが行っているわけではない。IWCに加盟していない国は野放し状態であり、米国では「伝統」としてあの貴重な白長須鯨(シロナガスクジラ)を取らせているのである。

ここまで「シー・シェパード」のテロ活動が拡大し、しかもその後ろにオーストラリアやニュージーランドという国が控えている以上、この調査捕鯨というのは「代理戦争」に様相を呈しているのである。
だから以前日本の捕鯨船の位置が不明なとき、オーストラリアだかニュージーランドで嘘の救難信号を出して日本の捕鯨船に応答させたということがあった。
そうであるから本来ならそのバックを引っ張り出すと言うのが本筋なのである。
未だに「ハンディキャップ国家論」を引きずる時代錯誤の毎日社説氏は論外というものである。
日経新聞は
「団体の活動拠点があるオーストラリアや本部がある米国などはいずれも反捕鯨を掲げる国だが、船舶襲撃の刑事事件として厳格な処理と再発防止を日本政府は粘り強く求めていくべきだ。」
と書くのだが、米国は二重基準の国であることと、あくまで自国のことは自国で守るという「自己責任」と言うものがあるはずだ。
日本政府はこの「南極海の調査捕鯨」に対して対策法案を出していた筈だか、廃案なって成立していない。
要するに、日本政府の国防に対する「平和呆け」が原因である。
あの民主党の鳩山元首相の発言を見ても、現在の政府というのは国を守ると言うことに対して幼稚すぎる。
今東洋は、新帝国主義の時代に入ったと言われている。
民主党政権は自党の批判を恐れる余り、現役自衛菅のみならずそのOBなどに対する言論統制を施したり、民主党の本部周辺のかなりの部分の抗議行動を規制するなどになった。国民を恐れて、国民を規制して中国などの他国に媚びへつらうというのは、亡国の政府としか思えない。


Sony α55にたどり着くまでの変遷とDT 16-105mm SAL16105

2011-02-18 00:57:06 | デジカメ関係

Sony α55にたどり着くまでの変遷とDT 16-105mm SAL16105

一眼レフカメラの履歴としては、銀塩のオリンパスOM-1MDから始まる。しかし、オリンパスは一眼レフカメラのAF化をしなかったために、オリンパスユーザーのカメラ遍歴が始まってしまった。
AFカメラは、ペンタックスのZ-10pというパワーズームの付いたカメラから再度一眼レフに参入した。
しかし、サードパティ製の交換レンズがなかったというのは今と似ている。
結局、キャノンのEOS100Pという静音カメラに移行した。
これは高性能だったが、シャッター幕の自己融着(加水分解)という欠陥品で消滅。
それでカメラ雑誌に欺されてEOS7を購入するも、暗部に弱くAFが聞かないのでシャッターが切れないことが多出。
その上悪いことにロムが新しくなって、旧型レンズが使えなくなった。
そんなキャノン不信からミノルタへ移行。
新型が出て生産中止になったミノルタのα707Siへ。それからα-7へと進化して迎えたのが銀塩カメラの終焉。

ここでミノルタはデジ一眼を中々出さなくてまたまたPentaxに移りist*D。
ist*Dはかなりお金が掛かったモデルだったが、かなり難題な暗く写る初期モデル。
使いこなすのには、相当手間が懸かった。
その後コニカミノルタからα7Dを購入するもAF不良の上にこれも暗く写る旧世代の代物。
αSweetDでコニカミノルタはSONYへ売られ消滅。
そうして、またもやPentaxへ移りK100D、K10Dへ。
ここで手の届かなかったSONYα700がなぜか激安となり購入。
SONYはα700で止まってしまったために、又PentaxでK-7。
そうして、普及機のα55と言うわけである。
考えてみれば、キャノンかニコンに統一していれば種々迷走しなくても良かったと思う。しかし、ニコンというのは今でこそ値引きもあるが、昔は値引きなしの商品だった。
そして、キャノンはカメラ雑誌の提灯記事に欺されて性能の良くないものをつかまされた恨みから、キャノンのカメラというのは信用出来ないものとして違和感を持っている。
オリンパスは、デジ一眼レフから参入した。
しかし、ユーザーを裏切って、AFカメラを出さずデジ一眼レフとなって4/3でマウンドを買えてしまったオリンパス。こういうメーカーの製品は二度と買わない。

そう言うわけで、標準ズームというものは新旧といろいろと持つ羽目になった。
但し、ミノルタα7や、SONYα700と同時に発売された24-105mmF3.5-4.5(D)やDT 16-105mm F3.5-5.6 SAL16105は同時には買っていない。
24-105mmF3.5-4.5(D)は、はα7が発売されたときにセットレンズ。その後も年間2,000-3,000本程度生産されていたようだ。…製造番号から
定価60,000円もする当時としては高価なズームレンズで発売当初「CAPA年間ベストレンズ」に選ばれたほどのものである。
こんなレンズもコニカミノルタが撤退発表する直前には、半値以下だった。
しかし、24-105mmF3.5-4.5(D)というのはかなりクリアーな描写をするレンズであった故に、SONY移行後もブランド名を代えてしばらく生き残った。

これも600万画素のα7DやαSweetDくらいまでなら充分使えたのだが、α700で限界に近くなりシグマ18-50mm F2.8 EX DC (旧型)へ移行。
結局、α55と共に24-105mmF3.5-4.5(D)というのは完全に引退に追い込まれたと言うものである。
このα700と共に発売されたDT 16-105mm F3.5-5.6 SAL16105。
これは元々24-105mmF3.5-4.5(D)を元にデジタルAPS化したもので、かなり力が入ったレンズである。
一般には、上級のフルサイズVario-Sonnar T*とAPSでは同等の写りと言われている。
当然、SAL16105はどこでも確実に良い絵を出してくれるものなのだが、やはり設計が古いことがある。
それは、α55が動画も快適に撮影出来ることにつきる。
要するに、SAL16105でAFをするとその動作音が動画に入ってしまう。しかも手振れ補正のOSなども付いていないから、本体の手振れ補正ONだと熱の関係で5分しか動画は撮影出来ない。

結局、ズーム範囲ではDT16-105mmF3.5-5.6の範囲に入ってしまうシグマの17-70mm F2.8-4 DC MACRO OS HSM を購入と言うことになった。
17-70mm F2.8-4 DCは、この性能からすればかなり安いレンズである。
背面液晶で比べると以前述べた様にDT16-105mmに落ちるが、実際の写真では区別が付かないというもの。
HSMでモーターの音はせず、OSだから手持ちの時は本体の手振れ補正は切り、マクロも使える。
強いて言えばこれで昔の「タムロンのSP24-135mmF3.5」の様に135mmまであればと言うものだが、それでは3万円半ばで買えそうもない。


デフレ経済の中での物価高・アンケートサイトでお小遣いになるか

2011-02-16 19:35:32 | ちまたの噂・雑記事
デフレ経済の中での物価高・アンケートサイトでお小遣いになるか

今日のニュースを見ていたらコーヒーが値上がりするというので、ブラジル系のお店で値上がる前の買いだめをしているシーンがあった。
コーヒーの値段が上がってきたのは、例の低金利による金余りで騰貴資金が流れ込んでいるのとブラジルなどが発展してコーヒーを自国で沢山飲むようになったからだという。
コーヒーの銘柄では、一時期モカからアスペルギュウスフラバスというカビが検出されて、お店から一斉に撤去されたことがあった。このカビの名前をなぜ覚えているかというと、学生時代に何かの授業で当時では最強の猛毒(癌)と言うことだったからである。それからなぜかモカやブラジル、コロンビアなどのコーヒーをあまり飲んだことがない。
なぜなら、コーヒー豆をネットで買うことになったからで、ネットで安いコーヒーというとホンジュラスとかグァテマラとかコスタリカというあまり耳にしないものが多い。
昔安かったグァテマラを飲んだときは、不味くて飲めなかったことがあった。それで心配していると最近のコーヒーというのは、栽培技術が向上してあまり変わらなくなった。
別の言い方をすれば何を飲んでもあまり分からないのである。但し、ブルーマウンテンは暫く飲んだことがないから味を忘れてしまった。
そして、コーヒーの抽出の仕方によっても、味が変わってくるから実は結構厄介なのが味なのである。
さて、最近政治も経済も良い話は聞かない。
携帯電話ではアンドロイド携帯という米グーグルの基本ソフト(OS)「アンドロイド」を搭載したスマートフォン(高機能携帯電話)が増えてきたようだ。
自分の持っている携帯電話は、SH732というスマートフォンの三歩手前の様な携帯電話で妙なことも出来る。但し、アプリは携帯のサイトからでないと使えないが、同じアプリがWindowsのウィジェットにあると笑えることがある。
のOCNが提供しているアプリコ(appliko)という無料アプリを配布しているサイトを覗くと導入できれば直ぐにやりたいと言う気がする。


しかし、携帯電話でWebを閲覧している女房族と違って、PCでWebを見ているから中々スマートフォンまでたどり着けないというのが現状である。
その上、現在でも携帯電話代は「福沢さん」1枚では足りないし、家族のものを合わせると最低2枚だから、スマートフォンを導入して3枚になるというのも考えものである。
それでは何かの足しに「アンケートモニター」に登録して毎日のコーヒー一杯分くらいは稼ぎたいと言うのも最近の心境でもある。


高崎市の自治基本条例の外国人地方参政権容認の不思議な光景

2011-02-15 23:56:51 | 世の中妙な??事ばかり

高崎市の自治基本条例の外国人地方参政権容認の不思議な光景

群馬県高崎市の市政運営の理念を定める「自治基本条例(仮称)」(まちづくり基本条例)で、外国人地方参政権容認する動きとして注目されている。
近年では産経新聞Web地方版で詳しく書かれている。
特に「高崎新聞」という「特定非営利活動法人メディア高崎」が運営する「高崎の都市力を発信するWebニュースサイト」ではより詳しく書かれている。
それによると「自治基本条例は、高崎市のまちづくりの最高規範となるもので、21人の市民委員と高崎市の職員によるプロジェクトチームによって、昨年(平成21年)8月から盛り込む内容の検討が行われてきた。」 という。
15日の報道では「最高規範」の削除されたが、高崎市市企画調整課は「市内に外国人は4,300人もおり、無視した街づくりは考えられない」という。(読売新聞地方版・Web共)

その「市自治基本条例検討市民委員会」の市民委員長が池田貴明という(写真で見る限り)若手の弁護士である
「高崎新聞」では「高崎市自治基本条例/素案公表で反響」として
住民投票について、素案では投票資格については何も記述されていないにもかかわらず、外国人参政権を認めるのは反対とする論調の意見が多くあった。この条例案では、外国人も高崎市のまちづくりを進める主役の一人として理解され、住民投票の投票資格については書き及んでいないことは明らかだ。条例中に投票資格が記述されていないことが、不安材料となったことも考えられる。」と言う様に高崎市の言い分を代弁している。

しかし、産経新聞による池田貴明市民委員長、嶋菊好市長公室長、松浦市長へのインタビューでは高崎新聞が書いているニュアンスとは全く違う。間違いないところでは、「市民」を国籍を問わないとしていることである。
条例素案を要約してある産経新聞Webを引用すると‥‥‥
「市が昨年12月に作成した条例素案では『市民』について外国人も念頭に『市内在住、在勤・在学者』と明記。市から条例作りを諮問された市民代表者も外国人を『市民』と認める提言書を市に提出済み」

そうして、高崎市側では「素案を住民に示した上で意見を求める『パブリックコメント』」を実施した結果批判が寄せられた途端に、委員会名簿をWeb上から削除したり種々非公開にしている。
こういう「自治基本条例(仮称)」というのは、長年松浦市政が続き今度引退するに当たっての花道の条例というのかと思ったりもする。
戦後の市政は石井市長による前橋市が断然リードして、それを真似るという高崎市というのが慣例だった。
その後前橋市が20年にも亘る石井市長であったために低迷し始め、その後助役から市長になった官僚市政、箱物市政が長く続いた。
続いて、市街地を空洞化させる新市街出身の市長市政が続き前橋市はとどめを刺された。
一方、元々松浦パンの社長から高崎市の市長になり、前橋市を反面教師として高崎は大発展した。その松浦市政も20年(?)続きもう引退らしい。
こういう多選市長の時には、いろいろと妙な事が起きるものである。
それにしても、高崎市というのは妙な官僚臭がする。
実はこの高崎市役所と前橋市役所の市民課を覗いてみると、前橋市がサービス業に徹した庶民的なのに対して、高崎市は官僚的である。
特に、今の高層ビルが出来る前の高崎市役所では、受付(インフォメーション)の厚化粧をしたオバサンからして非常に高圧的だった。その上学校でもあるまいし、何かのスローガンを掲げた張り紙がしてあったり妙なものでもあったと記憶する。
今の高層ビルの高崎市役所はではそんなことは無いが、高崎人というのは集団になると何か妙な雰囲気になるのである。
‥‥とは言っても、前橋市も市民課ではなく上層階に行けば打って変わって、県庁ほど酷くはないが官僚臭はする。
いずれにせよ、前橋なら「自治基本条例(仮称)」と言う様な条例は作らないかもしれない。作ったとしても、あの「平和都市宣言」みたいなものだ。
元々、高崎市では「最高規範との位置づけは、あくまでも理念的なもの。」という構想であったらしい。そして、「さかのぼっての条例書き換えや、今後制定される条例が縛られることは現時点ではない。条例はいずれも並列の立場で、住民投票条例も同じ。個別に定める」とWeb版では説明している。しかし、修正されたのは「前文の記述」であって、条文は残っている。

第10章 条例の位置付け

■ 条例の位置付け

市は、他の条例、規則等の制定改廃、解釈及び運用、総合計画等の策定及び運用その他市政運営に当たっては、この条例を最大限尊重し、及び遵守するものとする。」


‥‥と言う様に、今後制定される条例はこの「自治基本条例(まちづくり基本条例)」に制約される。
いくら市当局は「外国人地方参政権」を曖昧にして言及しなくても、条例が成立すれば条例の条文が生きる。
旧帝国憲法解釈が、明治の元勲が亡くなった以降に条文だけの解釈が行われたのは歴史が証明している。