書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

アドレスV125Gスクーター使用感 

2008-09-25 01:37:19 | 日記
アドレスV125Gスクーター使用感
スクーターが納車された先週は雨だったが、ここのところの雨続き。
漸く昨日今日あたり晴れて、まともに乗る事が出来た。
乗ったと言っても、別にツーリングに行くと言う大それたものではない。
125ccのバイク類というものは、精々往復50kmが限度で長距離だと疲れてしょうがない。
この計算だと、90ccで25km、50ccで10km、250ccで100kmという様な感じであって、250ccのバイクでチョイ乗りツーリングでは高速を利用しなければ200kmは無理だ。



スクーターを見たとおり、座席から後ろは原付二種らしき風貌があるが、前部は正に50ccの感じで貧弱だ。
実際のところ、ハンドルグリップが細く多少短め?でそこそこ高速が出るスクーターにしてはお粗末。
それは、乗車して不安に感ずるところであって、特にステップ横幅が狭まるのは違和感がある。



まだ新車だから1000kmまではハーフスロットルと言うことになっているが、別にハーフスロットルまで行かなくても充分車速が出る。
リード90のようにけたたましく速度を上げるという雰囲気ではない。
実際勢い良く発進しても、リードは車速が上がってこない。
だから、そろそろと出た感じて前の車について行くと、自然に60km/hは出でいる感じになる。
89ccから35ccアップというのはやはり力がある。
その昔、ストリームという50ccの三輪車‥‥よくピザ屋が乗っているやつ‥に乗っていたことがある。
ピザ屋の三輪車は結構早くて、別物の感があるが初期のストリームというのは最高時速50km/hしか出ないもの。
だから、国道の陸橋が登れなかった。



結果、まともに制限速度で登ると途中で20km/h程度まで車速が落ち怖い思いをしたものだった。
その後リード90になってからは、そんな事はさらさらない。しかし、発進では最新の50ccに負ける程度ぐらいのことはあった。
50ccは、50km/h程度から頭打ちになる。
それで40km/hを超した付近で追い抜いて行くことになる。
しかし、面白いもので50ccを乗っていたときには、50ccバイクと交差点で一緒になったものだが、原付二種の90や軽二輪の250ccになるとあまり出会うということはない。
車速の違いというものはそれだけ棲み分けをしている訳だ。
それにしても、50ccなど今では怖くて乗れない。

又、2ストのリードの様にエンジンブレーキが効かないものは強力なブレーキを備えていた。
それが、アドレスは多少貧弱で、スポーツバイクのブレーキ操作が必要なようだ。


前輪を強力に掛け後輪のブレーキは、バタツキを押さえる押さえ程度と言うヤツ。
その感じならそこそこ掛かるのだが、スポーツバイク並にシフトダウン出来ないのが辛いところではある。
メーター類も安っぽいもので、表示が120km/hあるから原付二種という感じ。
60km/hなら単なる原付だ。


こんなところにコストダウンが明らかなのだが、多少高いホンダなどだと少しはましというものだろう。
ついでに言えば、乗り心地がゴツゴツして悪く、良く舗装された国道などなら気にならないが、荒れてくると突き上げが疲れの元になる。
これは、タイヤの大きさとサスペンションのストロークに依るところがある。
多分、ホンダ車の方がいつも乗りやすい感じがする。

軍事国家の実態隠す・EU北欧諸国神話の嘘

2008-09-24 23:32:23 | 読み解けば‥‥

軍事国家の実態隠す・EU北欧諸国神話の嘘


今年の春頃まで、北欧のスウエーデンの福祉に学べとか、教育はフィンランド教育に学べとか妙な学者、評論家がマスコミを賑わしてうるさかった。
しかし、彼ら社会主義的志向の人達はその負の部分を隠し、利点のみを強調するという
妙な議論であった。
その言わなかったことが「軍事」と言うことであって、おまけに日本のGDPの十分の一の国スウエーデンと日本の北海道と同じ程度のGDP・人口のフィンランドを日本と同一視したのは誠に不釣り合いだった。
スウエーデンの税制についても高い税制で福祉を実現していると評価して、日本の消費税税制は安いと言いたげなところだった。しかし、スウエーデンには相続税はなく、フィンランドては、土地税制・保有税はさほどでもないが譲渡税は日本に比べて恐ろしく安い。
(不動産税・税率は地方により0.5~1.0%で不動産によって異なる。(住居用は0.22~0.5%)。農林業に利用されている土地は非課税。)
(譲渡税:不動産については譲渡価格の4%、有価証券については譲渡価格の1.6%。証券取引所を通じて譲渡される有価証券、売り手と買い手がともに非居住者の場合は非課税。)(JETRO 日本貿易振興機構(ジェトロ)より)

そして、どちらの国も徴兵制があり特に、フィンランドでは今度の乱射事件に見られるように、銃規制は甘くと言うより国民民兵制と言うべき予備役重視がある。
即ち、予備役たる国民は銃を所有して自らの費用で射撃訓練をしろという姿勢である。

又、注目されているフィンランド教育というのは、教育関係者には評価が高いのだが‥‥(フィンランドの教育水準は世界トップで、教育における「フィンランドモデル」が注目を集めている。‥ウィキペディア(Wikipedia))
実は、少数精鋭主義という部分があって、それに落ちこぼれると結局自分を見失い又、社会全体が小さいパイであるために復帰が難しい面が多い。

その様なことを無視して日本は、EUに学べとかという北欧神話の学者がいる。
しかし、その国の実態というのは部分ではなく総合してのものである。
従い、必ず負の部分があり、スウエーデンが国民の4割が公務員でその中心が軍事産業だとは決して言わない。
このことは日本はスウエーデンの様に高福祉国家になることは出来ないし、又教育に関しても徴兵制という別の面があるために一概に比べることは難しい。
近年日本の経済、財政がおかしくなってきたのは、高度成長時代のような低所得で土地価格も安かった時代とは違って、高所得、そして土地の価格上がっているからだ。
その時は、社会主義的傾向の政策は良いように作用し、又負の部分は目立たなかった。
なぜなら、相続税が掛かるのはほんの一握りであったし、しかも安かったからだ。
いずれにせよ、戦後のGHQのニューデーラーが仕掛けた時限爆弾が以前から、そこここで爆発しているというのは見過ごせないものである。
そして、その大爆発がバブルのハードランディングであったことは間違いない。

外務大臣に空気が読めない(KY)中曽根弘文氏とはサプライズか

2008-09-24 12:48:25 | 読み解けば‥‥

麻生氏の自民党総裁決定後、まだ総理大臣になりもしないうちから組閣の名前が出てくるというのは異常なことだ。
マスコミ対策の揺さぶりという感じもしないではないが、報道に寄れば
外務大臣・中曽根弘文・元文相(伊吹派)、与謝野馨経済財政相(無派閥)、野田聖子消費者相(無派閥)、二階俊博経済産業相(二階派)再任。
小渕優子衆院議員を少子化担当相を新任‥‥
文化放送で社民党の福島みずほ党首は、またまた「お友達内閣だ」と見当違いのことを言っている。
これは、福島氏の政治感覚欠如を露呈したものだが、何やら悪い雰囲気であることは間違いなく、相も変わらず予測されるのは挙党一致内閣という感じではないか。

政治評論家・浅川博忠氏は組閣以前の段階で、「華がない使い古された常連組」と表している。
一方、中曽根弘文・元文相を外務大臣とは実はサプライズ人事ではないかと小生は思っている。
なぜなら、中曽根弘文氏をあの大勲位の父親と同じように「風見鶏」があると思ったら大間違いだからだ。
不思議なことに、この息子の方は定型的な「KY」であの郵政民営化の決議の時参議院で反対した中心人物であることからでも分かるだろう。
それは、多分そうだろうなと予測出来たことなのだが、政治感覚がないという事はかって選挙応援でもあった。
それは、参議院選挙区の新人女性候補を応援するのにあの田中真紀子氏を呼んで選挙演説をさせたとき、新人候補者をさして「こんな人は知らない」と言った事件。

その他、状況証拠を積み重ねてて見ればどう考えても改革派でもなし、先見性もないと言うのは間違いあるまい。
元商社マンの筈だが、なぜなのだろうかというのは不思議なものだ。


中国、韓国に評判悪いほど高支持率というジンクス

2008-09-23 22:29:45 | 日本の経済議論

中国、韓国に評判悪いほど高支持率というジンクス


麻生自民党総裁となったが、「麻生氏‥日本の底力─強くて明るい日本を作る‥の基本政策」では、具体性に欠いて誰が言っても良いようなことばかりだ。
当面、デフレ不況からの脱出?‥経済対策・景気対策を優先するというが、景気が悪くては自民党が選挙で勝てるわけがないからでもある。
この前まで言っていた定率減税とか定額減税とかの浅く広く減税するなど、全く以て無意味だろう。
減税する以上、それに見合う景気が上がらなければその分赤字国債が増えるだけだ。
基本的には、今までやってきた事の中で官製不況になっているものは廃止見直し、官僚主導になっているものは見直す必要がある。
いずれにせよ、安倍政権からの継承で福田政権で止めてしまった事を復活させる必要がある。
景気対策というのはどの様なところに重点を置くか。
かって、景気対策と言えば公共事業だったのだが、「公共事業」というのは「土木」だ。はっきり言って、その地元土建業者と一部のゼネコンの不況対策でしかない。
「土木」というのは、思ったより裾野が狭い。
だから、ふつうは裾野の広い住宅などの建設に重点を置く訳なのだが、あの建築基準法の厳格化で水を差されて頓挫した状態になった。
その上、今度は建築士法の改正で構造計算、設備設計一級建築士と言う資格が出て、この事務所を通さないと確認申請すら行われない事態に来年はなる。
結局、あの耐震偽装という一部の建築士の不始末を以て、全ての建築士を「無能とし」全体責任とした前代未聞の改正が建築基準法の厳格化だった。
そして、その実は国土交通省の役人から見ての学歴偏重差別ということが理由であることはその後の実態で明らかだった。
だから、こんな無駄な改正は改めるべきだろう。
不思議なことに、小さな政府を目指した規制緩和に逆行するものだった。

その他、裾野の広いものは自動車関連だろう。
これは、自動車関連税制の廃止という事。あの暫定税率や自動車税の他にかかる自動車重量税。
そして、消費税導入に伴い廃止されるはずだった「自動車取得税」という物品税。揮発油税を含んだガソリンに掛かる消費税。
この様な税負担か減れば、車が必需品の地方の人達は助かるし、車の買い換え需要も進む。新型の車の方が安全性も高いし、排気ガス対策も良いし燃費も良好。
自動車産業の係わる事達の給料も上がるというものだ。
それにしても、道路特定財源を一般財源化するに当たっては、あまりに問題が大きすぎる。なぜなら、あのガソリン高騰で出漁を取りやめたとアピールした漁船。
なんとあの軽油に道路特定財源はかかっていない。
なぜなら、道路を走らないからだ。同じく、トラクターやジーゼル機関車も同じ。
日本の税制などと言うのは取れるところから取れで、実に出鱈目なのだ。
又、欧米 ‥‥特に学者様が好きなスウェーデン、スイスなどのEU諸国。
そして廃止と決まっている米国の税、それは相続税だ。
相続税の廃止、そうすれば相続税対策という妙な節税対策が要らなくなる。
こんど中小企業では、全株の半分~6割程度までは相続税無税にするという「案」がでいるが、所詮既にそこまで持っていれば、無税にはならない。
中小企業には、間違いなく後継者に継続して貰い、その分変な節税などやらずに消費して貰えばその分景気が良くなると言うものだ。

さて、麻生自民党総裁は総理となるわけだが、あの福田前首相のように初めから、中国に位負けするようだと先が思いやられる。
基本的に日本は聖徳太子以来、中国と対峙することで日本を保ってきた。
事大主義の韓国を甘やかしたり、中国を宗主国としたりすれば支持率は落ちるというのは最近の傾向であることに間違いはない。

キロ150円で高級日本米とは‥‥

2008-09-22 23:39:22 | 世の中妙な??事ばかり
キロ150円で高級日本米とは‥‥

22日の朝の新聞をみたら、「国産米と偽装された」汚染中国米を1キロ150円で買って、「(国産)最高レベルの品質として買った。」と書かれていた。
小生など、「あきたこまち」を産直で買って、キロ500円そこそこ。「あきたこまち」の有機栽培の最高品種だと700円位する。
魚沼産「コシヒカリ」ならキロ1000円位する。
あきたこまちの生産者のHPを見ても、良心的に作ればキロ500円前後はどうしてもかかると言う。しかし、スーパーに行けばキロ350円程度(10kg3500円)のものはざらにある。
別にそう言うものが、偽装とは言えないかも知れないが、どう考えても色々な産地のブロンド米だろうと言うことは間違いない。
昔TVを見ていたら、最高級の魚沼産コシヒカリが、農協で他のコシヒカリと一緒に混ぜられてその地方のブランドになっていたのが放映された。
今では、そんな光景はないだろうが、いずれにせよ良いものも悪いものも訳も分からずに混ぜられてしまうのが、農協の米収穫のようだ。

いずれにせよ、安い米というのは「あり得ない」というのが本当だろう。
但し、群馬産の「ゴロピカリ」は農協でもキロ350円。(10㎏3,280円)一般的な新潟コシヒカリが4,560円だという。(共同購入)
実際のところ、「ゴロピカリ」というのは多少クセのある米で、炊くと実際は多少「臭い」。
但し、暖かいうちならあまり気にしなくてもと言うもので、試食したがうちでは買ったことがない。
だから、米のキロ350円というのが、まともな米の限界というものだ。
それ以下だったら、くず米か中国産で間違いなしというものだ。

キロ150円で国産米だとは、誰も思わないと言うのは間違いないだろう。
しかし、くず米として買ったのなら、仕方がないかもしないが、くず米をキロ150円では買わないだろう。
なぜなら、くず米はキロ70円から80円だからだ。
その上、くず米は品質が落ち、加工しても良い米粉にならない。

そして、キロ300円以下の200円台の米は、古米、くず米が多く、まともな米は3割だという話もある。
世に中いつも安かろう、悪かろうである。

トランプの裏返し・サプライズない麻生総裁誕生 その1

2008-09-22 19:08:05 | 読み解けば‥‥

自民党総裁選は、予定通りの麻生氏の圧勝になった。
いわゆる勝ち馬に乗るという勢力ばかりであるというのは、自民党の停滞を思わせるものだが、福田総理より未だましというところか。
今回、トランプの裏を返したような感じであるのは、選挙が近いとはいえ自民党の主要ポストに今までの人物を留任させた事だ。

あとは、閣僚や政府人事について「サプライズ」を起こさなければ、正に「トランプ」の裏返して結局何も変わっていないという印象を植え付けてしまうだろう。
政策としても、総裁選挙に出馬した候補者達の意見を生かさないと福田政権との違いが見られなくなる。
今後福田政権とどのくらい違うことを出せるかが勝敗の行方というか、支持率に上昇に繋がる。

いずれにせよ、今度の自民党総裁選挙は竜頭蛇尾だった。
麻生氏圧勝の予測後は、盛り上がらなかったのが事実。
こんな様子であるなら、就任直後の解散総選挙は無理だろう。
するとするならば、一山越えた人気取りがなければ選挙など出来ないと思うものだ。


秋の運動会をデジカメで撮る

2008-09-21 23:46:14 | 日記

秋の運動会をデジカメで撮る


小中学の秋の運動会は、最近なぜか9月中旬になってしまって昔の感覚から見ると早すぎるような気がする。
10年ほど前は、10月10日が体育の日だったからこの日が多かった。
そして、その東京オリンピックの開会日だった10日というのは特異日で雨になったという経験はあまりない。
その後のハッピーマンデー法という安易な法律が出来て、10日が体育の日でなくなった時、雨に降られたことが何回かあった。
そう言えば、もっと前は11月の初旬だった。
ベビーブーマーの世代では、午前に1回、午後に1回出場出来ればという具合で、リレー選手だけが最後まで残った。
実際4時を回っても運動会は終わらず、薄暗い夕闇の中を最後のリレー選手が走った記憶が多い。
それに比べれば、今は全校児童が当時の1学年そこそこだから規模か小さくなったというか、いろいろあった面白い競技がなくなってしまった。
さて、今年の運動会は9月20日土曜日の筈だった。某大学附属小学校は1週間前だが、ほぼ全市一斉に20日の予定。
それが台風が来たと言うので、全市の小学校の数校を残して20日の朝の天候を待って運動会を行った。
だから、早々と中止順延で21日としたのは参加した我々の小学校だった。
他校は、台風一過の晴天なのに、21日は逆に朝から雨。
始まる朝8時頃には、一旦止んだとはいえ時々小雨がぱらつく天気。
それで、午前中の二種目カット、午後二種目カットの短縮運動会となった。
兎に角、こういうはっきりしない天気というのは、写真を撮るには結構難しいものである。



運動会開始直前、マーチングバンドを先頭に出場を待つ。

今回、ペンタックスK10Dと smc PENTAX-DA 55-300mm F4-5.8EDというレンズ1本。
それに高速連写用にSony(旧コニカミノルタ)のカメラを用意した。
結果は、後半述べるように
Sonyは、D非対応の格安のレンズを使用したために、なぜか露出オーバーで写真にならなかった。



機種 : PENTAX K10D
変更日時 : 2008:09:21 10:08:22
露出時間 : 1/160秒
レンズF値 : F5.8
露出制御モード : プログラムAE
ISO感度 : 100
露光補正量 : EV0.0
自動露出測光モード : 分割測光
フラッシュ : 発光禁止
レンズの焦点距離 : 300.00(mm)
フォーカスモード : コンティニュアス
彩度 : 標準
コントラスト : 標準
シャープネス : 標準



機種 : PENTAX K10D
ソフトウェア : K10D Ver 1.30
変更日時 : 2008:09:21 11:27:46
露出時間 : 1/160秒
レンズF値 : F5.6
露出制御モード : プログラムAE
ISO感度 : 100
Exifバージョン : 0221
露光補正量 : EV0.7
自動露出測光モード : 分割測光
フラッシュ : 発光禁止
レンズの焦点距離 : 230.00(mm)
レンズの焦点距離(35mm) : 345(mm)



同じ入場シーン‥‥

メーカー名 : SONY
機種 : DSLR-A000
ソフトウェア : DSLR-A000 v04
変更日時 : 2008:09:21 08:45:46
露出時間 : 1/50秒
レンズF値 : F9.0
露出制御モード : シャッター速度優先AE
ISO感度 : 200
Exifバージョン : 0221
対象物の明るさ : EV6.0
露光補正量 : EV0.0
開放F値 : F5.6
自動露出測光モード : スポット測光
レンズの焦点距離 : 200.00(mm)
レンズの焦点距離(35mm) : 300(mm)

この数値を見ると、明らかに露出が合っていないことが分かる。
要するに、レンズ(トキナー
AT-X 242AF)のロムがカメラに対応していない。
確か、コニミノのα7Dでは正常だった気がするのだが、SONYになると全滅の様だ。
Dレンズではないから、仕方がないと言うところではあるが。




同じく対応せず、ゴミ同然となった・トキナーAT-X 235AF PRO



タイトル : SONY DSC
メーカー名 : SONY
変更日時 : 2008:09:21 12:56:25
露出時間 : 1/30秒
レンズF値 : F8.0
露出制御モード : プログラムAE
ISO感度 : 200
対象物の明るさ : EV5.0
露光補正量 : EV0.0
開放F値 : F5.6
自動露出測光モード : スポット測光
光源 : 不明
レンズの焦点距離 : 200.00(mm)



タイトル : SONY DSC
露出時間 : 1/30秒
レンズF値 : F11.0
露出制御モード : プログラムAE
ISO感度 : 200
対象物の明るさ : EV6.1
開放F値 : F5.0
自動露出測光モード : スポット測光
レンズの焦点距離 : 90.00(mm)



タイトル : SONY DSC
変更日時 : 2008:09:21 13:13:38
露出時間 : 1/200秒
レンズF値 : F5.6
露出制御モード : Action プログラム
ISO感度 : 800
Exifバージョン : 0221
オリジナル撮影日時 : 2008:09:21 13:13:38
対象物の明るさ : EV4.8
開放F値 : F5.6
自動露出測光モード : 分割測光
レンズの焦点距離 : 200.00(mm)

適正露出になっているが、ISO感度800に増感されてしまっている。
多分、適正ISO感度100-200だからやはり、ロム異常というものだろう。
これなら、ISO固定でマニュアルでしか使えないという代物だ。
別に、望遠レンズを使うようなことはあまりないから、改めて買う必要かないが、レンズは何とかしないとと思うものだ。
レンズテストはしたつもりだが、実際の場面で撮影してみないと分からないと言うのは不思議なものだ。

坑道の「かなりや」にされた日本経済に嘆く

2008-09-21 01:35:55 | 日本の経済議論

坑道の「かなりや」にされた日本経済に嘆く


日本経済の議論を聞いていると、日本の景気を良くしたいのかそれとも、消費社会を止めて大きな政府の社会主義国にしたいのか良く分からないところがある。
今までの日本経済の失敗について、経済学者は分析をしたのだろうか。
バフル絶頂期にNHKは2時間の特番を作って、バブルの終焉、要するにバブル潰しにはどうしたらよいか議論させたものだ。
その時に引き合いに出されたのが「チューリップ事件(1637年 オランダ)」オランダに発生したチューリップ騰貴というもの。
しかし、国民の70%が資産として持っている土地資産の騰貴を中心として金が日本中に
ばらまかれたのと、17世紀のチューリップ事件では経済の規模が違いすぎる。
NHKで議論した人々というのは、米国経済を学んで土地の価格を経済指標から無視した人か、マルクス共産主義から土地所有者をヨーロッパ貴族と見立てて嫌悪したかと言うものだった。
実際のところ、この土地騰貴が地方にも拡大した背景には土地の取引税が高額だったことが背景にある。
税制の時期にもよるが、長期所有で凡そ譲渡益の四分の一強の分離課税、ケースによってはその上に総合所得としての課税もあった。
長期譲渡の控除額は当時は5%又は、わずか100万円。
実は、この譲渡所得が安ければ大きなバブルは起きなかったかも知れないと言う部分がある。
なぜなら、この税を逃れるために「買い換え特例」を使ったからだ。
土地を売った代金で、土地、建物を購入する。そして、値段が上がればそれを売って又買い換える。
こうして、土地は騰貴になった。
その時マスコミ、学者、官界、政治家が言っていたのは、「土地を売らせるな」だった。
土地売買を規制すれば、土地の価格は下がる。
それには土地を供給しないこと。
しかし経済の原則として、中学校で「需要と供給」ということを誰でも習った。
供給が減れば、益々土地価格は高騰する。土地騰貴は止まらない。
それで、総量規制で強制的に土地取引を停止するわけだが、以前言ったように、当時通達を出した銀行局長はバブル崩壊後の大不況に陥ったときも、退任後も「総量規制通達」は正しかったと譲らなかった。

日本人感覚としては普通、当時の香港(?邱永漢氏言)の様に譲渡税が5%ぽっきりならば、誰だって税金を払って現金で持っている。
そして、期限を設けず必要な不動産だ購入ればそれで足りるというものだ。
日本人というのは、そう言う貯蓄型の人間性だ。
しかし、それを許さなかったののが日本の社会主義的税制。
それで、その古典的な社会主義的税制と土地神話破壊思想がバブルのハードランディングの原因になる。
今では、そのようなバブルのハードランディングは失政として明らかであって、その後の米国、中国でも日本のようなハードランディングをするところはない。
それならばなぜ日本は、今までどこの国でもしたことがないそんな実験をしたのか、今でも不思議だがその検証はNHKでもやる気配はない。
そして、当時の責任者は「責任はないと嘯いて」帝国陸海軍の将軍のように居直るというのはどうしたことか。
戦記物を昔相当読んでいて気がついたことは、責任者がしらばっくれて責任逃れをして居直るというのは、前の戦争中の帝国軍隊と戦後の中央官庁の官僚達のような気がする。
特に欧米の戦記物を読むと、敗戦の場合は当然責任者には責任を取らせるが、その敗戦の分析をして何が原因だったかを探求する。
それで、あの零式戦闘機(レイ戦、ゼロ戦)が完全に制覇された。

さて、今の日本経済を見てみるといささか妙な感じは否(いな)めない。
なぜかというと、日本の景気に関係なく米国の景気次第で日本の株価が動くという、いや連動していると言う不思議さだろう。
はっきり言って、日本の株価というのは日本経済に全く連動していない。
その理由ははっきりしていて、この前政府・日銀の保有額のファニーメイFNMAとフレディマックFHLMC債権保有額が8兆円規模であることが判明しているとおり、日本の金のほとんどが米国に吸い取られて日本に金がないという状態によるもの。
(2008/09/19の参院委では民主党の大久保勉氏が、米連邦準備理事会(FRB)の資料を基に、日本の公的部門と民間部門が保有する米2公社の債券が2007年6月末時点で約24兆円に上ったと指摘。一方、日本の民間が保有する米住宅公社債は16兆1000億円との金融庁資料を用いて、差額を算出。)

そして、その投資された金が回り回って、日本に環流して日本の株や不動産を買うというファンドに成り代わる。
そう言うファンドはほんの少しの利益、為替変動でも益が出れば動くから、翻弄されるわけだ。
いわゆる投機資金。
そして今、妙なのはこれだけ米国の金融危機になっていながら、日本円は105円程度で止まっている。本来なら100円割れは当たり前の筈。
そして、日本の公定歩合が大不況の米国より1.5%も低いと言うことだろう。

公定歩合という日銀が決める金利の基本だが、金利が安ければ「金が動いて」資金が流動化して景気が上がるというのは、日本では通用しない。
本来こういう考え方は、いわゆる預金などしないで借金ばかりしている米国人に通用する論理だろう。
だから、日本人などのように住宅ローン、サラ金は兎も角も本来借金よりも預金をしたがる国民性から見れば低金利というのはガンだ。
結局、金利という金が回る潤滑剤がないというのは、潤滑剤(金利)を求めて海外投資に走り、日本には金がなくなると言うことになる。

それにしても、日本から出た金が回り回って日本を苦しめているというのは、日本人というのは余程自虐趣味と見られて良いのだろう。
今回の米国に対する金融不安を見てみれば、巨額の現金を日銀は米国に供給し、一方日本には金がないというのは、日本の経済政策というものが如何におかしいか如実に分かるものだ。

大月隆寛氏の文筆のバカバカしさ

2008-09-20 08:12:12 | 雑感・どうでも良いこと
大月隆寛氏の文筆のバカバカしさ

大月隆寛氏のコラムを読むと大方バカパカしいというか、一笑に付した方がよいと思わせるものが多い。
今回、大月氏がGHQに再び占領された方がよいと他力本願を表しているのは正に何を考えているのか分からないところだ。
大月氏は、再占領というが、保守派という人達は日本はまだ完全な「独立国」とは思っていない。
考えてみれば、軍備は米軍頼り、金融・金は米国に持ち去られ、米国の言いなりになって「構造改革」。
日本の株の変動は、米国株と全くうり二つの変動というPCプロク゜ラムに翻弄。
かって、日本は米国の属州の一つと論壇誌に書かれた事があったが、現実その時とあまり変わっていないではないか。
嘘だと思うなら、なぜ未だに首都に米軍の基地があって、そこは治外法権なのか。
又、ほとんど米軍としては戦略的に使われていないその基地の返還という話も現実化していないことを見れば、未だに日本はGHQに占領されたままになっている。
その上、大月氏の歴史認識の甘さ、出鱈目さを読むと、良くこれで文筆家が勤まるというものだ。

いや、出版界はこういうノーテンキな人物でないと本を出してくれないのかも知れないとは、穿った見方か。


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
【コラム・断】歴史に学ぼう(産経新聞2008/09/20)
選択肢がありません。どう考え直してみてもダメ。選べない。このまま総選挙になったら、ほんとにわれら有権者軒並みフリーズ立ち往生。こういう時こそ、歴史に学びましょう。そう、現世の権力じゃどうにもならなくなったら、いっそ、えいや、っとブッ飛んでみる。それがどうやらわれらニッポン人の習い性、火事場の馬鹿力だったようなのですから。

 選択肢その(1)「大政奉還」。形だけでももう皇室に政治をお戻しして、どさくさまぎれに何とかする。でなきゃその(2)は、あの「進駐軍」にもう一度「占領」してもらう。敗戦後、農地改革から財閥解体から新憲法から、何から何まで「帝国日本」の「戦前」のガラガラポンを一気呵成(かせい)に情け容赦なく、こちとらの意向なんざ無視してやらかしてくれた、あのGHQ。つまり、「敗戦」抜きの「戦後」を方便としてもう一度現前化させて、期間限定で「占領」してもらう。でもって、そのご威光で国内一気に大掃除、って寸法。どうすか? 

 新GHQ司令部は、テナントが軒並みしくじってゲンの悪い六本木ヒルズあたりがよろしい。ヒルズのてっぺんに翩翻(へんぽん)と星条旗が翻り、与党も野党も官僚も文化人も日夜お百度踏みまくる。もちろんメディアの検閲もしっかりやってもらって、もう一度「12歳」から「民主主義」のリセット、です。

 マッカーサーはもういないけど、あのパウエルさんなんか司令官にお似合いかも。コーンパイプくわえて羽田に降り立つところからコスプレ感覚でやってもらえたら、再び「高度成長」だって見えてくるかも、です。(札幌国際大学教授 大月隆寛)




無能な教育者の常套句「知徳体、総合力の育成」

2008-09-19 18:11:59 | 読み解けば‥‥

無能な教育者の常套句「知徳体、総合力の育成」

公教育に関して、いつも問題になるのは結果を大切にするのか、又は過程を大切にするのかと言う事である。
わかりやすく、理系大学の卒業論文で例を引いてみる。
‥‥‥と、学部卒の卒業論文はその研究が成功しなくても卒業研究で失敗と書き、卒業研究発表会でその経緯を説明すれば卒業は出来る。
これは、研究をしたという実績を重視するもので、これが教育の「過程」である。
一方、大学院の修士、博士となると「修士論文」、「博士論文」は全てサクセスストリーになる。要するに「結果」重視。
より分かり難くなったかもしれないので、高校レベルまで下げると、上手い授業をする教師と授業中いっぺんでも教科書を開かず雑談ばかりしている教師との違いに見られる。
そして、不思議なことに「有能な教師」は無能な教師によって常に非難されていたりする。
なぜなら、同じ試験をやって平均点が10点以上違うからだ。
その上不思議なことに、そう言う「無能な教師」ほど発言力が強く、かつ出世をするという事がある。
挙げ句の果てに、「有能な教師」にまともな授業をさせない事にもなる。
それでは困るというので、その「無能な教師」に「良い授業」をやれと意見すれば、「学校は大学受験」の為ではない、学校ではクラブ活動などで情操教育をするものだ、とのたまう。
それでいて、大学進学率には興味津々だから不思議なものだ。

この様に見てくると、当たり前だが、教師として無能な人物ほど教育した結果を公表されることを拒む。それは、ろくな授業をやっていない現れなのだが、彼らは教育は学力ではない「結果ではない」という。
それでその教育によって‥‥というか情操教育なり、体育なりによって生徒、児童が成長したかと言うことに関しては調べようがない。

9月18日、大阪府教育委員の井村雅代氏(北京五輪シンクロ中国代表ヘッドコーチ)と、木戸湊(あつむ)氏(元毎日新聞大阪本社代表)が、今月末の任期満了を前に退任会見を開いた記事を読むと色々と面白い。
基本的には、両人は経歴からいわゆる「左派人士」に分類されると思うが、井村雅代氏は元中学教師を経験後、コーチの他教育委員を12年もやってきたと言うから考えさせられるところがある。
そして、橋下知事への反論として‥‥
「教育委員がお飾りだったら、暇でないのでやめている。実態を知らずに言っている。」「(知事と)話し合う場がないのに、簡単に『ビジョンを言え』『ハイ』とはならない」
としている。(共同)
又、井村委員は「学力テストの結果を公表すれば悪い波紋も出てくる。何でも公表すれば平等という考えは間違い」と主張し、「公表を求めるだけでなく、市町村教委をサポートする策を考えてほしい」と要望した。(産経)
このことからも見ているように、井村雅代などは教育としての「結果」を出すというのではなく、「教育をした」という経過を見ていると言う事である。

不思議なことに、シンクロコーチとして結果重視してきたはずなのに、一転「教育」と言うことになると思考停止するようだ。
いっぺんでも教師をするとそう言う思想が染みつくのかもしれないが、昭和25年生まれという学生運動世代の人の思考は知るよしもないと言うところだ。

この「学力」より「知育」と言いながら「自由放任主義」として何もしないのは、例の「ゆとり教育」に通じる。

吹田市の阪口市長は「吹田市の阪口善雄市長が19日、田口省一教育長に、非公表を支持する考えを伝えた。阪口市長は『限られた教科の点数だけでは公教育の成果は計れない。(点数公表をめぐる)ばかげた議論には付き合えない』と橋下知事の姿勢を痛烈に批判した。」
「点数至上主義よりも知徳体、総合力の育成に力を入れていきたい」と強調。(産経)
‥‥とあるように、この学力より「知徳体、総合力の育成」というのは、以前からの学力不振に時に使われる、逃げ道の常套句だというのが図らずも証明された感がある。

昔から言われているのは、日教組の勢力が強いところは教育レベルが下がると言うこと。以前、文部科学省と日教組は「手打ち」したことが報じられていた。
文部科学省と日教組は「手打ち」は、お互いの共通する思想が似通ってきたと言うことであり、又事なかれ主義というものだ。
そう言えば、それは例の「ゆとり教育」頃だったかもしれない。