最近の日本経済を論ずるビジネスコラムを読むと、一様に経済学者、経済評論家などなすすべがないという論調である。
2009/01/31の朝日新聞朝刊(13版)を見ると「日立、純損失7000億円」とあり、中身の経済、政治論調も何か「お先真っ暗」という雰囲気が臭う。
少しぐらい景気の良い良い記事を探して書けと言いたくなるような、新聞である。
日立などは、純損失7000億円と聞いても実はあまり驚かないという感じがある。
なぜなら、最近家電や民生用のパソコンその他において撤退や縮小、そしてどう考えても売れそうもない物ばかりが目立つからだ。
家電などは、同じく一面に「NECが2900億円」とあるかってのNEC家電の様な感じだ。
要するに、日立にしろNECにしろ日本国内への内需というのではなく「部品メーカー」に成り下がった結果であって、米国に品物が売れなくなれば売り上げが落ちるという米国に寄りかかった経営だったと言う事である。
ここで経済と言う事をもう一度見つめ直してみると、非常に妙な事に気づく。
それは、経済学者、経済評論家には、東大出が多くしかもほとんどが米国に留学しているか、MBAを取ったりしている人達であると言う事だ。
昔の陸軍で言えば、幼年学校、陸士、陸大を出て陸軍参謀、参謀本部、陸軍省に勤めるという人達に似ている。ちなみに、幼年学校出身でないと陸軍省に務められないらしいとどこかで読んだ。
その旧帝国陸軍参謀殿の応用力のなさというのは、数々の戦記物で暴露されているだけでなく、現実と希望を意識的に取り違えるという愚かな事をして大損害をも起こしている。帝国海軍も別に特別ではないとは以前書いた。
その様に見てくると、日本の経済(官僚)学者は米国で学んだ経済を日本に無理矢理当てはめようとしている。
そこでその手法が上手く行かないと「何故だ」と昔の軍人さんのように言う。
昔の戦争の時、蒋援ルートを攻撃するに当たって、英国軍と戦った。
この時「陸大」で教わった半分の軍隊を後ろに回して挟み撃ちする。即ち「武田信玄のキツツキ戦法」で成功したとする。しかし、2回目はこの戦法は「上杉謙信」流にやられて上手く行かない。
しかし、参謀が変わると又同じことを繰り返して、失敗して「何故だ」。
こういう馬鹿な事を繰り返しているのが、今の経済を司る為政者、評論家、学者という人達だ。
日経ネット・BizPlusのコラムに斎藤精一郎千葉商大大学院教授が「第81回『日本経済は新たな『5年不況』に入った!?――"過剰"問題の重圧を直視せよ』(2009/01/30)」と9ページに亘る大論文を書いている。
ところが、7ページまでは世界、日本の現状を述べたまでだ。
そこで「03~07年の『牛に引かれた世界好況』において、日本もその『おこぼれ』にあずかり、いざなぎ越えの景気回復を享受したから、企業は設備投資を積極化させるとともに、非正規を含め雇用増大を進めてもきた。」というのは、小生、筆者の考えるところと同じで、いみじくも与謝野経財相が「陽炎(かげろう)景気」と名付けたのも良く分かる。但し、与謝野大臣は「実感のないままだらだら続き、かげろうのようにはかなく消えた」と言うようだ。
しかし、実態は慶應義塾大学経済学部准教授土居丈朗氏が言うように、「アメリカのドルだけでなく、ユーロなど日本の主要な貿易相手国の通貨に対する円の価値を示した『実質実効為替レート指数』でみると‥‥中略‥‥2005年から2007年にかけての実質実効為替レート指数の値は、1985年のプラザ合意以前の水準(1ドル=約240円の時期)に相当します。実は、最近の急激な円高が起こる直前までは、1980年代前半の時期に匹敵するほどの円安水準だったのです。」
と異常な円安であったことを述べている。
それは、以前述べたように「円キャリー取引」によって海外に出た円はドルに変えられ、回り回って日本を潤したということだった。
ここで、斉藤教授は「03~07年の2けたの高度成長は、『牛に引かれた世界好況』というバブル的僥倖(ぎょうこう)に負う面が大きく」と牽引した米国経済を「牛」に例えている。
そして、日本の現状を「日本版・2+1の過剰」と称している。
それは、企業の「過剰設備」、「過剰雇用」と政府の「過剰債務」と言うのだが、企業の「過剰設備」、「過剰雇用」とは日本国内ではなく、海外生産であると間違いなく言える。
何故なら、フジフィルム系は、ゼロックスも含めて全て中国生産にしているからである。
実際、トヨタ自動車では海外工場が50工場以上(26ヶ国、51社)(Wikipedia)もあると言われている。(国内直営12工場)
斉藤教授は、日本経済を維持するためには
1、「年間10~15兆円の巨額な財政出動が可能かである。」
2、「政治的ビッグバン」
またもや「最終兵器は大胆かつ異例な財政出動しかない。」
「『霞が関』の政策的呪縛(じゅばく)を打破する、新たな政治力であり、それは『政治ビックバン』によってのみ、可能となる。」
3、「輸出型産業構造の転換」‥‥ところが「この産業構造の転換は一筋縄にはいかない。だが、日本経済をめぐる環境は、ここ10年余りで様変わりしている。」
「80年代後半に内需型産業への転換をうたったが、人口減少・高齢化が進み、もはや内需市場をターゲットとする成長も至難だということ。」
それで結局
「今次世界危機がいつまでも続くわけではない。世界不況が終われば、日本企業も成長する海外市場をターゲットにすることが不可欠になる。ただ、それは輸出ではなく、海外投資によって拠点を海外に持ち、そこをベースに海外市場を攻略することだ。」
「ビジョンとしては、『先端製造業立国&海外投資立国モデル』である。」
要するに、米国の経済が立ち直らなければ、どうする事も出来ないという他の経済学者とおなじ結論に到達する。
そして、「巨額な財政出動」というのは、野村総合研究所主席研究員リチャード・クー氏と同じ意見である。
コラムでは、米国経済を論じているが、低金利なら国債の利払いが少なくて済むなどという何やら後ろ向きの議論には、何時ものクー氏の発言とも思われない。
かっての米国の大恐慌は、あのローズベルト大統領によるニューディール政策が有名なのだが、実際は二次大戦による巨大な財政出動の結果だと今では言われている。
しかし、続いてその後のことは不思議と述べない。
その巨大な財政出動は、大戦によるヨーロッパ、アジア諸国の生産基地崩壊から、その地域への輸出という形で元を取ったのである。
そして、大戦の影響から立ち直ったヨーロッパ、日本などで消費財が生産されると共に米国では、消費財の輸入国となり、赤字国になったと言う事である。
従って、「巨額な財政出動」による経済再建というものは、不可能に近い。
実例は、共産圏を見れば分かる通りである。
しかし、斎藤教授も実は、本当のことを知っていて言わないのではないかという事が以下の文章で良く分かる。
「金融政策で基準金利が1%以下の超低金利水準になった場合、金融当局が行える手段は、非伝統的金融政策の量的緩和策だけだ。
この場合、量的緩和策で経済主体の行動や市場に影響を与えうるのは『インフレ期待』を浸透させ、実質金利(名目ゼロ金利-期待インフレ率)をマイナスに誘導できるときである。」
「だが『インフレ期待』という心理効果が働かない、いわゆる『不況の極』の場合は、現在のバーナンキ米連邦準備理事会(FRB)議長のように、たとえ非伝統的な手法を全開させても、ほとんど効果は生まれない。
‥‥中略‥‥こうした『不況の極』では、いかなる異例かつ異常な金融政策をもってしても、需給ギャップは埋められない。」
『不況の極』とは、所謂「流動性の罠」に嵌ったときである。
「流動性の罠」になった場合、金利は意味をなさない。
そして、米国経済学では「ゼロ金利政策、低金利政策」では理論を構築されていないと言う事だ。
早く言えば、米国経済学では「ゼロ金利政策、低金利政策」では全く役に立たない。
何故なら、米国経済学ではおおむね5%前後の金利の時を想定していて、その程度の金利の時に経済が上手く回ると言うものだからだ。
お金が動く原動力というのは、「金利」である。
ゼロ金利なら動かなくなるというのは、米国経済ではなく経済の原則を知っていれば良く分かるはずだ。
日経ネットPlus「ニュース交差点・迷走 日本の政治」「民主党、マクロ経済政策は不十分(2009/01/29)」
で東洋大学教授のあの高橋洋一氏(小泉ブレーン)が「民主党の政権担当能力を考えた場合‥‥‥利上げ・円高」論では落第と称し、「借り入れに頼って経営する企業への影響という観点からの議論は抜け落ちている。」と述べている。
そうであるならば、「ゼロ金利・低金利下」で貸し渋りや貸し剥がしなど起きなかっただろう。
大企業は、今日銀がCPを買いまくっている通り直接金融に依存し、中小企業は高金利の時の借金の返済に追われ、滞れば直ぐに差し押さえ競売。
そして、そうでなくとも先の「貸し渋り、貸し剥がし」が行われてきたことを考えれば、詭弁であると言うのが良く分かるものである。
そして、リーマンショック以前、日本の大銀行は景気の良かった米国などの投資銀行に融資して日本には融資しなかった事を見れば、日本国内には金がなかった「陽炎(かげろう)景気」と言うのも頷かせるもだ。