書道家Syuunの忘れ物

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「よみうり寸評」9/25で読む悪い冗談

2008-09-26 00:43:16 | 日記
 
「よみうり寸評」9/25で読む悪い冗談

 9/25夕刊に掲載された「よみうり寸評」に吉田内閣の政策が書かれてあった。
それは、GHQ占領下の「農地解放」に関してのことだ。
書き手は、「父吉田茂」(麻生和子)という本で読んだと書いているが、「農地解放」を当時の日本政府が如何にも自主的だった様に表現するのは妙な感じた。
なぜなら、日本が独立するまでの吉田内閣というのは、北朝鮮が言うまでもなく米国の傀儡政権であったのは事実であるからだ。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、昭和21年(1946年)5月、自由党総裁鳩山一郎の公職追放にともなう後任総裁への就任を受諾。首相に就任した(第1次吉田内閣)。
‥‥とあるが、GHQ・MacArthur司令部の指示によって選任された事に間違いはない。
確か、昔の教科書にはMacArthur司令部の占領下の思惑が書いてあった様に思う。
‥‥‥忘れたけど。
戦後政策では、「農地解放」、「財閥解体」、「教育体制の変革」その他知られていない「財産税」などがGHQの指示によってなされたとした。
本によっては、日本政府が日本の利益のために自主的に行った風に書かれていることもあるが、いずれにせよ日本解体であることは間違いない。
特に、「農地解放」については非常に高い評価が教科書などによって刷り込まれた。
それはなぜかと言えば、「共産主義思想」だからだ。
共産主義生が生まれた欧州で「土地所有者」と言えばほとんど貴族を意味した。
そして、その貴族階級という知識層を潰して、仮想的な「労働者階級」に分配しようとしたのが、単純なマルクス・レーニン主義というか、「フランス革命」思想だ。
GHQの政策は、米国へ受け入れられなくなったニューデーラー(後にカナダ共産党へ行った人物もいた。)という共産主義者によってなされた。
又、日本の戦後教育というものは、日本の共産主義者と組んで行ったから、妙な教育をされたわけだ。
さて、その「農地解放」についてその後どれだけ検討されただろうか。
日本の当時の不在地主はどんな状況だったのか、それはヘレンミアーズの著書「アメリカの鏡・日本」(ヘレン ミアーズ (著), Helen Mears (原著), 伊藤 延司 (翻訳) )を見れば明らかだ。
実は、この件に関して小生のブログ2008/08/11「雑誌「正論9月号」東谷暁 著「日本経済の突破口」を読み解く」で書いてしまっている。
一方、成田空港は、土地の未収容地が点在して未だに完全に完成していない。
何かで読んだ話では、もともと旧軍の空港があった場所で、戦後そこへ入植したらしい人が多かったとの話だった。
確か、フランスのシャルル・ドゴール空港の土地所有者とは3人だったはずで、別に日本の「不在地主」はヘレンミアーズが指摘するまでもなく世界基準から見て大土地所有者ではなかった。

いずれにせよ、GHQが道徳国・日本を恐れ日本解体を画策した政策を礼賛するのは止めたらどうかと思う。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
9月25日付 よみうり寸評

 1946年(昭和21年)、第1次吉田内閣の組閣に当たって、吉田茂首相がもっとも心を砕いたのは、農林大臣の人選だった◆当時、一番の急務は何といっても食糧問題だったから農相の人選を誤るわけにはいかない。農相に起用したのは和田博雄氏(後の社会党政審会長)。これで吉田内閣は農地改革を遂げた◆このことを「父吉田茂」(麻生和子)で読んだ。孫の麻生太郎新首相は初の組閣で農林水産大臣に石破茂氏を選んだ。もっとも心を砕いたかどうかはさておき、このポスト、組閣の一つの焦点だった◆62年の歳月をはさんでのめぐり合わせを思う。戦後間もない食糧難の日々とは事情こそ違え、今は、農地改革ならぬ農政改革が求められている◆組閣のその日、事故米の「三笠フーズ」に捜査のメスが入った。<食の安全と安心>が麻生首相、石破農水相の課題だ。石破氏は<防衛>のイメージが強いが、農水政務次官も経験、農政通でもある◆省改革は防衛省でも着手していた。<食の防衛>に期待しよう。
(2008年9月25日13時52分  読売新聞)


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