書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

NTT東日本「フレッツ光メンバーズクラブ」繋がらず

2010-03-31 23:38:30 | PC・ハード・ソフト関係綴り

NTT東日本「フレッツ光メンバーズクラブ

NTT東日本が「フレッツ光メンバーズクラブ」というのを始めて、3月31日までに登録するとポイントがもらえると言うようなことがあった。
それが、単純な回線ではない場合など回線の都合でパスワード即時発効出来ないことがあった。
そんなとき、「ラクラク設定……」というので後からパスワードをメールで送ってくるという。
それで、送られてきたのが31日の20時30分過ぎ。
こんなメールに気がついたのが10時で、「フレッツ光メンバーズクラブ」サイト(会員専用ホームページ)へのログインすると言うものの既に繋がらない。
散々試してみて、ログインしてデーターを書き込んで、「送信」で延々と「読み込み中」が続く。
挙げ句の果てが「ページ読み込みエラー」の連発。「再試行」だと読み込まないことがあるので「戻る」にするとまたまた、一からの書き込み。
こんなことをまたまた延々と1時間半。
ますます、「ページ読み込みエラー」はハングアップ状態。
申請は、4月(2010年4月7日)に入ってからでも良かったように書いてあったが、23時を廻った時点でNTTのメンバースクラブWebサイトも開けなくなった。
まあ、31日というのは色々なことがある。
~~とまあ困ったことなのだが、試しにFireFoxからIE8に切り替えて接続したらなんと言うことはない。
 普通に繋がって、登録できた。
よく見たら、「紹介キャンペーン」が3月31日まで、登録は4月7日までだった。
それにしても、最近うっかりFFVer3.62になったらほとんど使い物にならなくなった。
PCを終了する時に、FFは終了してあっても、FFの終了画面が改めて出る有様で、バックグランドで動いていて、しばらくするとハングアップする。
それで、他のPCはバージョンアップは差し控えている。
それで、まだFFはダメかと「フレッツ光メンバーズクラブ」の入り口まで行ってみたが、ログイン出来なかった。IE8やSleipnirだとすんなりたどり着けるから不思議なものだ。


パソコンの入力機器、キーボードされどキーボード

2010-03-30 20:06:29 | パソコン関係

パソコンの入力機器、キーボードされどキーボード

パソコンの入力機器、キーボードというのは中々奥の深いものがある。
キーボードを使うに当たって考えられることは、いかに早く正確に打てるか、又思考リズムを崩さないように入力の引っかかりなどがないか、又当然打ちやすさと言うものがある。
従来からのキーボードというのは、メンブレン式で元々はメーカー製のPCを買ったときについてきた代物。
NECや富士通のマークがあると言いながら、実際の出所はどこだか分からないもので同じものが秋葉原で1,480円位で売っていて良く買ったものである。
そういう一応メーカーロゴの付いたものというのは時たま高くて、コンパック印の見た目の良いものは3,800円もしたことがあった。
しかし、そういうものの外に実際は500円~980円というキーボードが結構使われている。
特に最近では使われなくなったPS2専用などはそうである。
元々USBのキーボードというのは、Win98頃からNECのデスクトップパソコンで使われ始めたものの、OSがUSB1.1をサポートしていない頃だったからサスペンド【suspend】状態になったらキーボードが使えないという笑えない話があった。
だから、「ブルースクリーン」になったら電源を切るしかないと言うのは、Win98seになって一時的にPS2のポートを廃止したころであった。
それから、NECもクレームに懲りて暫くPS2のキーボードに戻っていたが、最近ではUSBキーボードでも普通に使えるようになっている。
なんと言っても、USBメモリーを使ってBIOSアップデート出来るくらいだからキーボードなどは当たり前というものだ。
‥‥と言うことで、近年の高性能キーボードというのはUSB接続になってしまった。
本当のことを言うと、昔のUSBキーボードの失敗のトラウマがあってUSBタイプのものを忌避していたのが実態である。一方それでマウスは延々とUSBマウスを使っているからそれも妙だったのだが。
そんなわけで、昨年の7月にJust MyShopで「UAC メンブレン109日本語PS2キーボード UACC-6868/PS2」と言うものを買ってみた。これはアウトレットで500円。
2010_03300012 2010_03300001 2010_03300008
買ってみたのは、以前使っていたエレコムのキーボードがフルキーボードでなかったと言う理由だった。それが半年使ってみてEnterキーが引っかかるようになった。
これは、昔のタイプのもので良くあることで、キーストロークが大きいのと横へのキーの遊びが少しあるという理由である。
こういう風に、「Enter」を押して引っかかる、押しても押し込めない状態になったりするといっぺんに嫌になるものである。
実際は、ストロークが大きいとともに押下圧65-70 gある感じなのである。
特に最近は、ノート型パソコンが主流になっているからキーストロークが小さい「パタパタ」とした感じのものが多くなった。
それでPS2、USBでも使えて単純なやつというのが「Logicool® Ultra Flat Keyboard」と言うものだった。
2010_03300007 2010_03300009
これは、今までのキーボードからしてみると結構パタパタしているのだが、ノート型パソコンのキーボードに近く、不思議とキーの大きさが大きい。そして、押下圧58 g と結構軽く中々優れもだった。
しかし、PS2だから単純で何も面白いところはなし、そしてコンパクトに作り過ぎてブラインドタッチだとキーの打ち間違いや、細かい部分で慣れが必要であった。
そして、一般のキーボードと違って良く使いそうな部分というものが独立したキーになっていたりである。
そのほか「Logicool® Access keyboard 600」という従来型のものがあって、これだと配置的にそれほど変わらない。
古いタイプの有線キーボードというのは恐ろしく多機能で、これだけで十分という感じはある。当然キーストロークは大きくそれとともに押下圧60g。
昔のキーボードに比べれば軽いが、「Logicool® diNovo Keyboard (ロジクール ディノボ キーボード)」を使ってしまったらもう戻れなくなってしまった。
2010_0305pc0005
その理由というのは、パンタグラフ式と言うだけでなく押下圧55gと軽いタッチなのである。
キーストロークが小さくタッチが軽いというのは早く打てる必須のことだが、ロジクールキーボードの特徴としてDeleteのキーが大きくこれが使いやすい。
そして、同じく電卓機能はテンキーボードがそのまま電卓のキーになることである。
この辺は、ロジクールキーボードの特徴をそのまま表していると言える。
欠点というのは、いろいろな人が述べてるとおりファンクションキーが小さく、そして接していることである。
小生など、Fキーを多用する時はいちいち確認しないと打てないというのは、面倒と言えば面倒である。
それにしてもキーを打つ感触の良さはその欠点を補っているとも言える。
そして無線キーボードであるが故に、デスクトップPCの場合USBのレーシーバーを見えるところに置かないと時たま反応がしづらくなるのは何時もの通り。


産経皇室担当記者「学習院初等科学級崩壊」の皇室批判と雅子妃バッシング

2010-03-29 01:47:25 | 世の中妙な??事ばかり

産経皇室担当記者「学習院初等科学級崩壊」

の 皇室批判と雅子妃バッシング

敬宮(としのみや)愛子さまをめぐる問題は、もう週刊誌では取り上げられない様になったが、月刊誌では妙な形で取り上げられていた。
それ は、今、雑誌「諸君」が休刊になって保守派に脚光を浴びつつある月刊「WiLL」という雑誌。
民主党支持者や社民党支持者なら手に取るのも汚らわ しいと思われているのが、この月刊「WiLL」である。
Dscf0687
この5月号に「愛子さま不登校問題の核心」と題して産経新聞記者・大 島真生氏の記事が掲載されている。
この大島真生(まなぶ)氏は、産経新聞社会部宮内庁担当記者(多分・遊軍)で「愛子さまと悠仁さま・ 本家のプリンセスと分家のプリンス・」愛 子さまと悠仁さま (新潮新書・2007/09/18)という本を出している。

宮内庁担当記者であるから、皇室に対して寛容かと言えば決してそうではないらしい。
そのどちらかと言えば批判的であると感じるのは、昭和 43年生まれという第二次ベビーブーマー世代、皇室を何とも思わない親に育てられた世代の様に感じる。
その妙な客観性というのは、そんなことは当 たり前だろうと思われる皇室内の格差を「愛子さまと悠仁さま・本家のプリンセスと分家のプリンス」という本に表していることである。
いずれにせ よ、その前段階はさしおくとして、記事を読んで行くと前段の3-4ページというのが共同通信の配信と思われる・2010/03/17の地方紙「東宮 職発表 批判やまず」「止められなかったのか」とほぼ同じ趣旨なのである。
Dscf0691
そして、雅子妃に関しては週刊現代の「雅子妃はモンスターマザーなのか」と同じ様な記事になっている。
そして、3ページ目からは愛子さま の深刻に問題となっていることから目を離し、学習院の対応の事実を無視して、「いい意味でも悪い意味 でも『プロの対応』だった」と評価しているのである。
実は、この大島氏は、皇室批判をするために論点から逃げている。
そ れはこんなところである。

「おつきや警備の人間を多く従えている愛子様がどんな存在なのか、天皇家というも のがいったいどういう存在なのかは理解できなくとも、‥‥中略‥‥自分たちの母親や教師たちが、愛子様への対応がどこか違うことも、もう分かる年頃であ る。」

そうであれば、愛子様に対する「粗暴」というのは知っていてわざとやってる事になる。
そ こには、天皇家に対する敬意や尊敬などみじんも教えていないと言うことが見て取れるではないのだろうか。
だから、本来なら学習院とその親の問題に つきるというものである。
ところが、そんな分かりきったことを書いてしまうと批判にならないから、書くだけですらりと逃げている。
この辺 まで読み進めて行くと、書いている記者が皇室という重要性や尊敬の念というものを一切持ち合わせていないというか、そう言う概念がないことが分かってく る。
なぜなら、本文の書き始めから「3月5日、宮内庁の野村一成東宮大夫が、定例会見で愛子さまの『不登校』を公表した。」と書き 始めている。
元々題が「愛子さま不登校問題の核心」という敬称も一切つけない粗野な書きぶりから、その姿勢というものが推察されるのは分かりきっ たことでもある。
このどう考えても日本国憲法を間違って解釈し、皇室を敬う心を持っていない記者は、4ページ目の中盤にとうとう無知をさらけ出す というか、どうしようもない神経を暴露してしまう。
それは、‥‥‥

「すくなくとも、入学時、ご夫妻から『特別扱いはしないでほ しい』と言われている以上、愛子様の『不安感』だけで、いきなり『問題児』とされた児童を叱責、処罰するといったことはすべきでない、とは考えて当然だろ う。」

この文章は誰に対しているのか、これだけでは分からないと言うほど、敬称も何も略してある。普通 の感覚なら「ご入学」とするし、皇太子、皇太子妃のことを「ご夫妻」とは宮内庁担当記者のみならず一般人でも絶対に言わない。
簡単に言えば、皇室 の皇太子、皇太子妃も一般の庶民と変わらないと見ている感覚がありありと分かるのではないか。
そして、その文章の内容が「特別扱いはしないでほし い」と言うのを文字通り受け取るというのも産経新聞の記者ともあろう者が無知のほどがある。
なぜなら、「特別扱いはしないでほしい」と言う意味は、元々皇室を敬う神経が国民や周囲にあってという前提であり、 本当に「特別扱いはしない」などと言うのは有り得ないことである。
だから次の見出しで「必要とされる『社会性』」という変な正義論 を振りかざす。
分かりやすく言えば、皇室を庶民のところまで引きずり落すという感性であって、そうでないと理解できないというものである。
だ から、皇室批判としてこんな部分が出で来る。

「学校側に大きな『落 ち度』があったようには見えないが、結果的に学習院にとってこの『事件』は大きな打撃であり、『イメージダウン』となったことは間違いない。」

要 約すれば、皇太子殿下妃殿下夫妻が東宮大夫を通して学習院に文句を言ったのが悪かった、泣き寝入りをすればよかったと言うことである。
だから続い て、雅子妃殿下に対するバッシングを始め、将来皇后になるのを不適と警戒して、説教を垂れている。
我々庶民でもこんなことを言われたら、「あんた 何様だと思っているのか」と誰でも感じてしまうようなことを書き連ねている。
しかも、昔の事情すら知らないくせに、どこからか仕入れた小賢しい説 教というのは次の部分である。

「皇后の社会性こそが、妻に選 ばれた要素だったのだ。陛下は皇后によって、生まれ育った狭い世界から解放されたのである。美智子皇后は、陛下の輝きを引き出す名『助演女優』なのだ。
雅子妃と皇太子殿下にも同じことが言えよう。」

‥‥ どこか左派系のアジビラのような文章にも、当然「妻」が出来た。
ここまで来て、この産経新聞記者大島真生氏の馬脚がとうとう見えてしまったのは、 本人は気づいているのだろうか。
この大島真生氏と言うのは、皇室というのは単に有名俳優の夫婦ぐらいにしか思っていないと言うことなのである。そ うでなければ、今までの皇室無視の言論というものが成り立たない。
それから最後まで雅子妃のバッシングが続くのだが、本来の敬宮愛子さま不登校問 題と言う部分は一切触れていない。
そして、不登校問題の核心と言うものが雅子妃の社会性のなさ、皇后となるには不適格と烙印を押した上、「アドバ イスできる人材を」と良く分からない事を言っている。
最後に、雅子妃に対して再び「したたかに皇太子殿下を支える、名『助演女優』になって いただきたいものだ。」と言い、以下の言葉で締めている。

はっきり言って、大島真生氏が長々と詭弁を弄して述べた主題である。

「宮内庁にも、心から皇室の未来 を思い、身を挺しても『殿下、妃殿下、そうはおっしゃいますが‥‥‥』と、言える人材が配されることを願ってやまない。」

ここまで来ると笑ってしまうではないか。
なぜなら、この大島真生氏のような皇室を敬うことなどさらさら無く、精々有名俳優一族、有名人くら いに思っている人達が増えてくる以上、「殿下、妃殿下、そうはおっしゃいますが‥‥‥」と言 われて泣き寝入りしていれば、皇室のノーブレス・オブリージェは失われてしまう。
今や、皇室を国民から金を貰って暮らしている有名人の一族くらい にしか思っておらず、皇室を敬う観念がない人々が増えているのが問題なのである。
特に今の民主党政権に至っては、天皇陛下さえ幹事長の下僕としか 見ていない。
この大島真生記者もその例外ではないのは、著書で皇室の金の問題を扱っているから明白である。
そしてそう言う親たちが増え、 子供に対して「皇室を敬う」と言うことを教えずに、単に勉強が出来ればよい程度で、本当のしつけがなされていない。
敬宮愛子さまをつかんで、下駄 箱に頭を突っ込ませようとするなどの粗暴な「男の子」でさえ、しっかりと言い聞かせれば本来良く分かるはずなのである。
ところが、それが出来ない と言うのが親や学校の問題であるのは今も昔も変わらない。
事実、小生が小中学生の頃は、高学年になってもそんな陰で粗暴な振る舞いをする児童、生 徒などがいて、学年一の美少女と謳われたM嬢や気になる女学生がしきりに狙われた。
その粗暴な行為を同級生の女子学生や男子学生などが守る日々が 続き、最終的に担任教師に申し出た。
しかし、教師の叱責には最後まで「証拠がない」とその生徒・児童は認めず白を切っていたし、最後にはクラスの 生徒たちの実力行使で止めさせることになった。

今、昔のように「剛」の児童、生徒というものは、少子化で一人っ子などが多く、極めて少ない。
そして、小生の子供が、もし敬宮愛子さまのよ うなことになったら、親として間違いなく学校に出かけて交渉するであろうというのは、時代が違ったからである。
戦後のベビーブーマーの頃の時代と いうのは、家族兄弟も多く、町内の空き地には必ず子供たちのテリトリーがあった。
そこでのガキ大将というのは、それなりに社会性と喧嘩の仕方とい うものを学んでいったが、今はそんなところはない。
昔なら、喧嘩や悪戯には常に手加減されたし、必ず何人かいた「アブナイ」直ぐ切れる児童生徒と いうのは、見張りが付いて「てなづけて」問題を起こさぬよう押さえていた。
実際、それでも問題は起きたが今は、小さな事件、喧嘩が大問題になる。
以 前、転勤族の新聞記者の小学生の女児童が同級生に殺傷されて亡くなると言う事件があった。
犯人は、いわば「アブナイ」と思われた女児童ではあった が、防ぐことは出来なかったと言うのが今の世の中なのである。
大島真生氏の思想では、子供は社会や学校で「自由放任主義的」に育てると言うのかも しれないが、今の時代子供は実の親が身を呈して育てるのである。


金澤魯水先生逝去を悼む(個人的な弔辞)

2010-03-27 22:52:00 | 日記
金澤魯水先生逝去を悼む(個人的な弔辞)

大澤雅休、最晩年の弟子の一人である金澤魯水先生が3月24日亡くなった。
「金澤魯水先生逝去を悼む」と題をつけたものの齢(よわい)85歳の長命で、大往生と言った方がふさわしいかも知れない。
小生の師、横堀艸風は同じく大沢雅休の弟子とはいうものの、中島邑水先生とほぼ同時期の高弟であって金澤魯水先生などとは、多少趣を異にする。
ちなみに、横堀艸風の逝去は群馬県書道協会会長現職の時であって、当然80歳に満たない。
逝去の年齢という部分で言えば、大澤雅休は手本執筆中の63歳の時、狭心症で逝去。
近代詩文の創設者と言えるかな作家の弟の大澤竹胎先生は、「今日は、兄雅休の告別式の日だったと、家人に語り、突如、心臓発作に逝去、時に55歳。」(上毛書家列伝(上)・昭和59年刊・みやま文庫)‥‥と言った具合であった。
大澤雅休が長命の書家の倣いとして、あと20年生きておれば書道界は大きく違ったと言われているものなのである。
実際、そんなことを言えば香川峰雲先生がもっと長生きしていれば、同じく書道界というものが違ったものになったと言うことになって、収拾が付かない、というより無駄な話なのである。
さて、金澤魯水先生の葬儀は高崎市の斎場で行われた。
近年公共施設の斎場などで葬儀が行われると言うのも珍しいのだが、高崎市の住民でない小生としては行くのが初めてである。
小高い岡と言うより山の上のあるここが本当に斎場なのかと、裏のお寺の横のくねくねとした急登の参道から入ったので特にそう思った。
それは兎も角も、会場の設営の思惑違いか多くの会葬者で溢れかえっていた。
金澤魯水先生とは、書道界に30年近く在籍していると当然のことながら良く見知っていると言うところなのだが、実は一度も話をしたことはない。
そしてその葬儀では、6本の弔辞が読まれた中で常に話題にあがったのが、2007年(平成19年)3月の末に亡くなった金子魯空先生であって、その魯空先生とはよく話した間柄でもあった。
この金澤魯水、金子魯空両先生というのは、同じ「魯」と言う文字を雅号に使っているだけに大澤雅休の弟子というだけでなく、いろいろな縁があって碧玉会という今でも続く書団を創設して活躍しておられた。
そんなことは、先刻承知なのは誰でも分かっているもので話す話題でもないが、葬儀に出ているといろいろと分かるものである。
ちなみに、弔辞は
1、長寿会(?)
2、(財)書道芸術院北関東総局長 西林乗宣(先生・元(社)群馬県書道協会会長)
3、(社)群馬県書道協会副会長 大井美津江(先生)
4、上毛書人会会長 関口虚想(先生・元(社)群馬県書道協会会長)
5、高崎書道会会長 金澤子卿(先生・元(社)群馬県書道協会会長)(代読)
6,碧玉会会長 大島桂水(題のみ)
の一応5プラス1という長大なものになった。
思い返してみれば金子魯空先生の時は、(社)群馬県書道協会とあと一つぐらいだったかあまり記憶にない。
しかし、葬儀会場に作品集や各種の賞状などが並べられ、金子先生の書家としての業績がそれとなく分かったものである。
それは、斎場と葬儀社の会場との違いと言ってしまえばそうなのであるが、そう言うものが一切無かったというのは寂しいものである。
この金子魯空先生に関しては、作品集も頂いていることだから機会があったら紹介しておこうと思う。
祭壇の献花は、正面右に(財)書道芸術院・辻元大雲常務理事と(財)毎日書道会北村理事長、左に(財)書道芸術院恩地理事長、(財)書道芸術院北関東総局とあり、右横には(社)群馬県書道協会、香川倫子((財)書道芸術院・馨香会)、大井美津江(邑門会・秀水会)など書道関係の献花がズラリと並んでいた。
金澤魯水先生のことはあまり良く知らないというのは、前掲で述べたことでその理由というのは、いわゆる師系が違うと言うことである。
その師系が違うと言う事がよく分かったのは、大井美津江先生の弔辞によるものであった。
それは何かと言えば、大澤雅休は思いの外早く亡くなった(急逝)ために、高弟である中島邑水先生師事したということである。
それで、中島邑水先生の弟子である大井美津江先生の弔辞によって、何センチもあるほどの稽古の書作を邑水先生のところに持ってきたと言う話になる。
それはあたかも大澤雅休が比田井天来先生に通うにあたり、50センチもの厚さの書作を毎週持っていったという逸話に繋がる。
そんなことで、金澤魯水先生というのは邑門会に繋がるというのであれば、なるほどと頷けるものがある。
そう言う部分では、横堀艸風というのは孤高の名人で、組織的に弟子を育てるというのは不得手であったようなのである。
それにしても、ほとんど関係のないと思われた高崎書道会会長 金澤子卿先生の弔辞というものは中々注目するところで、金澤魯水先生も書道史の一部だったことを思い起こさせるものであった。
金澤子卿先生の話というのは、高崎書道会の歴史を直前に読んでいたために、昭和24年(1949年)8月の東京都美術館で「日本総合書芸展」(毎日書道展の第2回に相当)の話が出て来たのには驚いた。
この時、金澤子卿先生というのは漢字部門入賞者20名という時に、その一員として褒状を貰ったとあった。
弔辞では、金澤子卿先生と金澤魯水先生は、その後群馬県書道展創設に係わることを述べられているが、金澤子卿先生は以後毎日書道展に拘わっていない。
金澤子卿先生は、昭和33年に日本では唯一の于右任先生の門人となって日本の書団との係わり合いを絶って今日に至っている。
それにしても小此木草卿先生(毎日・大字書部)によれば、黒澤春来先生に習いに行っていた時に、金澤子卿先生とその奥様が同門だったと言うから書の世界というのは本当に良く分からないことばかりである。

週刊現代コラム「大橋巨泉・今週の遺言」の妄言

2010-03-27 00:10:32 | 読み解けば‥‥
週刊現代コラム「大橋巨泉・今週の遺言」の妄言

大橋巨泉氏のコラムに関しては、3月15日のエントリーで批判している。
それは週刊現代のコラム「大橋巨泉・今週の遺言」の「第69回は『永住外国人の参政権反対よりも、日本を住みたくなるような国にしようよ』」である。
ここで「櫻井よしこ氏に『それは被害妄想の極致でしょう』と批判」していた。
大橋巨泉氏の大言壮語、耳学問、見識の低さというものは、今に始まったことではないから、あえて巨泉氏の言葉を韓国風に「妄言」としておく。
この69回は「永住外国人の参政権反対よりも、日本を住みたくなるような国にしようよ」に対して、週刊文春4月1日号で櫻井よしこ氏が「私を『被害妄想の極致』と罵った大橋巨泉さんへ」と題して反論している。
大橋巨泉氏の不見識というのは、現実や事実を認めず本当は自らは嫌なことを他人には強要するという常に高みから物を言うことである。
しかも本人は、「自分に優しく、他人に厳しい」と日本にいる時は散々言っていたとおりである。本来なら「自分に厳しく、他人に優しく」と言うことで、自らを律して他人のために尽くすと言うのが日本人の本分であるが、そんなことはさらさら無い。
事実として、大橋巨泉氏が慈善事業に私財を投げ打ったと言う話は聞いたことがない。
その大橋巨泉氏は、「自分に優しく」とばかり日本、カナダ、オーストラリアと季節のよい時期に滞在して、日本国内、海外とあまり余る資産と永住権も持ちいわゆる特権階級を享受している。
櫻井よしこ氏は、この大橋巨泉氏の妄言に対して現実直視と世界中の各地に溢れ上がる中国系住民の問題点を指摘している。
だから、日本、カナダ、オーストラリアと在住するなら是非とも「中国にも住め!」と直言する。なぜなら、大橋巨泉氏は絶対に中国には住もうとはしないのは間違いないからだ。
多分理由としてこう言うだろう「中国なんて、環境が悪くて住めたものではないだろう、がは‥は‥は‥‥‥」又は、「中国人の規律無視‥‥云々を言うかも知れない。」
ところが、大橋巨泉氏と言うのは「永住外国人の参政権反対よりも、日本を住みたくなるような国にしようよ」では無邪気なものなのである。
なぜならば、先に述べたように日本の冬の寒さが嫌いだからオーストラリアに住むと言う人物であるし、夏の暑さが嫌だからカナダに住むという人物である。
分かりやすく言えば、日本が日本でなくなったとしても「日本が嫌なら海外」でお客さんとして政治に関わりなく住む事が出来る分けである。
だから日本と言う国にドップリと浸かって逃げ出すことさえ出来ない庶民に取っては、大橋巨泉氏が常々言っている「馬鹿野郎」をそのまま巨泉氏に返してやりたいとは誰でも思う。
そして、週刊現代4月3日号「大橋巨泉・今週の遺言」では、例のイルカ漁批判映画「ザ・コーブ」を持ち出して、日本ではあんな事をやっているのかと聞かれて「絶句」したとある。その後は例によって個人的見解の悪態をついているのは、もう読まなくても充分、「ゲップ」がでる反日論である。
ここで、これがもし中国人だったら猛烈な勢いで自国擁護するはずである。いやフランス人やその他の人達でも間違いなく、それなりの自国擁護というのは常識である。
なぜなら、彼らは愛国心というものを持っているからである。
ところが、この大橋巨泉氏と言うのはどう考えても「愛国心」と言うものを持ち合わせているとは思えない。
そして、日本は批判する一方他国に住みながら、他国の安全保障にはドップリと浸かってその現実を顧みない。なぜなら巨泉氏が常々言う様にその国の「お客さん」として暮らすからである。
そうなると、大橋巨泉氏のアイデンティティは日本無ければならないが、それも希薄となれば、もはや金儲けのための「大橋巨泉・今週の遺言」など百害あって一利なしである。
なぜなら、愛国者でない国民というのは日本国内では問題にされなくとも、海外に出てそうと分かれば「信用されない人物」として軽蔑の対象になる。
そうであるならば、今からでも遅くないから「大橋巨泉・今週の遺言」は「私の遺産は全て日本国民に捧げます」に代えて懺悔すべきなのではないか。
しかし、「自分に優しく、他人に厳しい」と口にするほど、自己に甘い巨泉氏がそんなことをするはずがないのは分かりきった事である。
それにしても、日本が嫌いで日本にも住んでいないで「日本を住みたくなるような国にしようよ」とはとんでも無い人物であることよ。

ロジクールのアウトレット更新されましたね

2010-03-25 17:13:22 | パソコン関係
ロジクールのアウトレット更新されましたね

2010/03/25見てみたら、「ロジクールのアウトレット」が更新されていました。
MX Revolutionも再登場しています。(6480円)

このマウスは、カタログ落ちになっていますから流通在庫だけなのですが、多分メーカーへ返品されているものが多いのかも知れません。
Ultra-Flat Keyboard (ライトパール)なども出ていますが、前回ブラックが780円程度で出でいましたからどうなのでしょうか。
スピカーは大したものがありませんがCordless Numberpad for Notebooksが再度登場していました。
全体的には、前回の更新よりもあまりめぼしいものが出でいません。

【ロジクールストア】在庫限りのアウトレット商品!
「MX1100 Cordless Laser Mouse」と「diNovo Keyboard」をセットにした、数量限定の特別セット

民主党の幼児性議員と反論に言論封殺で返す反民主主義

2010-03-24 23:51:22 | 日記
民主党の幼児性議員と反論に言論封殺で返す反民主主義

近年の民主党の妙な言論封殺と「自民党時代は何でも反対」というのは、とうとう政党自体の幼児性を露呈しつつある様な気がする。
もう既に普天間問題では、「病膏肓(こうこう)にいる」という事態で、自民党時代に米国と合意した基地移設案(シュワブ沿岸部に移設する現行案)が、なぜ不適なのか説明出来ないで避けている感じがする。
他の移設案を見てみても、取りあえず作ってみましたと言うような非現実的なものばかりで誰が見ても「バカじゃないか」と思わせるものである。
なぜなら、基地の移設と言っても単に基地を作ればよいと言うのではなく、その有効性と種々の融合性を持たせない限り全く意味がない。
だから、県外国外などと言っていた民主党の当初の考え方や社民党の考え方などは、歴史的な事実・経緯からして「無知」、即ち、歴史的、軍事的な非常識と言うものである。
この民主党や社民党というのは、歴史を歪曲して事実を無視したり、歴史的事実を何一つ理解することも出来ないと言う幼児性を持っているというのは、どう考えても政治性が劣る。
その社民党の宗教的な一面は「23日の参院予算委員会集中審議」で明らかになっているが、こんな政党を抱えて普天間問題を解決できない民主党というのは末期症状なのではないかと思えてならない。
その「23日の参院予算委員会集中審議」とは読売新聞にこんな風に書かれている。
「米国の核抑止力を巡り、23日の参院予算委員会集中審議で、鳩山首相が『日本に必要だ』とし、社民党党首の福島消費者相が『日本の最大の抑止力は憲法9条だ。(9条が核を)日本に撃ち込ませてこなかった』と主張して、見解の相違が表面化した。」
社民党の「憲法9条」の言霊論は、この種の人達の宗教のようなもので、あの故加藤周一氏も「憲法9条」を世界遺産にとは言わなかったが、世界に広めるとか言っていた。
彼らが、マッカーサーの日本占領政策の一環としての日本国憲法を守ろうとしている根拠というのは、実は占領当時の政策をよく見てみると面白いことが分かる。
なぜなら、GHQによる占領体制による恩恵を多く受けたのが当時の社会党であって、占領利得者であったことである。
そんなことから敷衍すると、GHQの占領体制の継続を意味する日本国憲法の擁護というのは、実に妙なことになっているのである。
そして、社民党が主張する米国軍隊の基地問題というのは、日本国憲法によって制限されているという自衛と日本国軍という軍隊に関わることであるというのは、社民党が歴史を全く理解していないことを示している。
簡単に言えば、社民党というのは政治家でも政治屋でもなく、単なる宗教団体と言うことである。
そして、ここで民主党の幼児性と言うことをネットで検索してみたら、
「幼児性に芯から寒くなる」
「幼児性丸出しの政権・民主党」
「民主党の幼児性に、ほとほと呆れる」
「主党は視野狭窄の幼児性の脳みそを持った集団」‥‥‥といくらでも出で来ると言うのにはあきれた。
そして、その幼児性の最たるものは、「週刊朝日 2010年4月2日号(言論封殺の「暗黒政治」批判者を更迭、提訴、封じ込め民主党の小さすぎる"ケツの穴")」にも出でいる
それは、「福山哲郎(外務)副大臣が最近、文藝春秋とルポライター横田由美子氏を相手どり、損害賠償を求めて提訴したのだ。文藝春秋2月号の記事「CO225%削減 『友愛』外交の敗北」が名誉を棄損したという」話。
‥‥‥‥‥

「記事の内容は、09年12月の国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)にまつわる論評をまとめたもの。横田氏は、鳩山首相が提唱した二酸化炭素(CO2)の25%削減という高いハードルに伴う莫大なコストを懸念する産業界や経済官僚らの見解を紹介し、これを『失策』と評した。これまで民主党の環境政策の中心にいた福山氏にも、批判の矛先を向けている。
 福山氏は訴状の中で、この記事が、『虚偽』に基づき、『(福山氏が)産業界、国民に対する配慮をせず、政府ないしは民主党を取り仕切っているとの印象を強く与えた』と主張している。」
「ところが、何を虚偽と言っているかというと、首をかしげざるを得ない。例えば、鳩山政権下の地球温暖化問題の会議が『福山氏の独壇場だと評判だ』と論評したこと、25%削減のために『多額の負担を強いられる国民への配慮は見られない』と評したことなどを、『虚偽だ』としているのだ。
 ジャーナリストが取材に基づいて、国の政策や政治家に対する自分の考えを表明したことが、なぜ虚偽だというのだろうか。しかも、与党政治家で副大臣の福山氏なら、記者会見をはじめ、反論の機会はいくらでもある。それを言論ではなく、裁判に持ち込む。これでは、批判を封殺するための訴訟だと言われても仕方がない。」(週刊朝日)
‥‥‥‥‥‥

国家権力の一員である副大臣がマスコミに批判されたからと言って、訴訟に持ち込むというのなら日本には言論の自由はないのかと言う事になる。
そして、そう言う批判に対して具体的に国民に分かるように反論すると言うのが、政治家として求められるものだろう。
それが反論できないというのなら、その政策が間違っている、又はインチキである証拠であって、本来なら議員辞職してしかるべきなのである。
本当に、民主党の議員一人一人にあきれてものが言えないと言うのも、議論になればほとんど反論が出来ない机上の空論ばかりと言うのが今の民主党の政策であるからである。

今の民主党が政策議論をさせないで、国会を通しその失敗には責任を取らず、国民に廻すというのは今の民主党の無責任体制から良く分かる。
そして、議論封殺で議論させないのは、その政策が議論に耐えられない愚作ばかりであるからと言うことである。
何と言っても、議論に対し「名誉毀損だ」と提訴するというのは、その議論では負けと言う事がよく分かっているに相違ない。
しかし、それは国会議員としては失格だろう。
その環境に関する議論を見てみれば、国民負担を考えず「言う事だけは簡単だよな」と、本当にナイーブな、と言うのより無邪気な考え方に馬鹿馬鹿しくなると言うものなのである。
物事を複眼的に見られないというのは、今の民主党議員の典型例というものの、こういう人物というのは政治家には向かないというより害であるとしか思えないものである。

優れものその1・キューブ型スピーカーYAMAHA・NX-A01

2010-03-22 23:25:52 | PC・ハード・ソフト関係綴り
優れものその1・キューブ型スピーカーYAMAHA・NX-A01

先日、ある会員制の通販サイトで期間限定商品として激安で売られていたのが、「YAMAHAスピーカーシステム NX-A01」と言うものだった。
大きさ約9センチ(84mm)四方のキューブ型の小さな箱というのがこのスピーカー。
こんなものは役に立つのかとは思うものの、YAMAHA製ともなればただ物ではない事は確か。


YAMAHA スピーカーシステム NX-A01(B) ブラック それで、アマゾンや価格comの口コミを見てみれば、驚く無かれ非常に評価が高い。
但し、価格コム(7,980円)は兎も角も、アマゾンで12,000円弱というのでは、このデフレのご時世でおいそれと買えたものではない。
マウスやキーボード、その他パソコン用スピーカーなどの上級品(?)を売っているロジクールなどは、製品自体が置いていない家電量販店がいくらでもあるくらいである。
家電量販店では、よく売られているマウスは1,980円程度だし、パソコン用スピーカーだって980円とかで、元々パソコンとセットでついてきたものを使っているはずだから別に購入するという感覚ではない。
そして、ロジクール製で別に購入すると言うのなら、マウスが5,000円から10,000円、パソコン用スピーカーだって10,000円のレベルだったら誰だって躊躇する。
だからロジクールのアウトレットというのは大人気であった。 【ロジクールストア】在庫限りのアウトレット商品!
実は先週3月15日頃に商品が突然追加になって、気がついた時にはめぼしいものは売り切れ、見る間に無くなって行く。
但し6,480円のMX Revolutionというマウスは中々売り切れなかった。
価格的に高いとはいうものの、市販では12,800円していた高級品で、もう秋葉ヨドバシなどには在庫が無く、価格高騰してマニアが2台目、3台目と買っているもの。
実は、小生も2台目まで買う勇気はなかったからそのままとしたが、Mouse M500が2,480円(税込)で売られていたのは結構複雑な心境だった。
このMouse M500というのは、有線マウスとしては秀逸なもので2,480円なら充分納得の行くものなのである。(以前のエントリーで解説) 「MX1100 Cordless Laser Mouse」と「diNovo Keyboard」をセットにした、数量限定の特別セット
それにしても、「MX1100 Cordless Laser Mouse」と「diNovo Keyboard」をセットにした、特別セットと言うヤツは、ロジクールのウエブサイトトップからリンクされていないので、(バナー以外からは入れないので)中々売り切れない。
そんなこんなで、今まで買えなかった高級品が半額程度で手に入るというのはやはりデフレの影響なのかというものである。

さて、このYAMAHA・NX-A01。
こんなもの何に使うのかと思って、ヤマト運輸から届いた包みを開けながら考えたし、その小ささに唖然とするものでもあった。
兎に角、接続と言うことで、どうも「モゴモゴ」と高音部がクリアーで無かったケンウッドのラジカセに繋いでみた。
出力はイヤホンジャックである。
‥‥と驚いたのは、非常に明瞭なクリアーな音、低音もそこそこで一瞬ラジカセの音とは思えないのである。
特に、ボーカルのクリアさには驚くと言うものの、両脇の3センチのスピーカー2つで出す音の定位置の良さは当然として、中々お目書かれる音質ではない。
ただ、モーツアルトなどのクラシックの一部では、音の広がりに欠けるのはやむおおえないものの多少離れて聞けば問題なし。
FM放送の音楽でも結構臨場感があったりして、アンプと音響効果の最新技術の冴えに驚くと言うものである。
だから、これでしばらくラジカセにつけたままになりそうである。
又、最近の液晶テレビというのは液晶画面の裏にスピーカーがあったり、液晶の下に僅かばかりスピーカーを配したもので非常に音が悪い。
それで、これを接続したところ出演者の声のトーンがクリアなこと。そして、当然液晶の前スピーカーが来るから音が前に出る。
ただ、DVDで映画を見ると言う時は重低音が足りないから迫力不足かもしれない。
しかし、一寸いい音でTVを見たいと言う時に手軽につけられると言うのがよいところである。
実は、このスピーカーというのは元々携帯電話やiPodを聞くもので、メーカーでも「音楽ケータイ、iPodなどのデジタルオーディオプレーヤーを接続する」とあるのだが、パソコン用でも充分な性能を発揮する。
但し、据え置きであるならば、もっと安くて高性能のもの売られているから考えものでもある。

民主党政権の半年を振り返りその宗教的本質を悟る

2010-03-22 13:06:02 | 日記
民主党政権の半年を振り返りその宗教的本質を悟る

先日民主党政権発足半年、経過しての評価というものは散々だった。
その上、民主党議員の不正、不公正は留まることを知らず尚かつ、民主党内での言論封殺という事実もますます顕在化して、国民の目を「顰(ひそ)ませる」ものとなった。
民主党という政党にあの夏の選挙で、国民は全面的に日本の運営を任せたのであろうか。民主党の鳩山、小沢の小鳩内閣と言われる面々は国民からの全面委任として、自民党が延々と行ってきた外交を含めた全ての事柄をひっくり返して悦に入ったのは選挙直後だった。
しかし、国民としては自らの生活を脅かすような、過激な変化というものを何時の時代でも望まないというのは歴史が示しているところである。
そして、本来の民主主義の本質としての政策は国民のあいだからの要求に従って、政治が実行すると言うのが基本である。だから、政策は国民の元々のコンセンサス(意見の一致)によってなされるために、大きな混乱や劇的な変化というものをもたらせない。
そこで、理想をもって上からの改革、政策実行というのが必要と唱えるものの、50年先に於いてその評価に耐えるものというのは希有であると言うことも事実である。
実際50年先の評価に耐えたものは、単独講和反対と叫んで社会党などの左派勢力の反対を受けたサンフランシスコ講和条約締結であり、安保反対(1960年・60年安保)と国会を取り巻いて気勢を上げた反対にも拘わらず、岸首相が政治生命を賭けて改訂した安保条約改訂ぐらいでしかない。
そして、不思議なことは日本の独立後、左派勢力という社会党などが反対したことを実行したものは粗方上手く機能し、左派勢力の口車に乗って実行されたものはほとんど破綻した。
今、金満財政を誇る東京都も美濃部都政の時は、大赤字で首も回らなかったくらいだ。
そう、東京都下の公務員の給食のおばさんも現業の用務員さんも退職金は4,000万円を楽々越え、という今で言えば夢のようなお話だった。
だからそんな左派勢力、労働貴族の支配する政党に国政を任せないというのが従来からの国民の選択だった。
しかし、この夏の選挙というものには、鳩山首相という鳩山一郎の子孫である大金持ち資産家が顔になり、元々自民党の幹事長だった小沢一郎民主党幹事長が指揮を執って選挙を戦った仮装自民党と自民党との戦いだった。
吉田茂の子孫である麻生氏の自民党と鳩山一郎の子孫である鳩山氏の対決の欺瞞というものは、なんと吉田茂氏の自由党と鳩山一郎氏を中心とする日本民主党の保守合同によって自由民主党が出来る以前に遡るようなのである。
しかし、そこにはマニフェストというバラマキ大衆迎合の左派思想と、表向きにはひた隠しにした左派政策である象徴の政策集。
そして、そのマニフェストや政策集と言うのも、あの「ゆとり教育」を実施した政策過程に酷似するかなりの後進性、政治性のなさを感じさせるものである。
なぜなら「ゆとり教育」は米国で提唱され実施して失敗し、見直しがされて廃止された後に日本は「ゆとり教育」を実行するという愚かさである。
その過程は、米国で「ゆとり教育」と言う思想を持って帰国し、時代の変化を無視したままに自らの思想を実行したと言うことであって、政治や政策ではなくある種の「宗教」であると言える。
その「宗教」と言う概念で民主党の政策を見れば社会主義という「宗教」によって、事を始めようとするようにしか見えない。
だからその宗教的なものというのは、国際性や社会性や種々の慣習との整合性をも相容れない。
よく見れば現在の民主党、社民党ともに外交という国際性や国際政治学には、不思議なことに歴史的にもほどんど無知である。ついでに言えば素人でも分かる事が分からない軍事音痴と言うより、軍事アレルギー。
実際の宗教というものが、発祥した地域の慣習を元にしているものの他の地域に伝搬した時に、その地域との整合性に欠けるというのは仕方がない。
しかし、民主党が主張する「宗教なるもの」には元々にして歴史的な整合性はない。

今、日本の政権党である民主党が今後の世論調査でますます評価を下げ、政権発足半年で危険水域に達するというのは、その点を踏まえればそもそも国民との意識の差としての読み違いがあったと言うことである。
確かに、小沢氏の自民党をぶっ潰すというのは確実に成功した。
なぜなら既に評価として定まっている「政権政党である以外、存在価値がなかった自民党」という自民党は、麻生氏の後に総裁を谷垣氏という「なんとなくリベラル」な人物を選んでしまったことである。
だから「なんとなくリベラル」は、リベラルの民主党との違いを示すことが出来ず、自民党の存在意義を示せなくなってきている。そして、自民党から民主党へ鞍替えしている議員がボツボツ出てきていることは、「金の切れ目は縁の切れ目」と自民党というのは政策集団ではないと言うことを、図らずも示してしまっているのである。
‥‥とはいうものの、自民党というのは長らく政権政党であっただけでなく、野党の追及の厳しさもあって民主党より金や不正、不公正に対しては自浄作用があったと言うことが国民に知れ渡ったのとは有意義であったかも知れない。

実際、民主党の政策というものは、国会での議論では常に問題点を指摘されて立ち往生するものの、審議せず後の「密室」で修正するとした国会軽視、議論無視が目立つ。
そして、数々の失政、不祥事が出ようとも民主党政権では「聞き置く」程度で実際の不正の排除や修正がなされる様子はない。しかも、その不祥事が産経新聞ぐらいしか報道されないことも多い。
安倍政権の時に安倍政権の責任でもなかったことや、大した事でもないのをかき立てた民主党の応援団の週刊誌は、当然民主党の不祥事には知らぬ振りである。
実際、ここ二週間週刊誌を買ってみたが、民主党の不祥事を追求した記事というものは一つもなかった。
このように見てみれば、本来国民が望んだ政権というのは自民党政権よりほんの少し「リベラル」なほとんど変わらない政治体制であって、今のようなパンドラの箱をひっくり返したような政権ではない筈である。
実際、バラマキの政策を全て撤廃し、事業仕分けに元々のシーリングを掛けておけば大きな国債増も避けられたかも知れない。国際的な合意取り決めの普天間基地問題を白紙に戻すという、子供じみたことは言語道断であるから日米合意のそのままとして、精々ガソリン税の暫定税率でも廃止していればそれなりの大きな違いを示せたと言うものではないか。

考えてみれば、米国が共和党から民主党のオバマに代わったからと言って、実質の大きなところは全く変わっていない。
日本の民主党は、オバマ大統領が核軍縮を唱えたと政権当初大絶賛していたものの、最近では米国の核軍縮の話し一つ出ていない。
現実問題としては、米国は核軍縮どころか新兵器による更新の核軍拡に入り始めており、元々核軍縮などと言うのは相手が減らせば減らすという程度の当たり前なもの。

それにしても、あまりの無邪気さにあきれるだけでなく、米国に民主党政権が出来て大喜びした民主党の興奮というのもが今では全く感じられない。
これは、今の民主党は内実を考査せず、単なるイメージ先行で評価しようとする実質が伴わないナイーブさを象徴していると言うものである。
そしてその延長線上に日本だけが突出して削減を求める、鳩山民主党の温暖化法案があると言って過言ではない。

syuun の不思議な少年時代 その22 Episode 1 その2

2010-03-21 00:00:32 | syuun の不思議な少年時代
syuun の不思議な少年時代 その22 Episode 1
その2

昭和31年、32年の頃の物価というものはどんなものだったのだろうか。これを考えないと月謝や寄付金の金額というものは良く分からない。
そして、月謝というものは毎月父母が直接幼稚園に持っていったものである。
今や幼稚園や保育園などに行かない就学前の子供などはいないが、その昔というのは幼稚園に行くと言うのは、言わば上層階級のまねごとだった。
だから、時として長屋の子供も人によっては無理して行ったのである。
又、公立の保育園というものには、特別な事情がない限り入園することはほとんど出来なかった時代でもある。逆に言えばコネで何とかなった時代でもある。
大学だって、例えば日大の紹介入学制度という(正規のルートとしての)裏口入学が無くなったのは、昭和44年なのである。
だから、昭和30年代の東京六大学では金を積めば正規の合格者として、入学できる大学がいくらでもあった。
日本が形式上独立してから10年、昭和30年代初頭というのは今から想像できないコネ社会でもあったと言うことでもある。
そして、当時は保育園も少なかったのは当然として、市の規模で幼稚園すら2つぐらいしかなかった。あっと言う間に増えたのは昭和30年代半ばになってからである。
当時の物価‥‥毎日道の交差点で売っていた自転車の納豆売りの価格は、一袋5~10円。
瓶入り牛乳(中身のみ・瓶の返還の条件)は、10円。ヨーグルトは15円だった。
結構乳製品というのは高くて、バターは細長い棒状の100gが80円後~100円くらいだったか?6pチーズの半欠け(高価なので半分に切って貰う)が15円、後に25円くらいだったか?
これは、たまに買いに行かされたから覚えているがその他は、あめ玉が2~3個で1円くらいだった。
黒砂糖をふくらし粉(重曹)で含ませて固めた大きな「かるめ焼き」、これが5円だった。
ちなみな小生の父親の給料が手取りで16,000~18,000円だった頃の話。
今の価格から考えると10倍にもなっていないものもあるとは言うものの、凡そ20~25倍の違いはある。ただバターなどの乳製品が驚くほど高かったと言う事が分かる。
理由は、電気冷蔵庫の無かった時代で、氷を使った冷蔵庫を利用するしか無く、冷蔵するのが難しかったという理由が大きいかもしれない。

幼稚園に入園したのが4月のいつ頃だったのかよく覚えていない。
だが、風の強い晴れた決められた日に、母に連れられて、入園料と、月謝を払いに行った。
そして、そのまま園舎の方に行って、脇の入り口から単に大広間・講堂で他のみんなと並ばされて、K園長先生の祝辞を聞いたらしい。
そして、クラス分け。
初めて母と別れて不安で一杯だった時、クラスの先生が「母親と同じ目」をしていたから、直ぐに不安が払拭されたというのは驚くべきものだった。
この先生には、本当に良くしてもらった。
ならばどんな風に、と言っても何も説明出来ない。要するに、母のようにと言うだけである。
幼い子供というのは、母親の目だけ見ていれば不安もなにも感じないというのは、本能のようなものだろう。
その母と最初に幼稚園に踏み入れたところとは、幼稚園の事務所兼昼間の園長の居間というところだった。実は、そこから園長の自宅へ通じるドアがあったものの、誰もそんなドアがあるなど知るよしもなかった。
その事務所兼園長室は、昔の商家の入り口ようなところで、広い土間に杉板のスノコが敷いてあって、その先に障子で仕切られた畳敷きの10帖くらいの部屋があった。

その入園のお金を払いに行った時、「月謝だけではないのですよ寄付を払ってください」と言い終えたところ、K園長は奥の園舎ら呼ばれてどこかに消えてしまった。
そこで、母はそこにいた事務を執っていた教師に「幾らぐらい払えばよいのですか?」と聞くと、困ったような顔をしながら、「月謝の半分くらいで」と言っていたような気がした。しかも、それが毎月のようなのだ。
要するに、月謝という帳簿に付ける金額の他に、簿外でなにがしかの金を払うと言うわけ。
そして夏休みまで4ヶ月は、月謝と寄付を一緒に母は持っていたと後に言っていた。

その時の幼稚園の授業とは、午前中は年中、年長組を講堂というか大広間に一同に集め、多くて3人程度の先生が指導して、お遊戯やら何やらの時間つぶし。
午後は、個別のクラスに分かれて絵を描くとかの自習だ。時として、絵本を読んでいなさいと渡されてそれだけと言う事もあった。
何と言っても、毎回同じものでは飽きてしまう。それで、誰もいないから騒いでいると言っても、話をしているくらいなもの。
そこにK園長がやってきて、「うるさい」とか注意に来るが先生は不在だ。
なぜなら、幼稚園の先生の半分は朝から園児そっちのけで事務をしているのである。
特に経理担当の先生などほとんど教室には顔を見せない。
分かりやすく言うと、園児を教える先生はいつも不足というのがこの幼稚園だった。
午前中は、少ない先生で全体を一まとめにし、午後のクラスに分かれてからは一人の先生が何組も掛け持ちという具合。
だからいつも先生はK園長を気にしていたし、園長が不在と言う時は先生も事務で拘束されないので、のびのびと何でもやれたというものであった。

この幼稚園というのは、後から知ったのだが夏休みや冬休みになった頃に、内緒の不思議なプログラムが組まれていた。
それが何であったのかは良く分からない。しかし、後から考えてみるとK園長がちらりと漏らすことがあって推察できるというものだった。
年中組の時、と言っても2年保育が基本の頃だったから、1年次の時の夏休み前だったか、あまりに自習が多いので母が苦情を先生に言ったことがあった。
そんなに絵でも描きたいのであれば、夏休み中の○月の○○日から絵の先生が来て教えていますから来てみてはどうですか‥‥但し、午後の2時くらいですが。

それでその時期に母が幼稚園に行って、聞いて見た。
それは、午後2時か2時半くらいだったら「絵の教室」に来てもよいとのこと。
後から聞いたら、午後1時から3時までだったそうな。
分かりやすく言えば、午後2時にでもなればK園長は帰ってしまうので誰が来ても分からないと言うものだった。
それで1日目は、2時半頃に行ったらもう終わりだった。
その時、以前から顔だけ知っていた「坊ちゃん風」の「いけ好かないような」男の子が、「ずいぶん遅く来たでじゃないか、もう1時からやっているんだぜ」。
「だから飽きちゃって、終わりにするところだよ」
「そう、やるなら、そこんとこ、塗っといて!」
2日目は、もう少し早く行くことにしたのだが、そこでこのプログラムの趣旨が分かると言う次第になった。

以下 その3へ