書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

過去の人・アジテーター故小田実について思う

2007-07-30 22:39:59 | 読み解けば‥‥

小田実を一言で言うと、「さあ行けと、鉄砲持たせて船に乗り込ませ、自分の番になったら、桟橋を外して逃げてしまう様なヤツだ。」
早い話、アジテーター。
小田実は、70年安保の時は代々木ゼミの英語講師だった。
ところが、実際は英語の授業などロクにしなかったと言う。そして、その時の肩書きが東大助手だ。
当時誰も、「東大助手」という肩書きがなければ、英語の授業など受けなかったろう。
何と言っても一こま○○○円の授業料を払って受験に無意味な演説を聴いても仕方がない。
そして、小田実は「ベトナムに平和を! 市民連合」という「ベ平連」という組織を組織していたが、それならばベトナムに何かしたかと言えば、ボートピープルが出た途端に全く無視して、べ平連を畳むか、全くベトナムの民衆を無視した。
早い話、東大卒の肩書き以外取り柄のない人物だった。

こんな連中の後についていったら、それこそ煮え湯を飲まされる。
60年安保の時、ノンポリ学生がデモの最後尾についていたら、デモの先頭がいきなりうねるような動きをして、最後尾を先頭にするという出鱈目を繰り返した。
即ち、ノンポリ学生を楯にして自分たちは一目散に逃げる。ここで起きた悲劇が当時の東大生・樺美智子というノンポリ学生(共産主義者同盟(ブント)のメンバーという説‥ウィキペディアWikipedia)があるが事実上はノンポリ)の圧死だった。

同じようなこと、圧死ではないが「逮捕」の方は、成田闘争でも起きている。
こういうアジテーターの後についていったら、必ず人間の盾にされる。
ソ連のスパイだった(Wikipedia)とも言われるから、小田氏が好きなソ連又は嫌いな米国なら獄死している人物だ。


自民党・参議院選大敗北について思う。

2007-07-30 22:37:55 | 読み解けば‥‥

自民党参議院選大敗北について思う。

今日は、朝から左派マスコミは大騒ぎの喜びようで、安倍憎しを増長させていた。
しかし、この参議院選が始まる前、マスコミの安倍政権攻撃、参議院に向けての週刊誌を含めてのマスコミによる安倍政権攻撃はすさまじかった。
マスコミ関係で、安倍政権擁護をしたのは産経新聞と中立的な読売ぐらいだった。
それにしても、選挙区選挙で選挙をしないうちから自民敗北の報が寄せられ、自民大敗と報じ、その通りになったのはどういう事だろうか。
それは、マスコミが言うように有効な候補を立てられなかったとはいうものの、民主党との落差は、目を覆うしかない。
よく見てみれば、安倍政権が擁立又は要請した候補、
比例 
<wbr>
中山恭子首相補佐官(67)
元陸上自衛隊員で「ひげの隊長」佐藤正久氏(46)
「ヤンキー先生」義家弘介氏(36)
弁護士の丸山和也氏(61)
選挙区
元テレビ朝日アナウンサー丸川珠代氏(36)
などは、大方当選している。

しかし、比例区でも元役人などの役人臭又は、55年体制の残滓と思われる人物は当選を果たしていない。

思うに、衆議院に比べて参議院衆議院議員である現政権の及ばぬところで色々なことが起きている様な気がする。
そして、参議院選挙が少ないと言うことは、候補者や参議院そのものの「世代交代が起きていない」という事柄に尽きるのではないかと思われるのである。

落選した、片山虎之助参院幹事長、影山俊太郎参副幹事長に見られるように、従来の自民党の雰囲気を醸し出す候補は、軒並み落選している。

事実、国民の目から見れば青木幹雄参院議員会長など、自民党の旧態依然を象徴する人物像ではないだろうか。

今回の、参議院選は実は従来の自民党感覚の参議院について、国民がそっぽを向いた感がある。この様な候補の人選や、参議院の旧態依然たる様相は、多分青木幹雄参院議員会長などの参議院自民党体制を守る人たちの責任だろう。

そして、このことによってで出来た参議院選挙は、有権者から見て自民党では選挙をやっても何も変わらないという暗示であったように思われる。

事実として、民主党の選挙対策は、自民党は従来の「金権体質」、「官僚任せのなれあい政策」「55年体制の継続政治」と言う事をアピールして、実際の安倍政権の実績を覆い隠そうとした。

自民党は、マスコミと民主党に負けて、その「金権体質」と「官僚政治」「年金問題」に対する防御のみに専念して、55年体制の従来の自民党ではないというイメージを打ち出すことが出来なかった。

事実、春先まで 
<wbr>「金権体質・事務所費問題」、「官僚政治・年金問題」が出てくるまでは安倍政権の支持率は50%はあったはずである。

実際のところ、安倍自民党が改革党であっては民主党の生きる道はないと言うのが実態で、当時の支持率は10%程度であったはず。

ところが、実際の政策、実行において何も変わらないのに逆転したというのは、実は不可思議なのである。

‥‥と言う事は、前掲の様に、安倍政権の政策に参議院選挙が影響したのではなく、もともとの参議院選挙の候補者の選択からして不都合であったと言う事である。

その上、大失敗だったのは、小泉政権が「自民党をぶっ潰す」と自民党旧来の政策を「見た目上」否定したのに対して、安倍政権は成立時の不安定さから以前の自民党政策を継承すると言った失敗ではないだろうか。

特に、自民党政治の「官僚的」、馴れ合い負の政策の形式上の継承は、保守派からは失望感を誘った。

逆に言えば、負の遺産そのものが、民主党の政策であり、本来否定すべきものだったはずだ。

それにしても、今回参議院民主党が第一党となり、参議院を左右するとなると、民主党は反対政党としては成立しなくなる。
以前、社会党が政権を取ったとき、現実問題として従来の主張を撤回せざる終えなくなり、又現実的な対応を取れず阪神大震災において大失態をして結局、消滅の憂き目になった。

さて、民主党はどの様にするのか良く様子を見てみたいものなのである。
取りあえず、米国からF22戦闘機は売り渡されないという事は100%間違いないことになった。

何と言っても、民主党の幹部から初めて、民主党内には、中国韓国北朝鮮、ロシアのスパイ、同調者ばかりなのであるから。


金も技術も取られる国家戦略亡き日本の政治家

2007-07-27 00:20:34 | 読み解けば‥‥

近年の軍事技術に関して、出るべき結果が出てきたと言う感じた。
日本は、武器輸出はしないことになっている。ところが、その武器を作る最新技術は無条件で供与することになっているのである。
だから、F22など日本のカーボン技術がなければ作れなかったし、そもそもその試作を日本(日本の金で)にやらせていたと言うから言葉にならない。しかも、データーは残さないのだ。
湾岸戦争の時、米国製のハリャーが活躍した。米国空母は戦闘機を蒸気によるパチンコで打ち出す。ところが米国空母の発進を想定していない英国ハリャーでは羽根がもぎ取れてしまうことが判った。そこで付け根部分を高強度チタン材を削り作った。
その工作機械は、日本製。
何故こんな事になったのかと言えば、中曽根首相がロン・ヤス時代に日本の最新技術を無条件で売り渡したからである。
「ロン・ヤス」とレーガン大統領と良い関係を作ったと言っても、金の面で米国債を買い、軍事面では咽から手が出るほど欲しかった日本の最新技術を与える。
こんな事なら、誰だって「ロン・ヤス」の関係になれるのは当たり前だ。

しかし、現実は米国債を生保に買わせたことによって、為替差損で大手生保が軒並み潰れ、軍事面では技術だけ取られて、完成したものは供与されないという馬鹿なことになった。
そんな片務的な関係は、そろそろ終わりにすべき時なのだが、米国べったりの外務省はどうにも動かないだろう。

政治家は結果責任という。
今にして思うと、中曽根氏は国鉄改革には成功したが、外交には汚点を残したと言わざる終えない。
その外交姿勢というのは、「ご用聞き外交」であるからだ。

そしてその極めつきは、日本の国の内政問題を外国の首脳の了解を取ろうとする調整型と言うべき、愚かな稟議書外交だ。
外交は、日本人だけでするわけではない。
中曽根氏に関しては、首相の「靖国参拝問題」だった。
こんな内政問題を中国の首相に聞いたために、政治に利用された。

国連の影響力も、分担金を多く出そうが、ODAを多く出そうが全く関係ないというのは、今までの現実を見て明らかなはずなのだが


日本社会を蝕む、フェミニズム、男女共同参画社会

2007-07-23 14:16:17 | 新聞社説・正論・主張を読み解く

近年「親学」と言う言葉が出て、多少教育の再生がなされるかと思ったら、あっさり葬り去られた。なぜか言えば、官界、学者達の観念、そして政治家に家族、家庭を無視する傾向があるからだ。
小生などの考え方は、世界家族会議が提唱するように家族が国家を形成する上での基本と考えている。
だから、家族があって、地域社会コミュニティが形成し、地域社会が集まって、都市が出来、そして国になる。
ところがそう思わない人々がいる。要するに家族に多様性を求めるという人々だ。
以前、竹村健一氏はスェーデンやフランスの様に結婚にこだわらず、婚外子でも良いのではないかと主張していたことがあった。こんな主張をするようになったことで、竹村健一氏も耄碌したと思ってその番組を最近見たこともない。
なぜなら、いくら出生率が上がっても、婚外子の子供ばかりでは犯罪、薬物依存など問題の多さが露呈している。
そして、次世代の人々は確実に子供を産んでくれるという保証はない。
TVでIQ180の青年の話があった。
これは、優秀な遺伝子を持つ人間を作り出すというプロジェクトだった。
有名なノーベル賞学者の精子を使って、美人で優秀な学者に人工授精させて作ったという人物。
確かに優秀だったが、家族は片親で家庭がなく、父親も判らない。その上、頭が良すぎて友人との関係も作れない。結局ハーバードの大学院を出たものの職業は保育師だ。
なぜなら、自分にも愛情のある家庭が欲しかったと言うことだったという。

雑誌「正論」によると‥‥婚外子、片親に育てられた子の犯罪率、薬物依存など問題発生率は、法律婚の両親揃った元で育てられた子供の2-3倍であると言われている。
ところが、フェミニズムジェンダーフリーの観念を持つ人達は、父親、母親という役割を否定しようとする。
その言葉の使い分けは、父親は「父的役割」、母親は「母的役割」だ。
そうすると、婚外子であろうと、片親に育てられた子であろうと、又本当の親でもなくとも何でも良いことになる。
そして、これを多様性のある家庭と言うが、この多様性のある家庭とは実は共産主義社会の子供達の理想である。
だから。共産主義社会では、子供は親が育てず、社会か育てそれぞれ独立した労働者に育てる。そして、労働者には学問要らず、ただ馬車馬の様に働く。アニマルファームの世界だ。
この共産謝儀社会を目指しているのが、官僚と左派系の政治家、フェミニズムに染まった学者などである。
昨日、参議院選挙に関して、社民党推薦の元K市長のU氏の選挙用はがきが来ていた。これは、小生の女房殿宛でどうも昔の同窓生からのようだった。
小生の知るところによると、元K市長は共産党推薦だった人のはず。参議院では鞍替えをしたようだ。
そして、その推薦人に、香山リカ、落合恵子、佐高信、他5名が名前を連ねている。
見てみると、人間的に冷たい人物が多いと言うか妙な人達ばかりだ。
落合恵子氏は、自分は私生児だったと公言してはばからない人物である。
結婚もしていないが、それでいて子供論を述べたりする妙な人物だ。

実は、落合恵子氏については、何やら妙なことが多い。
子供論は、甥、姪などを見て書いたという‥‥ということは姉弟がいる。そして、当時として結構お金のかかる明治大学へ進学。
しかも、女性は未だ高卒が主流の地代にだ。
当然のこと当時、私生児などと明かしたら100%無理の筈のキー局の民法のアナウンサー。
何やらあり得ない構図がありありだ。
それはさておき、
最近、小生は生まれた時からの生い立ちを検証している。あのとき自分はどうだったのが、間違っていたのか、又反省すべきものは何か等である。

色々考えてみると、親と子供を引き離して働け、働けというのは、正に共産主義国だ。
共産主義が失敗したというのは20世紀の結論だが、未だに共産主義を推し進めようとしている人物が存在していることに戦慄を観ずる。


Halley potter and the deathly hallows

2007-07-21 21:27:45 | 日記

第一章

闇の帝王現れる(勢力を増す)

どこからともなく、月明かりの小道に、二人の男が数ヤード離れて現れた。
彼らは非常にわずかなあいた、お互いの胸に魔法の杖を向け警戒をしたが、お互いの魔法の杖を外套の下にしまい込んで、きびきびと同じ方向へ歩き始めた。
「調子はどうだ?」二人のうち背の高い方が尋ねた。
「まあまあ」とセルブス スネープが答えた。
道は、左手方向は荒れた伸び放題のいばらの生け垣が続き、右手の生け垣はきちんと刈り込んだ 
<wbr>生け垣だ。
男たちは、進むにつれて長い外套を足首にはためかせ進む。
「私は、少し遅いかも知れない」とイェックスレイが言った。
張り出して垂れかかった木々の間からの月の光が彼の暗い容貌を照らし又、暗くしていた。
それは私が思ったより少し慎重を要する。 
<wbr>
しかし、私は満足することを望んでいる。

貴方の接見は、よくなるだろうと貴方の声が確信している。
スネイプは頷いたが、生返事だった。

かれらは右に曲がり広い道に入り込んだ。
彼らと共に高い生け垣が回り込み、彼らの行く道を遮る古い重厚な鉄の門へと向かった。
彼らが踏み込む前に、門の左アームの閂が音もなく上がり、そして黒い金属が煙りかのように、完全にまっすぐに押された。
いちいの生け垣は、男たちの足音を消した。
右にどこかにサラサラと鳴る音がある。
イェックスレイは、再び魔法の杖を仲間の頭上を指し示すように、さしのべた。
しかし、音の根源は 
<wbr>生け垣のてっぺんに沿って気取って歩く純白のクジャクのもの以上の何ものでもないことがわかった。



syuun の不思議な少年時代 その17

2007-07-21 01:16:50 | syuun の不思議な少年時代
東京タワーが創建当時、東京タワーに登るためにその一画を何重にも取り巻く見学列というのは有名だった。それから3年経った時でも未だ長い列は健在だった。
確か、品川まで国電(親たちは省電(鉄道省)なんて言ったりした) で行き、そこからタクシーで210円(?)。
遠くから見えたオレンジと白の塔が間近に見えてきたなと思ったら、タクシーが道ばたに止まった。なぜかというと道路反対側が行列の最後尾だった。多分街路の半周はしていた。

この頃というのは、娯楽と言えば映画か、テレビ中継したプロレス程度のものしかなかった。力道山と良く人の話には聞いたが、未だ小生の家にはテレビがなかった。
だから、夏休みになると毎年小学校の校庭で映画をやった。始まる前はプロレスのTVをプロジェクターで見せていたりもした。映画は大体古い映画で、ほとんど覚えていない。
小学校でいっぺん見た豊田佐吉(豊田自動織機の創業者)の伝記の映画(モノクロ)は、二度目だから良く覚えている。
この頃映画を見たと言えば、怪獣映画だった。
初めての怪獣映画は、ゴジラだった様だが寝てしまって良く覚えていない。
次に見たのが
『空の大怪獣ラドン』1956年に公開・東宝だった。
なんだか、カラスの様な感じだった。
次は、『大怪獣バラン』1958年(昭和33年)公開の東宝・だった。怪獣が羽を広げて飛び去るという妙なヤツだったがモノクロだけに迫力があった。
次はと言いたいが、怪獣映画は怖いからと連れて行ったもらえなかった。
だから、以後は子供同士で行った。
36年と言えば『モスラ』(1961年)だ。ザ・ピーナッツがモスラ使いとしてで出来たのには驚いた。そして、この怪獣映画と抱き合わせで放映していたのが加山雄三の若大将シリーズだった。
但し、大学の若大将 (1961年・東宝/杉江敏男監督)は見ていない。なぜかと言えば、遅くなるので怪獣映画だけ見て帰ったからだ。
銀座の若大将 (1962年・東宝/杉江敏男監督)は記憶にないが、日本一の若大将 (1962年・東宝/福田純監督)は多分見たと思う。
確実に記憶があるのは、ハワイの若大将 (1963年・東宝/福田純監督)からだ。
海の若大将 (1965年・宝塚映画/古澤憲吾監督)
エレキの若大将 (1965年・東宝/岩内克己監督)映画館で見たのはここまでだ。
寺内タケシがソバ屋か何かの出前をやっていた。
「君といつまでも」の星百合子は八重歯で、この頃が一番綺麗だったねぇ。
確か、星百合子は従兄弟と同じ神田の小学校だったと、昔をよく知る従兄弟は言っていた。

以下 つづく‥‥


syuun の不思議な少年時代 その16

2007-07-19 23:26:34 | syuun の不思議な少年時代

昭和35-6年というのは、東京タワーが出来た直ぐ後のことだ。
昭和36年(1961)、江戸っ子(?)の従兄弟が推薦入学で大学へ入り、暇で案内してくれた東京タワー。
出来て直ぐに行かなかったのは、東京タワーに登る行列が凄くてとても行けたものではなかったからだ。
それでも、このときの東京タワーはどこかの高層ビルの展望台に登る騒ぎだった。
直下に国会議事堂が見えたのを覚えているが、遠くは霞んでいた。
高層ビルの展望台とは違うのは、エレベーターを使わずに外階段で下りることが出来たことで、これを下りたから本当に足が震えた。
網は張ってあるが、外が丸見えなのである。

東京も未だ都電が走る街だった。
都電の良いところは、都電が来たと言うので都電の後を走って行く追いつき乗れたことだ。
場合によっては、線路を追ってどこへ行くのか見て、当てずっぽうでも乗れたことだろう。
そして、まだまだ東京都いえども車は少なかった。
いずれにせよ、何やらくすんだ都市という印象が残っている。

この頃から、公害が騒がれ大気汚染が緩和された1980年代まで、東京人はその顔色で判った。要するに日が当たらず、顔が青白いのである。
それで、よく東京に住むと水がよいのか、色白になると言われていた。当時汚染が始まった東京の水道水が良いはずはない。
今は、スモッグもなくなって東京人も地方人も肌の色は変わらなくなった。

都電の石畳を残す東京とは違い、地方はまだ未舗装だった。
但し、国道17号は東京タワーが出来る頃にコンクリート舗装になった。
なぜなら、相馬が原の自衛隊に戦車が置かれてあったからだ。その戦車が国道17号を走っていつもどこかへ行っていた。
鉄のキャタピラだったから、ゴーというもの凄い音がした。
だんだん主要な道路は舗装されたが、当然市道がほとんど舗装されるのは未だ未だ後のこと。

この頃には、朝の納豆(始め5円後10円、15円~35円~)売りも豆腐売りも回ってこなくなった。
学校給食は未だに脱脂粉乳なのに、一般家庭には牛乳を取っていたのもころころ。お米は未だ配給米だったが、配給キップを出さずに買えたようだ。
夏になると、未だ金魚売りは未だ健在だった、

又木枯らしが吹く頃になると学校の校門の外にゴム鉄砲屋の屋台が並ぶ(多くて2台)こともあった。
このゴム鉄砲というのは、針金で何やら上手にこしらえたもので、ピストル型の一番安くて簡単なものでも70円から150円位した。
高いのは、300、500円位。結構高いものだ。
それで、このゴム鉄砲の一番安いヤツを2回ほど買ったことがある。買って、少し遊んでいると鉄砲の先端の針金がグニャリ。
これでフニャフニャになった針金はゴムの張力に耐えられず、一巻の終わり。
そうでなければ、連発式のものは何やら針金が引っかかって調子が出ないなど色々だった。
そのほか、祭りでもないのに飴細工の屋台が、校門の出入り口付近にあることもあった。
まあそんな時は、大体子供の持っている金からすると高いから、家に帰ってから近所の駄菓子屋に何やら、お口直しに見学に行くと言うのが常だった。

それにしても、街の中心部にある色々な細かいところが、変わって行くのに気がつくものだった。
直ぐ横の通りに大きなショーウィンドーの店があり、中にはかって輸入物の高価そうなトラクターや耕運機が展示されてあった。
しかし、その頃はそのショーウィンドーにはカーテンが掛けられたままだった。

そこでは、トラクターにつけて使う大きな鍬だか鋤だかのものがあったと思ったら、消え、そのうち何ヶ月後にドロの付いてたまま展示してあったこともあった。
そこの息子は、小生と別のクラスの児童だったが、共通の友人がいて多少顔見知りだった。
いつも学校帰りに立ち寄ると、お菓子をくれたことがあったから、よく覗いたものだ。

それが、その店について行くとある時から父親の電話の声だったり、母親が電話を受けている時だったり慌ただしい雰囲気にかわった。

その農機具屋、既にその頃から農協が勢力を伸ばし農家に農機具を売りつけていたから、フリーの農機具屋は太刀打ちできなかったようだ。
その上、月賦でと農機具を農家に押しつけるが、月賦の金額が入らないと催促すると借金取りにもって行かれたとか‥‥‥いろいろあったらしい。
まあ、あまり使い物にならない高価な農機具を売ってと言うが売れもせず、代金回収も出来ず結局夜逃げをした。
夜逃げの前日に、その農機具屋の息子に会った。
なんと、明日から「いなくなる」からこれでお別れだ。
いや、もう行くところは決めてあるし、多少の金もあるから何とかなるのだ‥‥‥と。

そして、向かいのオートバイ修理工場も突然工場を閉鎖してどこかに行ってしまった。
兎に角、この頃というのは何やら変化の兆しが大部見えてきた頃であった。

以下つづく‥‥


共産党は、宮本顕治共産党元議長批判に耐えうるか

2007-07-19 22:05:58 | 読み解けば‥‥
ソ連のスターリンが亡くなり、直後フルシチョフによってスターリン批判が行われた。
日本共産党は、宮本顕治共産党元議長が亡くなって、宮本委員長時代の嘘や間違いを訂正して再出発をするのだろうか。
戦後の日本共産党史で最大の嘘は、1933年「治安維持法違反で検挙され以降終戦(MacArthur占領)まで12年間収監され転向しなかった」と言う事だろう。
事実は、読売新聞7/19社説「33年には中央委員として最高指導部入りした。しかし、同年末には逮捕され、いわゆるスパイ査問死事件などで、無期懲役の判決を受けた。」と言うのが正しい。
「スパイ査問事件」と共産党は言うが、拷問による「リンチ共産党員殺害事件」である。
宮本氏自身晩年「不幸で残念な出来事」と述べている。
ものの本によると、後ろ手に縛られた党員の上に宮本氏がのし掛かったら、動かなくなったというものだ。
しかも、この査問というのは今でも行われており、 
<wbr>日本共産党除名者は必ず査問という拷問(?)に掛けられるという。
そして、その他には病気と称して、共産党系の病院の精神課に入院させられたりすると言うからいつの時代の話だというものだ。

スターリン時代のソ連は、自らの身を守るために仲間を密告することによって生きながらえることが出来た。だから、当時のソ連に逃げた日本共産党の党員は、ソ連で一緒に逃げた党員を密告して助かっている。
共産党の体質というのは、多少意見が違うと言うだけでなく、共産党という組織を維持するために、敵が内部にいると無実の党員を密告し、査問して除名追放する組織だ。

レーニンは、共産党の組織の命令を確実に実行するために、未だ帝政ロシアの雰囲気を残した農村地帯を虱潰しに抹殺した。
共産党には、常に敵が必要なのである。
そして、「日本共産党だけはいつも正しい」「平和を愛する」とか言うが、手本としたレーニンやスターリンが平和主義者であったためしがない。
そして、共産党がよく使う手が子供を可愛がるだ。
レーニンやスターリンも「子供を可愛がる」と称して、子供と写真を撮ったようなものがある。
その子供が成長して幾人生き残ったのであろうか。
ほとんど粛正の犠牲になったという。
故宮本顕治氏は、この様な古い「ボルシェビキ」思想に固まった人物である。
指導部による「極端な中央集権制」を敷き、他の党員の意見などは一切効かない体制を取った。
以前、日本共産党はもし共産党が政権を取ったら、自衛隊を解体して「赤軍」を作ると堂々と言っていた。別に共産党は平和勢力でも何でもない。
やはり共産党は共産党なのである。
そして、民主主義に許されず、共産主義に許されていることは「嘘をいう」ということだ。何故なら、「嘘」を言っても共産主義を浸透させるためなら「善」であると言うのが、共産主義の本質だからだ。

アジテーター・田中真紀子・あんたには言われたくない

2007-07-19 00:44:38 | 読み解けば‥‥

田中真紀子氏は、自分の無能さを棚に上げて、他人を非難するとは、驚いたものだ。
‥‥と言うより、今で言う「品格がない」。
以前、自民党推薦、参議院議員の応援演説で、当時の若い女性候補者Yをこんな人物なんか知らないと、逆応援をしたことで有名になった。
そして、この候補は落選。
その後平成19年の県議選返り咲きも失敗することになった。
このとき、当選したのが例の朝鮮総連関連から献金で、参議院副議長を辞めた角田議員。
全くろくなことがなかった。
ついでに、角田議員は証拠が挙がってい要るのにしらを切り通した。

又、1995年に阪神大震災の時の村山内閣の酷さは、目を覆うものがあった。
その内閣の科技庁長官なら何らかのことはあっても良さそうだ。
小泉内閣の外務大臣の時、金正日の息子が偽造旅券で入国したのを聞いて、ミサイルが飛んでくると恐怖・狼狽して即刻ファーストクラスで送り返したという話は有名だ。
安倍総理のことをとやかく言えたものではない。
‥‥政府は『避難所のトイレと水が最優先事項』と学習したはずとの田中氏の言は‥‥‥確か、小池百合子大臣が直ぐに指示したはず。
ところが、防衛省の中枢は警察官僚だから臨機応変の対応が取れない。
又、責任を取る人物がいない。
愛知のSAT隊員見殺しの件を見ても、警察官僚というのは役立たずだ。
ここにやはり、自衛隊の制服組を入れるという教訓を得たはずだが民主党は反対だろう。

田中真紀子氏が自民党から民主党に鞍替えしたのも、この定見のなさが原因だ。


戦前日本を「悪い国」とした住みにくかった共産主義者

2007-07-18 12:54:35 | 読み解けば‥‥

産経新聞7/18【正論】伊原吉之助 私たちに敵と戦う用意があるか

日本を「悪い国」と教えた戦後教育は、戦前は共産主義者、社会主義者にとって住みにくい社会だったからだ。
なぜなら、戦後教育が「悪」と特に主張しているのは、ソ連、共産中国などの共産主義者と対峙していた時だ。
だから、共産主義者が徹底的に弾圧されたが、本当のところは割と緩く、共産主義を止めると言えば難なく釈放された。
なぜなら、共産主義は単なる病気と思われていたからだ。

それが、「日本弱体化を狙った占領政策」によって、リンチによる傷害致死で服役していた共産党故宮本委員長まで政治犯だからと釈放された。
(産経・毎日では、治安維持法違反と書かれるが、毎日は「スパイ査問事件」などで逮捕
と別の容疑をほのめかしている。共産党によると戦後、判決は取り消されたと言うが、マッカーサーが間違っただけである。傷害致死は取り消すことが出来ないはずだ。)

戦後の吉田学校・官僚政治の末裔宮沢喜一氏が無くなって、ようやく戦後の占領政策を継承する人々が少なくなった。
おっ~と、どっこい、まだまだ妙な反動政治家がいた。
加藤紘一・元幹事長は、17日「安倍首相と麻生外相の外交感覚はイデオロギーに支配されすぎていて、古い。あの程度の国(北朝鮮)は善導してあげればいい。大きな流れを見失っている」(読売)とバスに乗り遅れるなと主張する時代感覚のずれた人物がいる。
この様な人物は、早めに民主党なり、社民党なりに鞍替えして欲しいが、未だに自民党にいると言うのが不思議なものだ。

政権交代というのは、今や野党と与党自民党との間で行われているのではなく、自民党内で行われている。
だから、民主党は蚊帳の外というわけだが、蚊帳の外では民主党の意義ないので、ネガティブキャンペーンで自民党を一緒くたに批判している。

憲法を含む占領下の法律一切を無効化すれば、日本の良き伝統はたちどころに活性化するのである。」
これは、いろいろな評論家が言ってきたことだ。
占領下の法律や、戦争を遂行するための戦時立法がつい最近まで残っていたは驚くべきものだった。
なんと言っても、地代家賃統制令
(昭和14年勅令第704号・国家総動員法に基づき制定)などという戦時立法は、MacArthur占領下地代家賃統制令施行細則. <wbr>昭和21年10月19日と受け継がれ、なんと廃止されたのは1980年代半ばである。

ちなみに、日露戦争旅順港閉塞の“軍神”広瀬武夫は、ロシア駐在武官の時、ロシア貴族随一の名花と言われた美女に言い寄られた。
即ち、ハニートラップ疑惑が海軍の中にあり、重要部署には配置されなかった。
旅順港閉塞は、その無実の証だったはず。
それにしても、ハニートラップは凄い。
どんな高貴な美女でも、簡単に売春婦に変身するのであるから。