書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

その2Canon、Panasonic、RICOH、SONYのコンデジの青色発色の違い

2011-12-31 18:55:04 | デジカメ関係

その2Canon、Panasonic、RICOH、SONYのコンデジの青色発色の違い

とうとう大晦日になった。
スーパーを覗いて見ると生鮮食料品の昨日から値段が上がっているだけかと思ったら、金券ショップの割引まで下がっている始末。
このデフレの時期にまだ正月料金などというものがあった。デフレなのに値上がりしていると思ったのが、歯科の自由診療。ここのところ行ってはいないのだが、被せてあったものが取れて入れ直したもの。これがなにやら保険適用外と言って妙なものを入れられたのだが一頃の三倍だった。
それで道理で患者がいないと思うものだった。

そんなところで、前回の「その1」の参考写真をTN液晶のノート型パソコンで見たらよく分からないレベルだった。
それだからノート型パソコンで画像編集などは出来ないと言ってしまえば身もふたもない。
よくよく見ないと分からないレベルではなくて、それなりの液晶モニター(VAかIPS液晶)であればはっきりと分かるものである。

それで今度も同じような画像を貼り付けてみよう。
今度は、本当に分からないかもしれない。

見比べる機種は、同様に
Panasonic LUMIX-DMC-LX5
Canon PowerShot S100
RICOH GR DIGITAL3
SONYサイバーショットDSC-HX7V
である。





カメラメーカー: Panasonic
カメラモデル: DMC-LX5
焦点距離: 5.1mm (35mm 換算焦点距離: 24mm)
絞り値: f/4.0
露出時間: 0.0010 秒 (1/1000)
ISO 感度: 80
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: 風景
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 3.6 (Windows)

カメラモデル: Canon PowerShot S100
レンズ: 5.2-26.0 mm
撮影日時: 2011-11-12
焦点距離: 5.2mm
フォーカス距離: 1.55m
絞り値: f/5.6
露出時間: 0.0008 秒 (1/1250)
ISO 感度: 320
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 3.5 (Windows)


カメラモデル: GR DIGITAL 3
焦点距離: 6mm
絞り値: f/5.0
露出時間: 0.0016 秒 (1/640)
ISO 感度: 64
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 3.6 (Windows)


カメラモデル: DSC-HX7V
レンズ: 4.3-42.5 mm f/3.5-5.5
焦点距離: 4.25mm
絞り値: f/8.0
露出時間: 0.0025 秒 (1/400)
ISO 感度: 125
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: 風景
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 3.6 (Windows)


TN液晶だと、PanasonicとCanonの区別が付かない。RICOHは明らかに「青」が違うので分かるくらい。
SONYのサイバーショットは明らかに彩度が低く、平坦に見える。しかし、実際はそれほど酷くないのが実情。

This is TANAKA氏こと、田中美喜男氏がブログで述べている2012年のデジカメの傾向は、「高画質」という。
確か「裏面照射型CMOSセンサー」というのは毎年新型がでで来るから、3年目の2011年には第三世代のCMOSになるかも知れない。
当然のそのCMOSは、従来型のCCDに追いついていなければ無意味。そうだとすると2011年には、第二世代のCMOSが置き換わる可能性がある。
RICOHのCX-6の様に初期型を使い続けるというのは、コストぐらいしかメリットはないのではないか。
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それにしてもNTT-Xの年末極秘原価割れ????バーゲン30日で終了していまいました。
通常約20,000円の液晶モニターが約20%OFFだったのには売り切れて気がついた始末。
他社も30日までバーゲンをすると言いながら28-29日で終わっていたりいろいろでした。

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Canon、Panasonic、RICOH、SONYのコンデジの青色発色の違い

2011-12-30 17:31:14 | 日記
Canon、Panasonic、RICOH、SONYのコンデジの青色発色の違い

2011年もあとわずか、種々やり残したような気がしている。それはそうと「カメラマン」と言うカメラ雑誌を久々に買ってしまった。
カメラマン

買った理由は、特集の「最強のサブ機を探せ!」(田中美喜男・写真/解説)という記事で、持っている「Panasonic LUMIX-DMC-LX5」が高評価だったからである。



カメラマン
この特集では、「Photo of the Day」の写真家・田中美喜男氏が写真を撮っているとはいえ、何やら釈然としたところがないものでもない。しかし、一応の参考にはなる。
その釈然としない部分というのは、「高ISO感度性能」でこの部分だけはISO感度3200に設定してオートでは無いのである。
コンデジでISO感度3200がまともに使えると言うのは存在しないから、1位から5位までミラーレスカメラになったというのは実験に値しない。
多分、ISO1600では差が出なかったと言うのが真相ではあるまいか??

いずれにせよ、最新のコンデジ、ミラーレスカメラの方が性能が良いというのは当たり前で、その中ではUMIX-LX5はかなり頑張っていると言うべきだろう。
それで今年撮りためた中から同じところを取った写真を見比べてみることにした。
見比べる機種は、
Panasonic LUMIX-DMC-LX5
Canon PowerShot S100
RICOH GR DIGITAL3
SONYサイバーショットDSC-HX7V
である。
この中で、DSC-HX7Vは1/2.3型の裏面CMOSという極小型のセンサーを用いている。





Panasonic LUMIX-DMC-LX5

カメラメーカー: Panasonic
カメラモデル: DMC-LX5
焦点距離: 5.1mm (35mm 換算焦点距離: 24mm)
絞り値: f/4.0
露出時間: 0.0010 秒 (1/1000)
ISO 感度: 80
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: 風景
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 3.6 (Windows)


Canon PowerShot S100

カメラモデル: Canon PowerShot S100
レンズ: 5.2-26.0 mm
焦点距離: 5.2mm
フォーカス距離: 5.64m
絞り値: f/6.3
露出時間: 0.0008 秒 (1/1250)
ISO 感度: 320
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 3.5 (Windows)


RICOH GR DIGITAL3

カメラモデル: GR DIGITAL 3
焦点距離: 6mm
絞り値: f/5.6
露出時間: 0.0016 秒 (1/640)
ISO 感度: 64
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 3.6 (Windows)


SONYサイバーショットDSC-HX7V


カメラモデル: DSC-HX7V
レンズ: 4.3-42.5 mm f/3.5-5.5
焦点距離: 4.25mm
絞り値: f/8.0
露出時間: 0.0025 秒 (1/400)
ISO 感度: 125
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: 風景
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 3.6 (Windows)



の順番になっている。

比べるとPanasonicは割合とあっさりした色合いで記憶色に近い。
一方、Canonは色が鮮やかで比べるとこの方が好ましい。
ところがRICOH GR DIGITAL3だけがやたらと黄色みが強いというか色被りしている感じである。
GX200などは「真っ黄色」という感じで夕方、紅葉などは良い。

最後のDSC-HX7Vは、全体に色の載りが悪く白っぽい感じのノイズがある。
これが第二世代の「裏面照射型CMOSセンサー“Exmor R(エクスモア アール)”」の特徴でCCDにまだ追いついていないことが明確に分かる。
これが、DSC-HX5V、RICOH CX-4などに使われている第1世代だと黄色く何やら濁った感じがある。


RICOH GR DIGITAL3で撮る2011 その1

2011-12-28 23:40:38 | デジカメ関係
RICOH GR DIGITAL3で撮る2011 その1

●2011年秋はPowerShot S100のモニターをしていたために、RICOH GRDで撮影した画像の発表は紛らわしいので控えていた。
PowerShot S100のモニターは2011年11月10日(ミーティング)から12月16日(配送)までで、カメラを返却してから記事を書くというのは道義に反するとして敢えて掲載していない。
そのモニターも上述のように終わったから順次撮りためた映像を公開してみる。
撮影旅行をする事がある。
この時には一台のカメラだけで撮影すると言うことはしない。当然サブのカメラを使って、画像の比較をしなから検討して行く。
今年の場合は、このS100のほかにGRD3、PanasonicLUMIX-DMC-LX5、SNOYサイバーショット DSC-HX7V 、デジ一眼のα55 と5台のカメラを使って比較検討している。
この中でお笑いだったのは、前回撮影した設定のままにデジ一眼のSONYα55で撮影してほとんど失敗していると言うことであった。
こんなことがあるので複数台必要であると言うこともある。



カメラメーカー: RICOH
カメラモデル: GR DIGITAL 3
焦点距離: 6mm
絞り値: f/3.5
露出時間: 0.0050 秒 (1/200)
ISO 感度: 64
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 3.6 (Windows)


●RICOH GR DIGITALも現行商品はIV(4)になって、液晶はより見やすく、AFは早く正確にと進化しているように思う。実のところIVを持っている分けではないので比較しようがない。
しかし、35mmのカメラ28mm相当の単焦点レンズなのである程度の制約というものがある。他(s100、LX5、HX7V)のコンデジは24mmからであるから風景撮影の広角性では、劣る。四角の絵を撮るには相当押さえられているが、どうしても樽型にはなる。
それでは何を撮るのかと言えば、やはり街角スナップという感じがする。
こんなふうに、昔の銀塩カメラ時代の撮り方を彷彿とされるために記録用としては結構出番が少ない。

カメラメーカー: RICOH
カメラモデル: GR DIGITAL 3
焦点距離: 6mm
絞り値: f/5.6
露出時間: 0.0016 秒 (1/640)
ISO 感度: 64
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 3.6 (Windows)



カメラメーカー: RICOH
カメラモデル: GR DIGITAL 3
焦点距離: 6mm
絞り値: f/4.0
露出時間: 0.0031 秒 (1/320)
ISO 感度: 64
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 3.6 (Windows)









真珠湾攻撃を主導した山本五十六大将の精神構造を考察する その2

2011-12-27 23:45:36 | 映画、書評など
真珠湾攻撃を主導した山本五十六大将の精神構造を考察する その2

「山本五十六」本と言えば、阿川弘之著の「山本五十六」 (上、下巻) (新潮文庫)である。 実は、この阿川弘之著の「山本五十六」、「米内光政」、「井上成美」の三部作は海軍善、陸軍悪を定着させたように思える著作である。
しかし、この本を読んで行くと日米開戦前と開戦後(真珠湾攻撃前と後)とは全く様子が違うように書かれている。
なぜ山本五十六が真珠湾攻撃の採用をしなければ、「聯合艦隊司令長官を辞める」とまで言って押し切ったのかがはっきりしない。
端的に言えば、読み手がもっとも知りたいところが書かれていない本というのが阿川本であった。
それが工藤美代子著「山本五十六の生涯(幻冬舎文庫)」という工藤本では、「米国との戦争回避」と「山本五十六の米国駐在武官としての経験」を過大評価している。

「海軍とは現役将校団なり」(山本権兵衛)
海軍は、海兵卒業の現役海軍士官によって構成され、予備役になった途端に影響力はなくなる。
そのためか、米内光政にしても首相になったときに、自ら予備役になって事実上海軍に対する影響力をなくしてなぜか短命内閣に終わった。それは、当然真珠湾攻撃直前には海軍に対する影響力を全く無くしているということである。
そんなわけで、阿川弘之著の「米内光政」は、終戦処理時に現役復帰して海軍大臣を努めるものの実際のターニングポイントでは活躍していない。
米内光政という人物は、かなりアバウトな人物であったが大枠は外さず東郷、西郷型の人物というのは良く分かる。
もし、米内光政が予備役にならずに山本五十六の代わりに聯合艦隊司令長官になっていたら歴史は変わっていたかも知れない‥というイフがある。(山本五十六は、米内を現役復帰させ連合艦隊司令長官に就任させることを求めている。)

しかし、現実には山本五十六は聯合艦隊司令長官にあり続け、海軍という官僚組織に取り込まれて行く。

日露戦争までの軍隊の戦い方というのは、強力な軍隊がいる正面に向かって突撃する。又は、強力な軍隊を見つけて戦いを挑むというやり方であった。
そしてそれによって、多くの犠牲を伴っても良しとした。
第一次大戦でも全滅を顧みず突撃しない将軍は、容赦なく解任されるということになった。
しかし、第一次大戦のイープルの塹壕戦(他、第二次イープル戦)などはそれによって、何十万人という兵士が命を落とすことになった。
それによって、価値観が変わって第二次大戦では人的被害を最小に押さえると言う傾向になった。従って、司馬遼太郎の「坂の上の雲」では乃木大将を無能な将軍としている。
しかし、日露戦争から第一次大戦までは「闘将、猛将」として崇められていたのであり、それ故に「乃木神社」がある。

その戦争の価値観が変わった第一次大戦後の戦い方は、日露戦争の様に強力な軍隊同士が正面切って戦うという構図ではない。
そういう戦いというのは、中世という時代を通過した武士道、騎士道の精神を持った国々の戦いである。
第一次大戦からは、総力戦になり戦い方も「弱いところを叩く」という勝負事の常道になった。
だから日本が国民党蒋介石軍と戦っているときに、八路軍(国民党・国民革命軍第十八集団軍・共産党軍)は日本軍が手薄になったところを攻めた。
同様に、防衛が手薄になったスキを突かれて通州事件も起きている。

米国というのは中世という時代を経ていない国であると言える。
要するに、武士道も騎士道もあったものではないという国である。こう言う国の戦い方というのは、勝負事の戦い方で弱いところを叩くと言うことになっている。
そして、その基本と言うものは現代でも変わっていない。
だから、例えば沖縄に米軍基地があると言うのは沖縄にとって安全が保証されているようなものである。
基地、軍事力があるからそこ攻められるというのは、精々一次大戦までの感覚である。

そういう観点から見ると1941年当時、ルーズベルトが日本に戦争をけしかけると言うことは充分あり得た。
弱いところ、弱そうなところを見せて攻撃させると言うものである。
これが、米国と日本の認識の差で米国では、真珠湾では水深が浅いために雷撃機の魚雷は底に突いてしまって威力を示さないから攻撃されても軽微と思っていたはず。
そして、そもそも当時の日本海軍の実力を過小評価していたことも事実だろう。

ドイツでは、ヒットラーが米国を参戦させないために細心の注意を払いユーボートによる米国の貨物船の撃沈に関しても最大限の努力をしていた。

こう言う状況下での山本五十六の米国認識と同時期に米国・ハーバート大学に留学していた栗林忠道中将(硫黄島の司令官)の米国認識では大きく異なる。
端的には、「(栗林忠道)自分が雇ったメイドが自動車で通勤してきたことに驚いている。(帝国海軍の勝利と滅亡・別宮暖朗)」

栗林忠道中将による硫黄島での戦いが米国との全戦線で繰り広げられたのなら、多分その後の戦争継続は危ぶまれたであろうと言うことは、二次大戦の価値観を踏襲して解説書に書かれているとおりである。

 つづく

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syuun の不思議な少年時代 その31

2011-12-25 23:21:38 | syuun の不思議な少年時代
syuun の不思議な少年時代 その31

【昭和39年、1964年春】

昭和39年と言えば何を思い浮かべるのであろうか?
思い付かなければ1964年と言うことで、東京オリンピックの年である。この東京オリンピックを前にしてうちでもテレビをようやく買った。
テレビが普及したのが今上天皇の御成婚の年、昭和34年前後とも言われる。しかし、昭和34年にテレビを買ったという家はそれほど多くない。
それどころか、まだ電話も普及していなくて電話を入れるのには抽選だとか、債権を買うとかなどの種々の手続きが必要だった。
電話が急速に普及するのは、申し込みさえすれば入れることが出来たその翌年(昭和40年)くらいからである。
そして、その昭和39年という年が、小生(Syuun)のとって絶対に忘れられない年になるとは思いもよらなかった。

その昭和39年の4月。
朝八時前に家を出て、約1キロ先の中学校へ向かった。
その中学校とは、前橋市立第一中学校といって前橋刑務所の直ぐ隣にあった。
その中学へ行く道も中学を通り越して少し行くと行き止まりで、見渡す限り水田か桑畑のどちらかだった。
遠くに見える森が神社でその一画だけに人家があった。
そんな面影は、今ではとても思いもよらないもので、元々郊外に在ったはずの中学は今では市街地の真ん中になっている。
そして、真新しいダブダブの学生服を着て、今でも変わらない正門をくぐったもののどこへ行ったら良いのかうろうろする始末だった。
通学途中の上級生は新一年生か!と声をかけきて、「入学式はもっとあとだせ」と言うことらしかった。
考えてみれば、入学式の時間などを確認してこなかったし聞いた覚えもなかった。

兄がいれば多少なりとも助言を得るところであった。しかし、兄はその年北海道大学(当時の一期校)に合格して札幌に行ってしまった後だった。
母に言われたのは、「兄ちゃんもダブダブの学生服だったわよ!!」
と、ダブダブの学生服を怪訝に思う小生に言われたことぐらいであった。

多少雨が降り出し、9時を過ぎ誰いなくなった正面玄関の屋根のある通路で待ちくたびれていると一人の新入生と思われる男子学生が来た。
それは、同じように身体に合わない学生服を着ていて、お互いに制服を見せ合って何やらホットした気分だった。
さすが9時半になると玄関の通路は、新入生で一杯になってきた。
するとどこからともなく、先生が出て来て
「クラス分けを発表します。体育館の横に貼るので、それを見てクラスに集まるように!!」
‥‥と通路に集まった新入生は一斉に雨の中校庭を走って体育館の前まで行った。
黒山の人だかりを見ていても中々名前が出で来ない。
やっと見つけたと思ったら1年10組だった。
一クラス48人から49人、全11クラス、学年人数約535人。
この人数は、今では市街地の小学校に全校生徒よりも多い。
しかし、全校生徒となると約2,000人にもなるのである。
概算で大まかな人数を上げておくと、2年生13クラス約640人。3年生15クラス約780人。
こんな数値というのは今ではとても考えられない。今の第一中学校の全校生徒でも500人に満たない。

そんなわけで、1年10組約50人の名前は覚えきるうちに2年に進級してしまったというわけである。
ここから普通高校へ進学すると言うのがいかに困難を伴うのかと言うことを説明する。
当時の高校の通学区域というのは、前橋市、伊勢崎市とそれに隣接する郡部であった。
そして女子校を別として前橋市の唯一の公立普通高校とは、最難関校の県立前橋高校しかなかったのである。
その前橋高校には、おおむね伊勢崎とその周辺から約200人、前橋とその周辺から約200人という構成である。
ベビーブーマーの時期に合わせて定員が450人になったために増えたと言ってもSyuunなどが入学したときの定員が約432人。
そして「前橋とその周辺から約230人」という感じであった。
その約230人の構成とはどんなものだったのだろうか。
当時の中学校は、一中から七中までのナンバースクールのほかに7校、郡部に4校、群馬大学学芸学部付属中学校で全19中学校であった。
その内で付属中が概算で65人、一中が63人、三中が40人の4校で7割以上の入学者を占め残りの約60人が15中学からと越境入学者に占められると言うものであった。
だから、上位4校以外では、学年で5人程度入学出来れば良い方で、1人という中学も珍しくないのが現状であった。

そんな状況下で、「兄ちゃんが進学出来たのだから僕だって進学出来るさ!」という甘い気持ちだけしかなかった。
あとから考えてみれば、兄の時代というのはベビーブーマー世代の直前でかなり人数が少なかった時代であったと言うことだった。

真珠湾攻撃を主導した山本五十六大将を考察する その1

2011-12-25 00:06:08 | 映画、書評など
真珠湾攻撃を主導した山本五十六大将を考察する その1

週刊ポストでは、年末年始号で「山本五十六の真実 櫻井よしこ」という連載を始めた。
丁度NHKでは、「坂の上の雲」の日本海海戦が25日に放映で終了する。
この日本海海戦に山本五十六は、明治38年少尉候補生として装甲巡洋艦「日進」配属となり、5月27日の日本海海戦に参加している。



一言で山本五十六を言い表すと、どう言う表現なのかと散々考えていた。
そして思い付いたのが「エリート意識を持った軍人官僚」そして士族出身・侍と言うことである。
ここで敢えて「士族」、元長岡藩の上士出身と言うことを考えたのは、この山本五十六(旧姓・高野)はいわゆる武士の系譜がその行動パターンに出ているからである。
今では明治維新から大分経って、4代目、5代目の世代になっているからその士族なりの感じは薄れているかもしれない。
しかし、少なくとも3代目までは武士だった雰囲気というのは残していた。
だから、この明治17年生まれの山本五十六はまだ士族の雰囲気がプンプンしていたに違いない。
この士族の雰囲気とはどんなものなのか。
昔の城下町だった前橋でも旧士族の元上士、足軽頭などという話は小さい頃にも良く耳に挟んだから何となく分かるのである。
その人たちの特徴というのは、先ず人付き合いが悪い。
だから素性の判っている人しか話もしない。従い、知り合いでもない人達のことは興味もないし詮索もしない。
結果としてある特定の人たちだけで仲間をつくりそこから出ると言うことをしない。

この特徴というのは、正に中央官庁の役人そのままの姿でしかない。
だから士族出身の人が全てそういうタイプであるとはいえないものの、明治の元勲というのは例外なく下級武士、足軽あがりである。
あの坂本龍馬は、元々士分でもなく「郷士」と昔NHKでは紹介されていた。元々が長宗我部氏の家臣の系譜であって、正確には「名主」「庄屋」階級である。
この「名主」というのは名字帯刀を持ち、名前は例外なく「◯◯右衛門」という侍の名前を持つ。そして「名主」というのは百姓が金を貯めて土地を買い名主になったのではなく、元々戦国時代にはれっきとした領主であった人達である。
そして、江戸時代初期にはどこかの藩の家臣だった人たちでもある。

だから、本当の士族階級の人たちというの役人か巡査、軍人あたりが適任だったと思うのである。
そういえばあの安田財閥を起こした安田善治郎も士族だが、士族とは名ばかりの貧乏足軽の倅(せがれ)である。

ところが高野五十六、山本家を再興して山本五十六は、奉行もやった上士の息子である。こう言う観点から見ると、山本五十六の行動パターンというのがおもむろに見えてくるのではないか。

山本五十六の軍人としての評価は軍政家としては一流だが、軍事、実戦では二流又は三流という評価である。
その一つには、「人事で失敗した」という話がある。
作戦に失敗した提督を更迭せずに何度でも使って、又も失敗するという愚を繰り返す。
そして、司令官として不適で作戦に失敗しても栄転してその上の官職につく。
これが海軍将官の年功序列と指摘されていることなのだが、「限られた仲間だけ」の温存という今でも通じる官僚特有の「仲間意識」を感じさせる。
そしてそれは、前に述べた士族という「上級武士の志向」に良くあったものだったということである。
このことはやはり士族の倅達が多く士官学校へ行って、陸軍を主導したのに似ている。
しかも陸軍は父親が盛岡出身の「東条英機などは旧薩長軍閥を徹底的に排除するのを使命としていた。(神の国に殉ず 上 阿部牧郎著)」というから余計にその傾向が強い。

=山本五十六などの条約派の将校は、日本国民を軽蔑していた=別宮暖朗氏は述べている。(帝国海軍の勝利と滅亡p243)
その証拠を第一次大戦直後に堀悌吉(元軍務局長。中将・条約派・昭和9年大角人事で予備役)らと
「日本の文明は、欧米先進国に比べて国民の覚醒において、百年は遅れている。学術界において三十年後れている。そしてわが海軍は十年遅れている」
(宮野澄「不遇の提督堀悌吉」光人社)と語り合ったという。

「海軍の将校団のような受験戦争勝ち抜き集団は『国民』にこのような不当な優越感をもちがちである。1920年ころ五十六がハーバード大学に語学留学したとき、家族に多数の葉書をおくった。ところがこのころアメリカ旅行した多くの日本人と違って、ニューヨークの摩天楼やサンフランシスコのゴールデンブリッジにまったく感動した様子がない。

それどころか他の日本人派遣海軍将校との交流を除いて人間との接触がほとんど見られない」(帝国海軍の勝利と滅亡p243別宮暖朗)

確か何かに書かれていたのだが、山本五十六は米国の駐在武官として勤務して米国の情報を集めると言うことに対して、「そんなことはすべきでない」ということを言っていた話すらある。

 以下 その2へ


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syuun の不思議な少年時代 その30 Episode 1

2011-12-24 00:26:16 | syuun の不思議な少年時代
syuun の不思議な少年時代 その30 Episode 1
               その8

【幼稚園の中のもう一つの幼稚園・年中時代3】

そんなリンゴ狩り。
実は、知らされていなくて行かなかった人が沢山いた。
あとでリンゴ狩りの話しをしたら知らなかったという人達ばかりだった。
K園長は言う
「リンゴ狩りは、寄付金を納めた人達だけの個人的な遠足です。」
こんなことも問題になって、父母から抗議が出て、翌年からは園児全員がリンゴ狩りに行くことになった。
いずれにせよこのあと、母は相当腹立たしかったらしく、11月、12月分の寄付金は払わなかった。
その寄付金。
寄付金というのは規定はなくて暗黙の了解だった。
だから当然その額は、決まっていない。
入園当初に月謝を払った後に、会計担当の先生に「あと寄付金を納めてください」と言われたのだか、その寄付金を母は知らなくて金を持ってこなかった。
寄付金‥‥金額はというと「寄付金だから幾らでも構いません」とその先生は言う。
それでは分からないから「ふつう幾らぐらい払っているのですか?」と聞いたところ‥‥
困ったような顔をしながら「月謝の1ヶ月分の人が多いです」というものの、「(月謝の)半分の人もいます」という。
「寄付金ですので、払える金額で結構ですし、払える時で結構です」とも言っていた。
実際、その後色々な人に聞いて見たところほとんどの人達が「月謝の半分」だったようだ。

秋の深まる11月。
突然今までの単なる童謡からクリスマスソングに変わった。
毎日ジングルベルである。
そして、良く分からない聖書の話し。
そのうちに何やら年長組の混じって「劇のまねごと」に参加する様になった。
参加するといても、年長組が何かやるのを見ているようなその他大勢、台詞一言である。
その劇とは、クリスマスパーティに向けてのキリスト誕生の劇であることはその後分かった。
昼食の前に「天にまします我らが神よ‥‥」「アーメン」などとお祈りをしてから食事をすることさえ何だか分かりはしない時である。
ましてキリストというのは誰というのが当時の感覚であった。

そのクリスマスの観劇のリハーサルは、通常の園の授業を全く無視して延々と毎日続いた。
要するに、先生は観劇の準備に余念がなかった。
そして劇では、その背景や被り物などは既に作られていて、園児はその中に単に入れられるだけのことである。
今でこそ12月24日はクリスマスイブとして誰も知らない事はないのだが、昭和31年の冬ことである。
当然園児としては何も知らない。
そんなときには物知り顔の園児というのが何時もいて、キリストの馬屋での誕生秘話をとうとうと話してくれた。
しかし、それが何なのかは当時は知るよしもなかった。
12月中旬になると突然観劇のリハーサルの見学もその劇中に入ることもなくなり、園舎の教室で幾人かと延々と自習する日々か続く。
そしてリハーサルが済むと何時もの悪ガキが戻ってくると共に閉園時間が近づく。
そしてその24日が近づくと突然クリスマス会の観劇のリハーサルがなくなった。
別の日にする事になったのか、行われなくなったのかははっきりしない。
それで講堂を覗いてみると何やら雑然とした趣になっている。
そして、幼稚園の終業式というのは12月23日であった。

講堂は、既にクリスマス会の飾り付けは終え最終点検を先生がしているところである。
それでクリスマス会はどうなっているのかと先生に聞くと、「聞いてきます」と主任の先生に聞きに行くと午後の1時だったか2時だったかの時間であった。

12月24日の寒い一日。
午後の1時、2時ではおかしいと思って母に言うとそれなら12時頃に行ったらという。
それでも遅すぎると11時20分頃に幼稚園につくと講堂の椅子の半分はガラガラでクリスマス会は終盤にさしかかっている。
そしてなぜか休憩に入って、ざわざわとし始めているではないか。
良く見知っている悪ガキの後ろに行くと、
「おう、こっちへ来いよ」
「ずいぶん遅いじゃねーか、もう終わりだぜ」
という。
その悪ガキは、フサの付いた銀色の三角の帽子を被って、靴の形をした小さな菓子を持っている。
しばらくすると、先生が
「お菓子をもらっていない人はいませんか」という。
悪ガキ
「この子がもらっていません」と言うのだが、先生は嫌な顔をして無視する。
「なんで休憩に入ったの?」と悪ガキに聞くと‥‥
悪ガキ
「あ!、それは付属の卒業生が来るのが11時半なんだよ」
「なぜ?」
「付属(群馬大学学芸学部附属小学校)は今日が終業式なんだ」
そんなふうに話している間に、ゾロゾロと冬なのに半ズボンの制服を着た小学生が集まって一杯になってしまった。
それを見計らって、クリスマス会が再開されて園児の名前が呼ばれる。
園児は、呼ばれると前に出で行って今までもらった小さな「銀の靴の菓子」ではなく、より大きな「靴」か又は何かのものをもらう。
その悪ガキも呼ばれて、一抱えもある特別大きな「菓子の入った銀の靴」をもらってきた。
それから、後ろの小学生もゾロゾロと前に呼ばれて菓子のプレゼントをもらいそのまま帰ってしまう児童もいた。
それで終わる頃にはだんだん閑散として来て12時には終了。
帰り際に悪ガキは
「こちらがあるから、これはやるよ」
「見た目だけだからね‥」と
小さな「靴型の菓子の詰まった網」を寄こした。
うちへ帰ってこの「靴型の菓子」を開けてみると駄菓子屋で買うような「あめ玉2-3個」と「チョコ味のビスケット菓子」という有様。
それは確かに見た目だけのクリスマスプレゼントだった。

家に帰って、母に事情は話すと良く理解したようで
「来年はクリスマス会に参加出来るようにします」と言い切った。

昭和32年の12月。
前年のクリスマス会と同じようにリハーサルが始まり、役どころとしては一言だが前年に見たキリスト誕生秘話の部分ではない。
何を演じていたのかは今でも分かっていない。
しかし、前年のように「園舎の教室で幾人かと延々と自習する」という事はなくなった。
それでも数人自習していたのだが、昨年のことを園児に伝えると翌日から一緒に劇に加わるようになって、自習している園児はいなくなった。
昭和32年12月24日のクリスマス会。
小生が来る時間は10時だった。
それは、観劇に出る時間だと教えられたのだが‥‥

それで当日10時に行くと当然クリスマス会は始まっている。
既に、大きなクリスマスプレゼントの包みがあちこちに配られているのが見て取れた。
自分たちが座る席はガラガラで、まだ後から園児が来る様子だった。

しばらくすると自分の出番が廻ってきて壇上から降りてくると前年より多少大きい「銀の靴の菓子」をもらった。

そして、例の悪ガキに会うとこう言う
「僕は9時半だった」と昨年より多少小さい菓子の袋を上げて見せた。
クリスマス会は、9時から始まっていたらしかった。

何のことはない、寄付によって「クリスマスプレゼント」をもらう時間が異なり、もらう大きさも違うと言うわけだ。
「付属の卒業生は?」と悪ガキに聞くと
「今年から終業式が23日になったんだ」
「よく見ろ、後ろにいるだろ」
と言うような事を話しているうちに終了してしまった。
そして時間はなんと11時だったのである。

syuun の不思議な少年時代 その27 Episode 1 その7 【幼稚園の中のもう一つの幼稚園・年中時代2】

syuun の不思議な少年時代 その26 Episode 1 その6 【幼稚園の中のもう一つの幼稚園・年中時代2】

ブラザーJUSTIO MFC-J6710CDW ばかりなぜ安売り

2011-12-23 22:14:58 | お買い物・特価商品
ブラザーJUSTIO MFC-J6710CDW は 安売りばかり

10月末のパソコンフェアー。

ここで出店企業「Office DEPOT」がブラザーの販売促進部長まで連れてきて「JUSTIO MFC-J6710CDW」を売ってくれと---

それで価格を見たら驚いた。

54,980円--これは直販と同じ価格??

2011秋冬最新プリンター特集(大)
icon icon
何と言っても、ヨドバシやビックカメラ店頭で46,000円台で10%還元の商品。
地方のケーズデンキでさえ49,800円+インクと紙のおまけ付き。(当時)


11月のケーズデンキのちらし。
54800円で価格はご相談くださいになっている。

ネットではどうかと言えば、価格コム調べてその時40,792円程度だった。
その後にNTT-Xで40,000円を切り、2011/11/27では38,686円

しかし、実際の最安値はNTT-Xの36,499円(25日1時現在クーポン適用で36,499円)と


caravan yuの36,800円 期間限定。(12月30日23時59分までこの価格↓↓↓)
----(値下げ)
ブラザー MFC-J6710CDW A3インクジェットFAX複合機 JUSTIO

(キャッシュバック5,000円)
専用応募用紙又は、Webサイトから専用フォームを落とす。


実際には、取扱説明書を見たものの結構複雑な複合機であった。

届いた 製品。
珍しいA3スキャナー‥‥


重い商品を箱から取り出す工夫。
スピーカー、デスクトップパソコンなどは、箱をひっくり返して「抜く」
この複合機は、箱を斜めにして抜き出す。

説明書のあるとおり、上から持ち上げると「ぎっくり腰」になります。




一端箱から出して今えば、それほど重くない 18.2kg(付属品含)。
持ち上げられない重さではありません。

A3カラーレーザーだと、小型なものでも40Kg。
箱から出せても持ち上げられません。


価格は、2011年12月3日現在のもので変動、在庫なしの場合があります。



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小説「祖父たちの零戦」と山本五十六・真珠湾

2011-12-23 12:45:21 | 映画、書評など
小説「祖父たちの零戦」と山本五十六・真珠湾

2011年12月23日から「聯合艦隊司令長官 山本五十六」という映画が全国で公開された
真珠湾攻撃から70年と言うことらしいのだが、映画と共に週刊誌や雑誌などで山本五十六大将(元帥)というエピソードが掲載されている。
そこで述べられているのは、三国同盟や日米戦争に反対した山本五十六大将という図柄と
真珠湾攻撃を推進する首謀者、海軍を滅ぼした責任者という事柄である。
このことを書く前に、昨年夏に発売されて完読した「祖父たちの零戦」を永久保存版として買ったために、「祖父たちの零戦」の書評する。



「祖父たちの零戦」というドキュメンタリー小説は、進藤三郎、鈴木實という零戦・戦闘機隊長の実話である。
●その話は、零戦の初戦闘から台湾で国民党軍のパイロットに操縦法を教え零戦を引き渡す。
●完全装備の紫電改で空港に降り立つと整備員が駆けよって、飛べないようにプロペラを外す異様な光景などで戦争は終わる。
この進藤三郎、鈴木實という海軍兵学校出身のエリートパイロットは、兵学校の成績では下位から数えた方が圧倒的に早いほど。
その理由は成績優秀者は軍艦に乗せられるからであったという。
単に空を飛びたかった海軍軍人が戦争という渦に巻き込まれてその歯車になって行く。
そして、戦前の日本の若者が日本を守るために必死で戦った。
戦闘機隊が出動すれば、そのうちの幾人かは戻ってこない。雷撃機は、毎回撃墜されて出撃は死に直面しているという状態が続く。
●ここでのエピソードの重要なことの一つ
それは、真珠湾攻撃の話である。(「だまし討ち」の汚名)
ここで注目するのは「卑怯なだまし討ち」ではなかったと言う部分である。
それは「第一次の雷撃隊からも損害が出るほどの早さで反撃」(第一次攻撃隊、加賀(空母)雷撃隊5番機以降7機の内5機が撃墜される) という部分である。
「炸裂弾を弾薬庫から出して信管を取り付け、発射するまでには、ある程度の時間を要する。」と書かれている。
戦艦大和で戦闘準備をするのに当初10分を要して、訓練を重ねて5分となったと言う話しがある。
雷撃隊7機が次々と飛来するのに何分かかるのか、少なくとも数分であろう。
軍艦は戦闘配置のまま停泊するのではない。
ところが真珠湾攻撃の日の朝に米国軍艦は戦闘配置をしていた。
この異常さは、日本軍によって攻撃されることを想定していたと言うのが間違いない。

●歴史通別冊では「零戦と坂井三郎」という別冊を発売している。
この「祖父たちの零戦」では、作られた坂井三郎撃墜王の中身を暴露している。
戦後大分経って、ゼロ戦戦闘機の搭乗員が坂井三郎氏と共に訪米した話しが写真入りで載っている。坂井三郎氏が撃墜王として絶賛されたと言う話。
この話は、実はリアルタイムで聞いたことがある。
事実は、この本の通りであった。
但し、坂井三郎氏の著作と講演によって零式戦闘機の話しを広めた功績は少しも減ることはない。
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何か最近凄いことになっている日本の事情

2011-12-22 00:47:28 | 民主党政権綴り
何か最近凄いことになっている日本の事情

最近の新聞、テレビは何か面白くないと感ずることがある。
なぜ面白くないのかというと、やっていることは10年一日のごとく全く意味の無いことが多い。
それどころか知りたい情報すら配信されないし、新聞ではフィルターを通ったどうでも良いことばかりが書かれている。
そしてその情報分析は為されているかと言えばほとんどない。多少あってもこれまた味の薄いコーヒーのごとくつかみ所がない。
このテレビ、新聞の論調というのは外に危機が迫っているのに、室内で笑い話を聞かせて何も危機が迫っていることを伝えようとしない様なものである。
別の言い方をすれば国民に知りたい情報を伝えない愚民化政策と言って良いかも知れない。
但しその愚民化政策は、多分小生がブログを始める少し前ぐらいならかなり有効だったかもしれない。
しかし、小生などが情報発信できるように情報の独占は報道機関、政府だけのものでは無くなった。
従って、テレビ、新聞で報道されないフィルターに掛かってしまった事柄はネットで知らされるようになった。
特に、昨年から強力に始まった誰も聞いた事も無いのに突然ヒットチャートに登場するK-POP。名前も聞いた事も無いのにファンが空港で大歓迎する光景がテレビ、スポーツ紙に掲載。
この韓流ブームと言うものが全く作られたものであるというのがネットで検証され、暴露されたのが今年夏。
そんなことと同時に、新聞、テレビ離れが加速した。
その結果として等々新聞、テレビが都合の悪いことは報道しない。
又、日本占領下のGHQの報道管制そのままに中国、韓国絡みの不都合な事は報道されないと言うことが明らかになった。

そして極めつきは、「花王デモ」、「フジテレビデモ」がほとんど報道されないことである。
そういうことに気がついて、新聞紙面をよく見てみると例えばTPP推進派の読売新聞では、今TPPについてはほとんど書かれていない。
元々、TPPの問題点は避けて通った読売論調だからあとはしらばっくれると言うのだろうか。

そして「野田佳彦首相が19日正午の北朝鮮の金正日総書記死去を伝える特別放送を待たずに街頭演説に向かった問題(産経新聞Web)
この危機管理欠如の野田政権に対して自民党時代なら大きく書かれるところなのだが、実際に報道しているのは産経新聞のみ。
但し、読売新聞では「内閣情報調査室(内調)から『金日成主席が死去した際に特別放送の例がある』との報告」とは別に同様の情報分析が公明党から首相官邸に報告されたとあった。
この危機管理態勢の失敗は、例によって「対応は迅速だった」と釈明(藤村修官房長官) という言い逃れに終始した。
ならば報道直後に、米国やその他の関連国に電話会談をしたかと言えばそんなことはあるまい。
そして、「街頭演説に向かった」先ではとんでもないことが起きていた。
=「解散しろ! 増税反対!」 首相演説予定の新橋が騒然 逮捕者も==
この光景は、YouTubeでも流れていて既に民主党政権というのは国民の支持などはとても期待できそうもないことが如実に分かるもの。

それにしても話題になっている「新橋の蓮舫大臣の演説風景」
民主党の批判看板を持っている人を強制的に連れて行って、見えないところに隔離して警官隊で囲むというのは異常としか思えない。

これを見たら誰でも日本の国はおかしくなっていると気づくと言うものである。
言論統制国家に既になってしまっているというのが日本の実態だった。

2chて゜話題になっている
「新橋の蓮舫大臣の演説風景と逮捕者の情景」
のYouTube映像
  http://youtu.be/3X2r29iAgto