書道家Syuunの忘れ物

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衆院選の投票日前夜に思う

2009-08-29 22:45:17 | 雑感・どうでも良いこと
衆院選の投票日前夜に思う

今日の夕方、毎月の行事で青少年育成委員で市内のパトロールをした。
今回のパトロールは、何故だか酒とタバコの自販機を見回って、店の人に未成年に売っているかどうかなど‥‥コンビニ、酒店、ヤマザキストアなどを廻る少し時間の掛かることたった。
土曜日の夕方、夕立の雨がポツポツ降り始め子供などほとんど見かけない。
だいいち新型インフルエンザの影響で子供は朝体温計で熱を測ると学校から決められている。
その上、人混みの多いところに行くのは事実上禁止なのである。
それで今回はそんな調査だったのかも知れないが、自販機などはもっと別のところのものがあるのではないかと思ったりもする。
そんな夕方、地元の衆議院議員候補者は「候補者が自転車で廻っています」と大音量で呼びかけをして、その候補者は自転車の後ろに真っ赤な「本人」とデカデカと書かれた幟を立てて悠々と通り過ぎ去った。
もうこの候補は、余裕すら見られる切迫もしていないユックリしたウグイス嬢の声だった。その少し前には、別の候補が候補者の名前を連呼してあっという間に過ぎ去った。
選挙というのは、投票する前の選挙戦から何やら結果が分かってしまう様なこともある。金曜日に市役所に行ったら期日前投票所はいつになく一杯だった。
やはり、マスコミが宣伝しているとおり投票率は、相当高くなるかも知れないと思うものだった。一節には70%近くなる予想とか(静岡大学情報学部)。
何故なら、選挙にはあまり関心がない女房殿が今回は行くつもりになっているからだ。
それにしても、群馬の自民党候補者はあの「小渕」大臣を別として全員70歳以上だ。
実際、日本の中枢で何か民間から「社長」を選ぶと行っても不思議と70歳以上の人物であった。あの郵政の社長だって70歳を超えている。
その他の人物もそんな年齢の人達が多い。
又、今回の選挙に関連して「最高裁判所裁判官国民審査」が行われるのだがここでも高齢というか、70歳定年らしいからサスガ70歳以上の人達がなる事はないが、新任でほとんどが60歳以上だ。
中には、官僚の成り上がりの人達もいていつまでやるのかと思ったりもする。
要するに、今の世の中というものは日本の戦後・高度成長時代を上手く生き抜いた、成功体験のある年寄りが未だに日本を牛耳っていると言う事だ。
そのお年寄りの時代は事業をやれば10年で事業は2倍になり、ポストには不自由せず、リストラにもあまり遭わなかったはず。
その上の世代は、戦争やらGHQのパージで少なくて「老害」など感じず思った通りの仕事がやれた人達だ。
そう言う人達というのは、今や何処にでも存在して不思議なことに益々元気と来ている。
一般の民間では、趣味の世界という目立たないところにしか生息しないが、日本を動かす政界、実業界の上の方はこの人達で充満している。
役所も、終戦直後に計画した公共事業を見直すこともせず時代が変わったのに、未だに続けようとしている体質というのは「老害」と同じだろう。
若い人達から見れば、生活が良くならないのに一部の「あるところ」ばかりは美味しい蜜を吸っていると思われている。
当選何回、大臣もした衆議院議員候補者は、傍から見れば何十年も議員をやってこの体たらくか、何も変えられなかったではないかと皆思う。
自民党は、テレビCMなどに30億円も掛けたという。
今更自民党と言われても、「あの口の曲がった総理の顔」とか「高そうな背広とか」を見ると逆効果だという意見だとニュースに出でいた。
それは自民党候補が自分の名前を連呼しても全く無駄なのと同じだ。
庶民の反応は、自民党は何も変えられなかったではないかでしかない。
こういう風に、国民の感情・雰囲気が読めないというのが今の自民党でしかない。

日本の国の国民の「空気が読めない」と言うのが今の自民党だった。
かといって、民主党が国民の空気を読めているかと言えば、自民党より読めていない。

一番の問題は、日本の国をどうしようというのかという問題につきる。
要するに、安全保障だ。
外国人参政権問題も「税金を払っているのだから」参政権をやっても良いのではないかと言う議論が民主党、公明党などにある。
もしそうするなら「税金を払っていない人」から選挙権を剥奪しければならない。(田母神氏)
要するに、参政権問題は国籍に関することで、最高裁でも「外国人参政権」は違憲であると言っている。
何を考えいるのか、こういう人達というのが国を誤らせる。
そして、こういう問題を抱えながら「空気」という訳の分からない雰囲気で民主党に政権が渡ることになろう。

その国民の意図しない「空気」と言うものが、先の戦争に導いたと言う事は肝に銘じておく必要がある。
そして、そんな空気を導いてしまった政官の利権に群がった自民党の年老いた首脳達に最大の責任があるというものだろう。
その年老いた古い思想というものは民主党も同じおなの狢。
仮面が剥がれ、国民が失望するのにどのくらい掛かるのだろうかと思案するものでもある。
何故から、民主党は「政権交代」としか言わないではないか。

「核廃絶」という言霊に酔う共産党感覚と同じ民主党鳩山代表

2009-08-27 22:49:57 | 日記
「核廃絶」という言霊に酔う

共産党感覚と同じ民主党鳩山代表


‥‥【09衆院選】鳩山氏、「首相」就任後 国連で核廃絶演説へ オバマ大統領に「共鳴」‥‥という見出しが産経新聞Webに載った。(2009.8.27 01:20)
内容の出だしは、「民主党の鳩山由紀夫代表は26日、首相に就任した場合、9月下旬に米国のニューヨークで開かれる国連総会における演説で、全世界に向け『核廃絶』を呼びかける方針を固めた。」と言うもので、政治的に見て何の意味があるのかと疑問を投げかけるものだ。
内容には「『オバマ大統領と一緒に核廃絶の先頭に立つ』との文言や『地球環境との共生』、『人類社会の未来』との表現も使って核廃絶の重要性を強調することにしている。」と言うのだが、どこかで聞いた様な言葉だと思っていたら、共産党が「核の廃絶を目指す」とのスローガンで志位委員長がラジオ宣伝(文化放送)していた。
そこで日本共産党のHPで「最近発表の政策・見解」と言うところを見てみると、「核兵器廃絶問題でのオバマ米大統領への書簡」と言うものがある。
その中で「核兵器が使われないことを保障する唯一の方法は、『核兵器のない世界』をつくることであり、大統領は、その大目標を世界の前に提起されました。」とあるのだが、別にオバマ米大統領は、米国の核兵器を廃絶するとは言っていない。
この点は、「新報道2001 党首討論抄録」で麻生首相が共産党の思い違いを指摘しているとおりだが、志位委員長というのは観念論ばかりで話にならない。

このオバマ発言に対して、あの田母神氏は‥‥「核廃絶」は米国以外の核の核廃絶で、米国以外の核廃絶又は、廃棄がなされれば相対的に米国の核の力が強くなる。‥‥と発言している。こんなことは、従来から米国が主張していることの延長線上にある。

だから、その鳩山代表も何か思い違いをしているのではないかと思われてならない。
そうして核廃絶を米国は言いながら、米国以外の国の核が増えればそれに釣り合うように増やしてきたと言うのが実態である。
そして、早い話核は数発も100発も同じようなもので実際は、持っているか否かと言う事だろう。(田母神発言)

元に戻ると、鳩山代表が国連で全世界に向け「核廃絶」を呼びかけても、日本は持っていないから「核の廃絶」などは出来ない。そうであるならば、核保有国「核の廃絶」をして貰わなければならない。
核保有国と言えば国連常任理事国なのだか、鳩山代表は「友愛」を持って中国に「核の廃絶」を訴えることが出来るか、インド、パキスタンに「核廃絶」を納得させることが出来るか。
まあ、誰が考えても笑い話にしかならない。
彼らが言うのは「安全保障上の理由から持つ必要がある」と必ず言う。その時、どういう反論が出来るのか。
‥‥と言うよりもそんなことを言う勇気も、政治力もないと言うのが真実だ。
その「全世界に向け『核廃絶』を呼びかけ」各国が一応拍手しても、各論になって拒否されたらどうするのか。
先に言ったように、日本には廃絶すべき核兵器がない。
そこで、「核保有国が廃絶しないなら日本は核武装する」と言うのならそれなりのインパクトはあるかも知れない。
しかし、社民党の主張をそのまま受け入れで(日本独自の)非核三原則を堅持し、法制化までしようとする国。
核武装は、その民主党の国是に反する。
要するに、靖国参拝廃止と、核武装禁止、核議論禁止と種々の政治的なフリーハンドをなくする。
民主党というのは、如何に自虐が好きなのかあきれる。

そう言えば、終戦記念日前後にNHKが核(兵器)についての賛否を問うていた番組があった。そこで思うのは、核兵器反対という人達は単なる観念論。
「核兵器反対」と言えば、「核兵器」が無くなると思っている様な人々、「核兵器」容認の人達は現実路線だった。
見たところ、反対派は髪の毛が白い人が多く、容認派は若い人が多かった。
本来、戦後民主主義的な思想の強いNHKだからどういう意図でやったのか分からない。どうせガス抜きだろうとと思ってじっくりなど見なかった。

ため息が出る「鈴木美潮のdonna」の金大中氏礼賛記事

2009-08-26 00:53:57 | 世の中妙な??事ばかり
ため息が出る「鈴木美潮のdonna」金大中氏礼賛記事

2009年8月25日読売新聞夕刊掲載の「鈴木美潮のdonna」。Web版では、http://www.yomiuri.co.jp/donna/do_090825.htm で「少女の心熱くした金大中氏」と題して金大中氏を単に民主化指導者として礼賛している。
そして「金大中拉致事件」を切っ掛けにして「まさしく、金大中氏こそが私の政治的原体験で、このことがきっかけとなり、政治学を学び、新聞記者の仕事を選んだ。」という。

その金大中元大統領に関しての認識としては「詳細は、事件の翌年の1974年、子供向けの年鑑で知った。そこには、民主化のために軍事独裁政権と戦う金大中氏の姿があった。」とある。
しかし、政治記者として「仮面ライダーやウルトラマンがブラウン管の中のヒーローなら、金大中氏は、初めて出会った現実世界のヒーローだった。」としているのはどういう事か。
そして、大統領になった金大中氏に「ファンレター」再度を出すなどどう見ても単なるミーハーの有名人好きしか思えない。

本来なら「政治の世界」のこととして種々慎重であるべき時に、単に有名人好きというノーテンキな人物というのは自制心がないだけでなく、害毒でしかない。
かって、平成 14年2月1日~15年9月22日まで外務大臣をした川口順子氏(現参議院議員)。
まだ日本が経済援助をしていた頃のミャンマーへ外務大臣の歴訪として行き、ミャンマー政府に反政府指導者アウンサンスーチーとの面会を要求した。
ミャンマー政府は、日本の経済援助の圧力に屈し、しぶしぶ面会を承諾する。
その結果、何の成果を得るというのではなく単なる表敬訪問で、逢えて喜んでいる写真と記事か新聞に載った。
早い話、これも単なる有名人好き。
しかし、日本政府が承認している政権に対してその反政府指導者に面会する意味が判っていないほどの外交音痴。日本は、国際政治言う分野で何も分かっていないということを表す一面だった。

さて、金大中元大統領の件に戻ってみれば、大韓民国における「失われた10年」の主役の一人だっことは歴史として残った。
特に、北朝鮮に対する「太陽政策」によって多額の資金を北朝鮮につぎ込んだ。
「金大中は南北首脳会談の直前に現代グループが北朝鮮へ5億ドルを違法に送金をするのを容認した。」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
その見返りが、南北首脳会談とそれによるノーベル平和賞だったことは間違いない。
荒木和博BLOGによれば‥‥
「自らがノーベル平和賞をもらいたいがために、膨大な韓国民の血税を使い、何も変わっていない北朝鮮を変わったと勝手に解釈して、金正日体制の延命に力を貸してきた人です。そのおかげでどれだけ沢山の北朝鮮の民衆が死に追いやられたことか。」と書かれている。

考えてみれば、「金大中事件」の時の大統領は朴正煕大統領だった。
実際、朴正煕大統領は「金大中事件」を切っ掛けにして結果として、夫人、大統領本人が暗殺されることになった。一方、暗殺されそうになった金大中氏は事件を切っ掛けに暗殺もされず大統領にまでなった不思議がある。
朴正煕大統領とは、元々日本の陸軍士官学校出身の知日派(親日派)で日本の政界とも太いパイプが繋がっていた。そのためにかその後もどう見ても不可解な「政治決着」というものが日本と韓国との間で行われ続けた。その一つが例の「河野談話」でもある。
そして、朴正煕大統領は日本との深いつながりから、韓国の近代化を成し遂げた。
その朴正煕大統領から見れば、金大中元大統領というのは左派思想を持つ危険人物というのは明白なことだった。
事実、金大中氏が大統領になって‥‥
「1980年代から90年代にかけて、韓国政治の病根であった全羅道対慶尚道の「地域感情」も、元はと言えば金大中氏が自らの勢力を強めていくために煽り続けたことの結果です。結局この人が大韓民国、あるいは朝鮮半島にもたらしたものはプラスよりはるかにマイナスの方が多かったと言わざるを得ません。」と荒木和博が述べている。(同)
 鈴木美潮記者は、
「訃報(ふほう)に接し、改めて金大中氏の人生を思う。決して恐れず、あきらめなかったその姿は、とかく楽な道を選びがちな今の私に、少女時代の熱い気持ちを思い出すよう呼び掛けているように思えてならない。」と書くのだか、本当だろうか。

大統領退任後、その個人の不正が追及されなかった大統領は、朴正煕大統領とこの金大中大統領くらいなものである。
朴正煕大統領は、
「一般論においては、政治面では目的の為には不当な手段も厭わないものの、私人としては清廉であると評価されつつある。」
「1999年にはアメリカの雑誌『TIME』で『今世紀もっとも影響力のあったアジアの20人』に韓国人から唯一選ばれている。」
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
と言う風に、暗殺と清廉によってであり。
金大中大統領は、金で買ったと言われるものの、極論を言えばノーベル平和賞受賞者であったからである。

世代交代の遅れた自民党は、巨大な恐竜か

2009-08-25 00:29:00 | 日記
世代交代の遅れた自民党は、巨大な恐竜か

衆議院選挙まであと1週間を切った。
新聞では「期日前投票305万人、前回衆院選の1・5倍」(読売新聞Web)でいわゆる今まで投票しなかった人たちが投票をしている様な感じだ。
一方、候補者を見ると自民党は、70歳を過ぎたベテランと言えば聞こえがよいが、世間一般から見れば「孫もいる年寄り」が政界に未練たらしく立候補している様に見える。
しかも、その人達が国会議員になって何をやってきたのか、例え今回当選しても当選すればしらばくれて今まで通り「何様」ということ以外思い浮かばない。

要するに今の自民党は、年寄りばかりの集団で日本の高度成長時代を謳歌し、年金にも不安はなく後は、功成し遂げて「勲章でも」もらって引退したいという人達。
はっきり言って、今の50代以降の人達から見れば日本の国の「老害」が、まだ権力の座から去りたくないと騒いでる人達としか思えない。
彼らの時代は終わり、従来型の価値観が崩壊しているのに全く気づかない「巨大な恐竜」の様である。
その若い人達から見れば、その巨大恐竜は勝手に絶滅してもらっても構わないが、自分たちを引きずり込まないでくれと思っている。
だから、散々見慣れた「年寄り顔」がバイクに乗ろうが、宣伝カーに乗ろうが、大集会を開こうが「今だけ」と白けたものだ。

そこで、自民党の候補者がもっと若ければ、従来型の自民党政治を打破するかも知れないという思いに気づく。
そして、もしそうなら自民党も世代交代をするかも知れないという淡い期待が湧く。
しかし、実際は若くても彼らが「過去官僚」だったりすると「若・年寄り」で若かろうと歳を取っていても関係なく忌避する気分がある。

一方、民主党は候補者は若くて良さそうだが、‥‥‥あの金持ちでいながら「しみったれ」の鳩山、過去官僚の岡田、ミニ角栄の小沢と来て、社民党に慮って(おもんぱかって)反日と来ている。
国歌、国旗に反対して、もし首相になったら首相公邸には国旗を掲揚しないのか、閣僚の部屋には国旗を置かないのかと思ったりする。
実際そんなことが起きても不思議がないし、当然靖国神社には参拝しないと福田元首相の様に「外交カード」を捨てしまっている愚かさ。
だから、鳩山氏と言うのは選挙区が群馬県とはいうものの群馬県人でない、元々お坊ちゃんの福田元首相止まり。
今頃になって、靖国に代わる施設だなどと外交音痴、福田氏そっくり。
その一端が見えたのが、例の国旗を使って民主党旗を作った一件だ。多分、諸外国の日本に敵対する首脳は大笑いだろう。民主党の支持者の一端の馬脚が見えた瞬間だ。
何故なら、今度の日本の首相は「愛国者」でないと見て取るからだ。
昔から、「家訓」「社訓」を掲げる家、会社はロクナところではないという。
何故なら、「家訓」「社訓」を掲げなければ何をしでかすか分からないという性悪説によっているからである。
だから「友愛」と掲げる人物こそは絶対に「友愛」がない。
よくよく見れば「友愛」とは、金持ちの自身は高みに置いて、国民、国家を奴隷として他国に差し出す人達しか思えない。
その国民、国家を奴隷として売り渡す一面が既に週刊誌の組閣報道で暴露されている。

その閣僚枠に連立の社民党、国民新党から入れるという。
しかし、それは国民に対する裏切りだろう。
何故なら、世論調査で見る限り社民党、国民新党などの支持は極めて低い。
国民は民主党に投票しても社民党に投票する訳ではない。
その国民の支持が極めて低い政党の意見を聞いたり、閣僚にしたりするのは本来民主主義の原則に反する。
社民党などは常に「少数意見」を聞けと言う。
しかし、民主主義国家である以上、少数意見に頼ることは多数決の原則は反している。
社会主義者・共産主義者は「少数意見」で「多数意見」を制することをしている。

その少数の一部に意見が国民を支配したのは、ボルシェビキによる暴力革命だった。
ロシア革命でソ連共産党の支持は30%程度、それを海軍の水兵を扇動して時の政府を壊滅させ政権を握り、その実働部隊は「反逆罪」で粛正する。

今国民が思うのは「年寄りが牛耳る」日本社会ではなく、もっと風通しの良い世界だ。
風通しが悪いのは、小泉首相が辞めた後規制緩和の反動で、より多くの規制が何の議論もなく「あっという間に」生まれた。
国民の目から見てみれば、なぜ国会の場で議論しないのか不思議なくらいだ。
国民の代表者でない官僚が勝手に法律を作って規制し、それによって天下り機関が出来
不都合になっても、弊害が出ても責任は取らない。
民主主義国家でありなから、国民の知らないところで規制が出来、国民はそれを防ぐことも出来ない。
不都合であると行政訴訟を起こしても、裁くのが官僚の裁判官ときているからほとんど絶対に負ける。何故なら行政は「間違いを起こさない」と官僚裁判官は思ってるからだろう。
だから日本には、憲法に保障されている三権分立はない。
国民を規制する行政に限って言えば、行政府と党国会議員は一体であるし、それに対して不満と国民が騒いでも司法は門前払いだ。
そして、無理を押し通して失敗しても、官僚は、その職務を辞めれば「一切知りません」と押し通すか、「間違っていない」と強弁するのが常識になっているではないか。

何時も言う様だがあの「総量規制」でさえ、間違った判断だったと反省の弁は聞いたことがない。

今年の東京ディズニーラントTDL・TDSへの旅の総括

2009-08-22 14:01:13 | インポート

TDS & TDL イン・東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ その5

東京ディズニーラントとシーへ毎年泊まりがけで行っていて感じること。今年は、お盆のという一番混んでいる時に掛かっているが、昨年はゴールデンウィークだった。
当たり前の話だが、こんな混んでいる時には行かない方がよいのは当たり前である。
しかし、子供の休みの関係から一般の休みの時にしか行けないのは事実。

Img_1101
そして、感じるのは子供の成長によって乗るアトラクションが変わると言うことでもある。当然、好き嫌いというものもありそのうちには行くこともな くなるかと思えたりもする。特に、今年は3日間の内ほとんどが東京ディズニーラントだった。初日の東京ディズニーシーの方は、再入場はするが一旦3時には 切り上げている。

要するに、シーの方ではアトラクションが少なく、それに殺到するから益々乗れないことになる。
多分アトラクションは、あと2-3は増やす必要があるかも知れない。その結果として東京ディズニーラントに比べてFP取得の間隔(FPを取って次のFPが取れるまで)が長く、朝早出しても思ったより多く乗れない。

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その点、アトラクションが多い東京ディズニーラントの方は、FP取得間隔が短い。
それでも、このお盆シーズンだと初回モンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"のFPを取った時は3。
「ビックサンダーマウンテン」だった時は12時頃のFPを取れば4。(2時半でシーへ)

それに対して、シーでは3時で途中退場したものの2だった。今回も東京ディズニーシー・ホテルミラコスタに泊まったのであるが、東京ディズニーラントに行くとなると利用価値が半減する。


それは、ホテルミラコスタに泊だとオープン前にゲート内に入れると言うことで、楽々アトラクションに一つぐらい多く乗れる。
一方、東京ディズニーラントは「ディズニーホテル宿泊者専用のエントランス」と言うものが出来ているから一般入場者よりも早く入場出来るとはいうもののメリットは少なかった。(8月31日まで)
何と言っても、ディズニーホテル宿泊とオフィシャルホテル宿泊とは値段が違いすぎる。オフィシャルホテルだと、直前になれば宿泊費のダンピングがあったりするのだか、ディズニーホテルなどはあり得ない。
あの何時も空いているディズニーアンバサダーホテルでさえ値引きはない。
それでいて、TDS & TDLへの入場に関して、特段メリットがあるのはこの8月現在は東京ディズニーシー・ホテルミラコスタだけで、ディズニーランドホテルは単にディズニーランドに近いだけである。

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但し、ディズニーリゾートのHPによると

「2009年9月1日(火)から2010年3月31日(水)の間、開園15分前の東京ディズニーランドへご入園いただくことができます。(※期間中の土日祝日、および特別営業時間帯は除きます。 ※チェックイン日当日のご利用はできません。)」
【ご入園いただけるエリア】ワールドバザールおよびトゥモローランドの一部エリア
【ご利用いただけるアトラクション】「モンスターズ・インク“ライド&ゴーシーク!”」

と言う事で、9月以降平日ならディズニーホテル宿泊者は、「モンスターズ・インク“ライド&ゴーシーク!”」に先に乗れるという具合になっている。多分土日はこの8月と同じように「専用のエントランス」だけなのだろう。
9月以降は9時開園だから、8時開園の夏のオンシーズン開園のシフトを思えば8時45分に特別開園しても大差ないと言うもの。
「モンスターズ・インク“ライド&ゴーシーク!”」というのは、入場口から見えるところでこれが幸いした。

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つくづく思えば、8月のTDS & TDLなんぞは行くべきものでは無い感じがする。
そして、子供が幼稚園の年中組だった頃、子供の誕生日に合わせて家族で初めて行った思いを起こすと何時も何か甘酸っぱい感じを思う。

子供も女房殿もみんな歳を取った。
運動不足の妻は脚が痛いと悲鳴を上げ、子供は元気いっぱい。小生は脚など痛くならないが、寄る年波相応に「疲れた」なのである。

少し前の記憶で元気いっぱいだった人が目の前から消え、再び見たら驚くほどの「年寄り」になっていたり、黄泉へ消えていっている。
時は流れ、自分だけの観念がその流れから取り残されてとは、何かのマンガで見た映像のようだ。

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年中行事の家族旅行もいつまで続くか、取りあえず今年からは本当はなかったはずだった。
さて、来年のTDS & TDLへの旅行はあるのか。
それはその時になってみないと分からないと言うものだ。


デジカメを買わないのは、次のデジカメを買う準備をしているからと言う現実

2009-08-21 23:49:34 | 日記
デジカメを買わないのは、次のデジカメを買う準備をしているからと言う現実

最近電気屋のデジカメコーナーを覗かなくなった。
覗かなくなったというのは嘘で、新型のカメラを見れば触ってみるしどうかなとも思ったりもする。平成21年8月21日もヨドバシガメラでリコーGRD IIIを触ってきたばかりである。
新型のデジカメを買えばその時点から、旧型のカメラはお蔵入りになる。これは従来からのお決まりのようなものだった。
新型が出れは欲しくなって何とかして買っていたのに、最近新型のカメラを買う気がない。何故なら、新型カメラに劇的なアドバンテージがなくなってきたことによる。
確かに、新型になれば旧型に比べて圧倒的に使いやすくなっている。
だから何やら頭を使わずにカメラ任せで納得できる画像が出てくる。
だからといって、今持っているFinePix F100fdをF200EXRに直ぐに買い換えるかと言えばそうはならない。確かにF200EXRの方が間違いなく良く写る。
かといって、FinePix F100fdで良く写らないかと言えばそうでもないところにカメラの不思議さがある。
要するに、オートで撮るかある程度マニュアル補正をしなければならないか、というところに尽きる。
今年の正月ニューイャー駅伝でPentaxのK10DとSONYのα700で撮り比べたことがある。
結果は、後発のα700の圧勝で当然と言えば当然の結果に終わった。
実際のところ、このα700である程度思い通りの写真が撮れるようになってきた。
‥‥とはいうものの、「Dレンズ」ではないトキナーのATXやタムロンのSPなどでAFは兎も角も、AEを外して「白飛び」した経験が多数ある。
今では、「D」レンズ以外使わない様にしているから極端な事にはならないが、最近流行の白飛び傾向にある。
従来、デジ一眼レフカメラなどは、上手く撮れなかったものを色々苦労して癖を掴んで思い通りの写真が撮れるようになって、と言うところがあった。
しかし、今ではそんなカメラは少なくなった。その理由は、見たまま写るカメラを消費者が求めるからである。
そして、その後押しをしたのがデジ一眼レフカメラでは、大方CMOSセンサーになってしまったからである。
ダイナミックレンジが広く取れるようになって、白飛びしなくなった。
従来からのデジ一眼レフカメラは、初期モデルほど白飛びしないように、かなりアンダー目、はっきり言って「真っ黒」に写る。
初期モデルのPentax ist*Dなどまともに撮れるようになるまで苦労したものだ。

デジ一眼レフカメラというのは、そのPentax ist*Dから入った。
その後進化したと言え今のところK100D、K10Dまで来て止まってしまっている。
K10Dが出でから1年でK20Dが出て、K20Dは筐体がK10Dと似ていたからマイナーチェンジ版と見られて、結果失敗作だった。
今は、K-7と起死回生を狙った製品が出でいるが、これを買ったらK10Dは完全にお蔵入り。場合によってはα700でさえお蔵入りするかも知れない代物だ。
かといって、K-7を買って何か有効に使えるかと言えば心許ない。
要するに、Pentax K-7を買って元を取れる稼働率から計算すれば価格comの最安値¥108,900(税込・body単体)でも高すぎる。
それで、しばらくK10Dを延命することにした。

その延命策としては、縦位置グリップを付けることで電池の不安定さの解消。
そして、K10D・20D共通のバッテリーグリップ D-BG2と言うものは、製品末期の備品として結構投げ売りされていた。




7月中旬、8月上旬、8月中旬と定期的に限定価格が出で来るというものも不思議なものだ。こういう投げ売り価格が出るというのは、大方マップカメラ、フジヤカメラ、荻窪さくらやみたいなところで、知っている人だけが買えるという代物。
そう言えば、Pentax ist*Dの縦位置グリップも製造中止後にチャンプから7,980円程度で買った。しかし、買ってから何回持ち出したのかは覚えていないくらいわずかなものだった。
SONYα700の縦位置グリップは、α700のボディを買った時におまけで付いてきた様なもので、いつもながら妙なつきあいである。
但し、その昔の銀塩カメラ時代では、ミノルタα7とキャノンEos7の時は、わざわざ高いお金を出して買った記憶がある。
まだネット通販が発達する前のことだったが。
今、メインとしてα700を使うのであるが、元々「Dレンズ」をあまり持っていない上に、購入計画もない。
何故なら、SONYの方はいずれフルサイズに移行するつもりだからである。

東京方言に気づかない・寺島尚正 ラジオパンチ!のCM

2009-08-19 19:08:10 | 前橋市残照
東京方言に気づかない・寺島尚正 ラジオパンチ!のCM

文化放送で間違いやすいので共通語に入っていない語意をCMで流し続け未だに気が付いていないでいる。
それは、明日(あす)、明後日(あさって)に続く言葉。
関東一円では、続くのは「やなあさって」、「しあさって」と続く。
しかし、東京だけが逆で「し明後日」、「やな明後日」。
これは、東京方言で非常に間違いやすい。別に東京の言葉が共通語でないというのは当たり前の話で、東京の言葉だから全て正しいとは限らない。
特に、関東で同じような言葉を話しながら通じないこともあるのである。

以前、その順番について放送局に問い合わせがあったようだった。
そこでは当時の落語家・月の家 圓鏡(5代目)氏が、落語では「し明後日」、「やな明後日」の順番だと結論づけたのだが、実際は不適切だろう。
落語は、江戸の言葉だからそれで正しいかも知れないが、放送で言う共通語とは違う。

所謂東京弁というのは、元々利根川の上流地域の言葉に近く、昔は利根川に沿って住民が移動してようだ。
だから、東京下町あたりは関東でも「言葉が汚い」「語尾が強い」と言われる「前橋」あたりの言葉に近いし、一般的には、八甲田雪中行軍遭難事件の遭難しなかった方を率いた弘前第31連隊の福島泰蔵大尉の郷里に近い。
確か、利根川沿いに墓があったはず。
八甲田雪中行軍遭難事件とは、あの新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」で有名なあの日露戦争を前にして行った八甲田雪中行軍遭難事件である。
映画では徳島大尉として、高倉健(弘前第三十一連隊)が演じたが、東北弁を話していたのには笑えた。
福島泰蔵大尉は、今の伊勢崎の出身で元高崎連隊所属だった。

話はそれたが、こういう微妙な表現違いというのは、東京地域だけで言うのなら良いが放送という広範囲に流布するときは問題がある。
従って、NHKでは「しあさって」という表現は避けているはずである。

最終日「ビックサンダーマウンテン」3回乗りでTDLの旅

2009-08-18 23:42:22 | インポート

TDS & TDL イン・東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ  その4

平成21年8月13日お盆に突入の日、ホテルミラコスタをExpressCheckoutで出発することにした。朝7時過ぎにはフロントに電話して荷物を取りに来てもらい、入り口にCheckoutという札を掛けておくだけ。
ベルさんに聞いたら、今霧雨が降っているという。傘は?ホテルのがありますけどお持ちになります?という。面倒なので、折りたたみ傘をリュックに入れて行くことにした。
しかし、実際帽子を被っていたから出すことはなく単なる荷物になるだけだった。
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昨日の通り、専用入り口で待っていると、雨が降っているせいか少ないような気がする。

しかし、8時開場の頃には多くなった。

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開場して、今日は何故か入場した人達が違うと感じた。何故なら、早く入ったはずなのにドンドン抜かれて行く。

今日の予定は、「ビックサンダーマウンテン」のFPを取って、直ぐに1回目のライドである。
「ビックサンダーマウンテン」のFPは、8時50分。
一番だから、割と早い。ライドの方は、8時20分には出てきた。
50分になったら、「スプラッシュマウンテン」のFPの予定。

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その間は、朝食と言うところだかまだ霧雨は止んでいない。
スプラッシュマウンテンのFPは50分に取って、10時05分。

「ビックサンダーマウンテン」の2回目のライドで出て来たのが9時10分。
まだ次まで時間がある。
スタンバイだと既に150分待ち。

色々時間をつぶして「スプラッシュマウンテン」
にライド。もうこの頃には、結構気温が上がってきた。
次のFPを何を取ろうかと思ったら、「ホーンテッドマンション」がシステム故障で一時閉鎖。
それでまたまた「ビックサンダーマウンテン」のFP10時15分。
この時は、この時間でスタンバイ170分待ち。
今度のライドの時間は、11時30分~12時30分。

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「ビックサンダーマウンテン」の3回目のライド。

11時30分からの「クール・ザ・ヒート」これも正に水をぶっかける。

しかし、この時点でお父さん暑さ負け。




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ミクロアドベンチャーの時点で、お父さんはバテ気味状態。
またまた時間つぶしでスターツアーズなど。
そんな感じで、午後2時半にはTDL(東京ディズニーランド)を後にした。
要するに、これからTDSに行く。


2009_0813tdl0101 2009_0813tdl0103 これで名残惜しきTDLともお別れ。
幾ら残っていても、アトラクションには乗れないし、大して日陰もないのでねぇ。
昼間のディズニーランドホテルというのも、妙な感じ。

TDSに着いてみると、スターライトチケットという午後3時から入場出来る列にたくさん並んでいる。
実際、スターライトチケットでも4,000円以上するからもったいない気がする。
後は、ショーを楽しむだけというものだろうが、アトラクションは閉園間際に乗ろうというものだろうか。

そこへ我々の家族がぶらぶらと入って行くのだが、普通のチケットを持っている人はどうぞというものの、チケットを見せろと言うのだから妙。

家族が見せたから、そのままとチケットを入れたら当然すんなり通って、出ようとしたら突然キャストの止められた。

お陰で、しこたま足をバーで打ってしまった。
キャストはチケットを見て「失礼しました。」で終わり。
よそ見していたキャストが不注意なんだよ。
スターライトチケットで入るわけないのは、見てりゃわかるだろうというものだ。
後で抗議してやろうかと言うくらい腹が立った。
冗談だか。
2009_0813tdl0112 TDSもTDLと同じように水を掛けている。
少なくとも、消毒した水道水だろうなぁと思ったりして。

この水を掛けるというのは、何やら段々激しくなってきたように思う。
又、入り口ではいろいろやっていたが、人が多くて何も出来ない感じ。
ブロードウェイ・ミュージックシアターへBBB・「ビッグバンドビート」を見に行くのだが、未だに中止。
但し、お盆に入ったから代わりに  ディズニーの仲間たちとダンサーによる約15分間のミニショー「ショータイム・フレンズ」と言うものをやっていた。
行ったら結構列が多く、余裕では入れたが通路際には座れなかった。
何故通路際が良かったのかというと、サービスでミッキーなどが走り回って握手などしていたからだ。
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終わって、子供がまだ帰りたくないと言うので、エレクトリックレールウェイでポートデスカバリーまで行き、ぐるりと一回り。
当然アトラクションは、長蛇のスタンバイで何も乗れるはずもなく、オミアゲ品を少々買って、マーメイドラグーンで一休み。

こっちは、ここで水をカブ飲みなんだなぁ。クーラーが効いているから入り口の通路では寝ている人、寝転ぶ人ばかり。
この暑さで何時間も並んだら本当に嫌になるよねぇ
そして、こちらもホテルに戻り荷物を受けって、夕闇迫る5時30分には出発。
暗くならないうちに外環自動車道まで抜け、関越のSSまで来たら真っ暗になっていた。
それにしても、毎回首都高速は迷う。
カーナビでこちらだよと言われても迷うのは困りもの。
そして、日産のカーナビは又も、小菅JCTで混雑して渋滞が見える道へ誘導する。
2年ほど前、高速がだいぶ空いている時にこのカーナビ通り行ってみたことがある。
確かに距離は短いが、都心に入って行くだけに信号があったり、複雑な経路で疲れた時には運転したくないと思う道だった。

自宅周辺には、午後8時前には到着。
お盆割引きで1,600円だった。行く時は通勤割引きで2,000円だったけどね。


モンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"に乗る

2009-08-16 23:51:13 | インポート

モンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"に乗る

TDS & TDL イン・東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ  その3

TDS & TDLの2日目、今度は難敵TDLのモンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"に挑戦する。今回は、今年に出来たアトラクションに乗らないと来た意味がないと言うか、どうしても乗っておく必要がある。
早朝からTDLの前に並んでいる人たちもこのモンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"のPFを取るのか、一番で乗るためであろう。
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例の「ディズニーホテル宿泊者専用のエントランス・通行証」を試す時である。
前日11日に20,507歩も歩いたから、12日はユックリしたかったのであるが、7時30分にはリゾートライン・東京ディズニーランド・ステーションに降り立った。

9時オープンのTDSの入場者待ちの少なさに比べて、「おっ」と驚くほどの人並み。
これでは、その後に付いたらモンスターズ・インクのFPを取れるかどうか、取れても並ぶのにどれだけ掛かるのかと思いやられるものだ。

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ところが「ディズニーホテル宿泊者専用のエントランス」というのは、駅の真ん前というかTDSの正面の入り口でここはいつもは空いていなかったのではないかと言うところ。
これもディズニーランドホテルが出来たお陰というものだ。

但し、ホテルミラコスタの様な優先入場というものは無いからディズニーランドホテルに泊まっても有り難みは相当薄い。
TDLでは例え1分でも入場が早ければ劇的に違う、と言うくらい秒単位で入場を争う。
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だから、5分でもゲートだけでも通過されてくれれば、8時オープンと同時にアトラクションに走れる。しかし、実際はそうなっていない。
それでも、8時のオープンと共に開場すると入り口が多いのと、当然人数が少ないから進みが早い。大して気を揉むことなく入場出来た。5分以内にはモンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"のところにいた。
入場同時に、みんなは走る走る。

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行く方向は同じワールドバサールの横の道を走ってモンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"へだ。
行ってみたら、もう「黒山の人だかり」続々と並んでキャストがロープをシンデレラ城方向に張り始めている。一瞬ためらったが、よく見たらまだ思ったより多くないし列の進みが早い。
今回、記録によれば8時18分(の印字)にモンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"のFPが取れて、13時25分だった。

以前だったら、入場して長い行列や黒山の人だかりのPF待ちの人を見て嫌になる雰囲気なのである。
時間は、本当に8時18分だったのかなぁ~~。携帯電話記録だと14分なんだ。
それで「ビックサンダーマウンテン」に駆け込んで8時20分。
30待ちでライド。
出てきたのが8時55分。
こんな朝は、ビックサンダーマウンテンは見ているうちに60分待ちに。出てきたら90分待ちだった。多少入り口から遠いと言うのも狙い目ではある。
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それにしても、モンスターズ・インクFP待ちは、待って見ているうちに午前中の時間から12時を廻り13時になったのはあまり気分が良くない。

但し、FPの機械は6-8台あった上に係員がバーコードリーダーで直接読み取らせていたから進みは早く、8時30分を廻るとPFが終了するという話があるが大方50分頃のようだ。
次のFPが10時15分。
スプラッシュマウンテンのFP、ホーテッドマンションのFPで終わり。既にお盆休みは始まっているから大混雑というのは仕方がないものだ。
予定のモンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"
例の、ライトでモンスターを探し出すというもので、光が当たると出で来るのか、単に出で来るのか分からない。こう言うのは1回乗れば「そんなものか」というもの。

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その他のアトラクションは、ピーターパン(連れのみ)、ガジェットのコースター、カリブの海賊、ジャングルクルーズ、遠くからの「クラブ・モンスターズ・インク・笑いってクール!」ぐらい。







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それにしてもモンスターズ・インク・笑いってクールは、ホースで水をぶっかけるヤツ。
本当にずぶ濡れになる。そう言えば何年か前抽選に当たって、シンデレラ城の前に座ったことがある。
その時は、レインコートを着込んでいたと今でも思い出す。



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12日17,021歩。

やはりTDLは歩く距離が少ない

「お盆」15日に送り盆の慣習のある家々

2009-08-16 13:36:17 | 前橋市残照
「お盆」15日に送り盆の慣習のある家々

8月になったかと思ったら今日2009/08/16はお盆の「送り火」である。
本当は、うちでも今日お墓参りに言って「送り火」と言う事になるのだが、我が家の伝統で15日に送る。だから13日に「迎え盆」で15日に「送り盆」という1日少ない。
母の実家でも同じだったのだが、母がお嫁に来てもうちでは同じだったそうな。
1日早い理由というのは、昔のことだが使用人を多く使っていた大農家(元名主など)の素封家では、16日に使用人に暇を出して「盆」を送らせたという慣習からだという。
母の実家も何代も変わって、もう農家ではなくなってしまったし当然使用人もいない。しかし、その盆を送るという習慣だけは残っている。
一方、我が家の習慣としては何故15日に送るのかは誰も教えてくれなかったし、言わなかった。
うちの親戚では、迎え火にもならない11日から盆の準備をする家があってそう言う家では当然16日に送る。

‥‥とはいうものの今年は、11日から遊びに行ってしまったのでうちの迎え火は14日だった。お墓参りには「花」がつきものなのだが、今年はこの花を買うのに苦労をしてしまった。そのわけは、10年以上前からの知り合いのお花屋さんに買いに言っていたのが、今年の3月末で止めてしまったからである。
それで、墓参りの途中花屋を探すと中々見つからない。
シャッター通りの中央商店街にあった花屋は当然今はなく、少し足を伸ばして行った名前を知っていた花屋は「盆の花」などは置いていなくて葬式の花作りに忙しそうだった。
結局、廻りに廻って最近出来たスーパーお盆用の花を買って墓に持っていったが、正に「しょぼい」。
墓場の花の貧弱なほどみすぼらしいものは無いが、他の墓の花がこの連日の暑さでほとんど枯れていたから「瑞々しいだけが」取り柄。
送り盆に家族で行ったら、花を買ってくれば良かったと‥‥‥
今度の彼岸には立派に「花を飾ろう」と思ったのは、少々の慰めというものだった。