書道家Syuunの忘れ物

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失政・社会主義・共産主義に回帰する日本政治

2008-07-31 12:22:00 | 新聞社説・正論・主張を読み解く
近年、日本の政治情勢を見ると梯子を外され、足踏みして進めず、何をして良いか分からぬ「あほの日本」を演じているように見える。
あたかも親に見放された子供のようである。
一方、竹島に関する見解も町村信孝官房長官は29日の記者会見で、米政府機関の地名委員会が竹島韓国名・独島)の領有権を韓国領」から「主権未確定」と変更したことについて、「米政府の一機関のやっていることに対し、いちいちコメントをしたり、特段の反応したりする必要はない」と述べた。(産経新聞)
‥‥と言うように、「大人の対応」と言うことらしいが、子供が大人の対応をするはずがない。

それにしても、31日に、町村官房長官は、「米国の機関のすること」と「米国の日本に対する(竹島に関する)姿勢」は変更がないと米国二枚舌を認めるような発言をしている。
こんな事だから、日本は舐められると言うものだろう。本来政権が弱っていれば、その時こそと攻めるのが国際常識だ。
あの「ヤルタ会談」もそれを利用してスターリンにやられたのが欧州分断と言うものだった。

元々、各国の標記を調べていちいち抗議するくらいの対応が必要なのが、領土問題というものである。
領土問題において、勝手に占拠するというのは価値観の変遷から今や「悪党」の国というイメージが付きまとうようになった。
何時からかと言えば、ソ連崩壊、湾岸戦争からである。
だからこそ、韓国は領土問題はないと必死になっている。
逆に言わせれば、領土問題を持ち出されると韓国は世界的に微妙な立場に立たされることになる。
日本政府は、不思議なことに竹島問題であまり言及しないとか、韓国の不法占拠に対して無視するような態度をする。
これは、明らかに韓国から日本の政府、政治家に懐柔工作がなされていると言うことで、国民には預かり知れないことである。
逆に言えば、暴露されたら都合の悪い政治家も多いはず、在日の人には日本国籍を持たないから、選挙権がないはずなのだが実に不思議なことだ。

さて、近年共産党に入党する人が増えているという。
小林多喜二の「蟹工船」がベストセラー?全く持って妙なものだろう。
マルクスの理論を実践したのがレーニンであり、レーニンは暴力革命によって政権を奪取した。
しかも、レーニンの革命政府にはそもそも労働者階級の指導者はほとんどいなかった。
レーニン自身貴族出身であったとおり、知識階級が革命を指導したのは、共産主義の基本というものだ。

今日本は、小さな政府を目指した今までの改革ではなく、小さな政府といいながら規制を強化して、すなわち権限の強化を目指しているように見える。
例えば、今や官製不況の最大のものとなった建築基準法の厳格化。その厳格化によって、マンション業者や建設業者が倒産するなど日常茶飯事になった。
今、「興奮が収まってみれば」別に規制強化する必要などなかったのではないかと言うものだ。
しかし、一旦規制強化というスイッチが入れば無駄であろうと、より厳格化にすすむというのが官僚組織である。
一級建築士も数年後では、誰も合格できない制度になってしまうのではないだろうか。
その時の合格者の少なさを見て慌てるのかそれは知らないが、なんとこの期を狙って官僚組織は「外部委託」という天下り機関の拡充をしている。

こんな事から分かるように、今日本の政府は戦後のMacArthur政策という社会主義政策を継承し続けてきた。
欧米では、国民に金を持たせる政策として、相続税廃止に移行しているのに、日本だけ強化に移っているのは、共産主義化の強化の典型例だ。

共産主義的思考を修正して、本来の資本主義社会に戻すと言うのが近年の課題だった筈だった。
しかし、日本では「アメリカンドリーム」が存在しないように実は資本固定が行われている。
米国の占領下で行われた共産主義思想による土地所有者に対する攻撃・農地解放と財産税は、中産階級を破壊しただけ。
簡単に言えば、国民を等しく貧乏にして労働者を増やした。
セーフティネットを破壊された上、矮小の土地しか持たなくなったにわか自作農を救ったのは、高度成長による工場労働者への転身だった。
だから、実は日本の基本の政治体制というものは何一つ見直されていなかった。

そして、今日本が途方に暮れているというのは、自分達が何をやってきたのか思考停止して何も分かっていないということだ。

共産主義に対する幻想は、共産党幹部の学歴を見てみればよく分かることだ。
確か、世間の不満を感じてあの「オウム真理教」に入信した信者がいみじくも言うことは、ここも「学歴社会だった」といったことだった。
いわゆる、おちこぼれて「フリーター」になった人達が共産主義、社会主義に浮かれてそれに走ったとしても‥‥‥‥
その世界というものは、現実社会よりもより強権的であり、権威主義的であり、学歴社会であるということだ。
そして、その組織の基本には「人間愛」が存在していないというのは常識である。

会員賞受賞作家による揮毫会その5・増田桂子先生刻

2008-07-30 16:28:10 | ちまたの噂・雑記事

会員賞受賞作家による揮毫会その5

増田桂子先生 刻

会員賞作家による席上揮毫は、最後の増田桂子(茨城)先生による刻字の手順を踏んだ模範だった。
刻字というのは、その刻する方法など、どのようにするのか、又どんな表現をするのかと言うのがという部分で、色々な種明かしがされた。



初期の原稿作りから、板に掘り始める。初めは粗彫りで垂直に刀を入れている。
それにしても、木槌が丸いとは知らなかった。
その後、最終的に文字の部分を掘るのであるが、刀を重ねて掘らないと言うのがミソだそうだ。
円く輪郭を掘ってしまうと、その文字の力強さが表現されないという。



この写真は、金箔を文字の部分に貼る作業の前段階で、金箔がつくところに接着剤としてカシュウ(合成漆)を指で塗っているところ。
29日刻字の先生に色々聞いたところ、下地のカシュウの色を変えて文字の表現をする事もあるとか。



これは、実際に金箔を貼っているところ。金箔を蝋を塗った紙に移し取り、貼る大きさに切って押しつける。
その後、刷毛で撫で回すことによって、その下の色が出るという。



そして、仕上がったものを見せている。
床に、4段階の作成過程が置いてある、席上揮毫とはいえ、相当の準備と手間が掛かったのではないでしょうか。
ビデオを撮っている人はいませんでしたが、こういうものこそVTRに撮って残しておくべきものでしょう。



最後に、仕上がった作品。
実際ここで制作したのではありませんが、こういう風になるというものでした。

全く貴重な体験でした。

今回の席上揮毫を見て思うのは、篆刻、刻字が入念な準備をしてきたのに対し、書くだけの漢字部門の先生が「席上揮毫」の何足るか分かっていないのではないかと思われた。
それは、「席上揮毫」というのは、一つのパフォーマンスでその演技を見せると言うことに主眼を置くと言うことである。
そのように見てみると、漢字の先生は只、書いてみてその作品を見せると言うことだけに専念して、見せるという部分では不足だった。
前衛書は「種明かし」し過ぎで、作品に対する意外性というものが失われてしまったのが「どうも」‥‥なのだか‥‥
一方、あの真っ黒な作品を筆一本でさっと書かれたら、小生としても「タダ納得するしかなかった」のではないかと思う。
そして、このような席上揮毫では、微妙な部分でその先生の字が上手いというのは別として‥‥書に「どこまで造詣が深いか」という部分が出る。
それから、書家としての本質が分かってしまうのは実は恐ろしいことなのだろう。


毎日書道展・陳列替終了・陳列部解散

2008-07-29 23:09:58 | ちまたの噂・雑記事
7月29日で後期展の第二部の陳列を終了した。
後期展は、漢字部門以外現代書が多い関係から展示点数が少ないために、相当楽な感がある。
しかし、通路に面しない部分に展示されたものは二段掛けされて、遠くから見上げないと見えない作品も多い。




この後期展になってから、陳列の「お手伝いの先生」は、15時解散と言うことになり、懇親会に出ない人は早々に帰れることになった。
そして、懇親会は、前回同様に17時の設定だった。

ところが、作業手順が早く終わると言うことで16時30分からハートイン乃木坂で行うことに急遽変更された。
毎日展の、国立新美術館の陳列は、毎回試行錯誤と言うことになる。

来年は、今年より順調に行くのかも知れない。

お昼のお弁当は、前回同様の幕の内と牛ヒレ肉弁当((株)グルメ杵屋・製)だった。
今回も同じ牛ヒレ肉にしたが、冷たいと美味しくないというか、肉以外はあまり良いものが入っていない。
幕の内の方が良かったかも。
以前は、カツ丼弁当などもあったが、評判が良くなかったのか。

今日の作業は、めどが付いてきたのが14時頃、15時には業者による陳列待ち以外終了。

早く終わったので、陳列終了後の毎日書道展幹部による点検も終わってしまったと、懇親会の時に陳列部長が披露していた。‥‥‥それで、30日に予定していた副部長以上の点検はなし。
撤去は、最終日に業者がするというので、陳列部はこれで解散と言うことになった。

お陰で、懇親会の最後まで参加出る事になった。(5時30分まで)
途中で帰ると、最後にどんな料理が出たか分からず仕舞いだった。
夏休みになると、夕刻臨時列車が運行されて帰りが楽になるから大助かりだが、18時を回ると通勤で混雑するのは同じ。

長かった、毎日書道展も小生などは陳列終了と共に、もう終わってしまった事になった。
結局、7月は10日間陳列その他で上京。その上、始めの幾日かは疲れが出た感じがあった。

但し、「チーフ」を都美でしかしなかった関係から、随分と楽だった。

そして、来年の陳列は又パターンの改善になり、前後期入れ替わるからやってみなければと言うことではないだろうか。
明日の30日から、やれなかった作品作りや、溜まった仕事、すべき義務など疲れたと言っていられないことになった。

そして、いろいろストレスも溜まって、ある先生は旅行に行きたいと言うが、今年は既に行ってしまったからどこへも行かない夏休みに突入する感じがある。

会員賞受賞作家による揮毫会その4・金竹秋苑先生揮毫

2008-07-29 22:20:30 | ちまたの噂・雑記事

会員賞受賞作家による揮毫会   その4


金竹秋苑先生 揮毫

毎日書道展の席上揮毫会も前衛と刻字を残す頃になると、ますます観覧者が少なくなりました。
皆さん、自分が勉強していること以外は興味がないのだと言うことが良く分かります???

多分??、そうではなくて近県の先生なので、観客動員が済んで帰ったと言うことでしょうか。
なんと言っても、小生などの毎日書道展の会員でさえ、席上揮毫がいつ誰がするか会場に行かなければ知りませんでした。
だから、残っているのは本当の観覧者なのかも知れません。

本当‥‥これからが面白くなるところ。
漢字の条幅を書いているところなど見ても、何も面白くないのは良く分かります。
何と言っても、間近に見るわけではないですから、良く分からないのが真相。
今日29日は、毎日書道展の最終陳列替えでした。
そこで、「前衛」の先生にいくつか質問してなるほどと思わせる言質を得てきたところです。
追々そこで聞きかじったことも追加して、批評してみましょう。



何やら刷毛のような大きなものを持ち出しています。
これが何か分からなかったのですが、デジカメ画像を200%拡大してみると、なんと50本もの筆を板で挟んで作った連筆のようでした。
こんなものなら、一見素人でも作れそうですが、多分特注品でしょう。



持っている箱の様なものは、ダンボールにビニールを敷いた様なものらしい感じがしました。
そうでないと、重くて持てません。



書き方は、力を入れずになぞるような感じ、この力のいれ具合が熟練を要します。



第2作目は、大きな筆を持ち出して、ゆっくり紙をなぞるように、筆を押しつけないように書きます。



非常にゆっくりと書きますので、拍子抜けですね。




ここで何と書いたか分かりますかと問うています。
私には分かりませんでしたが、淡々とした書きぶりに実は迫力、「気」は感じられませんでした。
ここで、紙を見ると全て「揉んである」、くしゃくしゃにしてシワをつけてあるのが判ります。
これが、白く残る部分の秘密です。
そして、強く筆を当てるとシワが伸びてしまい、真っ黒になるので強く筆入れる部分と白を残す部分の力のいれ具合が難しいと言うのが分かります。

感想としては、全て裏の種明かしを見せてしまったのかという「感」です。
その上、墨が早く乾くように、墨に水性塗料(ポスターカラー)を入れているとまで暴露してしまいました。
色々な先生の話を聞いて、私が考えるには、あのような道具(筆)を作れば、誰でも同じようなことが出来るという‥‥‥拍子抜けでした。
手品の種明かしをすると「なあ~だ」と少しも面白くありません。
こういう作品の種明かしというのは、作品に対する興味を半減するのではないかと思います。
ある先生は、席上揮毫会でどうやってあんな線が書けるのかと疑問に思っていたら、「なあに、それ専用の筆」を作ってあったとかと話してくれました。
かって、香川峰雲先生曰く‥‥と聞いた話‥‥前衛は、書くところの種明かしはしないものとか。
思うに、誰もが使う普通の筆を使って、絶対の自信を持って、誰にも出来ない作品を書く先生でない以上、種明かしはしない方がよいのでしょう。
但し、見ている我々にとっては、「手品の種明かし」は非常に有意義でしけれど。

会員賞受賞作家による揮毫会・長澤幽篁先生揮毫・卯中恵美子先生刻その3

2008-07-28 18:23:47 | ちまたの噂・雑記事
会員賞受賞作家による揮毫会2人目は、長澤幽篁先生揮毫。
解説者の説明によると、1作品の揮毫と言うことであったが‥‥‥



こんな感じで、淡々と揮毫。



周りの感じは、こんなもので揮毫会という感じがする緊張するもの。
1作品と言うことだったが、司会の強引な都合で二作目のもの。
どうやら、傾向の違う作品を二つ書くと言うものが設定されていたようだ。
ここで、筆は「明石」先生の墨、筆を借りたようである。



そして、書き上がった作品。




多字数の紙が緑色をしているのだが、これは「竹」を使った紙だそうだ。

次は、卯中恵美子先生の篆刻による刻。



中央に、テーブルを設置して印を刻している。
写真では、引き刀、押し刀とかで刻していると「稲村先生」が説明する。
兎に角、印を刻する方法というのは、人によってやり方があって、一概にこうすると言うことは出来ないと説明。
尚、白文の半分を仕上げてきてあって、あとの半分をここで刻するという。



こんな感じで、カメラが寄っている。実際どんな感じなのかよく分からないと言うのが本当。
又、周囲が見えているとおり、観客は半分程度に減り最前部の椅子にも空席が出来た。



鈐印(けんいん)しているところ。
印辱は使わず、下に硝子板を置いているという。
印泥は何を使っているかとの主催者側の質問で‥‥‥。
印泥の種類は答えなかったが、箱を見せて明るい色が最近の傾向であるとのこと。
印泥の箱を見るところ、紺色の箱に「高式熊印泥」と書かれていたように見えたが、なぜ「式熊(しきゆう)」と言わなかったのか不思議なものだ。



印面を割ると言うことを結構していたようだ、仕上げるにはあと補刀が必要とのこと。



印を刻するときは、結構静かなところで刻すると稲村先生は説明していたが、実は稲村先生は雑談的に話し続けだった。

すると、正面の席から結構お年の人が「声が割れちゃってうるせえんだよ」と突然発言。
言い方も驚いたが、その声の調子が書道関係に係わるものとして聞いたことがないような「いやな」感じだった。
稲村先生は、直ぐ後ろを向いてボリュームを多少落としたようだが、大して変わらなかった。

毎日書道展の席上揮毫など大方書道に興味があるか、書道関係の人が多いと思うのだが、色々妙なことがあるものだ。

会員賞受賞作家による揮毫会・明石幸子先生揮毫・毎日書道展 その2

2008-07-27 23:26:32 | ちまたの噂・雑記事


会員賞受賞作家による揮毫会に先立ち、5人の有志によるパフャーマンスがあった。



作家は、漢字部、大字書部、近代詩文書部などの審査会員、会員、会友の皆さんということで、色々なイベントに出没してパフォーマンスをするという。何か武田某氏に対抗すると言うのだろうか。



この後、裏を返して緑のペンキで別々に、別のところを書いて組み合わせ「森林」という文字を書いている。



ピニールは、墨が飛ばないためと言うことらしかったが、そんな派手にというか、乱暴に書いていなかった。

さて、第1回目は、埼玉の「明石幸子先生」の揮毫で始まる。



広く空いていた、前側に来たら、なんと全く見えない。
妙な書き方をするというか腰に手を置いてか‥‥‥
確か西林先生は、そんな不安定な感じでは書かなかった。
それにしてもお付きの二人の男性の邪魔なこと。
手本と墨を少しずつずらしながら事実上、両側をブロックしている。まさか、会員賞の作品をそんな風に書かなかったと間違いなく確信するが、席上揮毫でこんなのは初めてであった。
墨を持って貰ったり、手本を持って貰ったりするのは余計ものだろう。



それだから第1作目はほとんど見えなかった。

第2作目は、主催者の業務用カメラの横、明石先生の関係者と思われる男性がビデオを撮っていた脇の隙間から、何とか写せたと言うところ。
それでも、こんな風に「何やってるのだろう」という風景だ。



最後に鈐印しているところだが、よく見てみると「爪」で紙の表面を擦っている。
なかなか、良く分かっていらっしゃる先生で、こんな細かいところに本質の「技量」が現れるものである。

この後、押しのけられたから写真は撮れていない。



これが、完成作だが椅子の後ろ、後方からだから全景が取れていない。
少字数は、専門ではないから良く書けていないが、席上揮毫で時間に追われて上手く書ける方が、不思議なくらいだ。
玄潮会の鈴木龍峰先生が、席上揮毫をしたとき。
本来の作品の半分の実力も出ないと言っていた。

それにしても、返す返すも残念なのは、邪魔な二人の介添人だった。
写真を整理していたら、突き飛ばした人達が写っていた。



改めて、写真を見るとかなり後ろから、子供と二人。
全く、妙な連中だった。

無差別殺人・社会問題と「愛のない」親の責任

2008-07-27 22:34:52 | 日記
近年の無差別殺人などのことに対して女性弁護士は、99%は本人に責任があるとしても1%は社会に責任があると言ったと書いてあった。
正直こんなことを書かれると、「おや」と思わないだろうか。
社会に責任があると言っても、本来生まれ育った家庭で教育され、そこで社会に適応出来る人間に育てたのではなかったろうか。
だから、不祥事を起こすと「その昔」父母が出来て「こんな子供に育ててしまった責任を痛感します」と言ったものだった。
ところが、ここのところの無差別殺人を起こした子供の親子関係や家庭を見てみると、そんな親の責任を「痛感する」など言ったことがない。
はっきり言って、弁護士が言うようには、社会に1%の責任もない。
社会に適応出来なかった育て方をした家庭、親の責任である。
なんと言っても、人間のアイデンティティは15歳までに確立すると教育学で教わった。
20歳過ぎの大人を改めて教育するなど中々出来はしないのだ。
近年の問題は、本来人間の人生の内で「一番幸せな時代」、子供時代を「幸せの時代」として過ごしてこなかった人々が多いことだ。
それは、ひとえに「親」の責任放棄と共に、無責任そして、親自身が子育ての「何たるか」も分からずという社会現象だ。
そこにあるのが、モンスターペアレントなり、子育て放棄の人々と言うことになる。
高度成長期、父親は7-11で働き、子供の顔も見たことはなく、幼児の顔を見たら泣かれたという笑い話があった。
そして、待っていたのは熟年離婚、定年と同時に離婚届に判押させられたなどという話が後を絶たなかった。

今は、逆に母親も働き、子供は保育園で育てられ、例え熱があっても「しらばっくれて」そのまま保育園に渡したりして育児放棄。
子供は、物心ついたときから母親に抱かれることもなく、小学校と進み、福島瑞穂氏よろしく18歳になったら家族の解散式をする?
又は、白石真澄教授のように大学に進学したら、纏まった「4年分奨学資金」を渡して「縁?」を切るのか、いずれにせよ世の中子供に冷たい母親というものがいるものだ。

人間には、動物本能として子供を育て、その育つ姿を見て、一人前になることを喜ぶ本能がある。
しかし、人間本能の退化かもしれないが、それをそうと思わない人達がいる。
はっきり言って、動物にも劣るというものだ。
かって、「早く結婚して子供を作ってください」とあるボランティアグループが独身女性に呼びかけた。
その時の言いぐさはステレオタイプで、「ならば子育て出来るように保育園を作ってください」だった。
地方だから、保育園に対する切迫需要はなく、その上改善されたもののその人物は「新聞を見たら」未だに独身だった。

昔から、拒食症や過食症というのは、「愛情」の不足と言われている。
だから、医者に言わせると「恋愛」をしたりすると一時的に改善されるという。
そして、その様に親に愛されたことが無くそのまま成長すると、結婚して子供を産んでも、子供をどの様に愛して良いのか分からないという。
そんな場合、又自分と同じように「愛」のない子供を再生産する。
その昔の米国フォークデュオ・カーペンターズのボーカル、カレン・カーペンターは、兄に恋人が出来た途端、拒食症に見舞われ亡くなったのは有名だ。
愛のない家庭というのは、なぜか
拒食症や過食症どころか、統合失調症の発症も促すという。

だからなのか、宗教の基本というのは全て「人間愛」である。
それに対する共産主義は、人間愛を攻撃しての組織愛。
愛のない人間というのは、凶暴になるというのは、レーニンを見れば良く分かる。

ヤマダ電機LABIと秋葉原風景

2008-07-27 11:19:29 | お買い物・新名所など

7月26日、土曜日の秋葉原は大混雑だった。
秋葉ヨドバシでは、いつもの通り人が入っているが、やはり平日とは来る人が違う感じがする。
山手線、総武線も通勤時間ではない時間に結構混んでいたが、地下鉄はガラガラ状態。
しかし、最近ちょっと服装が変だなと思うと、ほとんど中国語を話しているのには驚いた。
一方、地下鉄丸の内で旅行バックを抱えた二人の若い女性。
何やら垢抜けない感じで、言っていることが聞き取れない。イントネーション、高音部の響きから中国語かと思ったら、よくよく聞いて関西弁だった。関西弁が、中国語に似ているのか又は、関西弁の中国人なのかは分からない。時は夏休みともなると、子供が多いし、色々平常とは違う妙なことがある感じがする。



秋葉原の駅前は、通常の土曜日の倍位、メイドさんの格好をしたチラシ配りの女の子がいた。
但し、メイド服は暑くて困るのか写真のように浴衣のチラシ配りの人も多かった。
良く解らない、コスプレもいたが、やはりよぼと暑いのではないだろうか。



最近の女性は、黒い日傘を使うのが当たり前になったし、その上腕が焼けないように日焼け止め用の手袋をしている女性も見受けられた。
よく見てみれば、コスプレも浴衣も腕は出していなかった。

この日、秋葉ヨドバシの特価はバッファロー外付けHDD・HD-ES640U2が、13800円(640GB)の20%還元だった。
ポイントを単純に割り引くとネット価格と同じになるから、ネットで買った方が安い気がする。
LABI秋葉(ヤマダ電機)も一番上の階まで上がってゆくと、同じ値段。
但し、全製品Samson製だった。
12800円の500GBにはSeagateもあったから、640GBは全てSamson製なのかも知れない。
IO製の640GBもSamsonノイズを発していたから、多分そうなのだろう。
‥…と言うことで、一瞬手を出しそうになったHDDは1TBがこの値段になるまで待つことにした。

夏休みになって、又土曜日なので「土日特価」というものがあるはずなのだが、「あきばお~」にしろ秋葉ヨドバシにしろ、値段が下がっていないというのは、どういうことなのだろうか。
ヨドバシなどの大型店は別として、全体に7月上旬のボーナスシーズンの方が安かった気がしないでもなかった。


会員賞受賞作家による揮毫会・毎日書道展 その1・突き飛ばされる

2008-07-26 23:30:01 | ちまたの噂・雑記事
7月26日は、第60回毎日書道展のイベントの一つである、後期の「会員賞受賞作家による揮毫会」が国立新美術館・講堂で13時から行われた。


揮毫者は、写真の通りで今回は篆刻や刻字など中々見られないことを行った。

13時に新美術館に行くというのは、実は結構大変だった。
なぜかと言えば、午前中一杯、江戸東京博物館で行われていた「北京故宮・書の名宝展」を見てきたからだ。
この展覧会の目玉は、「蘭亭序」だった。
この「蘭亭序」というのは、以前出光美術館で何点か見た記憶があるが、今回の「蘭亭序」の保存状態は非常に良かった。
こういう事を言って良いのか知れないが、元本より印刷の方が余程立派に見える気がする。
なぜなら、印刷は同じ墨色でくっきりと文字が見えるが、原本は墨色が違うのである。
微妙な擦れ墨色の違い、経年変化と言ってしまえばそれまでだが、原本か出来た当時は、印刷の様だったのかも知れない。
さて、新美術館・席上揮毫。
13時もう会場は一杯で、中央に高さ15センチぐらいの舞台が作られ、廻りに椅子の後ろに人垣という感じだ。
最初は、5人によるパフォーマンスから始まり、漢字の明石先生から席上揮毫をされた。
明石先生は、社中のお手伝い2人に墨と手本を持たせたから、紙面の両側をガードする感じてよく見えない。
それで、横からカメラを出してのぞき込んだら、いきなり後ろから「鬼のような面相」をした若いお母さんに突き飛ばされた。
「当然無言」。
後ろにいた小学生の男の子の顔の前にはみ出したようなのだが、背の低い子供だっら前に出して見させるべきだったろう。
長澤先生の時、一番前でビデオを取っていた人が退き、そこにその男の子が入ったが、長澤先生の席上揮毫が終わったら帰ってしまった。
その後の、篆刻以降は、後ろに立つ人があまりいないくらいまで減り関係者というか、揮毫者による動員が掛けられたのがありありと分かった。



それにしても、突き飛ばした婦人(30台後半)は、A先生の関係者だったのでしょうか。
毎日展にしては、結構荒っぽい人物がいたものだ。

まだ覚えている・あの御巣鷹山の事故

2008-07-26 22:50:42 | 映画鑑賞関係
映画「クライマーズハイ」という映画が公開されて、忘れかけた御巣鷹山の事故を思い出す。
映画の新聞社のロケは、あの潰れてしまった「山一証券」ビルの跡、街は前橋の昭和で取り残されてしまったようなところ。
東急インが撤退した後のホテルから、スタッフは向かいの今では貸しビルのロケ現場へ向かったとか。

昭和60年、バブル経済が始まる直前の不動産不況の頃のこと。建築もダメ、不動産も売れずの金詰まり。
但し、不動産神話は生きていた時代。
8月12日の夕刻、小生の妻‥‥まだ結婚するずっと前‥‥は、低く飛ぶ飛行機の爆音を聞いたとか。
なぜ、あんな爆音がしたのだろうと‥‥
ニュースは、日航機行方不明というテロップだが、長野県側か群馬県側かということで問題になった。
そこでいち早く駆けつけたのが自衛隊。
そう、群馬には相馬が原の自衛隊基地がある。
そして、誰も山の名前など知らなかったところは、車一台がすれ違えないような道路状況の良くないところ。
聞くところによると、警察車両が駆けつけると、既に車が置ける場所は自衛隊の車両でいっぱいだったとか。
当時の群馬県警もこんな歴史に残る大事故だとは気づかず、県下から非番の警察官を動員する。
そして、警視庁が特殊車両を出動、高速道路を走ってきたと言うが時速30㎞。
だから到着したのは夜が明けてからだった様だが、どうだったのかは不明。

作家の安倍譲二氏は、その不可解な事故の分析をしていた。
しかし、今となっては真相は分からない。

遺体の検視に当たった、前橋医師会の会長、前橋歯科医師会の会長は、不思議なことに伴にその後直ぐ癌でなくなった。
本当に痛ましい、嫌な事故だった。